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2024/05/30

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  • 芒種のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

    ◎身体バランス練習、シニア向けすっきりと晴れない日が続いています。今頃の季節は若い頃から不調なことが多かったのですが、それを思い出しました。屋外散歩20分を2~3回にして、OliviaLawsonの室内散歩20分を1回に減らしたら、てきめんに膝回りが弱くなってきましたので、OliviaLawsonの室内散歩20分は最低2回はやるように変えたばかりです。30MINBOOSTEDWALKINGWORKOUTFORWEIGHTLOSS-NoJumpingFatBurning-YouTube日がなマウスとキーボードの生活で、左手の弱体化が著しいのと、字を書くのもおっくうになってきたので、ボールペンで字を書く練習とロープ結び(昔ボーイスカウトの教本に複雑極まりないのが載っていたが、そういうのをやってみたい。)の練習...芒種のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

  • すべての次元にガイドがいる

    ◎ジェイド・タブレット-外典-11-12◎世界樹-10◎ヘルメス、猿田彦命霊界探訪記を見ると、霊界のどこにいても霊界太陽が見えるとあるものだ。人は霊界において神たる霊界太陽に常にリンクしている。この世においては逆に極めて稀な人しか神仏を目撃、あるいはコンタクトできない。しかしこの点は、この世でもあの世でも神仏にコンタクトできるという可能性を保証していると見るべきだろうと思う。世界樹は、世界全体のシンボルだが、七つの次元のどこからでも神仏・ニルヴァーナに接することができるための親切なガイドさんがいる。そのガイドが、古代ギリシアではヘルメスと現れ、古事記では猿田彦命として現れる。ピュタゴラスの冥界めぐりのエピソードにヘルメスが登場する。『魂を一つにつなぎとめている紐帯は、血管や動脈や腱である。しかし魂の力が強...すべての次元にガイドがいる

  • 17 星

    ◎ジェイド・タブレット-外典-12-10◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-10◎明星を見る釈迦、空海、日蓮、クリシュナムルティ有名覚者の悟りシーンには、星が登場することがままある。釈迦は6年間の苦行を捨てて、ヨーグルト(乳糜)を食べて体力を回復し、菩提樹下でメディテーションに入った。そして、『明星が出た時、釈迦は廓然として大悟し、無上の正真道を得た。』(中国に伝わった最古の仏伝とされる修行本起経)とする。空海はあらゆる経法の文義を暗記する力を得るために、高知県室戸崎で虚空蔵菩薩求聞持法を修した。すると谷響を惜しまず、明星が来影した。ごうごうたる阿吽(オーム)の響きたる谷響のうちに、明星がやってきた。日蓮は十二歳で、安房小湊に近い天台宗清澄寺に入り、その年からこの寺の虚空蔵菩薩に願をかけ、「日本第一...17星

  • 悟りが夢であるように

    ◎ジェイド・タブレット-12-7◎ニルヴァーナ-7◎ニルヴァーナとその実感-7◎神よ、「何もかもなし」それ自身よ、私自身よダンテス・ダイジ遺稿の一つ老子狂言から『悟りが夢であるように』を引用。『悟りが夢であるように迷いが一場の夢であるように悟りもまた場を持たぬ一場の夢悟りが夢であるように迷いが夢であるように7つのスペースから熱と光は去り私は未知以外の未知を知らぬかつての情熱は今や消え去り私の夢は私自身である「何もかもなし」それ自身を夢見る一つの夢が終わり新しい夢は始まっているはずだが悟りが夢であるように私には何一つつかまえるものが見えない私の眼がくもってしまったのか新鮮な何かを私はなおかつ、待ち続ける神よ、「何もかもなし」それ自身よ悟りが夢であったように私という夢をことごとくあなたの中に消し去りたまえ神よ...悟りが夢であるように

  • 16 塔(神の家)

    ◎ジェイド・タブレット-外典-12-9◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-9◎クンダリーニの筒にして錬金術の炉この塔はクンダリーニの筒にして錬金術の炉。またこの神の家は世界樹であって、「12吊るされた男」で神を知った後の人間はここでも脚を上に頭を下にする。というのは、世界樹は、根を上にして、枝葉、樹冠を下にする。よって人間から見れば、世界樹なる世界全体は逆転して存在する。同時に二人の人物が塔から落下するのは、悟った人間の視点からは、実は上昇を示す。また16塔から19太陽の図柄では、空気中に天の露が降る。これは大吉兆を示す。既に12吊るされた男で、見神、見仏、見性を終え、15悪魔にも出会って無事試練を通過したからには、善の側に不退転となった。生きる姿そのものが、善だけを行い悪を行わない姿(諸悪莫作衆善...16塔(神の家)

  • アオウエイの五声

    ◎ジェイド・タブレット-外典-11-11◎世界樹-9◎言葉は「道」であり「神」であるそこで出口王仁三郎の短歌。言霊の真言の道を知らずして此神国の治まるべきやは出口王仁三郎の玉鏡から『「道」は充ち満つるの意である。この宇宙には言霊(ことたま)が充ち満ちてゐる。即ち一つの機械でも動かせば非常なる音響を発するごとくに、此の宇宙も大旋廻しているから、非常な大音響を何時も発している。即ちアオウエイの五大父音が鳴り鳴りて鳴り止まずにいるのである。音響もまた言葉の一種である。意識的に発するのが言葉であり、無意識に発するのが音響である。兎に角、言葉は「道」であり「神」である。』(玉鏡/出口王仁三郎/天声社P170-171)五大に響きがあって、五大父音だから、五大にはそれぞれ音響がある。しかし玉鏡にはこんな言霊の情けない実...アオウエイの五声

  • 天地不仁

    ◎ジェイド・タブレット-12-6◎ニルヴァーナ-6◎ニルヴァーナとその実感-6◎すぐに燃やしたり捨てたりされる藁の犬老子は、神仏の心、天地の心である石ころの心を、天地不仁と表現している。人間的視点から見れば、天地は命を与えてくれるし、衣食住も与えてくれるとても「仁」なものに一見思われる。しかし人の命を奪うのも天であり、人を虚無の絶望に陥れるのも天である。したがって、天地が個々の者に対して仁でないという視点は、人間的な好悪や苦楽の感情を越えたところにあって初めて言える。いつの時代にも戦争は繰り返され、生別死別等の苦しみは止むことはないことを指して、人間的な視点に降りてきて、仁ではないと言って見せている。老子は、祭礼ですぐに燃やしたり捨てたりされる藁の犬に対しては、天地も聖人も仁ではないとする。彼は、鞴(ふい...天地不仁

  • 15 悪魔

    ◎ジェイド・タブレット-外典-12-8◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-8◎大悟覚醒の直前に登場冥想修行で、意識が深まる、潜在意識が露出してくる、自分がオープンになってくる・・・・言い方は異なるが皆同じことを言っている。その時に、人は暗示や指示に無防備になっている。オープン・マインドは最終ステップでの必要条件だが、対応次第で、人は神にも悪魔にもなる。悪魔はいつ登場するのかと言えば、大悟覚醒の直前。イエスですら荒野の40日修行で、ファイナル・ステージ直前に「地上の国々の権威と栄華を与えよう」と悪魔の誘惑を受け、釈迦も「もうこの世を去ってもいいのですよ」とマーラ(悪魔)の誘惑を何回も受けた。不退転となる直前、九分九厘の時は、フィフティーフィフティなので、その時は神にもオープンであり、悪魔にもオープン。...15悪魔

  • 空海の声字実相義

    ◎ジェイド・タブレット-外典-11-10◎世界樹-8◎五大にみな響ありユダヤ教のセフィロトの10球は、結局五大が基本であった。五大は有の世界のことであり、無を包含していないので、7チャクラあるいは、7ボディが無を包含しているのに比べると、世界樹と同様に十全性を欠くように思う。まずは、空海の声字実相義。五大にみな響あり(五大皆有響)十界に言語を具す(十界具言語)六塵ことごとく文字なり(六塵悉文字)法身はこれ実相なり(法身是実相)五大とは、地水火風空のことで、それぞれにバイブレーションがある。十界とは、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界であり、死の世界も含めたあらゆるボディの世界。それぞれの世界にリズムとメロディがある。※仏界はニルヴァーナ。六塵とは、色・声・香・味・触・...空海の声字実相義

  • 石ころの心

    ◎ジェイド・タブレット-12-5◎ニルヴァーナ-5◎ニルヴァーナとその実感-5◎人間の側に立っていないこと第六身体アートマンとは、過去・現在・未来が一体であり、あらゆるものが一つながりにつながっている、時間空間物質が混然一体となっているもの。そうした創造滅亡ですらもない心を、ダンテス・ダイジは石ころの心と表現した。『「奥深い心」すでに人間はいないあらゆるものを構えその中でとりとめもない人間の喜びと人間の悲しみとを持つそのものはすでにいない人間の喜びと悲しみとから生れるあのしみじみとした心の果てにはすでに人間はいない人間にとってあるというすべてのものはことごとく消え果てただその奥深い心だけが何の束縛もなく現前しているそれは人間の心ではない人間の喜びも悲しみもその心のどこにもないのだから人の子の悲惨な死も甘美...石ころの心

  • ヘルメス文書の「一者」の源である者

    ◎ジェイド・タブレット-12-4◎ニルヴァーナ-4◎ニルヴァーナとその実感-4◎知性が神を知解する以下は、第六身体である一者とニルヴァーナである「一者」の源である者の違いを説明している珍しい文。錬金術の元祖ヘルメースが子タトに、知性が神を知解するメカニズムを諭す。『1ではタトよ、この教えをお前に詳しく話してやろう。それはお前が、名よりもすぐれた神の奥義について無知であることのないためである。だから、お前は理解するのだ、いかにして多くの者には不明と思われるものが、お前には最も鮮明となるであろうかを。そこでだが、(不明と思われる)ものがもし不明〈でなかった〉なら、〈常には〉在りえないであろう。なぜなら、すべて現れているものは生み出されたものであるから。それは、(ある時点から)明るみに出されたものだからである。...ヘルメス文書の「一者」の源である者

  • ニルヴァーナ、語るべからざるを語る

    ◎ジェイド・タブレット-12-3◎ニルヴァーナ-3◎ニルヴァーナとその実感-3◎石、岩、遠景、黄金、愚者神仏には、有の相と無の相があるが、ニルヴァーナは、無の相の側。ニルヴァーナは、もとより言葉では表現できない。維摩居士のように黙っているのも一手だが、そんな木で鼻をくくったような応対でよしとされる時代は過去のものになった。ニルヴァーナは、属性で言えば、至福、歓喜、至真、至善、至美、円満具足、欣喜雀躍などが挙げられるが、言葉で表現できないと言われている以上、文字通りであるはずがない。ニルヴァーナとは、GOD、ヤーウェ、ゼウス、中国の天帝・上帝、天御中主神、道、太沖など様々な名で呼ばれている。ニルヴァーナのシンボルとは、真理のシンボルだが、石、岩などが用いられ、山水画では遠景としても登場する。西洋錬金術なら黄...ニルヴァーナ、語るべからざるを語る

  • ニルヴァーナ、人間と神の双全

    ◎ジェイド・タブレット-12-2◎ニルヴァーナ-2◎ニルヴァーナとその実感-2◎リアリティーとは、対立の統合ではないシャンカラ(8世紀頃)は、ブラフマンだけが唯一で不二の実在者であり、世界は無明マーヤが作り出した幻影であって、ブラフマンには何も影響しない付け足しだとした。さらに個我(アートマン)はブラフマンと同一だともしている。これが不二一元論のあらまし。この不二一元論を意識して、ダンテス・ダイジは、ブラフマンも世界(無明)もどちらも現実であるという見方を示している。人間は、聖なるブラフマンと俗なるマーヤ(無明、世界)をどちらも真正の現実として生きているという見方である。それは、次のような断片でわかる。『ニルヴァーナとは、不二一元でさえもない。神とは、ニルヴァーナの中なるマーヤーの流出源にすぎない。』(ア...ニルヴァーナ、人間と神の双全

  • ニルヴァーナ、なにもかもなし

    ◎ジェイド・タブレット-12-1◎ニルヴァーナ-1◎ニルヴァーナとその実感-1◎月もなく、太陽もなく、カイバリヤアートマンがブラフマンに突入すると、まずブラフマンにおいて、すべてのすべてが私であることに気づく。これは、存在全体、有を知ること。次に有から無すなわちシュンニャ(空)に移る。これをモクシャと呼んでいるようだ。これでようやく、有と無、すなわち存在と非存在を両方クリアし完璧となる。これでようやく、七つの次元が揃う。※空という日本語は、第六身体を指す場合と第七身体を指す場合がある。人間が悟りを持ってこの世を生きることについて考えていたところ、「なにもかもなし」という言葉がそこはかとなくひっかかっていた。一体、「なにもかもなし」とは、第六身体なのか、第七身体なのか。そのせいか、ゆくりなくダンテス・ダイジ...ニルヴァーナ、なにもかもなし

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