chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 上野寛永寺(1625) Ueno-Kaneiji

      徳川家康(1542-1616)の信頼が厚かった天海(1536-1643)が徳川家光(1604-1651)から寺領を受けて1625年に開創した天台宗の寺。天台宗関東総本山。江戸城の北東の鬼門にあって京都の比叡山延暦寺が平安京に対してそうであったように、江戸城への災いを封ずる意味があったと考えられる。江戸時代には徳川将軍の菩提寺として増上寺と並ぶ権勢を誇ったが、1868年3月寛永寺に拠った彰義隊が東征軍の攻撃を受けたとき堂塔の多くを焼失。さらに第二次大戦でも空襲の被害を受けた。明治時代に入って国立博物館西北端に寺域を移されたとき川越喜多院の本地堂を移築して根本中堂としている。第二次大戦の戦災でも寛永寺は多くを失ったが、博物館裏に厳有院(家綱)霊廟勅額門や常憲院(綱吉)霊廟勅額門が残る。上野公園から袴越から入ると...上野寛永寺(1625)Ueno-Kaneiji

  • 上野東照宮(1651) Ueno-Toshogu

      徳川家康(1542-1616)の死の翌年にあたる1617年、日光に東照宮が造営された。東照宮の名称は太陽神たる天照大神(あまてらすおおみかみ)になぞらえて家康の神号を東照大権現としたことによる。1618年に江戸城内紅葉山にも東照宮を建立。その後1623年に、一般志士に江戸近くに参拝の機会を与えようと藤堂高虎(1556-1630)が自身の屋敷地であった上野の山に祠を設けたのが上野東照宮の始まり。1627年以降も高虎は諸侯の助力を得て整備を進めた。現在も入り口に残る大石鳥居は1633年のもので重要文化財(鳥居に古いものがある例として大阪四天王寺の石鳥居が1294年建立の貴重なものであることが、ふと想起されたが、ここでもこの石鳥居が古い歴史を伝えている)。また右手の上野動物園内に寛永寺の五重塔として残る五重塔は、...上野東照宮(1651)Ueno-Toshogu

  • 中山法華経寺(1260)Nakayama-Hokekyo-ji

    法華経寺は日蓮(1222-1282)に帰依した富木常忍(日常)が下総国若宮に法華堂を建てたことに始まる(1253年)。ところで日蓮は1260年に浄土門徒宗の襲撃を受けて富木の屋敷に落ち延びる。このとき地元の豪族太田乗明の助力もあり、法華経寺の基礎が固まった。参道を進んで最初に左手に現れるのは祖師堂(1678重要文化財)。比翼入母屋造りという特殊な構造の屋根。右手正面には前田利光(1559-1628)寄進の朱塗りの五重塔(1622重要文化財)。高さ98尺(30M)。そして創建時の1260年に建立された法華堂(1260重要文化財)は祖師堂後ろの一段高いところに残されている。これは関東圏では最古に属する室町時代の木造建築物。和様を加えた禅宗様式がめずらしい。法華経寺には、日蓮が時の権力者である北条時頼(1227-63...中山法華経寺(1260)Nakayama-Hokekyo-ji

  • 高幡不動尊金剛寺(平安初期)Takahata-hudo-son

    平安初期に円仁による開基と伝わる。室町時代とされる仁王門。続いて現れる不動堂(建武二年1335年大風で被害を受け山中より現在地に康永元年1342年移設)。いずれも関東では指折りの古建築である。不動堂奥の奥殿には、11世紀末平安時代制作とされる木造不動明王像が安置されている。像高2.858M光背4.198M。重要文化財。像形は大変見事。その頭部から見つかった文書は暦応二年(1339)のもの(不動明王像と像内文書)。京王線高幡不動下車徒歩5分。TouristSpotsinTokyoHotSpringsinTokyo高幡不動尊金剛寺(平安初期)Takahata-hudo-son

  • 護国寺(1681) Gokoku-ji

    護国寺は5代将軍徳川綱吉(1646-1709)が母桂昌院の願いにより1681年に建立したもの。護国寺はその後、徳川将軍の祈願寺となった。江戸中期の仁王門をくぐると右手に富士塚。階段を見上げると重要文化財でもある本堂(観音堂元禄10年1697年建立)が゛見える。階段を上がり中門を抜けると右手に大師堂、左手に多宝塔(昭和13年に石山寺の多宝塔を模して建築)。そのほか桃山期の月光殿。元禄期の薬師堂がある。本堂とともに重要文化財である月光殿は、滋賀県大津市の園城寺の客殿を1928年に移築したもので桃山時代の書院建築の代表例として知られる。護国寺内には、安田善次郎、大隈重信、山形有朋、三条実美らの墓もある。護国寺惣門は5万石の大名屋敷の格式によるもの。交通地下鉄護国寺出口を出てすぐ。東京都文京区大塚。GOKOKUJI(E...護国寺(1681)Gokoku-ji

  • 増上寺 (1598) Zojoji

    聖聡上人により1393年に現在の麹町から平河町にかけて開かれた浄土宗鎮西派の大本山。浄土宗の中では、西の知恩院に対して東の大本山の位置。1598年に江戸城拡張のため現在地に移された。徳川家康の崇拝帰依を受け、家康の葬儀の祭礼はここで行われた。三河以来、徳川氏が浄土宗であることによる。以後、寛永寺とともに徳川将軍の菩提寺の役割を演じる。幕府から受けた寺領は1万540石と寺領としては破格の大きさであった。堂塔の多くを1909年の火災と1945年の戦災で焼失したが、三解脱門(1611)のほか大梵鐘(1673)が残る。三解脱門は重要文化財。三解脱門のすぐ左手にある二代将軍秀忠の霊廟である台徳院霊廟の惣門(1632)も見るからに立派な門であるが重要文化財。このほか三解脱門右手を東京プリンス入り口を超えて進むと7代将軍家継...増上寺(1598)Zojoji

  • 傳通院(1603) Dentsu-in

    永井荷風(1879-1959)は随筆「傳通院」において、パリにノオトルダム寺院があるように「私の生まれた小石川をばあくまで小石川らしく思わせる」るものは「あの傳通院である」としている。徳川家康の生母於大の方がこの地に埋葬され(1603年)、その後壽経寺が置かれたのがこの寺の始まり(無量山壽経寺)。その後、千姫(1597-1666)もここに祀られた。残念なことに伽藍を第二次大戦ですべて焼失したので、本堂や山門は近年のもの。お墓は昔のものが残されている。傳通院(1603)Dentsu-in

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、fu12345さんをフォローしませんか?

ハンドル名
fu12345さん
ブログタイトル
entrance for finance
フォロー
entrance for finance

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用