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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 桜と菜の花と芝桜

    熊本市北区の「高平・坪井川遊水地花公園」は今、桜と菜の花と芝桜が咲きそろい、鮮やかなコントラストが観る人を楽しませています。土手道の向こうに見えるのは古刹浄国寺。江戸末期から明治時代に活躍した生人形師・松本喜三郎の傑作「谷汲観音」が鎮座する寺としても知られています。花公園を見物ついでに「谷汲観音」にお参りなどいかがでしょうか。鮮やかな色模様を楽しんでいると時の経つのを忘れる土手の向こうに見えるのが浄国寺谷汲観音様にはいつも「すべてお見通しだ!」と言われそう。桜と菜の花と芝桜

  • 柳暗花明又一村(りゅうあんかめい またいっそん)

    買い替えるプリンタの品定めに北熊本の家電量販店へ行ったついでに桜が見ごろの立田山へ登った。曇り空がちょっと残念だったが今年も美しい桜の風景が展開していた。その後、麓の小峰墓地へ足を伸ばした。ここの桜も美しい。その昔、この下立田に生まれ育った父は、「この辺り一帯は数百㍍隔てて、彼処に一戸、此処に二戸と人家の点在する寂しい山里だったが、自然の眺めは四季を通じて素晴らしく、ことに春の風情はこの地を訪れる人に『柳暗花明又一村』の感懐を抱かせたのでは…」と書き遺している。この「柳暗花明又一村」という表現は南宋時代の中国の詩人陸游の「遊山西村」の中の一節で、「柳が生い茂り、明るく花が咲いている村がまた現れた」という旅人の気持を明るくさせる美しい風景を表現しているらしい。小峰墓地は五高教師時代のラフカディオ・ハーンが度...柳暗花明又一村(りゅうあんかめいまたいっそん)

  • 男なら ~女ながらも武士の妻~

    民謡歌手「水野詩都子」さんと三味線演奏家「﨑秀五郎」さんのコンビ「しずごろう」によるチャンネル「しずごろう民謡わがままチャンネル」の最新アップ曲は山口県民謡「男なら」です。この「男なら」は文久3・4年(1863・1864)に攘夷思想にはやる長州藩と英仏蘭米の列強4国との武力衝突事件、いわゆる「馬関戦争」の際、外国船の攻撃に備え、萩の菊ヶ浜に土塁を築いた武家の妻女たちによって唄われた作業唄だと伝えられています。「おなご台場」とも呼ばれるこの土塁を築いた女たちの唄が「男なら」なのです。ですからこの唄はやっぱり女性に唄っていただきたいと思います。この唄の節は「二上り甚句」系といわれています。NHKの「民謡魂ふるさとの唄」では「二上り甚句」系の民謡として次の5曲が挙げられていました。酒田甚句(山形)名古屋甚...男なら~女ながらも武士の妻~

  • 桜ばな いのち一ぱいに 咲くからに

    熊本城の桜もほぼ満開。桜の花の命は短いけれど美しいその姿のまま散ってゆく。昔から日本人はその儚さと潔さに魅かれてきた。そんな心情を詠んだのが下の歌桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり(岡本かの子)今日、桜を眺めながら行幸坂を下っていると、胸の前に遺影と思しき写真を抱えた老婦人が上ってきた。すれ違いざまに見るとご主人のようだ。最近亡くなったのだろうか。ご主人が熊本城の桜を見たいと願っておられたのだろうか。お二人で来られる予定でもあったのかもしれない。などと想像して胸が熱くなった。奉行丸西南端の未申櫓下の桜も満開。奉行丸西側石垣の復旧が待ち遠しい。奉行丸東側に並んだ桜に目を奪われる。かつてその下で花見客が筵をぎっしりと敷き詰め弁当を開いた光景を思い出す。花見客も以前のように国際色豊かに。ヒジ...桜ばないのち一ぱいに咲くからに

  • 民謡少女

    今日、YouTubeで民謡の検索をしていた。すると思いがけない映像に出逢った。それは東京浅草の民謡酒場「和ノ家追分」のチャンネルの中だった。10数年前から熊本のイベントや民謡コンクールなどでよく見ていた梅元遥香さんだった。「おてもやんコンクール全国大会」で優勝したこともある。民謡竹峰流家元の福島竹峰先生の秘蔵っ子で、たしか彼女が中学に上った頃から、いろんな舞台で唄っている姿を見ていたが、実力派「民謡少女」として印象深かった。大学進学したという話も聞いたことがあるが、おそらくもう20代半ばになっているはずだから卒業したのだろう。最近、熊本では見かけなくなったなぁと思っていたが東京へ出て行っていたとは。新天地で大いに力を発揮してほしい。熊本から応援しています。2009年10月12日熊本城竹の丸くまもと秋のお城...民謡少女

  • 8年ぶりの祭り風景

    昨日は本妙寺で4年ぶりに桜灯籠(はなとうろう)が行われた。そして熊本地震から7年ぶりに仁王門をくぐることができた。熊本地震で被災した仁王門は昨年10月に修復工事が終わっていたが、石段下のバイパストンネル工事が行われていたため通行できない状態が続いていた。トンネル工事もやっと終わり、仁王門前の祭り風景は実に8年ぶりとなる。昨夜は雨も予想されたので、開始時刻の午後6時より1時間も早く着いて、準備真っ最中の参道を見て回った。花園地区で保育園を経営している親戚とバッタリ会った。園児たちが作った和紙灯籠を奉納しに来たそうだ。しばらく立ち話をしたが、本妙寺のイベントも運営メンバーの高齢化などで段々厳しい状況になっているらしい。8年ぶりに見る仁王門前の祭り風景仁王門から門前町を眺めるのも8年ぶり桜馬場にギッシリ置かれた...8年ぶりの祭り風景

  • キミだけ応援団 ~牛深高校郷土芸能部~

    今朝、NHK総合の九州・沖縄で放送された「キミだけ応援団」は郷土の伝統である“牛深ハイヤ”を守る熊本県立牛深高校郷土芸能部の活動にスポットを当てた。天草伝統の唄と踊り“牛深ハイヤ”を守る牛深高校郷土芸能部は、全国高校総合文化祭に25回出場し、日本一に輝いたこともある名門。しかし現在は少子化の影響で生徒数が減少し、存続の危機にある。そんな郷土芸能部は、晴れ舞台である全国高校総合文化祭への出場を目指し猛特訓中。熊本県代表選考会に臨むメンバーを、お笑い芸人しゃかりきの二人が応援に訪れる。(初回放送:2023年1月)この放送を見ながら、昨年7月29日のブログに次のような記事を投稿したことを思い出した。今日の熊日電子版に、3年生が卒業し部員ゼロとなった牛深高郷土芸能部に16人が入部。31日に初舞台を迎えるという記事...キミだけ応援団~牛深高校郷土芸能部~

  • 人力車のはなし。

    最近、加藤神社付近で人力車に乗った観光客をよく見かけるようになった。全国の観光地で人力車は今や欠かせない観光のアイテムになったようだ。熊本では「肥後力俥」さんが頑張っておられる。明治時代中期、熊本で五高教師として暮らしたラフカディオ・ハーンや夏目漱石などのエピソードには人力車が欠かせない。そんな熊本における人力車の歴史を熊本県大百科事典より転載してみた。人力車は明治3年(1870)3月に東京で製造が許可されると、たちまちのうちに全国主要地に普及した。県下の人力車第1号は4~5年、東京から移入された。県当局が熊本洋学校のお雇い外人教師ジェーンズの乗用車として購入したのがはじまり。急激な普及で6年5月には県は早くも取り締まり規則を定め、翌年には賃銭の規程を定めた。9年には「人力車夫営業規則」を定めて、交通事故...人力車のはなし。

  • 役者寺と熊本能楽の行く末

    一昨日、花園公民館図書室へ借りていた本を返しに行ったついでに本妙寺の桜の開花状況を見に行った。ソメイヨシノはまだまだの状態だったが、本妙寺大本堂や塔頭・東光院の枝垂桜は見ごろになっていた。桜馬場を歩いていると塔頭・妙心院の本堂に入って行く人が数人見えた。遅れてきた一人の女性に声をかけてみると「彼岸の法要」があるのだという。数年前、この本堂で金春流中村会の仕舞や連吟を見たことを思い出した。この妙心院は別名「役者寺」と呼ばれている。その由来について入口の標柱には次のように書かれている。――当院は、慶長年間に加藤清正公に伴われて来熊した太閤旧家臣で金春流武家能役者中村靭負(五百石)、嫡子同伊織(細川忠利より千石)、分家同作左衛門(二百石)及び江戸時代初期から共に活躍した友枝家、小早川家の菩提寺である。――墓地に...役者寺と熊本能楽の行く末

  • 桜の開花とWBCと

    今日熊本も桜の開花が発表された。桜の名所「行幸坂」の開花状況を見てみようと歩いて出かけた。満開まではまだ1週間ほどはかかりそうだ。ちょうどWBCの決勝「日本vs米国」が終盤に差し掛かっている時間だったので、スマホで途中経過を確認しながら歩いた。すれ違う観光客もどうやらスマホで野球を気にしながらという人が多いようだ。観光客の中国語と思しき会話の中で「オータニ」という言葉が聞こえた。思わずニヤリとする。家に帰りつく前に決着がついた。今日は村上選手も値千金のホームランを打ったし、九州学院野球部OBの叔父もきっと天国で喜んでいるだろう。行幸坂から熊本城天守閣を望む備前堀と桜号外が発行された桜の開花とWBCと

  • 最後の熊本城島唄コンサート

    2001年に始まった「古謝美佐子・熊本城島唄コンサート」は熊本地震や新型コロナなどで中止された年もあったものの、今回で20回目を数え、ラストコンサートが二の丸広場で行われた。僕は2010年から見始め、たしか今回が10回目となる。その2010年に竹の丸で行われたコンサートも雨が降った記憶があるが今日もとうとう最後まで雨が降り止まなかった。その2010年からゲストとして登場した舞踊団花童(当時は少女舞踊団ザ・わらべ)は今回まで毎回出演した。「熊本節」「春の唄」「花」「童神」などすっかりお馴染みになった曲が次々と演奏され、雨の中詰めかけたファンから盛んな拍手が送られた。花童は「春の唄」「花」で踊りを添え、またフィナーレを華やかに盛り上げた。島唄ファンの一人としてこのコンサートが終わるのはやはり寂しい。フィナーレ...最後の熊本城島唄コンサート

  • ムシロば早よう敷かなんたい

    今日、所用で出かけた帰り、熊本城二の丸の桜の開花状況を確かめてみたくなり、車を停めて見に行った。山桜など数本の早咲きの桜は既に開花しているが、ソメイヨシノはまだ数日かかりそうだ。平日にもかかわらず桜の木の下でお弁当を広げて花見を楽しむグループもいくつか見かけた。明日から雨の予報が出ているが、週末から来週にかけて4年ぶりの花見の人出が見込まれる。熊本地震による熊本城の立入規制エリアも多いので、下の唄「とっとっと」のような場所取りの光景が見られるかも。ここなら花見のちょうどよかムシロば早よう敷かなんたい一杯飲んで待っとこばいとっとっととっとっとホラとっとっと熊本地震前の花見時季の行幸坂「〽とっとっと」(1998)作詞:佐藤幸一作曲:今藤珠美作調:中村寿誠ムシロば早よう敷かなんたい

  • 熊本は賑やかに春のまつり!

    今日は熊本城二の丸広場で行われている「春のくまもとお城まつり」と花畑町の花畑広場で行われている「熊本城下のさくらまつり」をハシゴした。「お城まつり」の今日のプログラムは「チアダンスDAY!」。県内の7つのチアダンス団体が一堂に会し競演した。かたや「さくらまつり」の方は古典芸能や郷土芸能、ダンスパフォーマンス、ロックミュージック他と盛りだくさんのプログラム。少々疲れたが本格的な春到来を感じさせた。二の丸広場「チアダンスDAY!」でチアダンスを披露する九州学院ミリアムズ「熊本城下のさくらまつり」で山鹿灯籠踊りを披露する鹿本農高郷土芸能伝承部熊本は賑やかに春のまつり!

  • 聖パトリックとハーン

    今日は「聖パトリックの日」なんだそうな。そういえば数日前、熊本市の街中を「聖パトリックの日」のパレードが行われたというTVニュースを見た。聖パトリックとはアイルランドにキリスト教を広めた聖人で、命日は「聖パトリックの日」としてアイルランドでは盛大なフェスティバルが行われるらしい。熊本はラフカディオ・ハーンの父の祖国という縁があって、25年ほど前に設立された熊本アイルランド協会という団体が主にパレードを実施しているそうだ。実はハーンの本来のファーストネームは「パトリック」。父が聖パトリックにちなんで付けたものだそうだが、両親の離婚や生い立ちなどからハーンはカトリックに疑問を抱いており、後年、「パトリック」は使わなかったそうだ。アイルランドの代表的な民謡「ロンドンデリーの歌(ダニー・ボーイ)」僕にとってアイル...聖パトリックとハーン

  • さまざまの桜

    熊本城二の丸広場の早咲きの桜も白い花びらを開き、来週前半には熊本も桜開花宣言が聞けそうだ。春の季語「桜」を題材とした名句は数多いが、そんな中から今日三つ選んでみた。▼さまざまの事思ひ出すさくらかな(松尾芭蕉)今、熊本城では「春のくまもとお城まつり」の真っ最中。桜のたよりを聞くと、毎年桜の季節に行われたさまざまなイベントを懐かしく思い出している。▼さくらさくらと唄はれし老木哉(小林一茶)熊本城内の桜も老木が多くなった。ほとんどの桜の幹に「落枝注意」の標識が付けられている。近年、伐採される桜も多くなったようだ。少しづつ代替わりしていけばいいのだが。▼さくら咲いて、なるほど日本の春で(種田山頭火)桜の花に気分が高揚するのは日本人だけなのだろうか。コロナも収まって来て今年は賑やかな花見風景が見られそうだ。熊本城二...さまざまの桜

  • 消えゆく?建仁寺垣(けんにんじがき)

    散歩で通る往生院の建仁寺垣を眺めながら、最近、建仁寺垣を見なくなったなぁと思う。しかしよく見ると材質は合成樹脂系のようだ。建仁寺垣とは、割り竹の表を外側に向けて並べ、縄で結んだ垣のことで京都東山の建仁寺で始まったのでその名が付いたらしい。泰勝寺跡(細川家立田別邸)を囲っていた建仁寺垣も数年前に鉄のフェンスに変わったし、他でも建仁寺垣を見なくなった。寺田寅彦の「夏目漱石先生の追憶」の中に次のような一節がある。漱石熊本五番目の内坪井の家の様子を書いたもので――庭はほとんど何も植わっていない平庭で、前面の建仁寺垣の向こう側には畑地があった。垣にからんだ朝顔のつるが冬になってもやっぱりがらがらになって残っていたようである。――とある。しかし、ここも現在はプラスチックの支柱を立てたサザンカの生垣に変わっている。やは...消えゆく?建仁寺垣(けんにんじがき)

  • 水泳仲間の大江さん

    小説家でノーベル文学賞受賞者でもある大江健三郎さんが亡くなった。特に大江さんの作品のファンというわけでもない僕が、大江さんと出会ったのは今から40年ほど前のこと。実はこの大江さん、僕の東京勤務時代の水泳仲間である。毎日、中央線で通勤していたが、週に2日は帰りに中野のTACというスポーツクラブに立ち寄って泳いでいた。その時、いつも同じ時間に来ていた仲間の一人が大江さんだ。お互いプライベートなことは聞かない暗黙のルールみたいなものがあって、名前を名乗りあうことはなかったが、みんな大江さんのことは知っていた。会話もほとんど水泳に関することしかした記憶がないが、とてもざっくばらんな方で世界的な文学者というイメージは全く感じられなかった。その後僕は転勤で東京を離れたので大江さんとお会いすることもなかったが、昨日のテ...水泳仲間の大江さん

  • 和太鼓と民謡

    必由館高校和太鼓部今、熊本城は「春のくまもとお城まつり」期間中。昨日は二の丸広場で行われた「太鼓響演会」を見に行った。お目当ては必由館高校和太鼓部。全国に知られた実力校で数々の受賞歴やイベント出演も多数。この学校は高等女学校として始まり、戦後、男女共学となったが、今も生徒数は女子が男子の倍以上を占める。そんなわけで和太鼓部も女子が大半。その凛々しい演奏ぶりは観客を惹きつける。民謡「男なら」二の丸広場に行く前に、花園公民館の図書室へ予約していた本を受取りに行った。受け取って帰ろうとすると、どこからか「オーシャーリシャーリ」という民謡「男なら」の一節がかすかに聞こえてきた。この唄は僕にとって懐かしい山口の思い出の曲。何かやっているのかなと公民館入口の行事予定表を見ると、「ホール中山民俗舞踊」と書かれていた。ち...和太鼓と民謡

  • 新幹線が来たバイ!

    昨日、東日本大震災から12年ということは、その翌日から開業した九州新幹線鹿児島ルートは今日12日が開業12年ということになる。何しろ大災害の翌日とあって開業記念イベントはすべて中止、祝賀ムードを自粛し、喜びも極めて抑制された形でのスタートだった。当初は前途多難を危ぶむ声も多かったが、その後利用者は順調に増え、観光やビジネスの足として定着した。近年の新型コロナの影響で利用者の落ち込みはあったものの徐々に回復して行くものと思われる。12年経った今、九州新幹線開業で地域振興を図る「新幹線くまもと創りプロジェクト」はどの程度の成果を上げたのだろうか。通り過ぎる新幹線の疾走音にも慣れた熊本駅新幹線口新幹線到着も初めは熊本の風景とは思えなかった1年後、くまもと森都心プラザのイベント広場で行われた開業1周年イベントでの...新幹線が来たバイ!

  • 東日本大震災から12年

    今から6年前の2017年3月29日、宮城県仙台市の電力ホールで行われた「東日本大震災七回忌追善公演ふるさとの春まつり」に熊本から舞踊団花童が出演した。これは2014年に38歳の若さで夭逝した作詞家おのりく(園田凌士)さんと花童とのご縁で実現したものだった。おのさんは少年時代を熊本で過した方で、十代から音楽活動を始め、作詞家となってからは多くの歌手に歌詞を提供している。この「ふるさとの春まつり」では、おのさんが生前、東日本大震災被災地の復興への願いを込めて贈った歌を花童が踊った。その中の1曲「平泉讃歌」は、奥州平泉で非業の最期を遂げた源義経をモチーフとした叙情歌。この世の未練断ち切りがたい義経の魂が高館の杜を彷徨っていると、どこからか迦陵頻伽の妙なる歌声が幽かに聞こえて来て、やがてひとすじの希望の光が差し、...東日本大震災から12年

  • 「八重洲界隈」閑話

    東京駅前の複合施設「東京ミッドタウン八重洲」が今日グランドオープンしたそうだ。東京を離れて30年、八重洲界隈の風景もすっかり変わったことだろう。僕が二度、合わせて10年勤務したブリヂストン本社ビルは、八重洲通りと中央通りが交差する京橋1丁目にあった。言ってみれば八重洲界隈はホームタウンだった。地下街も含め、昼食のご飯屋さん、夜の飲み屋さん、休憩時間によく利用した八重洲ブックセンター等々。その八重洲ブックセンターも閉店するらしい。現在は、本社ビルは移転し、跡にはアーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)が入る23階建て高層ビル「ミュージアムタワー京橋」が建っている。再開発がどんどん進み、今訪れたらおそらく浦島太郎状態だろう。「ミュージアムタワー京橋」が立つこの地は江戸歌舞伎発祥の地である中橋南地にあたる。江...「八重洲界隈」閑話

  • 女子フットボーラーを悼む

    今週末はまた「3.11」がやってくる。あっという間に12年が過ぎた。当時投稿したブログ記事を再掲し、あらためて犠牲になられた方々に哀悼の意を表したい。▼消えた女子フットボーラーを悼む(2011年8月6日)つい先日まで、東日本大震災による悲劇の中に、遠く離れた熊本にもこんなに悲しい話があるとは知らなかった。それはかつて益城ルネサンス熊本FC女子サッカーチームに所属し、中心メンバーとして活躍していた佐藤恵利子さんが大津波にさらわれて亡くなっていたというのだ。彼女は宮城県の聖和学園高校の出身で、卒業と同時に熊本にやってきたチームの創立メンバーだそうである。2007年まで約10年ほど在籍し、その後、宮城県に帰っていたらしいが熊本への愛着は強かったらしく、その後も度々熊本を訪れていたそうだ。3月11日の大津波の後、...女子フットボーラーを悼む

  • 小泉八雲熊本旧居にて

    今日は上通の熊本市現代美術館を訪れたついでに小泉八雲熊本旧居を訪れた。5,6年ぶりだと思う。展示物は前回訪れた時にほとんど見た覚えがあり、その時いただいた資料も読んでいたので特に目新しいものはなかったが、唯一、神棚を見た記憶がなかったので興味深く見せていただいた。次のような説明書が掲示されていた。▼神棚ハーンがこの家を借りた際、家主の赤星氏に依頼して作ってもらった神棚。彼は毎朝拍手を打ってこれを拝んだ。熊本で執筆した最初の文章は「家庭の祭壇」(TheHouseholdShrine)である。帰ってから調べてみると「知られぬ日本の面影(下)」の中にその項目があった。館長さんとしばらく話し込んだが、わが家の本籍地がハーンの「石仏」の冒頭に書かれた「このあたりの黒髪村の人たちは今ではもっと離れた区域を墓地としてい...小泉八雲熊本旧居にて

  • 地平線はどこだ!

    現在公開中のスティーブン・スピルバーグ監督の最新作「フェイブルマンズ」について、フォローさせていただいているブログ「ミューズの声聞こゆ」さんが紹介しておられる。この映画はスピルバーグ監督の自叙伝的作品だといわれているが、その中のエピソードにスピルバーグ監督が敬愛してやまないジョン・フォード監督と出会った時の「地平線はどこだ!」のくだりが映像化されていると紹介されていた。この「地平線はどこだ!」のくだりとは、10数年前にBS放送で見たピーター・ボグダノヴィッチ監督によるジョン・フォードに関するドキュメンタリー「DirectedbyJohnFord」の中でスピルバーグ監督自身が語っていたエピソードで、この作品の中で最も印象深かった。僕は自叙伝的な映画はあまり好きではないので「フェイブルマンズ」も見ようという気...地平線はどこだ!

  • 河津桜としげさ節

    坪井川遊水地の河津桜の向こうに金峰山を遠望する今日は坪井川の土手道を散歩した。熊本電鉄上熊本―北熊本線の線路に近い坪井川遊水地に植えられた河津桜が見ごろになっていた。遠く西の彼方に金峰山が綺麗に見えていた。坪井川の流れを眺めながら土手道を歩いていると、なぜか昨夜「ナニコレ珍百景」(テレ朝)で見た「しげさ節」が浮かんできて頭の中でリフレインし始めた。お客さんへのサービスに民謡を歌う理容店という客にとってありがたいのか迷惑なのかわからないようなサービスなのだが、店の女将が唄い、息子の理容師が三味線を弾くのが「しげさ節」。隠岐の民謡ということだが、元唄は新潟県の「三階節」だという。その昔、北前船の船乗りによって伝わったものらしい。とにかく妙に心に沁みる唄だった。ちなみに「しげさ」とは「出家さん」が変化したものと...河津桜としげさ節

  • 熊本城で会おう

    毎春恒例の「春のくまもとお城まつり」が始まり、昨日・今日の二日間、熊本城二の丸広場では、熊本城おもてなし武将隊結成十周年を記念して「熊本城で会おう武士の魂2023」と題して全国の武将隊13隊が集うというイベントが開催された。特設ステージでは各武将隊のパフォーマンスが順番に披露され会場は大いに盛り上がっていた。着物レンタルのイベントも併せて開催されたので着物姿の観客も多く、会場は一見コスプレ大会の様相を呈していた。熊本城おもてなし武将隊の八十姫のお出まし推しの武将とファンの交流があちこちであいち戦国姫隊謎のコスプレ?熊本城おもてなし武将隊の清正公やまがた愛の武将隊熊本城で会おう

  • 町興しなるか 企業進出

    一昨日の熊日新聞は「世界的な半導体メーカーTSMCの熊本県菊陽町進出に絡み、関連企業として、半導体の製造工程で生じる排ガスの浄化装置を製造するカンケンテクノ(京都府)の新工場が1日、玉名市安楽寺の梅林小学校跡地で着工した。操業開始は10月を予定で約1万平方㍍の敷地に5年で計5棟を建設する計画。地元から約100人を雇用する予定。」と報じた。実はここは僕の妹夫婦が住む段丘の真下に当たり無関心ではいられない。工場要員の雇用や移入などにより地域の町興しにつながればありがたいことだ。また、この地区の伝統行事であり熊本県指定重要無形民俗文化財でもある「梅林天満宮流鏑馬」は近年、人口の減少や高齢化、少子化などで、祭りの担い手が減少し継承していくことが極めて厳しくなっている。若い人たちがこの地域に移入することによって新し...町興しなるか企業進出

  • 水が出ない「鳴岩の湧水」

    平成の名水百選に選ばれている「金峰山湧水群」の一つ「鳴岩の湧水」(熊本市西区花園町)の湧水が止まってもう2、3ヶ月経っているようだ。昨年暮れ久しぶりに覗いてみたら水が止まっていたので驚いた。そのうちまた出るようになるかなと思っていたが、今日再び訪れてみたら排水溝には落葉がうずたかく積もり長い間水が止まっていることをうかがわせた。熊本地震の前までここによく水を汲みに来た。地震の後、赤水が出たという話を聞いてから汲みに行かなくなった。赤水はその後出なくなったらしい。この湧水は江戸時代から名水として知られていたらしく、肥後国志にも次のように書かれている。柿原村「鳴岩懸巌ノ内ニ常ニ流水激瀬ノ音ノミアリテ巌壁ノ間ヨリ小流ノ清水湧出ス」下を流れる成道寺川は相変わらず清流が流れているが、たしか成道寺川と同じ水系と聞いて...水が出ない「鳴岩の湧水」

  • 文豪の道

    今日から3月。恒例の氏神様への朔日詣りで藤崎八旛宮へ徒歩で行った。実はこの道、僕は勝手に「文豪の道」と名付けている。道々、文豪ゆかりのスポットを通るのである。まずは新坂下り口。明治29年、五高に赴任するため池田ステンショ(現上熊本駅)に降り立った夏目漱石が人力車でここにさしかかり、眼下に広がる熊本の市街地を初めて眺めた地点である。漱石内坪井旧居パンフレットより漱石内坪井旧居(熊本第五の旧居)内坪井旧居で生まれた長女筆子と鏡子夫人(内坪井旧居パンフレットより)壷井橋から広丁通りを真っすぐ進み、藤崎宮の表参道へ入る。楼門をくぐり拝殿で朔日のお詣りをすませる。帰りは表参道の途中で右折、漱石北千段畑旧居(熊本第六旧居)の前を通る。子飼商店街からの道(八雲通り)に出て3号線を渡ったところにある種田山頭火が得度した報...文豪の道

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