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源頼朝の手にした征夷大将軍の称号は武家のトップの称号ではない。天叢雲剣の新たな形代こそ征夷大将軍という称号であった。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時
<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書
しかし、貴族の趣味の中には武士にも受け入れられる趣味もある。あるいは、貴族と武士とは対立存在ではなく連綿として続いている存在であるとも言える。二一世紀に住む…
一方の源頼朝の人心掌握であるが、これはやはり武士を相手にしてのものである。 鎌倉には中原広元や三善康信などの文人官僚もいるし、他ならぬ源頼朝自身が京都の貴族…
この歌合に接した人たちは、知識としては知っていても、実体験することはほとんどなかった歌合を目の当たりにした。 歌合(うたあわせ)とは、和歌を詠む人達が集めら…
後白河法皇の死から一年を迎えた頃、京都と鎌倉でそれぞれの執政者となっている人物の、人心掌握を兼ねたイベントが開催された。 まずは京都であるが、建久四(一一九…
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建久四(一一九三)年二月五日に畠山重忠に命じた武蔵七党の争いの沈静化は、鎌倉幕府からの正式な行政処分である。朝廷から征夷大将軍に任命された源頼朝が出す命令は…
これは残酷な話とするしかないが、同時に、人類の歴史において少なくない人が痛感することである。老いてなお老いを感じさせない活躍を見せる人もいれば、早くして老い…
建久四(一一九三)年二月二五日、京都で一人の武士が命を落とした。北条時定である。北条時定を北条時政の弟とするのが研究者の野口実氏であるが、その他にも北条時政…
所領を確実に自分のものとした御家人は、手に入れた所領の産業育成を試みるようになった。とは言え、戦場で文句なしの活躍を見せた人物が必ずしもビジネスセンスを有し…
源頼朝は平家政権で破壊された日本国を建て直すという目標を掲げて、鎌倉幕府という組織を構築した。源頼朝のこの思いは鎌倉幕府の御家人達にとっても同意できる話であ…
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一方、宋銭はモノやサービスと交換できる高い信用を持っていた。何しろ日本国内だけではなく国外でも流通しているのだ。日本国内で手に入れた宋銭を持って国外に行き、…
皇朝十二銭で日本国独自の貨幣は終わりを迎え、しばらくの間、日本国内で貨幣が流通することはほとんどなかった。コメや布といった財貨、あるいは金や銀といった貴金属…
建久三(一一九二)年一二月の京都に目を向けると、二つの出来事に着目できる。 一つはこの頃をピークとする疱瘡、すなわち天然痘の流行とその対策。 もう一つは、朝…
ただ、ヒントとなる記録がその六日後に存在する。 熊谷直実の出家だ。 一ノ谷の戦いにおいて、そのときわずかに一七歳であった平敦盛を一騎打ちの末に討ち取ったのち…
源頼朝は、後に源頼家と名乗ることとなる万寿を自分の後継者と明言している。ところが、建久三(一一九二)年の年末の記録を紐解くと、源頼家ではなく源実朝の姿が度々…
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九条兼実の背後に源頼朝がいる。その上で九条兼実により摂関政治が繰り広げられている。九条兼実に刃向かうならば鎌倉が何をするかわからないが、刃向かわなければどう…
源頼朝が征夷大将軍に就任したことで鎌倉に誕生した勢力が、後に鎌倉幕府と呼ばれることとなる強大な存在になると気づいた人はほとんどいない。注意すべき点として、誰…
自分の嫡男の背後に比企一族がいて、次男の背後には実母の家系である北条一族がいる。普通に考えれば比企一族と北条一族の対立が見られるところであるが、源頼朝がその…
生誕時の源実朝は、兄の万寿のバックアップといった捉え方をされていた。元服後に源頼家と名乗ることとなる万寿の身に何か起こったら源実朝が征夷大将軍の地位を継承す…
それでいて、征夷大将軍となると朝廷から距離を置いた独自の行動が可能となる。具体的には、現在が戦時であると宣言するだけで管轄下の地域における徴税権を制御できる…
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建久三(一一九二)年八月九日、後に鎌倉幕府第三代将軍源実朝となる男児が誕生した。北条政子が源頼朝の次男である千幡を出産したのである。父の源頼朝は一ヶ月前に念…
鎌倉幕府の歴史は一世紀半を数えるが、そのうち、源頼朝とその子供達が果たした期間は五分の一しか数えられない。しかも、清和源氏が将軍の職位からいなくなった後も鎌…
現在に生きる我々は知っている。鎌倉幕府は源頼朝が作り出したことを知っている。 現在に生きる我々は知っている。鎌倉幕府が滅ぶ百年以上前に鎌倉幕府の将軍の名から…
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源頼家の名で発令された命令として特筆すべきが、各国の守護の職掌の明確化である。地頭が荘園を管理監督しその年貢を手に入れることのできる役職である一方、守護とい…
一三人の合議制の成立と、その合議制のメンバーに含まれていない五名への特権の付与。 本来であれば対立すること間違いない構造であるが、この後の記録を追いかけてい…
建久一〇(一一九九)年四月一二日に一三人の合議制が誕生したことに対し、源頼家は反発を見せたとはすでに記したが、では、具体的にどのような反発を見せたのか? 吾…
武士である九名の本拠地を記すと、伊豆国が北条時政と江間義時の二名、相模国が三浦義澄、和田義盛、梶原景時、安達盛長の四名、武蔵国が比企能員、足立遠元の二名、常…
源頼家の起こした行動の前に、このときに選抜された一三名について記しておく必要がある。 一三名を吾妻鏡の順番に記すと以下の通りとなる。 北条時政、伊豆国守護兼…
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権威が必要な職務、それは、司法。 武士達が御家人として鎌倉幕府に身を寄せるようになったのは、鎌倉幕府が日本最大の武力集団であることだけではなく、鎌倉幕府に御…
しかし、源頼家個人の資質を全否定するところのある吾妻鏡の記載も多少割り引いて考えなければならないところがある。中原広元の尽力があったとは言え政所をそのまま保…
ここで一つ注意すべきことがある。 それは、北条政子の出家の時期。 夫である源頼朝の死を受けて、北条政子が出家したことは間違いなのだが、何月何日に出家したかが…
源頼朝はもういない。 しかし、源頼朝の意思はまだ生きている。 大姫の入内にこだわり続けていた源頼朝であるが、その目論見は大姫の死によって潰えた。しかし、誰か…
建久一〇(一一九九)年二月一四日、源隆保に対する噂が一つの結末を生み出した。この日、後藤基清、中原政経、小野義成の三名の武士が六波羅在中の鎌倉幕府の雑色に捕…
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源頼朝の突然死の知らせが京都を混迷に招いたことは既に記した通りである。それは二月になってある程度鎮静化してきたものの平穏が取り戻せたというレベルにはほど遠い…
鎌倉幕府は源頼朝という上流貴族が鎌倉に滞在し、その上流貴族の周囲に多くの御家人が集まって形作られている組織として誕生している。 そのトップにある人間が、権大…
建久一〇(一一九九)年一月の源頼朝の死の知らせは京都を混迷に陥らせたらしく、特に土御門通親への反発は強かったようで土御門通親は二二日に後鳥羽院のもとに避難せ…
どういうことか? 忘れてはならないのは、前年の後鳥羽天皇から土御門天皇への譲位である。 土御門天皇は三種の神器が揃わない状態で即位した。ただし、公式見解とし…
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本来なら源義経追討の宣旨は摂政九条兼実が主導して発給するところであった。実際、文治四(一一八八)年二月一四日に発給した宣旨については摂政九条兼実が主導してい…
源義経が奥州平泉にいることは周知の事実になっていたが、京都に住む人の中にはもっと別の場所、具体的には京都にもっと違い場所にいるはずという思いもあったようで、…
九条兼実はさらに鎌倉方の影響縮小を図る道を選んだ。 鎌倉方における地方統治の要となっている地頭について、朝廷の名で鎌倉に対処を求めたのである。 文治四(一一…
九条兼実は鎌倉方の力を利用して後白河院を牽制しつつ、院政前の時代を取り戻そうとしていた。しかし、全てが鎌倉方の言いなりというわけではなく、九条兼実は源頼朝の…
平泉で藤原秀衡が亡くなってからおよそ半月、畠山重忠の釈放から一ヶ月以上を経た文治三(一一八七)年一一月一五日の夜、鎌倉で騒動が起こった。 畠山重忠に謀叛の疑…
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奥州藤原氏の当主交代があったという知らせが京都に届いたであろう頃、京都では摂政九条兼実の主導する時代の復旧が進んでいた。平家政権も、源平合戦も無かったことで…
能力は問題なくとも血縁に問題のある兄の藤原国衡。 血縁は問題なくとも能力に問題のある弟の藤原泰衡。 この二人のどちらを後継者に指名しても問題が起こることは目…
藤原秀衡死去の様子を、吾妻鏡の文治三(一一八七)年一〇月二九日の記事はあっさりとした記載で済ませている。藤原秀衡が陸奥国平泉で亡くなったこと、そして、既に病…
文治三(一一八七)年一〇月四日、源頼朝は一つの決断をした。畠山重忠の軟禁状態を終了させ、武蔵国の所領へ戻ることを許したのである。ただし、没収した所領について…
鎌倉で畠山重忠がハンガーストライキに突入していた頃、京都では摂政九条兼実が憂鬱に襲われていた。この頃の九条兼実の日記を読むと、自らの思い描いている政務を執り…
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奥州藤原氏に対するさらなる追い風が吹いたのが文治三(一一八七)年九月二七日のことである。この日、畠山重忠の所領四ヶ所が没収となり、千葉常胤の長男である千葉胤…
奥州藤原氏のもとに源義経がいるという話を、藤原秀衡が公的に認めたわけではない。鎌倉では源義経が平泉にいるのは既定路線となっていたが、京都ではまだ源義経が平泉…
京都は治安悪化についての対処を一通り終えた源頼朝のもとに東北地方から不穏な知らせが飛び込んできたのは文治三(一一八七)年九月四日のことである。 源頼朝は源義…
四つと記しておきながら三つしか記していないと思うかもしれないが、四番目はしっかりと存在する。それも、何よりも最優先で対応しなければならないこととして存在して…
結論から言うと、畠山重忠に対する処罰は九月まで引き延ばされた。安田義定のときと違い、畠山重忠の家臣についての実情を調べなければならなかったことに加え、他の問…