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  • 三人の国家観

    三人の国家観丸山眞男の国家観:⑴丸山における国家とは、自律的自我が制度的に共存・対話する空間である。戦前の国体国家における「国家による人格吸収」を批判し、国家とは個人の自由と責任によって支えられる制度的枠組みであるとした。⑵個人は国家の中に没入すべきではなく、制度を通じて批判的・公共的関与を行うべきである。ここには「理念としての国家」や「宗教的正統性としての国家」は存在しない。西田幾多郎の国家観:⑴西田は『国家と宗教』(1941)において、国家とは歴史的世界の自己表現であり、宗教的統一を内包する理念的全体であると論じた。彼の「場所の論理」においては、個人と国家は外在的な関係ではなく、絶対的一者の場所における自己相即的関係にある。⑵国家は「永遠の今」における倫理的自己形成の場であり、個人はそのなかで歴史的使...三人の国家観

  • 1282回 小泉大臣で米2000円台へ 裏で糸を引く財務省の思惑

    1282回小泉大臣で米2000円台へ裏で糸を引く財務省の思惑1282回小泉大臣で米2000円台へ裏で糸を引く財務省の思惑

  • 1281回 GDPマイナスでも補正予算打たないで銀行にお小遣い💢どうしようもない

    1281回GDPマイナスでも補正予算打たないで銀行にお小遣い💢どうしようもない1281回GDPマイナスでも補正予算打たないで銀行にお小遣い💢どうしようもない

  • 玉木雄一郎氏の国家観──山尾志桜里氏の参議院選挙擁立をめぐって

    玉木雄一郎氏の国家観──山尾志桜里氏の参議院選挙擁立をめぐって──制度国家(Staatsmaschine)と理念国家(Ideenstaat)最近になって国民民主党の玉木雄一郎党首が、山尾志桜里氏を来るべき参議院選挙の候補者に擁立したことで、とくに男系男子の皇統を守ろうとする伝統的な国家観を確信する「保守層」から反発の声が上がっているようです。山尾志桜里氏はさる15日にも、ご自身のSNSに、「女系天皇の議論を避けつつ、女系天皇の選択肢を排除する進め方は間違っている」と投稿したことで、玉木雄一郎代表から注意を受けたそうです。山尾志桜里氏は、過去にも女系天皇容認の立場を明確にしており、いわば「歴史的皇位継承の本質を制度化された差別と見なす立場」に立つ政治家です。それはグローバルな人権思想とも接続する「リベラル国...玉木雄一郎氏の国家観──山尾志桜里氏の参議院選挙擁立をめぐって

  • ヘーゲル『哲学入門』 第二篇  論理学  第六節 [思考の種類とその意義2]

    ヘーゲル『哲学入門』第二篇論理学第六節[思考の種類とその意義2]Erläuterung.説明:DieLogikenthältdasSystemdesreinenDenkens.(※5)DasSeinist1)dasunmittelbare;2)dasinnerliche;dieDenk­bestimmungengehenwiederinsichzurück.(※6)DieGegenständedergewöhnlichenMetaphysiksinddasDing,dieWelt,derGeistundGott,wodurchdieverschiedenenmetaphysischenWis­senschaften,Ontologie,Kosmologie,PneumatologieundTheo­log...ヘーゲル『哲学入門』第二篇 論理学 第六節[思考の種類とその意義2]

  • 牧野紀之氏について(3、 ヘーゲル哲学研究における「寺沢学派」 )

    牧野紀之氏について(3、ヘーゲル哲学研究における「寺沢学派」)以前に、ヘーゲル哲学研究における「寺沢学派」(マルクス主義批判)-夕暮れのフクロウhttps://is.gd/X9SKQBと言う論考の中で、かって東京都立大においてマルクス主義哲学者であった寺沢恒信の指導のもとでヘーゲル哲学研究の研鑽を積んだ許萬元と牧野紀之の二人の弟子が、あくでもマルクス主義の立場からですが、論理学や弁証法の研究において傑出した業績を残していることについて述べました。寺沢恒信をはじめとするマルクス主義者たちは「ヘーゲル論理学の唯物論的改作」というレーニンの提唱をヘーゲル哲学研究の出発点としましたから、ヘーゲル論理学の研究分野において、あくまで「唯物論」という立場からそれなりの業績を残しています。寺沢恒信氏の指導のもとでヘーゲル...牧野紀之氏について(3、ヘーゲル哲学研究における「寺沢学派」)

  • 牧野紀之氏について(2、唯物論か観念論か)

    牧野紀之氏について(2、唯物論か観念論か)牧野紀之氏は、世界観としては、唯物論の立場に立つ。それは牧野氏の経歴を見てもわかるように、彼の哲学研究が、共産主義運動への参画を根本的な動機としていたことから来るものである。この共産主義とはマルクス主義であり、毛沢東主義である。マルクス主義や毛沢東主義は世界観の立場としては唯物論である。マルクス主義を初心とした牧野氏は終生にわたって唯物論の立場から離れることはなかった。これが彼の哲学の限界である。だから、牧野氏にとっては「世界には初めも終わりもない」。かくして、牧野氏の指導教官であった東京都立大学の教授であったマルクス主義者の寺沢恒信のもとでヘーゲル哲学の研鑽に励んだ牧野氏は、その師と同じく「ヘーゲル論理学の唯物論的改作」というレーニンの提唱を、牧野氏自身の哲学研...牧野紀之氏について(2、唯物論か観念論か)

  • 牧野紀之氏について(1、牧野紀之氏の経歴など)

    牧野紀之氏について(1、牧野紀之氏の経歴など)日記ブログ「作雨作晴」でも哲学研究ブログ「夕暮れのフクロウ」でも、多くヘーゲル哲学について論及しています。こうした私の「ヘーゲル哲学研究」は、哲学者の牧野紀之氏の「ヘーゲル哲学研究」を媒介にしていますから、私があらためて牧野紀之氏の「思想と哲学」について、批判的に考察することは、必要なことであり課題でもあるのですが、なかなか時間的に能力的にも実際に具体的に着手できませんでした。しかし、この問題は「私の思想や哲学の立場」を明確するためにも、いつまでも先送りできることでもないので、少しずつでも着手していくつもりで、今日の記事になりました。こうした感想や考察を断片的にでも蓄積していって、それを手がかりとして、時がくればそれらを整理しまとめて、一つの必然的で体系的なま...牧野紀之氏について(1、牧野紀之氏の経歴など)

  • 今日は憲法記念日

    2025(令和7)年05月03日(土)晴れ。憲法記念日.今日は憲法記念日。今日は憲法記念日だそうです。ここ最近になって日本国憲法について触れた私の論考を再録しておきます。現在の日本国で行われているような、「護憲・改憲論議」の現状では、今日の日本国に見られるような、国家の解体的な現象、政治家や国民の「漂流化」は防げないと思います。こうした現象はいずれも「現行日本国憲法」の存在が日本の国家、国民に及ぼすところの論理的な帰結だと思います。※令和日本国憲法草案32025(令和7)年04月24日(木)晴れ。#「令和日本国憲法草案」について2「令和日本国憲法草案」について2...「令和日本国憲法草案」について【令和日本国憲法草案2】【令和日本国憲法草案】拉致被害者の救済と日本の主権国家としての確立赤尾秀一の思想研究今日は憲法記念日

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