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smgrh1992
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2005/09/15

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  • 般若経典のエッセンスを語る59――すべては名によって仮のものが実体に思える

    以上、まず般若経典のエッセンスが非常によく表われていると思われる個所をご紹介してきた。これまで述べたことがおわかりいただけばもう終わりと言ってもいいくらいだが、般若経典自体はまだ果てしなく語っているので、筆者ももう少し引用しながら解説していこうと思う。次に「三仮品第七」という個所をご紹介したい。タイトルの意味は、私たちがものごとを実体的に捉えてしまう元は物事を名前で呼ぶことにあるということ、つまり名詞を使って把握し、名詞を使って把握して感受・認識し、それによって実体的な存在があると思ってしまうということである。これについて『昭和新纂国訳大蔵経』版の註に「……名・受・法の三、皆悉く仮説(けせつ)なるを説くなり」とある。先ほど木の話をしたが、「木」という名前(名)を使って木を見る。すると私たちはそれを「あそこ...般若経典のエッセンスを語る59――すべては名によって仮のものが実体に思える

  • 般若経典のエッセンスを語る58――瞑想と智慧と菩薩は別のものではない2

    対話は対話は続く。舎利弗須菩提に語らく、『若し三昧菩薩に異ならず、菩薩三昧に異ならず、三昧は即ち是れ菩薩、菩薩は即ち是れ三昧ならば、菩薩云何が一切諸法、是れ三昧と知るや。』須菩提言はく、『若し菩薩是三昧に入らば、是時是念を作さず、我れ是法を以て、是三昧に入れりと。是因縁を以ての故に、舎利弗、是菩薩諸の三昧に於て知らず念ぜざるなり』とシャーリプトラがスブーティに語った、「そういうふうに菩薩と三昧が一体だというのなら、菩薩はすべての存在がまた三昧なのだと知ることができるだろうか」。スブーティが答えて言う、「もし菩薩が三昧に入ったなら、その時には次のような思いはない。『私はこの教えによってこの三昧に入った』と。こういうわけで、シャーリプトラよ、この菩薩はもろもろの三昧において知ることも思うこともないのである」と...般若経典のエッセンスを語る58――瞑想と智慧と菩薩は別のものではない2

  • 般若経典のエッセンスを語る57――瞑想と智慧と菩薩は別のものではない1

    前回、菩薩・摩訶薩・菩薩大士の大乗とは、要するにサマーディ・三昧だということ、その三昧について三三昧ということをお話しした。私たちの坐禅も三昧の入り口としてやっているわけだが、「三昧に入る」ということを考えるとき、私たちは「私が三昧に入っている」「私が三昧から出た」といった捉え方をする。それに対して、本格的な菩薩が三昧に入るとはどういうことかが語られているのが、次の個所である。慧命須菩提仏心に随ひて言はく、『当に知るべし諸の菩薩・摩訶薩、是三昧を行ずる者は、已に過去の諸仏の授記するところたり。今現在十方の諸仏も亦是菩薩に記を授く。是菩薩、是の諸の三昧を見ず、亦是三昧を念ぜず、亦我れ当に是三昧に入るべく、我れ今、是三昧に入り、我已に是三昧に入れりと念ぜず、是菩薩・摩訶薩、都て分別の念無きなり。』三昧とは最後...般若経典のエッセンスを語る57――瞑想と智慧と菩薩は別のものではない1

  • 『サングラハ』第197号が出ました

    目次■巻頭言……2■近況と所感……岡野守也…3■『正法眼蔵』「梅華」巻講義(4)……岡野守也…6■サンカーラの発見(1)……羽矢辰夫…16■グローバルな問題を解決するために人々が持つべき内面について――いくつかの提案を四象限コスモロジーで評価する(12)……増田満…18■私のサングラハでの学び(7)……毛利慧…22■『サングラハ』に入会して(1)……杉山喜久一…24■森のさんぽとコスモロジー……横山昌太郎…28■サングラハと私(12)……三谷真介…32■講座・研究所案内……43ご購入と詳細はこちらから会報誌「サングラハ」第197号(2024年9月)について サングラハ教育・心理研究所『サングラハ』第197号が出ました

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伝えたい!いのちの意味―岡野守也の公開授業+α
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