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マラナ・タ https://blog.goo.ne.jp/malanata

私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

ハレルヤおじさん
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垂水区
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姫路市
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2009/07/20

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  • 謙遜と高慢

    人は謙遜を口にしている時でさえ、高慢な時があります。「私どもは、自分を見てへり下るのではなく、十字架のあの方を、見てへり下るのである」マ―レ「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」箴言18:12「謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。」箴言22:4高慢は破滅に先立ちます。そして高慢の現われとして、人の訴えや話を聞かないというものがあります。自分で勝手に解釈して、自分の都合の良いようにしてしまうことも、「よく聞かない」ことになります。「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。」コロサイ3:12平和な日々の中で、自己満足、無神論的世界観、物質万能主義の支配する今日この頃です。この風潮が、私たちの目をく...謙遜と高慢

  • 委ね切って

    「女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」マタイ15章27節自分は神から離れている身分であるが、神はそのような者にもあわれみを施して下さり、恵んでくださるのだ、という事です。イエス・キリストの奥義をここまで理解することは、私たち人間には難しい事です。私たちは自分自身を見てしまい、主が与えようとされている祝福をどうしても受け取りません。「私はだめだから。」と言って、頑固に神の祝福を受け取らないのです。しかし、彼女は娘のために、イエスに取りすがります。だが弟子たちは、この女を野良犬のように追い払うことを主に求めます。イエスのお答えも「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」でした。しかし彼女はへこみませんでした。自分を犬呼ばわり...委ね切って

  • 安心して

    「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。」マタイ6章31節「養って下さる神の存在を信じる」時に、人は思いわずらいから解放される。まことの神を知らない人の特徴というのが、神を知らないがゆえにそういったことに(衣食住)心配していると言うのが特徴です。神は私たちが思い煩うことを喜ばれません。それどころか、嫌われます。なぜなら、神は「天の父」であって、私たちはその子供たちだからです。親が付いていながら、子供が心配したり、思い煩って落ち込んでいれば、親は悲しむでしょう。信頼されない親ほど、情けないものはありません。ですから、神は繰り返し「思いわずらうな」と言われるのです。自分の子を養うことが父の大きな喜びなのです。養われる神がおられる、導かれる神がおられる、支えられる神が...安心して

  • あなたには何の権利もないのです

    「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。」ルカ6章41節別な訳ではこうです。「あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。」「自分の目に材木が入っているのに、どうしてほかの人の目の中にある、おがくずほどの小さなごみを気にするのでしょう。」私たちは、イエスを見つめることなくして、他の人を見つめることがしばしばあります。イエスを仰ぎ見た後に他人を見るのではなく、自分自身を見なければいけません。自分のことは棚に上げて人の弱点をとやかく言って裁きがちな私たちに、大切なことを気づかせてくださいました。私たちはどうしても自分に甘く、他人に対しては厳しくなりがちです。(私はあなたとは違うという思いと、私は正しいという心がこのよ...あなたには何の権利もないのです

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