個人的な備忘録です。
「見る」とは、掬い上げた清水が指の隙間から零れ落ちていくようなもの…。 手の平には何も残らず、掬い上げた筈の記憶は僅かに残るものの、それを証明することさえ儘なりません。 夢幻の如く…。 所詮は忘却の彼方へ霧散して行く夢に過ぎません。 だからこそ、「見た」ことよりも「見る」ことにこだわりたいのですが、これがなかなか…。
●映画批評―ポップ・アートも、最初は権威筋からは完全に無視されていた。洗剤の箱のデザインが美術品になるなんて、誰も理解出来なかった。ロック評論だってそうだ。「ロック&ロールを真面目に考えるなんて馬鹿だ!」と言われたものだ。ところが、ある日突然、ロック&ロールもポップ・アートも、「意味のあるもの」になった。私の映画も同じ事だ。私の映画なんて、一見、汚くて、血塗れで、ダイムストアで売っているような安物だ。真面目に取られなくても、当然。でも、頑張らなければならない。年老いた批評家達にとっては、20年も30年も前の名作しか映画じゃないんだ。新しいもの、コンテンポラリーなものは、解ろうともしない。しかし、こんな事は、映画ファンにとっては関係の無い話さ。●若者へのアドバイス―この仕事で成功するには、たくさん映画を作らなけれ...ブライアン・デ・パルマ語録
●サイレントの演出―役者が動いている間中、話し掛ける事が出来たのは、大助かりだった。何しろサイレントだ。今でもそれが出来ると良いのだが…。時によって、女優は音楽が少しでも鳴っていた方が芝居をし易いようだった。それが気休めになるならば、とアコーディオンを静かに弾かせたものだ。あの頃は、皆そうやっていた。●自然な演技―一つのシーンを、いろいろアングルを変えながら撮ると、俳優たちが疲れて、演技からは自然さが失われてしまう。ただ言葉を声に出しているに過ぎなくなるので、一度目か、二度目の演技でOKを出す事にしている。そうすれば、生気のある、所謂、演技らしくないものが得られる。出来合いのものでは無い不確定の味が、観客に対して一種のサスペンスを感じさせる事になるのだ。●アクション・シーン―アクション・シーンのリハーサルはしな...ジョン・フォード語録
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