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  • 平良丘陵開発の今

    平良丘陵開発用地内にあった市道が通行止めとなったので工事の進捗状況は遠方からの撮影となる。上画像は廿日市市HP「廿日市市新機能都市開発事業の概要」のイメージ図で、工事写真はさくらぴあ駐車場付近からと旧石州往還道から見た工事現場の現在である。平良丘陵開発の今

  • 速谷神社の今

    早朝の田んぼの水廻りを兼ねてのウォーキングで速谷神社に参詣しているが、現在創祀1800年記念事業で神門内での拝殿前から社務所前などの石敷き工事が行われている。以前に紹介した外玉垣の工事はほぼ終わっているようである。速谷神社の今

  • 秋掛ぶらり②

    秋掛にはかつて秋掛小学校や秋中保育園があったが、秋掛小学校は平成13年(2001)に閉校となっている。木造校舎がいつ建築されたのかは不明であるが廃校後も昔懐かしい木造校舎が残されており今も活用されているようである。保育園跡は下画像のような状態であった。秋掛ぶらり②

  • 秋掛ぶらり

    浅原地区から山口・広島県道2号を西に向かって行くと秋掛集落がある。かつて秋掛や本郷方面には広電廿日市駅前より広電バスが通っており廿日市とは関りの深かった所である。昭和37年(1962)頃には広島バスセンターから5便往復しており、4便目が秋掛止まりで翌朝の始発便となっていた。かつて賑わっていた町並みも閑散としており以前みかけた特徴ある町家が無くなっていた。下画像の建物は住宅のように見えるが入口上部が洒落た造りとなっており、ベルも設置されているが何の建物(簡易郵便局?)であったのであろうか。秋掛ぶらり

  • 元割烹料理店

    浅原地区のほぼ中心地にある大きな民家でかつては結婚式の披露宴や各種の宴会などに使用されていたようである。この地にはかつて浅原村役場があった所で、昭和49年(1974)の戸別地図をみると公民館・小学校・駐在所・農協支所・郵便局・医院・広電バス車庫・自転車店・商店が数店みられ賑わっていたようである。しかし過疎化によってこれら多くの施設が無くなっており割烹料理店も廃業されたようである。元割烹料理店

  • 安井家住宅蔵飾り-波に飛び兎

    浅原地区にある廿日市市重文指定の安井家住宅で、文化年間(1804~1817)に建てられたといわれる江戸時代の豪農の威容を伝えている農家住宅である。当家の土蔵には波文に飛び兎を表した蔵飾りが設けられている。安井家住宅蔵飾り-波に飛び兎

  • 蔵飾り-左三階松

    昨日紹介した浅原地区の旧家の蔵飾りで当家の家紋であろうか左三階松が漆喰細工で表されている。通常鏝絵と云われていますが当ブログ主は蔵に設けられているものは蔵飾りと称しています。昨日も触れたが当家は無住のようであり敷地内は荒れ気味であり先行きが・・・蔵飾り-左三階松

  • 床下透かし彫り欄間が!

    浅原地区の旧家で見たことがないような珍しい画像のような床下透かし彫り欄間があったので平成26年(2014)4月に撮影していた。ところが現在当家は無住のようであり下画像のようになっているので先行きが・・・床下透かし彫り欄間が!

  • ダムカード③-二風谷ダム

    観光で訪れることがないようなダムを、過去に訪れた画像(2022.6)で再掲します。北海道沙流郡平取町を流れる沙流川に設けられた二風谷ダムで「にぶたに湖」と称されているようである。堰堤の高さは32メートルで長さは550メートルもあり、見たことがないような構造の堰堤である。ダムカード③-二風谷ダム

  • ダムカード②-銚子ダム

    観光で訪れることがないようなダムを、過去に訪れた画像(2018.5)で再掲します。隠岐島後の隠岐の島町を流れる八尾川水系支川の銚子川に設けられた銚子ダムで「伊賀湖」と称されているようである。治水・上水道用用水確保のために設置された多目的ダムのようである。ダムカード②-銚子ダム

  • ダムカード①-見島ダム

    当方、ダムカードマニアではないが観光で訪れることがないようなダムを、過去に訪れた画像(2018.4)で再掲します。萩市の沖合にある見島にある見島ダムで「見島ゆりや湖」と称されているようである。治水・上水道用水確保のために設置されたダムの堰堤は長いけれど小規模なダムである。ダムカード①-見島ダム

  • 小瀬川ダム

    山口県境を流れる小瀬川に設けられている小瀬川ダムに数十年ぶりに訪れてみた。当ダムは2つの都道府県が共同管理している国内唯一のダムのようである。当ダムは洪水調節・工業用水の供給を目的に1964年に設けられたようで、放流されている水を利用した小瀬川発電所が堰堤の下に設けられている。ダムマニア・ダムカードマニアではないがダムカードを頂戴した。小瀬川ダム

  • 三興中学校跡

    佐伯町保曽原地区の県道293号沿いにある三興中学校跡で当時の門柱が残されているのみであり、現在はグランドゴルフ場として使用されている。昭和49年(1974)の戸別地図を見ると浜本工芸の工場があったようである。昭和24年(1949)に四和村・津田町・浅原村組合立の中学校だったようであり、昭和44年(1969)に三興中学校は友和中学校・玖島中学校と統合して,新しく佐伯中学校が誕生したようである。中学校跡にユリが咲いていたが何んというユリであろうか。三興中学校跡

  • マコモタケ栽培

    佐伯町の県道30号線沿い津田口バス停付近の田んぼにマコモタケが栽培されている。水田の活用や保全のためにマコモタケを栽培し栽培面積を拡大して地域の特産品にと試験栽培されているようであるが、見た限り以前のように手がはいってないような気がするが・・・マコモタケ栽培

  • 絵葉書で宮島ぶらり③-當川旅館

    昨日紹介した紅葉谷を流れる御手洗川沿いあった當川旅館で江戸期の終わりころに岩惣旅館と川の上に納涼床を設けていたようである。當川旅館については明治34年(1901)発行の山陽鉄道案内の広告にみられる以外に詳しいことは定かでない。絵葉書で宮島ぶらり③-當川旅館

  • 宮島-紅葉谷納涼

    毎日暑い日が続いていますが、江戸期末刊行の厳島図会によると紅葉谷を流れる御手洗川沿いの旅館などが川の上に納涼床を設けていたようで、涼を求める人々が芸者を挙げ料理を食したり川の中に入って涼を求めていたようである。宮島-紅葉谷納涼

  • 絵葉書で宮島ぶらり②-厳島港商船桟橋

    宮島にある広島経済大学成風館の地はかつての厳島港商船桟橋の跡であったことを以前に紹介したことがある。(2016.12.26)(2022.10.30)大阪商船の宮島遊覧パンフレットをみると山陽航路で阪神から門司航路の途中宮島に寄港、宮島遊覧船の屋島丸は阪神から宮島寄港、岩国へ、宇品別府線が宮島寄港していたようである。また、瀬戸内商船の時刻表によると多度津・宮島線の一便があったようである。絵葉書で宮島ぶらり②-厳島港商船桟橋

  • 遊びの菜園-陸稲・黒米・赤米の今

    6月21日に陸稲の苗と本来は水田に植える古代米の黒米と赤米の苗を畑に植えてみた。画像の手前側が陸稲で向う側右が黒米で左が赤米の現在の生育状態で、なぜか陸稲より水田に植える黒米の方が大きく育っているのである。日照りの日が多かったので毎日水やりをしたが陸稲の一部は枯れてしまった。手間暇かけてこれらがどのように育っていくのかまさに遊びの菜園である。遊びの菜園-陸稲・黒米・赤米の今

  • 鳥獣被害

    以前に栽培しているスイカのすべてを食べられてしまったことを紹介したが、自己防衛のために駆除装置を仕掛けてアナグマを捕獲した。しかし、また一昨夜トタン柵を設置している黒瓜の畑に侵入して画像のような状態となっていた。鳥獣被害

  • 樹木の枯れ葉?枯れ木?

    長く続いた猛暑で山々の樹木が茶色になっていることを以前に紹介したが、宮島サービスエリア近くの山で大きな木が枯れ葉となっていた。近づいてみるとクヌギの木のようであり、炎天下で弱って葉が枯れたのであろうか枯れ木になったとは思われないのだが・・・樹木の枯れ葉?枯れ木?

  • 広電宮島口駅周辺の今

    以前に広電宮島口駅の周辺整備工事の進捗状況を時折り紹介していたが、長らく御無沙汰であった。昨日久しぶりに訪れたがこの画像撮影時に大粒の雨が突然に降り出し傘もなく早々に退散した。画像を見ると競艇場側に高い防潮堤が出来ており、観光客用アクセス道路(赤崎3号線)周辺は何かの整備が行われるのであろうか。広電宮島口駅周辺の今

  • 七美会展作品画集

    先日はつかいち美術ギャラリーで開催された第5回七尾中学校アートの同窓会「七美会展」の作品小画集が届いた。当ブログ主は当展に駄作を出品し関東からの同級生の仏像出品で、同級生十数名が久しぶりに集い懐かしい話などで楽しい一時を過ごした。七美会展作品画集

  • 古ぼけた案内図 ②

    昨日紹介した元広電バスの廿日市停留所待合所内の古ぼけた案内図の続きで上画像にはマルシン・宮島信用金庫・家納喜酒造など懐かしい名前がみられる。中・下画像は国道2号線より海側の案内図であるが劣化剥落で読み取れないような状態であった。画像は何れも2019年1月に撮影したものである。古ぼけた案内図②

  • 古ぼけた案内図

    国道2号線沿いの廿日市港脇にある元広電バスの廿日市停留所待合所内に古ぼけた案内図が数枚みられる。一部ではこういう看板を作っては無断で貼りだして、看板料の名目でしつこく集金に来る業者がかつていたような話を聞いたことがある。下画像の案内図をみると2号線沿いに廿日市町役場やダイイチがみられ、宮島信用金庫の宮の字が広に修正されているなど懐かしい商店名などがみられ歴史を感じるのである。古ぼけた案内図

  • 山々に枯れ木が!?

    極楽寺山系や野貝原山系の山々をみると秋でもないのに茶色となった木々があちらこちらでみられる。連日の猛暑での水分不足で葉が枯れて樹木も弱っているものとみられる。もう枯れ木となったものもあるかも知れない。今日は待望の一雨降りそうだが・・・山々に枯れ木が!?

  • 盆燈籠づくり

    先日骨組みを作っていた盆燈籠に二等辺三角形の6色の燈籠紙を張り、上部角に飾り房などを取り付けて耳飾り紙を張り付けて完成である。店舗先にみられる盆燈籠に比し豪華さに劣るが汗水流して作成した燈籠であり先祖たちも喜んでくれるだろう。盆燈籠づくり

  • 山陽自動車道速谷高架橋②

    上平良地区内を横切っている山陽自動車道速谷高架橋が出来る前の状況から橋脚工事が進んで行く状況であるが、同一場所での橋梁の架橋工事の画像が見当たらない。当時は平良いちご栽培が盛んであり所々にいちご栽培のビニールハウスがみられる。山陽自動車道速谷高架橋②

  • 山陽自動車道速谷高架橋

    先日、山陽自動車道の速谷高架橋の床版舗装の老朽化で舗装補修工事を今月末頃から夜間に行うとお知らせ案内があった。この区間は昭和62年(1987)2月に開通しておりもう36年経っているのだ。画像は昭和59年(1984)頃の速谷高架橋工事の初期段階で向う側は現在の宮島サービスエリア方面である。山陽自動車道速谷高架橋

  • 盆燈籠づくり①

    盆も近づいてきたので例年の如く盆燈籠づくりを始めた。体調不良で暑い時期なので店で購入すれば楽でよいのであるが老化防止のために出来る限り作っていきたい。冬場に切り取っていた篠竹を必要長さに切り揃え上部側一節分を6つ割りにして先端部に割れ目をつけ別途制作した六角型の竹枠を嵌め込んで朝顔型燈籠の骨組みが完成する。以前は孫達用の燈籠も作っていたのであるが・・・盆燈籠づくり①

  • 鋳物師山田家の鋳造作品

    極楽寺の梵鐘蓮教寺の梵鐘極楽寺本堂の宝珠厳島多宝塔の九輪厳島神社反橋擬宝珠正覚院の梵鐘昨日紹介した廿日市本陣を経営していた山田家は中世から代々鋳造活動をしていた家であり、市域では山田貞栄の極楽寺の梵鐘、蓮教寺の梵鐘、山田貞能の極楽寺本堂の宝珠、厳島多宝塔の九輪、山田貞利の厳島神社反橋擬宝珠、山田貞運の正覚院の梵鐘などの鋳造作品が残されている。鋳物師山田家の鋳造作品

  • 廿日市本陣②

    廿日市本陣と本陣を経営していた山田家の居宅の間取り図があったので復元立体間取り図を描いてみた。また間取り図からこのような姿の本陣があったのではなかろうかと復元立面図も描いてみた。(中央画像-芸州廿日市本陣の3次元外観復元想定図より)廿日市本陣②

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