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2006/09/29

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  • 滝坂道

    (東京都渋谷区円山町)大山道道玄坂上から豪徳寺を経て調布滝坂に至る古道である。かつては武蔵府中までを結ぶ府中道と呼ばれ、近世には甲州街道の脇往還中出道と呼ばれた。滝坂道

  • 大熊寺

    (愛媛県今治市小泉2006年11月30日)寺伝では大宝年間(701-4)行基が巡錫の折、村人が請うて本尊となる毘沙門天を刻んだものという。その後、河野家、大祝家(おおほうり:三島氏)によって諸堂の整備が行われた。大熊寺

  • 隅田川駅

    (東京都荒川区南千住)明治29年(1897)日本鉄道の貨物駅として開設された隅田川駅は、10年後には国有化され、常磐線の貨物支線として三河島から分岐し、現在はこの場所でトラック輸送に切り替えるための物流基地となっている。隅田川駅

  • 龍泉寺と鏝絵

    (愛媛県今治市小泉2006年11月30日)四国八十八ヵ所巡礼五十六番札所である真言宗金輪山泰山寺の奥の院、龍泉寺は、鏝絵(こてえ)と呼ばれる漆喰(しっくい)の彫り絵が施された堂宇がある。鏝絵は、左官職人が色漆喰を使い表現した芸術の一つであり、龍泉寺には壁鏝絵と本尊と同じ十一面観音の赤く丸い鏝絵が掲げられている。龍泉寺と鏝絵

  • 糸山の宿から

    (愛媛県今治市砂場町2006年11月)泳ぎの得意だった父もこの場所だけは避けた来島海峡。糸山の宿から

  • 日本橋三囲神社

    (東京都中央区日本橋室町)墨田区向島の三囲(みめぐり)神社から三越が勧請したものである。三越の前身である越後屋三井家の東北鬼門に鎮座した三囲神社が、その文字である井の字を囲んでいることもあって、三井家を守る神として崇められた。三越百貨店本店には大正3年(1913)に祀られ、本館落成の昭和10年(1935)に現在の屋上に祀られた。日本橋三囲神社

  • 天祐寺

    (曹洞宗龍徳山天祐寺愛媛県今治市町谷)慶長九年(1604)武門失脚した三宅川惣兵衛越智通安が拝志郷寺川に祖先菩提のため創建したのが始まりである。通安の子で町方年寄役の次右衛門常定が寛永十二年(1635)東村に移転し、釈迦如来像を安置した。然し、富田川(頓田川)の氾濫により倒壊し、歓喜寺山麓の現在地に移転した。境内の思源碑は祖先の歴史を刻んだものである。天祐寺

  • 宝田恵比寿神社

    (東京都中央区日本橋本町)べったら市で知られる宝田恵比寿神社は、かつて宝田村(千代田区九段)に鎮守したが、慶長年間江戸城拡張の際に現在地に遷座した。祭神は恵比寿である事代主命(ことしろぬしのみこと)であり、恵比寿像は徳川家康寄進の運慶または左甚五郎作とされる。宝田恵比寿神社

  • 高市貴布弥神社

    (愛媛県今治市高市2006年11月29日)「伊予風土記」によると神亀五年(729)九月二十五日山城国愛宕郡木舟大明神(京都市左京区貴船神社)を勧請したのが始まりであるが、祭神は大山祇命(おおやまずみのみこと)を祀る。河野氏族である高市氏(土佐藩士武市半平太は末裔)がこの地に移り住んだ際に大三島より勧請し、一時は高市神社と称した。高市貴布弥神社

  • 馬喰横山

    (東京都中央区日本橋馬喰町・日本橋横山町)江戸時代から続く五街道に隣接する問屋街であるこの地は、幕府の博労頭が管理する馬場があり、博労(ばくろう:馬の仲介人)が多く住んでいたことにより後に馬喰町となった。また、横山町は横山氏という人物がこの地を知行していたからとされる。馬喰横山

  • 南郭坂富士見坂

    (東京都渋谷区東)江戸時代中期の儒学者、服部南郭の別邸白賁塾があった場所である。故に前の坂を南郭坂と呼ぶ。また、かつては富士山が望めたことから富士見坂とも呼ばれた。南郭坂富士見坂

  • 上徳三嶋神社

    (愛媛県今治市上徳字高森2006年11月29日)頓田川沿いに鎮座する三嶋神社は、旧徳久村との合成地名である上徳の前身、旧上神宮(かみかんのみや)村の鎮守である。神亀五年(728)河野氏祖である国司小千益躬(おちますみ)が大三島より勧請した伊予八社の三島宮の内の一社であり、地名の高森(こうのもり)は、鴻の森や河野森、或いは国府の森と書き、伊予国府を意味するともいわれる。境内には「大神宮さんの岩(天皇さんの岩)」と呼ばれる岩がある。昔、姫が頭に乗せて遠方から持ってきて積み重ねたという言い伝えや、雨乞いの際に岩の上で舞を舞った言い伝え。また、祭神である大山祇命(おおやまずみのみこと)が金襴に包んで着物の袂へ入れて持ってきた岩と伝わっている。大神宮さんの岩上徳三嶋神社

  • 日本橋小伝馬町

    (東京都中央区日本橋小伝馬町)五街道の起点に程近いこの地は、名主である宮辺又四郎が伝馬役を司ったことにより、小伝馬町と呼ばれた。また、安政の大獄で吉田松陰が処刑された牢屋敷がこの小伝馬町にあった。日本橋小伝馬町

  • 海松山真光寺

    (愛媛県今治市東村2006年11月29日)白鳳元年(672)越智守興によって仙遊寺の別寺、法相宗新興寺として創建された真光寺は、藤原純友の乱の際に兵火に遭いその後再興され真言宗真光寺となった。更に鎌倉時代後期には華厳宗新光寺となっている。南北朝時代には北朝細川頼春が新光寺に陣を敷いて世田山の南朝大舘氏明と戦い、氏明は首級に挙げられ、この新光寺で首実験に供された。そして豊臣秀吉の四国征伐の際に再び兵火に遭い、天和元年(1681)現在の真言宗真光寺と改められ再興されている。海松山真光寺

  • 浅草寺六角堂

    (東京都台東区浅草都指定有形文化財)浅草寺影向堂の西側にある六角堂は、元和四年(1618)に建立された日限地蔵を安置する同寺最古の堂宇である。平成6年(1994)影向堂の南側から移されるまで、井戸の上に建てられていた。浅草寺六角堂

  • 鳴海浅間神社

    (名古屋市緑区鳴海町向田2006年11月26日)扇川沿いに鎮座する浅間神社は、北側の如意寺の鎮守として創建したとされ、元は古鳴海(緑区小森)に鎮座していたという。元文二年(1737)現在地に遷座し、鳴海八幡宮の祭礼の際の御旅所(神輿渡御の際に神を奉安する場所)となった。鳴海浅間神社

  • 二ヶ領用水溝口

    (川崎市高津区溝口)慶長二年(1597)徳川家康の命により、用水奉行であった小泉次大夫が開削した用水である。二ヶ領用水は多摩川上河原(多摩区布田)で取水され、分流合流を繰り返して最下流は鶴見まで達した。多摩川右岸の二ヶ領用水に対し、左岸は同じく小泉次大夫が手掛けた六郷用水(丸子川)がある。(関連記事:久地円筒分水)二ヶ領用水溝口

  • 成海神社旧社地

    (名古屋市緑区鳴海町城2006年10月26日)朱鳥元年(686)扇川に面する天神山に創建された成海神社は、応永元年(1394)鳴海城主安原宗範によって南側の現在地に遷座されるまでこの地に鎮座した。その後、跡地は天神社が祀られ、境内には日本武尊(やまとたけるのみこと)が鳴海で詠んだという歌「奈留美良乎美也礼皮止保志比多加知尓己乃由不志保尓和多良牟加毛(鳴海浦を見やれば遠し火高(大高)地にこの夕潮に渡らへむかも)」を刻んだ石碑がある。成海神社旧社地

  • 多摩川玉川

    (東京都世田谷区玉川)多摩川を挟んで左手前、玉川高層住宅と中央、第三京浜、右奥、武蔵小杉高層住宅群。多摩川玉川

  • 龍蟠山瑞泉寺

    (名古屋市緑区鳴海町相原町2006年11月26日)高台に四脚門のある曹洞宗瑞泉寺は、応永三年(1396)に鳴海城主安原宗範によって瑞松寺として創建され、応仁、文明の兵火により衰退したが、宝暦年間(1751-59)に至り伽藍が再興されている。県指定文化財の四脚門は、三間一戸の重層門で、宇治の黄檗宗万福寺総門を模しているという。龍蟠山瑞泉寺

  • 石橋供養塔

    (東京都大田区東雪谷区指定文化財)安永三年(1774)呑川に架かる中原街道(江戸ー平塚)の橋の安泰を願って建てられた石橋供養塔である。石橋供養塔

  • 木林山浄泉寺

    (名古屋市緑区鳴海町上中町2006年11月26日)東海道鳴海宿の一角に浄土真宗の寺院がある。永享四年(1432)鳴海の領主森山左近三郎吉勝が帰依し入道浄空となって浄泉寺を創建したのが始まりという。文明十年(1478)兵火により三町(330m)南の現在地に移転している。木林山浄泉寺

  • 自由が丘の春

    (東京都目黒区自由が丘)九品仏川界隈の光景。自由が丘の春

  • 鳴海駅付け替え

    (名古屋市緑区鳴海町2006年11月26日)平成16年から名古屋鉄道鳴海駅付近高架化事業により仮設駅に移転し、平成18年高架完成によりその役目を終えた。鳴海駅付け替え

  • 白金台どんぐり児童遊園

    (東京都港区白金台)かつて公務員宿舎であったこの地を平成18年に整備した、目黒通り沿いの公園。国立自然教育園に隣接している。白金台どんぐり児童遊園

  • 逢妻駅

    (愛知県刈谷市熊野町2006年11月26日)JR化後の昭和63年(1988)開設の東海道線の駅である。「逢妻」の由来は、在原業平を想う女、かきつばた姫が、業平東国へ赴いたあとを慕って三河八橋にて追い付けるが、業平は朝廷を憚って川を隔てて逢った。故に後に逢妻川と呼ぶ。然し、かきつばた姫は別れ悲しんで病となり、川のほとりの池に身を投げた。逢妻駅

  • 千種稲荷

    (東京都墨田区錦糸)江戸時代前期、湿地帯であった付近が開発された頃、旧柳島村の鎮守として祀ったのが始まりという。その後、明治政府の陸軍糧秣廠本所倉庫設置の際や昭和初期の錦糸公園設置の際に神社が取り払われたが、周辺に災いが発生した由をもってその都度祀り直されいる。千種稲荷

  • 小田井五所社

    (五社大明神名古屋市西区中小田井2006年11月30日)創建時期は不詳であるが、誉田別尊(ほんだわけのみこと)を主神として祀り、摂社に愛宕、熊野、神明、天神合わせて五柱を祀る。また、小田井城主織田寛維(とおふさ)が社殿を造営している。小田井五所社

  • 白金猿町

    (東京都港区白金台)慶安四年(1651)から名が見える町名である。かつての範囲は品川区東五反田、上大崎、港区高輪に跨がり、昭和43年(1968)に消滅して現在は猿町公園にのみ名を伝えている。白金猿町

  • 小田井神明社

    (愛知県清須市西枇杷島町小田井2006年11月30日)文明十三年(1481)織田久孝が小田井城築城の際、伊勢神宮より天照大神(あまてらすおおみのかみ)を勧請したものという。小田井神明社

  • 早稲田停留所

    (東京都新宿区西早稲田)新目白通りの中央分離帯にある停留所は、都電荒川線の終点早稲田である。昭和5年(1930)王子電気軌道として開業し、昭和17年(1942)旧東京市に買収され、昭和24年(1949)旧市電江戸川線延伸接続により途中駅となったが、昭和43年(1968)江戸川線廃止により再び終点となった。早稲田停留所

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