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鎌倉幕府の成立後も平安時代は続く。平安時代の終わりは承久の乱。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時
<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書
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京都に戻った源義経は相変わらずスーパーヒーローとして迎え入れられたし、多くの京都の人達も源義経を好意的に受け入れた。源義経自身も、左衛門少尉兼検非違使少尉と…
源義経が鎌倉に入ることなく京都へと向かっている途中である元暦二(一一八五)年六月一三日、源頼朝が突如、源義経が手にしていた二四ヶ所の平家没管領の没収を命じた…
元暦二(一一八五)年六月九日、平宗盛や平重衡といった鎌倉へと連行されてきた平家の面々が、源義経に率いられて鎌倉を出発した。なお、平家の面々を護衛するのにあた…
さらに源頼朝はプラスアルファを用意していた。 この場面を一般公開したのである。源頼朝は御簾の向こうにいるが、その他の鎌倉方の武士達や事務方の面々、吾妻鏡に名…
鎌倉の一歩手前で待たされ続けていたのが源義経であるならば、鎌倉の街中で待たされ続けていたのが連行されてきた平家の落人達である。 彼らのことを源頼朝が放置して…
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源頼朝は京都における自らの代理人を必要としていた。 吾妻鏡によると、腰越状の翌日である元暦二(一一八五)年五月二五日に、事前に派遣していた二名の廻国使、すな…
この文章の違いの理由については、源義経の直筆ではなく、源義経の右筆、すなわち、雇用主の代わりに文章を書き記す役職を受け持つ者とされている中原信康が腰越状を記…
平家の落人を鎌倉まで連れてきた源義経は、京都で流罪宣告を受けた平家の文官や僧侶達からの命乞いのターゲットになっていることを知らないまま、鎌倉の手前で待たされ…
もう一つの関係性である国外との関係性であるが、実は源平合戦では一つの奇跡が起こっている。内乱で国内が荒れ狂っているのに他国からの侵略を受けなかったという奇跡…
平家の生き残りが命乞いを試みている一方、源頼朝は二つの観点から今後の対応に目を向けていた。 一つは平家の破壊した奈良の再興、もう一つは国外との関係性である。…
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平宗盛らは鎌倉に連行されたが、壇ノ浦の戦いに至る一連の戦いにおいて拿捕された全ての平家の面々が鎌倉に連行されたわけではない。京都に留められた者もいるし、平宗…
平家の面々が鎌倉に到着した日である元暦二(一一八五)年五月一六日、一条能保の従者と源義経の従者とが争いを始めた。口論だとか、殴り合いだとか、そんな平和的な諍…
壇ノ浦の戦いで捕らえた平家の面々を源義経が護衛して鎌倉へと向かっているという知らせはかなり早い段階で鎌倉の源頼朝のもとに届いている。元暦二(一一八五)年五月…
壇ノ浦の戦いで拿捕された平家の面々が鎌倉へと連行されるというのは、源氏の独断専行ではなく朝廷からの正式な指令に基づく政務遂行である。その護送を源義経が引き受…
壇ノ浦の戦いで平家は敗れた。しかしそれは平家一門の全滅を意味する結末ではない。平家の公達として朝廷に君臨していた面々が囚われの身となり、平安京で見世物として…
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このときの討議に源頼朝が招集した人物として吾妻鏡に名が記されているのは、中原広元、三善康信、藤原俊兼、二階堂行政、惟宗孝尚の五名であり、五名とも鎌倉方の文官…
元暦二(一一八五)年五月八日、源頼朝が九州の戦後処理についての基本方針を発表した。それも、密書として九州に送り届けるのではなく、多くの文人官僚と討議した末の…
平宗盛らの連行は源義経が主導したが、源義経が一行の最高位者であったわけではない。 京都と鎌倉を往復した経験もある藤原北家中御門流の貴族である一条能保が一行の…
平宗盛らが鎌倉へと連行されていった同日である元暦二(一一八五)年五月七日、源義経からの使者である亀井重清が鎌倉に到着した。吾妻鏡によると、源頼朝からの書状が…
この時点ではまだ検非違使である源義経は、壇ノ浦の戦いに至るまでの一連の戦いで源氏方に捕らえられた平家方の面々に対する処遇を源頼朝から託されることとなった。た…
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源頼朝はまず、元暦二(一一八五)年五月四日に、梶原景時からの現地報告に対する返信として、九州で戦後処理を担当している鎌倉方の軍勢に対して源義経の指揮下に入ら…
何度も記してきたことであるが、京都と鎌倉との間のタイムラグは、通常でも半月、急いだとしても一〇日を要するのは普通だ。京都から鎌倉への片道に限れば、紀伊半島か…
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さて、ここでもう一度、泉親衡の乱から和田合戦に至る流れを、別の角度から振り返ってみると別の側面が見えてくる。 まず、反逆軍として和田義盛とともに戦った武士達…
さて、何度も繰り返しているが、この時代の情報伝達網は鎌倉と京都の間が片道七日往復半月である。つまり、建暦三(一二一三)年五月二日にはじまり三日に終わりを迎え…
建暦三(一二一三)年五月七日、今回の和田合戦での報償の打ち合わせが始まった。反逆軍の面々の保有していた所領を幕府軍の一員として戦い、戦功を残した者に配ること…
建暦三(一二一三)年五月四日、和田常盛と横山時兼は甲斐国大菩薩峠で自ら命を絶ったとの知らせが届いたと同時に、この二人の首も鎌倉に届けられた。この二人を含め、…
建暦三(一二一三)年五月三日の寅刻、現在の時制にして午前四時頃、和田義盛らとともに反逆軍に加わる予定であった横山時兼が、娘婿の波多野盛通や甥の横山五郎らを引…
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足利義氏は別箇所で奮闘していたものの朝比奈義秀に見つかり、足利義氏は立ち向かえないと考えて逃亡を図るも、政所の前にある筋替橋のそばで朝比奈義秀に捕まりそうに…
建暦三(一二一三)年五月二日の申刻、現在の時制に直すと午後四時頃、和田義盛がいきなり挙兵し、源実朝のいる大倉御所への襲撃を目的に動き始めた。 最初に和田義盛…
さらに、三浦兄弟は北条義時の側に立つと告げたことで、北条義時は御所に向かう時間を確保できただけでなく、御所に向かった後に源実朝を護衛しながら法華堂へと向かう…
この流れで重要なのは、別働隊となる三浦義村らである。三浦義村とその弟の三浦胤義は和田義盛の求めに応じて、御所の北門の制圧をすることについて起請文を記していた…
和田合戦は本来であれば、建暦三(一二一三)年五月三日に挙兵する予定であったのに、実際にスタートしたのは五月二日の夕方。横山時兼が軍勢を率いてやってきたのが五…
建暦三(一二一三)年四月二七日、源実朝がはじめて和田義盛謀反の噂に対する行動を見せた。この日、源実朝が宮内兵衛尉公氏を和田義盛の屋敷へと派遣した。謀反有無の…
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さらに、泉親衡の乱に関与して拿捕された和田義盛の二人の息子は助命できたが、甥の和田胤長は助命どころか後ろ手に縛られて和田義盛の前に付き出されたが、この待遇の…
ここで視点を北条義時に向けると、これはもう、穏やかな話ではなくなる。自分を敵とし、自分を武力で倒そうという勢力が誕生しているのだ。同じ権力争いであっても、選…
和田義盛の孫の和田朝盛が、父の追放に悲しむ六歳の幼女のために和田胤長を演じたことは既に記した。 ここで泉親衡の乱における和田一族を振り返ると、少なくとも三名…
鎌倉において泉親衡の乱の中心人物と扱われた和田胤長、すなわち和田義盛の甥は流罪となったが、一族もろとも流罪となったのではなく一人だけが流罪となっている。つま…
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正治二(一二〇〇)年二月二二日、中原広元と三善康信の両名によって、梶原景時の鎌倉からの逃亡と上洛未遂が後鳥羽上皇のもとに伝わったこと、この知らせを受けた後鳥…
一見するとあまりにも無謀な計画に見えるが、吾妻鏡によると実際に計画された話だという。また、かなり都合のいい展開が続いたならばという条件が付くが、越後国の城一…
梶原景時が討ち取られたが、事件はそれで終わるわけではない。 正治二(一二〇〇)年一月二四日、鎌倉幕府は安達親長を使者として京都へ派遣した。梶原景時が討ち取ら…
しかし、一月二〇日に風雲急を告げるようになる。 梶原景時が討ち取られたという知らせが飛び込んできたのだ。 辰刻というから、現在の時制に直すと午前八時頃、原宗…
朝廷で九条家の復権が見えていた頃、鎌倉では梶原景時が話題を独占していた。 梶原景時とその家族が鎌倉から発って寒川神社に向かったことは鎌倉中に知れ渡っており、…
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鎌倉で梶原景時弾劾が始まっていた頃、建久七年の政変から三年を経て、その際に地位や権力を失った者の名誉回復が始まってきていた。 名誉回復の目的としては、土御門…
その選択肢の最初に浮かんだのが三浦義村である。結城朝光はすぐに三浦義村の屋敷に向かって梶原景時の讒言によって自分が何かしらの処罰を受ける可能性があることを告…
視点を鎌倉に移すと、正治元(一一九九)年八月までゴタゴタはあったが、その後は平穏であるかのように映っていた。しかし、正治元(一一九九)年一〇月二五日に鎌倉で…
鎌倉でゴタゴタがあった頃、後鳥羽上皇は自身の二つの趣味界への傾倒を深めていた。 一つは和歌、もう一つは熊野詣。 どうやら正治元(一一九九)年八月頃から、後鳥…
その人物は、北条政子。 彼女は息子の不祥事を母として窘(たしな)めるため、二階堂行光を使者として源頼家に思いとどまるように示した。なお、ヒートアップしている…
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吾妻鏡は安達景盛の派遣以後の源頼家について、同意しがたい行動を書き記している。 安達景盛を三河国に派遣した隙に安達景盛の愛人を奪ったというのだ。 以前から源…
源頼朝によって京都と鎌倉との間の情報伝達が七日間まで短縮されたこともあり、正治元(一一九九)年六月二二日に京都で起こった大幅な人事刷新の情報は六月末までに届…
ただし、藤原氏内部の近衛家と九条家の争いはさらに悪化させている。摂政近衛基通の長男である近衛家実が二一歳の若さで右大臣に就任したのである。 内大臣九条良経が…
その頃京都では、ようやく源頼朝死去に伴う混乱が収束したばかりであった。 これでようやく落ち着きを取り戻し、しばらくは安泰であると誰もが考えた。 その安泰を後…
こうした源頼家の政治姿勢は、亡き父である源頼朝の政治姿勢を踏襲したものである。ただし、源頼朝が源平合戦の勝利者として、すなわち、源頼朝の行使できる武力でもっ…