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  • Tourist Spots in Tokyo

    東京的秘密 TokyoMetropolitanArea東京都OldTombsinMetropolitanArea都区内の古墳(4世紀から7世紀)AkihabaraArea秋葉原エリアYodobashiAkiba(2005),AkihabarajgcAsakusaArea浅草エリア浅草寺(645年)、浅草HubHibiyaTokyoStationArea日比谷東京駅エリア法務省旧本館(1895築)TK日比谷公会堂(1929築)TK銀座和光(1932築)TK第一生命館(1938築)TK明治生命館(1934築)TK東京国際フォーラム(1996)設計RafaelVinoly丸の内OAZO(2004)設計日建設計東京駅TokyoStation(1914完工)東京駅の設計は辰野金吾と葛西萬司が共同して設立した竜野葛西建築事...TouristSpotsinTokyo

  • 天王寺大仏 The Big Buddha of Tennouji

    谷中大仏、元禄大仏ともいう。谷中の五重塔で有名な天王寺。その天王寺の大仏である。天王寺は日蓮の弟子日源により1274年に開山(長耀山感応寺)。江戸幕府が開かれて後、永勝院、春日局らの帰依をうけて、将軍家の祈願所の役割を果たし伽藍を整備したが、やがて幕府による不受不施派(他宗の者に経を唱えたり施しを受けたりしない:つまり他宗のものと交流しない)弾圧が強まると、不受不施派の感応寺は元禄11年1698年廃寺を幕府から迫られた。これを救ったのが天台宗(輪王寺)で感応寺は天台宗の寺となることで存続が認められた。しかし日蓮宗の信徒が去る中、寺の経営は悪化した。寺領増加の願いは認められなかったが、元禄13年1700年富くじの興行が認められたことで、寺の経営は安定し、繁栄するようになった。大仏はこの天台宗改宗前の元禄三年169...天王寺大仏TheBigBuddhaofTennouji

  • 根津神社 Nezu Shrine

    江戸時代の根津権現社。明治にはいってからの廃仏毀釈で神社になったが、江戸期は神仏習合で本尊の仏像を拝んでいた。権現とは仏が日本の神様の姿で現れることを指す(本地垂迹説)。なお赤坂にある日枝神社は、江戸時代は山王権現社であった。現在の根津神社は宝永三年1706年、将軍綱吉が造営した時の姿を現在に伝えている。楼門、唐門,拝殿、本殿、透塀などが残る。国指定重要文化財。このほか、乙女、駒込の稲荷神社があり、千本鳥居がみられる(赤坂の日枝神社にも山王稲荷神社がある)。明治期に神社に寄贈された庚申塔も貴重。➵根津神社見取り図なお根津神社について復興されているため、戦災被害を免れたとの誤解があるが、実際は1945年1月28日の東京大空襲の際に、本殿、拝殿は内部から燃え、かなり大きな被害を受けている。その様子は以下の益田論文に...根津神社NezuShrine

  • 東京巨蛋

    東京ドームTokyoDomeである。1988年3月に竣工。施工の竹中工務店とともに太陽工業と呼ばれる企業の奮闘が記憶される。ドームは空気圧をかけて天井の膜を張っているので、エアドームとよばれる。ところで太陽工業の現在のHPを見ると、膜屋根の様々な工法とメリットが紹介されているが、空気圧を使った工法は紹介されていない。なお空気圧で天井を張る工法(工期の短縮、建設費の削減につながるとのこと)はアメリカのメトロドームの先例(1982年4月開場)があり、それにならったとされる。メトロドームは天井破損の事故が多く、とくに2010年12月雪の重みで屋根が崩壊する大事故を起こしている。最終的にメトロドームは2013年12月に閉場されその後取り壊された。2つのドームの間にいろいろな違いはあるのだろうが、東京ドームは大丈夫だろう...東京巨蛋

  • 東京鉄塔

    「東京タワー,TokyoTower,日本電波塔,東京鉄塔」である。設計日建設計。耐震構造設計で知られる内藤多仲(1886-1970)が構造設計に加わっている。施工竹中工務店。高さ333m。竣工1958年12月23日。2012年5月の東京スカイツリー(TokyoSkytree, 東京晴空塔高さ634m設計日建設計施工大林組)の営業開始により、テレビ放送の電波塔としては予備塔の位置付けに。➵#東京鉄塔ちなみに高さで意識されていた一つはパリのエッフェル塔。エッフェル塔は1889年のフランス革命100年とパリ万博とを記念して建設されたもので高さ300M(984ft)。Towerpedia東京鉄塔

  • 史跡湯島聖堂

    湯島聖堂は1690年、将軍綱吉がこの地に孔子廟を祭ったのが始まり。1797年将軍家斉のときに、規模を拡大し、昌平坂学問所として整備した。このときの建物のほとんどを1923年の関東大震災で焼失。しかし伊藤忠太の設計を得て1935年に鉄筋コンクリート造りにて再建された。朱舜水(1600-1682)が携えてきたとされる孔子像を祀る。構内には曲阜より持ち帰られた実から育てられた櫂の木が枝を伸ばし、そのそばに台北市ライオンズクラブ寄贈の孔子像が立つ。JR御茶ノ水駅東口から聖橋渡りすぐ。このほかの写真➵Note#史跡湯島聖堂丹念な記録として日本近代教育発祥の地湯島聖堂2019/05/26江戸期の姿 聖堂(江戸名所図会)史跡湯島聖堂

  • 東京復活大聖堂

    いわゆる「ニコライ堂」である。JR御茶ノ水駅東口からすぐ。ニコライ・カサートキン(1836-1912)は正教会布教のため1861年来日。「ニコライ堂」はその発願が実り1891年に竣工。日本で最大のビザンチン様式の建築として知られる。1923年の関東大震災で被災するも、1927-29年に岡田信一郎らにより修復。第二次大戦による戦災を免れ1962年に国の重要文化財の指定を受けた。そのほかの写真➵Note#東京復活大聖堂参考正教会に行ってみた2019/12/04東京復活大聖堂

  • 吉祥寺大仏

    南北線の本駒込の2番出口から下りてすぐにある、諏訪山吉祥寺はもとは太田道灌が江戸城築城の折に、城中に開基されたお寺(1458年)。その後、現在の水道橋付近にうつり、現地に移ったの1657年明暦の大火のためとされる。漢学の学問所として栴檀林が置かれ、多数の学僧が集った。大仏は1722年鋳造の青銅製である。ほかの写真➵note #諏訪山吉祥寺吉祥寺大仏

  • 心光寺石仏

    心光寺は都営地下鉄三田線白山駅から下りてすぐにある浄土宗のお寺。傳通院の末寺で1628年に開基。1653年から当地にある。江戸期の極めて多数の石仏が現存している。石仏の表情はいずれも大変おだやかである。このほかの写真➵note#心光寺石仏心光寺石仏

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