四月を迎え、署内の顔ぶれが一新。どことなく初々しい署員もちらほら見受けられる。決して初めての仕事ではないであろうに、しかし歩き方のぎこちなさは拭えない様子で行き交う署内のエントランスをいつものように熊田はゆったりと音を立てずに幅広の硬質な階段を一段一段上った。書類を持った女性に挨拶、そのついでに健康診断を必ず受けるようにとの宣告が言い渡される。まるで、竹を割ったようにそれまでは平然と書類に目を通して階段を下りていたというのに、まったく、朝に女性特有の高い声を聞くのは割に合わないぐらいに頭蓋骨に響く。 二階のある一室。熊田はこの部署のナンバーツーである。彼の上司、部長という人物はその正体を隠すよ…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に2-5
何をしているのだろう、私はここで。だけど、生きてはいるようだ。部屋でも生きていたではないのか。これが人が求める幻想なのかもしれないな。それをわからせるため、切り離すための儀式、仕組まれた罠とも思える。どこかでカメラが私を捉えていたら、である。 誰のために私は生きている。私のためさ。間違いはない。間違っていたのは周りの人々、近しい人々。 フライパンが熱を持って音を立てた。栄養が体内で活力となり、生き血を作り、私を永らえさせる。 端末が震えた。画面を捉える。仕事の段取りが変更した、とのメール。 ご苦労なことだ、使役されてるとも思っていないんだ。 私は私にだけ私にのみ私によって私に限って忠実である。…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に2-4
「ここでの仕事はもっと非常識で非常な人間性が見られましたけど」私はそれとなく反論する。 「こっちがそもそもの姿なのよ。もちろん、私にだって落ち度はあるし、完璧とはいえない。ただし、いつも目は光らせていた。外側よりも中身を一目を置いていた、鋭い爪を隠して未使用で、けれど研ぐことを怠らずにいた。すると、あるときにこの施設から声がかかったの」 「外には出てますか?」私は次々と質問を変える。 「ここでの作業はないに等しいかな」 「具体的な内容は教えられない?」 「命はまだ惜しいつもり」 「危険?」 「均衡を保つため、世の中にバランスが必要であれば、私たちの仕事は確約されたも同然」 「私はすぐには判断し…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に2-3
「こんにちは」私は挨拶を交わした。 「初めての人だね」短い髪、男性的な口調、すらりと伸びた首から覗く白さは女性そのもの、ボーイッシュという形容が正しいかどうかは私には判断しかねる。だって、短髪が女性の象徴であるのは、子どもを育てる役割にさかのぼれば髪の長さは行動を左右しない。対して、男性は積極的にこちらから外的な事象に体を使用するため、あまりにも長い髪は不要である。それに髪の長さに清潔感を抱くのは短い髪が定常化した感覚に格上げされたに過ぎない。現れた人物は誰かに似ているだろうか、しかし名前は思い出せない 「専属でこの仕事を?」私は冷蔵庫の水を掴んできいた。 「ああ、まあ、そんなところ。今日はた…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に2-2
私は、コンビニを目指して一方通行の道路を足早に渡りきって、店内の入店音に歓迎?違う、会計を済ませた退出の命令を聞いて入る。「人にわかってもらおうと思ったのは、ずいぶん前の私です。今は必要ないでしょう。もし仮にプログラム以前のバージョンに引き戻されても、私がそれに適応するかどうか、断じて疑うべき。乗り気にはなりましたよ、あなたに会って話をして言葉を反芻しましたから」 「全く誠実な人ですね、そういわれませんか?」 「正直な部分を強調、認められない部分は手短に端的に確実にきっぱりと述べることを心がけている。それでも体は汚れる」 「純粋なのね。そういった人が私には、仕事には必要なのよ」女性は色っぽく息…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に2-1
疲労の度合いが週をまたぐたびに休息を呼びかける。しかし、私は決して疲れてはいないと、言い切り、体の声を聞こえないように遮った。仕事の疲労もさることながら、休日の出勤が週の半ば、水曜まで引きずるのは年齢のせいかもしれない、考えたくないが。いいや、考えておかなくては。もう成長期ではありしないのだし、私は酸化して細胞が蝕まれ、分裂を止めはじめた下降期に差し掛かったのだ。 また服を着たまま眠ってしまった。重たい体を引き起こす。ビールはとっくにぬるく、プリンも常温に戻ってる。腰を上げてその二つを冷蔵庫に入れた。頭が重い。途中で引き起こされた眠気がかんしゃくを起こしているみたいに、頭部が膨張してる。放置が…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に1-8
しばらく、天井を眺めつつ、なおもスツールに座りながら、私は再会する新たな職場での仕事の進め方を模索した。まずは、部下の個性を掴むことが重要だ。人数とこれまでの実績と言動と仕事振りを把握することがなりより先決だろう。上司の理解はこの際後回しだ。とにかく、私が従える、使える人材をいかに有効に配分させるかを、短期間で見極めることが上り詰めるには必要であるのさ。何も落ち度はないはずだ。ただし、会社内ではまったく正反対の、私への意見が聞かれたっけ。まあ、最初から同僚は視界にすら入れてない。私は絶対に届かない天井に手を伸ばす、薄い黄土色の骨組みが冷たくて気持ちいいんだろう。もしかすると私は罠にはめられたの…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に1-7
「だから、どうだっていうのかしら。あなたもわかっているはずよ、利便性は作られた便利で必ず背後では懐に金銭を決して見つかることのないほくそえむ人物が蓄えてる。では、反対に質問をしましょうか。あなたがこうして歩き、マンション周辺にあてもなく視線を走らせてるのは、無駄だとはいえないのかしら?」 「歩く機会が今後は極端に少ないと判断した、それに周辺の土地勘を持ち合わせておけば、歩行のときにいらない意識を周囲に配らないで考え事に専念できる」 「では、なおさら内部が気になったこの建物の正体は突き止めたいと思われるのでしょうね」 誘導尋問に思えたが、私は正直に頷いた。 「結構です。プライドも高くはない、素直…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に1-6
「勧誘?新聞の購読ではなかったのでしょうか」明らかな年下に対する敬語に違和感。そうか、わかった。いつも敬語を使う対象が自分よりも立場が上の、年齢も高い人物であるからだ。体面を重んじるあまり異なる対象者への使用がいつの間にか言葉に圧力と重ねた自信とが入り混じり、高圧的な態度が形成されるのか、私はひそかに特定の人物思い浮かべた。 「まだ読んでいらっしゃらないのね。それでここへきたのは、運命を感じずにはいられない。そうは思いませんか?」なぜ私が新聞の見出しすら読んでいないことを彼女は恐れもなく確信めいた言い切りが可能だったのか。それは私に欠けた、いいや。あえて獲得を拒んだ、機能だ。 私はかろうじて言…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に1-5
誰にも会わない。一度振り返ってみても、口をあけた門を通過する車も、緩やかになった傾斜を上る、あるいは下る人も車も視界に捉えることはできなかった。これまでもたぶん不安だったのだろう、それが一人になって、景色や車や人がすっかり周囲から音もなく消え去った反動で現状が思い返されたのだ。つまりは、これこそ私の奥底に眠る本心だ、ということか。いかにも哲学的な思考だ。しかし、哲学という概念や括りは斜に構えたようで好きにはなれない。そんなことを考えながら歩いていると、建物にたどり着いた。さて、どうしたものか。開かれた場所、とはいってもお寺に足を踏み入れて、拝むべき仏像や由緒ある宝物や歴史的な価値の高い建造物が…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に1-4
竹部美智子は、昼食用のおにぎりを二つ携えて、誘う彼女が立ち去った数十分後に部屋を出た。一階、エントランスのステンレスのポストには新聞のような材質と色合いを兼ね備える紙の束が突き刺さっていたが、私は手に取らず、焦点を微かに合わせたのみで、屋外へ躍り出た。その日の帰宅時に新聞は手にとって、部屋に運んだがローテーブルに置きっぱなしで一度も開いていないまま、朝を迎えた。 翌日からは電車で目に留まった場所に降り立ち、駅周辺をひたすら歩き、景色を眺め、建物を記憶し、お腹が減るとレストランや喫茶店を探し、夕方、日が落ちる頃に駅に舞い戻り、そして部屋に引き返す生活を三日ほど続けた。 仕事始めまでの残りの数日は…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に1-3
「はい」 「新聞のご購読はいかがでしょうか?」 「必要ありません」私はきっぱりと断ったつもりだった。 「必ずあなたにとって有益な情報が掲載されますが」含みを持たせた言い方。女性は上目遣いで男を誘う、ある種女性的な匂いを漂わせる仕草。同姓には悪寒が走る態度であることは、感知していないらしい。私は応える。 「結構です、宗教に頼るほど落ちぶれてはいませんので」 「勘違いをなされている」女性はつぶやくように言った。背後でマンションの住人がエントランスの自動ドアを潜り抜ける姿が映った。「特定の宗派を重んじろなどという、大それた信念はむしろ無意味だと考えていますのよ。お分かりになっているあなただから、更な…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に1-2
仕事を初めて旅行に行った試しは、日帰りで温泉にそれも一人で行ったことぐらいだろうか。気の置けない仲のいい友人に私は当初から懐疑的だった、三人の旅行が、友人たちはそれぞれのプライベートを優先し、結局予定変更の内私一人での温泉旅行に成り果てた。個人的な事情を優先したことは私が聞きだしたのではない。周囲が勝手に私に吹聴したのだった、そう頼んでもいないのにね。それ以来、旅に価値を見出せない私にとって二週間の空白を旅以外で埋める悩みが襲来。自室を拠点とすることを最低限に据えて、考えをがらりと変えた。すると、たちどころに景色が開け、引っ越した当日に各種自宅の手続きや金銭的な契約の更新を片付けて、それから数…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に1-1
O市は古きよき経済発展当時の町並みを今も尚、形をとどめた北の古都。グルメ、観光、ショッピングがあなたの帰りを待っている。宿泊はライトアップされた運河が一望できる絶景をご堪能いただけます。 あなたの旅に、ノースノエル。 北海道に転勤になって早二ヶ月と数日か、竹部美智子は言葉にならない声を出して自宅のベッドにへたり込んだ。コンビニの袋も今日で一週間ぶっ続け、新品のゴミ箱はたまりに溜まっている。もう小さく畳まずに押し込んでいた。面倒なのだ。もちろん、女性として、これは人としてだらけてはしたないとは思ってはいるが、体が疲労を溜めに溜めて言うことを聞き入れてはくれないのだから……、そうやって私は理由をつ…
私は訊いた。「ほとんどの人が端末を持ってますけど、あなたも持ってますか。私は初めてなのです」 「ああ、大丈夫ですよ。操作に不安があっても、はい、問題なく使えますよ」 「端末を利用しない人がいる事は、ご存知ですか?」 「"離反者"の事ですか、まあ、ええ、仕事柄」店員は会計を求める。私はカードを提示。サインを書いた。 「彼らについてはどう思います?」 「文明に逆らっているのではないですから、そこまで攻撃することもないとは思いますよ。連絡、通信の手段を拒んでいるのではなくて、そういった人たちはPCを自宅に置いてるとききます。外では使わない、という事なんでしょう。このまま、ご使用になりますか?」 「は…
何階だろうか、とにかく高い部屋があてがわれた。荷物は持っていないので案内は拒否した。そうだ、着替えも持っていないのだ。私は水を冷蔵庫から取り出して、傾ける。飲みかけのペットボトルが一本入っていた、それにビニール包まれたオレンジ色の飲料水も。 私は水を持ってフロントに下りる。飲みかけの水と飲料水の事を伝えた。私の仕業ではないことは、フロントの人物が証言してくれるだろう。部屋に帰るまでに片付けておいてほしい、と伝えて、私はホテルを出た。高架下と電気店。ビルが立ち並び、上空の視界は埋まってる。 駅に戻って数日の服と下着とそれらを入れるバッグを三十分ほどで同じ店で買い揃えた。タグをすべて切ってもらい、…
印刷所。カタコト。不規則な音声。 「一部ずつだとこちらとしては、販売することはできないですよ」 「では、何部からなら取り扱ってくれるのですか?」 「最低で五十」 「では、その数字で。ああ、別の文章でも印刷をお願いします」 「失礼ですけどね、こんなに少なくていいんですか?」 「ええ、十分。私が届けたい相手には伝わりますから」 「そうですか、はあ」 「納得していませんね。そこまでの説明が必要でしょうか?」 「あ、いや、そのいずれ、また印刷するんだったら、いっそのことねえ、だってどう見ても少なすぎる」 「不特定多数へ向けた提供を省いた。特定に人物にだけ行き渡るような配慮です。大量に刷り上げたからとい…
味噌汁を啜る。けれどこれで自国民の気質を思い出すことはない。たんにそれはだって周知の事実、私が食べてきた習慣によるもので、決して受け継がれた国民性をどうしてそんなにも大々的に遺伝子に組み込まれた、刻まれたなんて言えてしまえるのか。 食べるのはいつも口にしてたからである。パンでも昔から食べていたら口を支配するのはそれなのだろう。 数分で食事を終えた。容器と包装を捨てて食器を洗う。 デスクに座って、メールの返信を打った。 「早急な対応に感謝します。見えている世界をあなたが望むままに変えられる狭間のあなたのような人物を私は欲していました。お世辞ではありません。会社は昨日立ち上げました。現在はあなたの…
コーヒーを口にする。インスタントのコーヒーだ。短時間で水が沸く電気ケトル、私はキッチンに立って考察に耽る。便利の裏には失われた行動があって、生み出された余剰時間はおそらくは無意味で気にも留めない使い方に消費されると、私は思う。今日ここへ電車の車内で、前の席の男性二人が、レコーダーについて語っていたのを思い出す。二人の職業、業態は定かではなかったが、どうやら記者らしかったのだ。 昔は会見場ではメモを取った。しかし、すべてを書き出すことは困難なので、端的に単語や重要なワードだけを抽出し、それをメモした。だが、会社に戻り、記事を書き始めると、メモを見ただけで、会見の内容が頭に浮かんできた、覚えようと…
見限った思想が良いだろう。悲観的も微かに備えて、それでいて破綻をしてない。流行に左右されず、一人を好む、何度が表と裏をひっくり返した経験もほしい、それでいて現在は真裏、表でも構わないが、比較的言動の少ない性質がほしい。私は、情報網を日本国内からあえて、施設近隣の地域に絞った。もう午後の夕方。高い窓から、電磁輻射のスペクトルでも限定された空にかかる橋のアーチの色、中でも施設に降り注ぐ入射角が小さいための長い距離によって他の色が吸収されて残った赤が床に落ちていた。検索対象はいくつかのコミュニティそれも限定的で非現実的、逃避よりもそれを楽しんでまた現実への帰還を繰り返している人物たちに絞り込む。しば…
梱包された各種機器が施設に届く、そのつどサインを求められ、何度か彼らの反応を窺ったが、誰もが読めもしないサインに疑いすら持たないことを観測した。住所と運ぶ商品の一致がすべて、受け取る人物は誰でも良いらしい。住人になりすませたら、届いた荷物を簡単に受け取れる。 開業二日目。 設備が整い、ペットボトルの水を冷蔵庫から取り出すと、それをもってデスクについた。間仕切りのない空間にぽっかりと私とキッチンが空間占領の大部分。しかし、空間は五感以外の新たな法則によってしか、その存在を確認できない目に見えない微細な物質たちで埋め尽くされている。認識。これが通常捉えうる感覚をより高め、視野を広げる。狭まった装置…
「電車で。駅からは歩いて。どのような趣旨の質問ですか」 「汗かいてるからよ。車、もってないの?まさか免許もないとか?」 「必要性に駆られなかったですし、車両を保管する場所代と本体の維持費、価格に見合う価値を見出せなかっただけの事です。数年ごとの免許の更新はレンタカーを借りる事で、採算は取れています」 「変わってる。まあ、別に私はいいんだけどさ」 「そうですか、でしたら、車も数台、施設で所有しましょう」 「買うの?本当は乗りたいんでしょう?」煽るように私は言った。が反応は芳しくない。 「運転に爽快感を求めたことは考えても、ひとつたりとも思い浮かばない。ご期待副えなくて申し訳ありません」 「謝らな…
「粗野磊落の部長がですよ、私に助けを求めるはずがありません」 「どうして部長が書類の送り主だと思ったんだ」熊田はもう一度きいた。 「封筒の宛名に僕は部長としか話していない内容をにおわせる印がついてあったんですよ」 「印?」 「最新機種、今春に発売される一眼レフカメラの製造番号です」 「部長はカメラに詳しいのか?」熊田がはじめて聞いた部長の趣味である。 「それはもう僕なんかよりも」鈴木はここでタバコを咥えた。熊田がライターで火をつける。鈴木が軽く感謝の合図を送った。「だって、車にはいつもカメラを積んでるっていってましたよ」 「共通項はカメラの最新機種と部長の人事異動か。確証はないが、疑いは強いか…
「熊田さん!」喫煙室の扉は、腰から天井まではガラス張り、外部と視界を共通する。ドアなど眼中にない勢いで鈴木が激突、しかし反動を諸共せずにドアを引きあけた。彼は熊田の部下である。 「アメフトの練習か?」 「何を悠長なこと言ってるんですか!」鈴木の息は切れてる。どうやら部署からではなく、一階から階段を上った息切れと熊田は見極めた。「部長、今日は来てませんか?」 「まだ誰も来ていない、お前が一番手だ。それがどうした、いつものことだ」 「うちの部署に新人が入ってくるって、熊田さん知ってましたか?」鈴木はドアの隙間から顔を出した状態で処刑を待つ人物そのものに見える。乱れた呼吸はだいぶ整ってきたようだ。上…
四月を迎え、署内の顔ぶれが一新。どことなく初々しい署員もちらほら見受けられる。決して初めての仕事ではないであろうに、しかし歩き方のぎこちなさは拭えない様子で行き交う署内のエントランスをいつものように熊田はゆったりと音を立てずに幅広の硬質な階段を一段一段上った。書類を持った女性に挨拶、そのついでに健康診断を必ず受けるようにとの宣告が言い渡される。まるで、竹を割ったようにそれまでは平然と書類に目を通して階段を下りていたというのに、まったく、朝に女性特有の高い声を聞くのは割に合わないぐらいに頭蓋骨に響く。 二階のある一室。熊田はこの部署のナンバーツーである。彼の上司、部長という人物はその正体を隠すよ…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に2-6
「どこで私を見つけたの?」 「いつも見ていたさ」 「嘘ばっかり」 「うん、嘘。だけど、その方があなたは笑う」 「うそつきはうんざり、顔も見たくない」 「鏡を差し出せばいい」 「鏡?」 「水面にはいつだって山が映ってる」 「私は嘘はついてないよ」 「そう」 「信じないのね」 「いいや、君の言ったことがすべてだ」 「仕事を辞めたのよ」 「そう」 「どうおもう?」 「君はどう思うの?」 「正直、ちょっと不安」 「そう」 「さっきからそればっかり」 「そうは三回、そのは一回」 「私は私であるために生き抜くって決めた、あいつらの驚いた顔見せてあげたかったな」 「いつも見ている」 「しったかぶりだね」 「…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に2-5
「危険?」 「均衡を保つため、世の中にバランスが必要であれば、私たちの仕事は確約されたも同然」 「私はすぐには判断しかねます、なんだか裏社会の仕事みたい思える」 「私は特別かもしれない、即決だったもの。あなたはまだ正常なのかも、両方の規定に縛られながら良く生きていられるわね。私はとっくにそっちの糸は切ってしまったもん」 「糸ははじめからなかったと、私は解釈してます。切れないのは、うーんと、うまく言葉に表すのは難しいかも」 「言わなくていいよ。それよりさ、まだ作業してくの?」彼女は好機の目でこちらの内部を探る。 「軽く食べて、少しだけは」 「何をつくんの?」 「ああ、適当にある材料で作るけど………
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に2-4
「誰だって一人じゃん。繋がってるなんて作り上げた幻想だもん。考えたくないなら素直に結婚して身を固めればいい。身を固める結婚が一人の人間として認められるのはもう過去の遺物、遺産なのに、まだ懇切丁寧に持ち合わせていなくっちゃって、思い込ませてるのは癪に触るよ」 「勝手に料理をしてもいいのかな?」私は砕けた言い方に変えた。 「いいんじゃない。明日になれば、誰かが片付けて、冷蔵庫の中の食材は補給されてるもん」短髪の女性は手を天井に、降り始めた雨を確かめるポーズで応える。「あなた、前の所属はどこ?」 「前って、私はまだ仕事辞めていないけど」 「仕事は?」 「SAKAKI」 「へえ、自動車関連ねえ」 「感…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に2-3
「結構です、異論はありません」私は、添加物だらけの炭水化物、それと消火しきれない野菜が盛り込まれた弁当を手に取る。 「契約成立ね。音声は記録されてます、これが契約のサインとなるので、ご容赦なきように。では、ごきげんよう」 こういったやり取りを彼女と交わして、週末にあの施設を訪れた。鍵は無用心にも開いていた。私のブースがわかりやすく、初出勤の方と殴り書きのコピー用紙が貼られ、仕事に取り掛かった。ブース内は、PCとデスクに椅子。快適な空間とは言いがたいが、仕事に取り組み始めると私は時間の感覚を忘れて、およそ八時間を初の大役に充てた。 仕事というのは、画面に表示される特定の人物の行動記録から、その自…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に2-2
「積極性の欠如は、その安全性、危険察知の能力肥大にあるわ。どこかで、危険に長期間さらされた過去があったのでしょう。しかし、あなたは経験に裏打ちされたデータを基に積極性の不足を補う。あえて言わせてもらえれば、あなたはかろうじて優秀さを保っている、その能力も惜しみなく発揮する場を与えられず、ひた隠して生きる。なんて無意味なんでしょうね。誰も気がつかない、実に惜しい現状だわ。もちろん、私はすぐに見抜きました」女性は電話口で続ける。「私に何があってもあなたは泣いたりはしない、あなたは家族の死にもおそらくは立ち会わないでしょう、心がないという人が正常だと思っている浅はかな人間にこの機能の有能さはいつまで…
おお、神よ。あなたはそこにいらしたのですね、私の足元に2-1
疲労の度合いが週をまたぐたびに休息を呼びかける。しかし、私は決して疲れてはいないと、言い切り、体の声を聞こえないように遮った。仕事の疲労もさることながら、休日の出勤が週の半ば、水曜まで引きずるのは年齢のせいかもしれない、考えたくないが。いいや、考えておかなくては。もう成長期ではありしないのだし、私は酸化して細胞が蝕まれ、分裂を止めはじめた下降期に差し掛かったのだ。 また服を着たまま眠ってしまった。重たい体を引き起こす。ビールはとっくにぬるく、プリンも常温に戻ってる。腰を上げてその二つを冷蔵庫に入れた。頭が重い。途中で引き起こされた眠気がかんしゃくを起こしているみたいに、頭部が膨張してる。放置が…
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