限りなく悲嘆に暮れ、限りなく至福に浸った一年だった…何かに対するものの見方が、ひとつの出来事を境に、たった一日でがらりと変わってしまうことがある。それが3月11日14時46分に起こった大震災であることは言うまでもない。思い起こせば今シーズンは「震災に始まり、震災に終わった一年だった」…そう言っても過言でないほど、大震災は我々の記憶に、数多くの教訓を残していった。圧倒的な大地の怒りに触れ、積み上げた価値観がモロくも崩れ去ったあの日…震災で亡くなった方々へ鎮魂の頭(こうべ)を垂れ、生きた者の証(あかし)として、生きることへ前向きに、そして、純粋にチームという結合体が一丸となっていく瞬間でもあった。結果的に今では仲間と心を通わせることで、光の輝きや、風の感触が、昨年とまるで違ったもののように感じられる…学生たちの献身...Hellogoodbye(最終回)
「自分の人生に起こることを『運命だ』と受け身的に捉える人が多いようですが、私はいつも『あなたの運命をデザインしなさい』と言うのです」こう語るのは御年100歳、聖路加国際病院理事長の日野原重明先生である。未曾有の大震災、大津波、原発事故…日本という国が大きな試練に見舞われた2011年。そして来る2012年。私たちはこの現実から立ち上がり、新たに運命をデザインしていかなければならない。ここで、このブログを愛読する皆さんにも宣言するが、2012年、学校も新たな道へ大きく舵をきる。日野原先生の言葉を借りれば、学校の「運命をデザイン」するという事だろうか…東京福祉専門学校の学校責任者になって3年あまり。着任初年度は2005年から続いてきた入学者の減少を下げ止めることをミッションに、2009年度、2010年度と2期連続で入...運命をデザインする
皆さんは、緊張度が増して、思わず笑みが“こぼれる”ことはないだろうか?いやー、学校という職場にいると、厳粛な空気の場が数多くあるため、こんな感慨に及ぶことが多い。(もちろん真剣に職務をまっとうしているため、実際に笑みがこぼれるわけではないが…)それにしても、あの緊張度が増してくると、思わず笑みがこぼれてしまうのは、いったいなんなのだろうか?別にその場を茶化(ちゃか)しているとか、悪ふざけをして笑みがこぼれるているわけではない。また、大笑いとか、高笑いとか、せせら笑いとか、そんな安い笑いでもない。形容すると「なんとなく笑みがこぼれてしまう」、この言い方が一番ふさわしい。風船の空気が膨張して、ある一定程度のところで破裂してしまうように、緊張度が増して、臨界点越えると思わず「ニヤッ」と笑みが出てしまう。(正確には出そ...緊張度が増すと笑みがでる
このブログは東京から遠く離れた北の地、札幌のビジネスホテルで書いている。明日は打合せを兼ねた姉妹校への訪問で、札幌市と恵庭市を渡り歩く。金曜日の夜から寒冷前線が日本へ南下し、北日本の各地は厳しい冬の寒さに覆われた。そんな北海道は東京からきた人間からすると、ちょうど塩加減がよく効いた冗談のような寒さである。なんと言っても気温差-14℃。腰は痛くなるし、足のつま先も痛いし、目も痛いし、寒風には知覚過敏になった前歯が痛いほどしみる…さて、そんな出張間際の空港で、時間を持て余して本屋に立ち寄ると「ドラッカー」の本がずらりと並んでいた。2009年7月に発売された「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら(岩崎夏海著:出版ダイヤモンド社)」という書籍が、推定270万部を突破し、出版不況と呼ばれ...もし学校責任者がドラッカーを読んだら…
12月14日、舞浜にあるホテルサンルート・プラザにて、学園グループの「教育学会」が行われた。全国に50以上のグループ校を展開している滋慶学園グループは、教職員の育成を目的に、日々の教育成果を「教育研究」という形で発表し、その成果内容を聴くことで気付きの機会を提供している。この「教育学会」の場で、介護実践科2年生Sさんの「英語スピーチコンテスト(※11月30日ブログ)」表彰が行われた。コンテストは海外提携校オーストラリア・クィーンズランド大学が「開校100周年」を記念して、コンテストの上位入賞者に5週間の同大学への留学費用と、旅費代、ホームスティ代を負担するという豪華な企画だ。ちなみに、このコンテストは今年で2回目の開催となる。あえて「教育学会」の場でスピーチコンテストの表彰をするのは「国際教育」を大切にしている...チャレンジ-私の生きている実感
そう言えば、今年の年明けに携帯電話を無くした。早いものであれから一年が経とうとしている。新年会の席で疑いもなく忽然(こつぜん)と自分の前から携帯電話がなくなった。まぁ、正確に言うと新年会が終わって電車に乗っている時に、携帯電話が無いことに気がついたと言った方が相応(ふさわ)しいのだが…慌ててお店に電話したが、店員もそっけなく「携帯電話は見あたりません」と言う。しかし、一杯やっていた時に、携帯電話をいじくりまわしていたのは覚えている。記憶を無くすほど、飲んでいるわけでもないし、携帯電話をどこかに落としたという感覚もない。物体がこの世から消え去ることなど信じられないが、あの携帯電話は一体どこにいってしまったのだろうか…(※ちなみに携帯電話はいまだ出てこない。補償で同じ機種は戻ってきたのだが…)世の中には、ひどく“も...ものが無くなる…
本来なら、ひとくちに職場の同僚と言っても、そのあいだに横たわる溝は暗く深いものがある。ところが東京福祉専門学校の職員が働くその職場は、実に家庭的であり、牧歌的であり、友好的だ。そうかと言って職場が放漫(ほうまん)な雰囲気で、緊張感が無いのか?と問われればそんなこともない。時には上長から厳しい「問い」を発せられることもあるし、仕事を積みあげて行く過程の中で同僚同士の激しいやりとりもある。また、マネジメントを司(つかさど)る各部署の責任者がいい加減なことをしていれば、部下たちから烈火のごとく叱責をされる。まぁ、自分らしさを発揮しつつ、多少なりとも緊張感がある。働く上では、とても健康的な職場ではなかろうか…そのような中で、組織として積み上げていく心の交流は、素敵な恋愛と同じで、歳をとってからでも、おりに触れて思い出し...職員からの手紙(6)
たまに、小学校の「社会科見学」時に行った「工場」の様子を思い出すことはないだろうか…今、在学している学生さんたちが「社会科見学」というプログラムで、どんな場所に行ったのかは知らないが(そもそも社会科見学というプログラムはあるのか?)、少なくとも昭和30年代から50年代の東京在住の子どもたちは、この「社会科見学」で必ずと言っていいほど「工場」の見学に行っていた。小学校5年生だったか?6年生だったか?自身は飲料水のコカコーラ工場の見学に行ったのを覚えている。当時はペットボトルと言うような高尚(こうしょう)なものも無く、河の流れよりも速いオートメーション化されたベルトコンベアの上を、白い横文字の筆記体で「COCA-COLA」と書かれたぶ厚いビンが流れ渡り、そのビンの中に黒い液体が注入されれいく有り様は、小学校の子ども...工場があった頃の風景
ブログを「やめる!」と宣言をしてから数日が経つ。少なからずとも反響はあるものだ。東京福祉専門学校のスタッフからはもちろん、学生や、講師、姉妹校の職員まで、はたまた外部でサポートしてくれる企業の皆さんにまで「やめるのは勿体(もったい)ないですね」と言われる。後ろ髪をひかれる思いだが、実にありがたい限りである。それにしても、筆をとるのも残りわずかだと思うと、どうしても肩に力が入る。ついついカッコいい文章を書こうとして、何を書いて良いのかわからなくなってしまう。だから感じたことを書くことにしたら、このブログについての内容になってしまった。このブログは生活の一部になっていただけに、やはり想いが強いのだろうか…?さて、ある職員から「こんな文字だらけのブログは珍しいですね」と言われた。写真もなければ、イラストもないし、可愛...学校という物語
先週末、日本列島を挟むように北上した双子の低気圧は、各地に冷たい雨と季節風を吹き荒らした。震災があった東北地方では、街路樹が倒れ、河の水が巻き上がり、軒先に置いてある看板を乱暴に揺らした。学校がある東京は、そこまでひどい季節風に煽(あお)られることは無かったが、低気圧が北上してからは、静寂と塵(ちり)ひとつない青空が街を包み込む。そして、本物の冬が到来した。決して後戻りができない、容赦のない冬が今週から始まる…さて、本題に入ろう。今日は「先生」という仕事の職業観についての話だ…世の中には「先生と呼ばれる仕事ほど馬鹿(ばか)はなし」という言葉もあって、「先生」、「先生」と適当に呼んでおけば、それで色々な面倒なことを棚上げしてしまうケースも見受けられる。確かに職員同士でも、年齢の上の職員や、専門職の職員、職制が上の...先生と呼ばれる仕事
「ブログリーダー」を活用して、東京福祉専門学校さんをフォローしませんか?