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2006/01/22

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  • 「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」

    ぬいぐるみサークル(略してぬいサーというのが今っぽい)の部室というのが狭くて薄暗くて、あまりぬいぐるみという可愛くてふわふわしたイメージとはそぐわない。実際内容もそうで自閉的で内向き、葛藤を避けると言うのは簡単だが、ぬいサーに紛れ込んだみたいな男子の反応見てると他のマチョであることを疑わない男子たちの中で居心地悪くしている。こういう人とこういう人の組み合わせなら恋人とか友だちとか仲間というレッテル貼りを外して人間関係を描いている。ただやや自分で少し後ろめたく感じすぎではないかとは思う。そんな必要あるかと開き直るのも必要ではないか。-YouTube「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」-公式サイト「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」-映画.com「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」-IMDb「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」

  • 「夜明けまでバス停で」

    エンドタイトルで一瞬、国会議事堂が爆破されるイメージカットがはさまる。実際、今の政府与党の人を舐め切った態度を見ていると爆発しない方が不思議なのだが、そうならないくらい相互自粛が浸透している。「滑り台社会」という言葉が登場したのはいつ頃だったか調べてみたら、2008年にはもう「滑り台社会からの脱出」という湯浅誠の著書が出ている。著書より先に概念があっただろうから、もう20年近い。失われた30年を考えてみると不思議はない。滑り台を滑り落ちるように滑り止めになるセーフティーネットがない状態を形容した言葉だが、いっそう加速度がついた感がある。コロナが「終わった」今でも事態はいっこうに良くならない。藁をつかみたい気分だが、つかんだら本当に藁だった繰り返し。高橋伴明は以前連合赤軍を撮影中の映画としてカッコに入れた形...「夜明けまでバス停で」

  • 「ソウルメイト」

    中国映画の「ソウルメイト七月(チーユエ)と安生(アンシェン)」のリメイクだそうだが、そちらは未見。リメイクだということも知らなかった。初めのうちと自由人タイプのミソと堅実タイプのハウンの二人の仲良しの女の子がじっくり描かれる。じっくりしすぎてお話がなかなか動かずどう動かすつもりだろうと首を傾げかけたらかなり斜め上に動きだした。男がひとり登場して三角関係になるのかと予想したら、女二人の関係には影響しない、というか途中から性格付けがそっくり逆転してしまう。あくまで磁石がくっつきあうように引き合うソウルメイト=魂の友だちであって、想像しがちな同性愛への接近も避けている。突飛なようだが、ジェーン・フォンダとバネッサ・レッドグレーブ主演の「ジュリア」を思い出したくらい。女同士の友情を自然に描いていることばかりでなく...「ソウルメイト」

  • 「オルメイヤーの阿房宮」

    ジョセフ・コンラッド原作というだけあって、「闇の奥」(「地獄の黙示録」の原作)同様、川とジャングルに囲まれている。「地獄の黙示録」の「ワルキューレの騎行」の向こうを張ってか?ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」より「愛の死」が流れる。おしまい近くになると、わざとのようにというか、わざとに決まっているのだが、ワンカットの中の時間が果てしなく引き延ばされるようになる。スローテンポというのとまた違う時間感覚。ソクーロフに近いか。あるいはプルースト「逃げ去る女」。-YouTubeシャンタル・アケルマン映画祭「オルメイヤーの阿房宮」-映画.comLafolieAlmayer-IMDb「オルメイヤーの阿房宮」

  • 「ボーはおそれている」

    前半にボーは掌と脇腹に傷を負うのだが、キリストが掌に釘で打ちつけられたのと、脇腹を槍で刺されたのと、位置が一致している。母親のもとに帰ろう帰ろうとし続けて先に進みかけたと思うとリセットされたように振り出しに戻る感覚は悪夢そのもの。母親の存在が出ていない時でも絶大な割に父親はいるのかいないのかわからない。アリ・アスターはここでの主人公と母親との関係はユダヤ人的なものだとインタビューで言っていたが、もともとユダヤ教徒かどうか判断するのに母親がユダヤ教徒かどうかを基準にするとか、父親の存在が薄いのは殺されたりどこかに連れていかれるので基準にならないからだとか聞きかじったことはある。キリストに対する父ヨセフのようでもある。キリストはユダヤ人(にして元ユダヤ教徒)ですからね。なんでキリスト教徒がキリストはユダヤ人が...「ボーはおそれている」

  • 「ポワロと私 デビッド・スーシェ自伝」

    スーシェのポワロは初めからポワロものを全部コンプリートするつもりだったのかとなんとなく思っていたのだが、考えてみるとそんなわけはなく、一シーズンごとに人気を見て決めていたのがわかる。なんでそう思っていたかというと、本書のP232で書かれているようにポワロものは全作コンプリートするつもりだと2000年に初めてスーシェがはっきり発言したのが日本だったかららしい。先だって製作されたジェレミー・ブレットのホームズがコンプリートを目指して果たせなかったというのも頭にあったと思う。継続が決定するまで気をもみながら他の仕事を、時に経済的事情から時に役そのものに惹かれて引き受けるわけだが、映画はともかく舞台は見ることがかなわないのは仕方ないが残念。「アマデウス」のサリエリや「オレアナ」のジョンなど、見てみたかった。同じ英...「ポワロと私デビッド・スーシェ自伝」

  • 「一月の声に歓びを刻め」

    なんでしょうね、舞台もモチーフもバラバラの三話プラス最終話という構成で、オムニバスとしてもまとまりがなさ過ぎるし、短編集というには話が変わっても気分が変わらない。前田敦子が主演で哀川翔とカルーセル麻紀が助演なのかと思ってたら全員主演で、ただし全員共演するところがない。どうにも挨拶に困った。-YouTube「一月の声に歓びを刻め」-公式サイト「一月の声に歓びを刻め」-映画.com「一月の声に歓びを刻め」

  • 「カラーパープル」

    市長夫人(もちろん白人)が傲慢な態度をとるのに反発した黒人女ソフィアが怒りの言葉を投げつけると代わりにしゃしゃり出てきた(レディファーストのつもりか)市長に殴られたので殴り返す。その市長が殴られる瞬間をスピルバーグ監督版だと前をトラックが横切って瞬間自体は見せない。スピルバーグ版が公開された当時、「シネマレストラン」で荻昌弘は「このトラックはナカナカ南ア的に老獪であります。私はアメリカ映画の革命とは、白人を殴る黒人女が現れるより、こういったハリウッド類型トラックがなくなることを、呼びたい」と言っていたが、今度のミュージカル映画化は堂々とぶん殴られる瞬間を写している。なんでもないようだけれど、「黒人女」が「白人男」を殴るというのはタブーだったのがまがりなりにもそれが撤去されたのは「進歩」なのだろう。スピルバ...「カラーパープル」

  • 「風よ あらしよ 劇場版」

    伊藤野枝に大杉栄といった大正時代のアナキストについては、先日「福田村事件」で関東大震災のどさくさに紛れて自警団が朝鮮人を虐殺したのを描いていた(ただし福田村で殺されたのは日本人)が、こちらは憲兵の甘粕正彦が大杉と野枝を虐殺するのが山場になっている。甘粕正彦が野枝(吉高由里子)と大杉(永山瑛太)を連行する時に大杉の甥(橘宗一6歳)も連行するのだが、こちらがどうなったのか描き方が曖昧。子供を殺すところはテレビでは描けないということか?実際当時でもすでに子供を殺すなんてと非難轟々で、憲兵という地位にいた甘粕に対してもさすがに当局は逮捕して裁判にかけることになった(ただし7年あまりに減刑されてフランスに渡ったのち満州で満映理事長に就任したのは有名)。NHKのドラマ版は見てないのでどの程度異動があるのかはわからない...「風よあらしよ劇場版」

  • 「瞳をとじて」

    冒頭の室内シーンは製作途中で中断した映画のワンシーンのはずなのだが、冒頭に置かれているのでそれ自体映画中映画という文脈からは微妙に外れている。登場人物の年齢が上がったのはエリセ自身が歳をとったということだろう。探し求められる少女の若さ美しさがそれに対置されるわけだが、作り手のスタンスは「ミツバチのささやき」からは遠く離れているのがアナ・トレントの出演によってより明確になっている。ミゲルが持っている携帯がスマートフォンではなくガラケーなのがふさわしい。監督と主演男優の二人が元水兵で、おそらく若い時世界を共にまわってきたであろう時間が、二人が離れていた時間と重ねられる。映写技師が扱う手と映写機の間でフィルムのモノとしての存在感を改めて教える。「ミツバチのささやき」を品田雄吉は「これは詩的な映画なのでなく、純粋...「瞳をとじて」

  • 「梟 フクロウ」

    17世紀、中国が明から清に代わった頃、日本では徳川時代の初め頃の朝鮮半島の話。目が不自由で明るい場所ではモノが見えず、暗い、それも真っ暗な場所だと見えるという(だからフクロウになぞらえられる)鍼医が主人公。朝鮮王朝時代の記録物「仁祖実録」に記された“怪奇の死”にまつわる謎をモチーフにしているから実録ものにして伝奇ものといったところ。隣の大国の王朝が代わったあおりをもろに受けた激動の中、朝鮮宮廷ではあらゆる疑心暗鬼と陰謀が跋扈する。その中で「見て見ぬふり」をしないと生き延びられないという苦しい立場を維持し続けるというのは、一種象徴的な表現ということになる。画面はほぼ全編ロー・キーで通していて、暗いなりに鮮明に写っている。ロウソクの炎を吹き消して真っ暗になり、他の者が見えなくなると見えるようになるというのもア...「梟フクロウ」

  • 「ヴィーガンズ・ハム」

    肉屋が過激なヴィーガンに引きずられる格好でヴィーガンのふりをして肉屋を襲撃するところから始まり、ヴィーガンを殺して肉にしてしまうブラックな展開を見せる。相当にヴィーガンに対する悪意が丸出しで(原題はBarbaque)、逆に言うとそれだけ肉食が身近な文化圏の話で、そこまで日本ではなじみがないせいか見ていてブラックさにひきつるようなところがある。ちょっと捕鯨禁止になって失業した漁師が観光客を殺しまくる「レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカ―」みたい。生活がかかっているわけでもない人間が何だ偉そうに、という感情ね。-YouTube「ヴィーガンズ・ハム」-映画.comBarbaque-IMDb「ヴィーガンズ・ハム」

  • 「ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ」

    なんか思っていたのと違う。予告編だと大型のぬいぐるみみたいなのが「プーあくまのくまさん」みたいに襲ってくるルーティンなホラーな印象だったけれど、そちらはかなり脇に下がって、主人公のうだつが上がらない青年が年が離れた妹(娘かと思った)と一緒に住んでいるのだが、その誘拐されたまま行方不明の弟とその仲間みたいなのが幻想的に出没する。いやに芸術的な表現で、弟とその仲間がイメージシーンから抜け出てきて主人公に危害を加えたりする。弟の話の方は先延ばしにして続編がありそうな締めくくりになるのはなんだかまわりくどくてちぐはぐ。メアリー・スチュアート・マスターソン(「恋しくて」のショートカット姿には惚れましたね)が実年齢通りのおばさん役で出てくる。-YouTube「ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ」-公式サイト「ファ...「ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ」

  • 「Firebird ファイアバード」

    エストニアが舞台なのだがセリフは英語。エストニア・イギリス合作。実話に基づく。スタッフ・キャストの経歴を見ると監督ペーテル・レバネはエストニア出身で交換留学生としてイギリスのオックスフォード大学に留学し、それからアメリカのハーバード大学と南カリフォルニア大学で学んだとある。原作者でもある主人公セルゲイ・フェティソフを演じるはイギリスの王立演劇学校出身のトム・プライアー。脚本にも参加している。セルゲイは2017年というからかなり最近まで生きていたとエンドタイトルで知らされる。相手役のロマン役のオレグ・ザゴロドニーはウクライナ出身。三角関係(といっても男をはさんで男女が関係する)の一角をなすルイーザ役はロシア人のダイアナ・ポザルスカヤ。他エストニア他旧ソ連各国とイギリス俳優の混成ということになる。男同士で愛し...「Firebirdファイアバード」

  • 「夜明けのすべて」

    PMS(月経前症候群)とかパニック障害といったあまりなじみのない症状を一応モチーフにしているのだけれど、それらについて啓蒙しようとか理解を求めるといった作りにはあまりなっていない。上白石萌音がかなり大きな会社に勤めていたのがPMSが原因で辞めざるを得なくなり、いくつかの臨時雇いを転々としてからミニチュアのようなプラネタリウムを作っている会社に再就職し、そこでパニック障害を抱えた青年松村北斗と出会う。その出会うところからストーリーが動き出すわけではなく、青年が障害を抱えているのを観客に伏せて何だか態度の悪い男という具合に提示しておいて、男が服用している薬の種類をヒロインが見て心当たりがあったので困っている男に届けるというなんでもないような親切というより当然に思える反応から入っていく。そのなんでもないようなこ...「夜明けのすべて」

  • 「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」

    平民出身で王侯貴族の間に入ってフランス革命で軟禁されいったんは釈放されるが結局ギロチンにかけられるという波瀾万丈の人生のはずだが、見た感じあまり波瀾万丈な感じはしない。一応野心家なのだが出世が目的というより王との出会いが逆に動機になったみたいな描き方。ジョニー・デップがルイ15世という、太陽王ルイ14世とフランス革命の時のルイ16世の間にはさまっている王の役で、どこからこのキャスティングを考えたのだろう。柄からいって王様らしい感じはしないが、感じではないのが狙いだったのか。ヒロインをやっているのが監督本人だと見た後に知った。-YouTube「ジャンヌ・デュ・バリー国王最期の愛人」-公式サイト「ジャンヌ・デュ・バリー国王最期の愛人」-映画.comJeanneduBarry-IMDb「ジャンヌ・デュ・バリー国王最期の愛人」

  • 「家からの手紙」

    初めのうちは人すら写らず風景だけがえんえんと映され、それに監督シャンタル・アケルマンの母親の手紙の朗読がかぶる。「私、あなた、彼、彼女」が「私」から徐々に人間関係を広げていったのに対して、母親という「私」以前からある存在にまで遡っているというべきか。ニューヨークの街がすごく荒廃しているのでいつの風景かと思ったら、製作は1976年。「タクシードライバー」と同じ頃。-YouTube「家からの手紙」-映画.comNewsfromHome-IMDb「家からの手紙」

  • 「沖田総司」

    50年前の1974年の製作で草刈正雄がいかにも若いのだけれど、変な言い方になるが現在の年をくった面影がある。土方歳三の高橋幸治、近藤勇の米倉斉加年はともかく、永倉新八が西田敏行というのは本格的に人気が出たテレビの「三男三女婿一匹」が76年だからその前の出演ということになる。マンガチックに折れ曲がった刀を持ったアップなどなんとか目立とうとしているみたい。真野響子がきれいで、草刈と美男美女のカップル誕生かと思うとズタズタに切り刻まれてしまう。新選組を取り上げているのだから当然とはいえ、結構血なまぐさい。草刈がやると肺病病みの美男子の陰の部分があまり出ない。良くも悪くもと言いたいけれど、良い方の資質ではないか。天然理心流の遣い手としての腕を見せるところでチャンバラを見せるけれど、やや型通り。-YouTube「沖...「沖田総司」

  • 「ストップ・メイキング・センス」

    まずデヴィッド・バーンだけが登場して歌い出し、ティナ・ウェイマスが続き、黒衣のようなシンプルな黒スーツ姿のスタッフがドラムセットを乗せた台を運んできて、以下人数が増えていくが、きちんと順序立てられ整理されたミニマムな作り方。観客をほとんどお終いまで写さないところなどもそう。ミニマムというのは「アメリカン・ユートピア」もそうだったが、あそこでラストで舞台の外に広がっていくのは対照的。後半のスライドをマルチスクリーンに投影した背景は現代美術的なセンス。電気スタンド相手に歌いかけ踊るシーンは、ちょっとフレッドアステアの「恋愛準決勝戦」の帽子かけ相手のダンスみたい。ラスト近く、壁に映ったシルエットだけでデヴィッド・バーンだとわかるのが可笑しい。-YouTube「ストップ・メイキング・センス」-公式サイト「ストップ...「ストップ・メイキング・センス」

  • 「罪と悪」

    少年たちが体験したトラウマものの体験と、その22年後に犯罪が再現されるという設定は「ミスティック・リバー」ばり。少年のひとりが刑事(椎名桔平)になっているところもそう。犯罪絡みの内容にも関わらず福井県がかなり協力しているらしい、監督脚本の齋藤勇起が福井出身なのは大きいのではないか。登場人物の土地に対する愛憎こもごもの感情がかなり濃厚にこもっている。案外おどろおどろしい雰囲気は薄くてなんだか悲しい印象が強い。-YouTube「罪と悪」-公式サイト「罪と悪」-映画.com「罪と悪」

  • 「ダム・マネー ウォール街を狙え!」

    ここでもセリフでちらっと触れられるが、「ウォール街を占拠せよ」OccupyWallStreetと1%以下の金持ちがそれ以外の貧乏人(というより地盤沈下した中産階級)そっちのけに株価を操作し利益を貪っているマネーゲームに抗議する運動が起きて、いわばその抗議の実践版の映画化。1%以下の金持ちがボロ(と見なされた)株の空売りを仕掛けて、SNSでゆるくつながった貧乏人たちが対抗して買い進めるというのが全体の構図。売るものがないのに空売りするというのがすでに変なので、後で買い戻すといっても具体的なモノがあるわけではなく、数字だけが動く。金持ちにとってはただのバカでかい数字であっても、貧乏人にとっては食費であり教育費であり医療費でありガソリン代であり光熱費であり、つまりは具体的な生活の裏打ちがある。登場人物それぞれに...「ダム・マネーウォール街を狙え!」

  • 「私、あなた、彼、彼女」

    ヒロイン(監督のシャンタル・アケルマン自身)のストップモーションの連続から始まる。やがてベッド代わりのマットレスでごろごろ寝転がって、書いた手紙を床に並べ紙袋に入った砂糖をスプーンで掬って食べたりとえんえんととりとめなくだらしのない姿を見せる。上映時間で30分を過ぎたあたりから外に出る。トラック運転手の男と並んで黙って食事する間ずうっとテレビの音がオフで聞こえてくる。もう少しあとで男と相対して座る。背景に水槽が見える。明らかに運転したまま性器をしごかせているのだがヒロインの姿はオフになっている。このあと出てくる女とはあからさまな性交描写が出てくる。通して見ると、最初は一人きりだったのが次第に他者との関わっていく。通常だったらドラマが始まるところでぷつっと終わるという構造になっている。ひとりきりから始まり、...「私、あなた、彼、彼女」

  • 「ザ・ガーディアン 守護者」

    ヤクザが親分のために敵に殴り込みをかけて懲役に行き、その間に愛人が女の子を産んでというお話は日本のヤクザ映画にもありそうだけれど、全体にずいぶんスマートになって泥臭くない。留守にしている間にボスがずいぶん出世していて、誘いを断って足を洗うのはいいが、洗った後どうするのかよくわからない。下っ端の敵ばかり相手にしていて大物がすっぽ抜けているのはどうかと思う。ヤクザ映画だったらラスボスにこそ殴り込みをかけるところではないか。愛人(これまたスマート過ぎるが)が早く死に、残された幼い女の子を元ヤクザが守るというのが邦題の由来だろうけれど、この女の子に対する態度が自分の素性を明かすでもなく明かせないのを苦しむでもなくで、なんだか曖昧。ノリで犯罪を犯罪とも思わないで行うような軽薄なカップルが敵にまわるのだが、男の方はモ...「ザ・ガーディアン守護者」

  • 「グロリアス 世界を動かした女たち」

    アリシア・ヴィキャンデルとジュリアン・ムーアが同じフェミニストのグロリア・スタイネム役の青年期と壮年期を二人一役で演じるわけだけれど、顔の作りが似ているわりに1988年生と1960生の28歳差がさほど目立たず、「欲望のあいまいな対象」ばりにキャラクターの二面性を表現したのかと思うくらい。実際おそらくそういう意図はあったのではないかと思われ、つまりミスとミセスを未婚か既婚かで分けるのを否定し男のミスターに相当するミズを使うよう提案したのが実在のグロリアというわけ。ミズなんて称号?認められるかとニクソンが揶揄するところで時代がわかる。60年代から70年代にかけてで、そんなに前から言っていたのかと思う。なおグロリア・スタイネムは存命中(1934生)。時制がかなり複雑に交錯し、同じバスの中の別の席に二人の女優が座...「グロリアス世界を動かした女たち」

  • 「哀れなるものたち」

    室内シーンで広角レンズをはめこんだドアの覗き穴(和製英語だとドアスコープ、英語でpeephole)から見たみたいに撮られた丸く切り抜かれたショットがあちこちにはさまるのだが、実際にはドアも覗き穴もないのだし、どういう狙いだろうと首をひねった。後の方のパリのシーンではこの覗き的あるいは顕微鏡的アングルの頻度がかなり減る。ヒロインの一種の主観(ヒロインも写っているのだが)として視野狭窄になっている状態を表現しているのかいなと思ったりした。空の色を含めて明らかに作りものっぽい美術にヒロインが人造人間(それを作ったウィレム・デフォー自身がフランケンシュタインばりに顔中縫い目だらけなのだが)というのが徹底している。ヒロインが何の脳を移植されたのかかなり後まで伏せている。これもある意味それこそ白紙で見るためだろう。意...「哀れなるものたち」

  • 「ランジェ公爵夫人」

    今はなき岩波ホールでの公開だったのだね。ギョーム・ドパルデューの父親ゆずりの巨体が豪華な割にがらんとした室内で大きな足音をたてて歩き回る。びっこをひいているのだが、95年には実際にバイク事故で重傷を負い、手術の際の院内感染が原因で長年ひざの痛みと戦ったあげく、03年に右脚の切断を余儀なくされたからだという。この映画はその後の07年の製作(翌08年に37歳で急逝)。サイレント映画を思わせる字幕の簡素な潔癖さ。まず読む文字として現れる、バルザック文学に忠実な(というのか)表現。初めは気位高く構えていたランジェ公爵夫人が無骨な軍人モンリボー将軍と立場が逆転するすれ違いドラマなのだが、文字でつなぐことでいかにもなドラマチックなメリハリはあえてつけないでいる。マキノ光雄の言葉を借りると、ドラマがあってチックがない。...「ランジェ公爵夫人」

  • 「幻滅」

    貴族と平民の間に生まれた主人公がイノセントな純文学志向だったのがペンで人を持ち上げたと思うと引きずり下ろすのを生業とするようになり、気づくとあちこちのしがらみで借金で首がまわらなくなっている。華やかな生活にも全部カネがかかっているというわけ。19世紀のコスチューム・プレイの世界だから、今で言うメディアを牛耳っている連中のえげつなさがカリカチュアと見せてリアルに描けている。今だったらSNSの世界になるから画にするのが難しいだろう。いわゆる犯罪大通りで赤い靴下を履いて踊っていた出会った時まだ十代の歳の離れた妻が、借用書につぎつぎとサインする情景は「バリー・リンドン」を思わせる。美術が素晴らしく、ロウソクの照明のニュアンスが良く出た。小林信彦はバルザックについて、昭和初期のビルを歩いていたら最新のビルに紛れ込ん...「幻滅」

  • 「サイレントラブ」

    あららチャップリンの「街の灯」じゃない。浜辺美波は音楽大学在学中で交通事故で視力を失い耳が頼りだが、それに対して山田涼介は口がきけない。音大に通うくらいだから浜辺は裕福な生まれ育ちで、不良出身で掃除夫をしている山田とは、劇中のセリフにもあるが住む世界が違う。これにグレているけれどピアノの名手の野村周平が絡む。浜辺が目が見えないので野村を山田と誤解するところや、手を握ったり触ったりする動作の強調などアレンジしてはいるけど、ほぼそのまま。山田が無言というのがサイレント映画の「街の灯」を今に生かしたと思しく、浜辺と野村がピアノを連弾演奏する場面がまたトーキーの特性を今さらながら生かした。だいたいこの映画、台詞がかなり少なく緊張感を維持している。貧困のあり方というのがチャップリンとは違いすぎるが、格差という形でリ...「サイレントラブ」

  • 「ノスタルジア」4K

    4Kレストア版とあって画質に注目したが、それ以上に音それも小さな音に耳を傾けた。レストアに際しては撮影監督(ここではジュゼッペ・ランチ)の監修は受けるけれど、録音やミキシングの方はどうなのだろう。ホテルの廊下でピアノの音がごく小さく聞こえた時は、気のせいかと思うくらい。クライマックスの「第九」は対照的にかなりマチエールが荒く聞こえた。「ストーカー」でも列車の音でわざと聞こえにくくして「タンホイザー」や「第九」を使っていたが、こういう音の処理はあまり例がない。武満徹の、「近ごろ人間の音に対する感性は、鈍ってきていて、とくに映画の場合、音が大きくなってきたということもあるんですけど、無神経になってきている。かならずしもドルビー・システムが悪いわけじゃないけどね。その無神経さと、タルコフスキーの感性は、対極にあ...「ノスタルジア」4K

  • 2024年1月に読んだ本

    1月の読書メーター読んだ本の数:26読んだページ数:4607ナイス数:0窓ぎわのトットちゃん新組版(講談社文庫)読了日:01月04日著者:黒柳徹子1・2・3と4・5・ロク(1)(コルク)読了日:01月07日著者:ちばてつや1・2・3と4・5・ロク(2)(コルク)読了日:01月07日著者:ちばてつや1・2・3と4・5・ロク(3)(コルク)読了日:01月07日著者:ちばてつや歳月読了日:01月08日著者:鈴木敏夫詐欺の帝王(文春新書)読了日:01月08日著者:溝口敦あした天気になあれ(51)(コルク)読了日:01月08日著者:ちばてつやあした天気になあれ(52)(コルク)読了日:01月08日著者:ちばてつやあした天気になあれ(53)(コルク)読了日:01月08日著者:ちばてつやあした天気になあれ(54)(コル...2024年1月に読んだ本

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