女子アナの衣装代は、テレビ局や番組によって異なるが、一般的には自己負担が多いと言われている。しかし、自前の服だけではなく、スタイリストさんに借りたり、メーカーから提供されたりすることもある。また、番組の内容やイメージに合わせて、色やデザイン...
ブログを4回かえました。最初はURLに家族が反対をし、2回目は変えたURLに私が不満を持ち、3、4回目はプラグインをいじっていたら、ワードプレスが壊れました。再度作り直しました。今度は頑張るぞ。
女子アナの衣装代は、テレビ局や番組によって異なるが、一般的には自己負担が多いと言われている。しかし、自前の服だけではなく、スタイリストさんに借りたり、メーカーから提供されたりすることもある。また、番組の内容やイメージに合わせて、色やデザイン...
加熱しても生クリームとは、加熱しても分離しない特殊な生クリームのことである。通常の生クリームは、加熱すると水分と油分に分離してしまうが、加熱しても生クリームは安定した乳化状態を保つ。これは、加熱しても生クリームに含まれる乳化剤や増粘剤などの...
日本という国の名前は、どうして「ニホン」とも「ニッポン」とも読めるのであろうか?ご存じの方も多いと思うが、このことにつぃて書いてみる。この疑問に答えるためには、日本語の歴史と漢字の音読みについて調べてみた。ここでは、その両方を解説していく。
私が体調不良で苦しんでいた時、入院をした。その時の初めは記憶が殆どなく、断片的に、家族、医者の話や看護師の動きをお思い出せるだけだ。食欲がなく、殆ど食べずアルコールだけは浴びるほど飲んでいたので、体がおかしくなるは当然のことであろう。精神的
歴史は繰り返すではないが、今また政治と金が問題になっている。政治家に求められるのは、政治家としての資質より、地盤、鞄、看板などで、それを継承した世襲議員が横行している。中でも金が一番問題であろう。 私は歴史が好きで、政治と金と言えば田中義一
私はうつ病であるそうだ。もう20年近く昔になるが、ある出来事でおかしくなった。この出来事だけは、今までの記事に中で書いてきたが、誰にも話し、相談が出来ない。前の記事と重なる部分もがあるが書いてみる。 それは突然私に襲いかかってきた。どうすれ
別の記事「家族旅行に私一人留守番」で私の生活は書いたがもう少し詳しく家族のいる時の一日(平日)を書く。私の朝は早い。平均して3時には目を覚ます。youtubeのニュース番組を見ていると5時頃お母さんが起きてくる。昨夜洗濯した洗濯物をたたみ出
先日私を除いた家族が2泊3日の旅行にでた。私は留守番である。旅行中の食事はお母さんが用意をしてくれて冷蔵庫の中に入れていった。その量は3日分を越えるものであった。出発前は慌ただしく準備をし、そして出かけていった。出かけた直後は取り残されたと
今65歳以上の6人から7人に一人はうつ病だそうだ。私は昔からうつ病なので、うつ病とは長い付き合いである。症状が重い時は、晴天の日に雨が降っている状態で、そんな日は苦しいが、長い体験でその症状にも慣れてしまった。酷いときは処方された睡眠薬で寝
能登地震から半年が過ぎて復興半ばであるが奥能登は今も変わりがないのではないか。そしてまだ避難所で段ボールの仕切りで暮らす人達がまだいる。これは何とかならないものか。国、県は何をしているのだろう。その能登地方をまた災害が襲った。今回の水害で仮
年をとり畑仕事も年々疲れたかたが増した。当然のこととは言え、寂しさを感じる。今は殆どお母さんがやってくれているが、痛めた膝を庇いながらの草取りも辛い。そして夏の私の仕事は水くれが私の仕事の主となる。庭からじょうろで水くれを始める。一つ一つの
我が家の庭には大きな松が10本ほどある。剪定にはお金がかかり、同居の子供が家を継いだら、庭の維持費は随分負担になるだろう。子供の負担を考えて、お母さんから松のことを言われた。松を切ったらというのである。庭の松の一本ずつに思い出があり、処分す
数年前健康診断で脂質異常症を指摘され通院するようになった。2階から転げ落ち、頭を強く打ったが、膝の骨折だけ済んだ。その後別の病気で入院していた時、看護師さんから栄養失調が深刻だったと言われ退院してから、よく食べ栄養ドリンクをよく飲んだ。膝の
子供の頃犬を2頭飼っていた。犬は2頭とも捨て犬である。家の隣が神社で、そこの木に紐でくくりつけられていた。犬の鳴き声で母が気づき、飼い主が迎えに来るのではと、しばらく様子を見ていた。しかし来なかった。犬は捨てられたものと判断をし、家に連れ帰
今、私は情報をYou Tubeのデモクラシータイムス、一月万札、津田大介、Arc Times、郷原信郎、金子吉友などから得ている。テレビはニュースを見る程度で殆ど見ない。バカみたいなバラエティー番組の垂れ流しは酷い。新聞も取っているがさーと
今まで以上に政治への不信が高まっている。この秋総選挙もありそうだ。今日本は、小選挙区比例代表並立制で、投票率は異常に低く、自民党は低い得票で、多くの議員を要する事態となっている。政治の不祥事、問題は上げればきりがないが、企業献金を禁止する為
八月の日本は追悼と慰霊の日々である。高校野球でも8月15日の正午には、サイレンの音と共に黙祷が行われる。果たして今の高校生に、この黙祷の意味を理解しているであろうか。野球漬けの彼らに日本史、それも近代史を学ぶ機会はないと言ってよいのではない
福井県高浜町の元市長今井利一への「原発警備犬」を利用した暗殺未遂が、斉藤真の「関西電力反原発町長暗殺指令」で明らかになった。関電若狭支社幹部Kの依頼で原発の警備会社を始めた加藤義孝と犬のブリーダーの矢竹雄兒が警備犬を使って今井を暗殺しようと
母は日赤の看護学校で学び、仙台から戦地に向かった。色々戦争の話を聞いたが今思うと記録をしておけば良かったと悔やまれる。思いつくまま書いてみたいと思う。 母は夏になって、私がポロシャツをズボンの中に入れないで、出して着ていると何度も私を叱っ
父は無宗教というか,宗教を嫌い,昔から合った大きな仏壇を私が小さい頃処分したらしい。母は信心深く、父を何とか説得してランドセル位の大きさの仏壇を購入して毎日参っていた。父はお盆に菩提寺の僧侶が来られるのを嫌がって、まだでたばかりの録音機に経
今年は暖冬で,畑仕事も早く始められた。年を一つとる毎に、一つ一つの仕事が辛くなる。いつものように畑を耕す事から始める。子供が休みの時だったが、丁度外に出ていて、私とお母さんで始める。昔買った耕耘機がなかなかかからず、鍬で私が耕し始めたがすぐ
コロナ融資の倒産とは、新型コロナウイルスの感染拡大により経営が悪化した中小企業が、政府や金融機関から受けた実質無利子・無担保の融資(ゼロゼロ融資)を返済できずに法的整理(倒産)に至った事例のことである。コロナ融資は2020年3月から2022
人間ドックとは、病気の早期発見や予防のために受ける検査のことである。しかし、本当に人間ドックは健康に役立つのであろうか?実は、人間ドックには多くの問題点があり、信じすぎると逆効果になることもある。人間ドックには以下のような問題点がある。 ・
原発とメデイアの関係は、日本の社会にとって重要なテーマである。原発は、エネルギー安全保障や地球温暖化対策のために必要な技術として推進されてきたが、一方で、放射能汚染や事故のリスクを伴う危険なものとして批判されてきた。メデイアは、原発に関する
原発の利権とは、原子力発電を推進することで得られる経済的・政治的な利益のことである。原発の利権には、電力会社や原子炉メーカー(東芝、日立など)、建設会社、研究機関、政治家など、さまざまな関係者が絡んでいる。原発の利権は、日本では「原子力村」
2008年7月1日、岩手県川井村に流れる川のほとりで、県内に住む17歳の少女、佐藤梢さんの遺体が発見された。司法解剖の結果、死因は頭部の外傷または頸部の圧迫によると見られ、首を絞められたあと、川にかかる橋の上から落とされた際に頭を強打した可
元刑務官坂本敏夫が東京拘置所で永山則夫と初めて出遭ったのは、1978年。まだ永山の刑が確定する前、被告人であった頃である。 当時坂本は都合6年勤めた大阪刑務所から、東京霞ヶ関法務省の官房会計課に異動しており、予算要求の資料作りのために、東
日本では、死刑制度が存続しているが、その実態はほとんど知られていない。現在、約100人の死刑囚が獄中で死刑執行を待っている。彼らはどのようにして死刑という刑罰にたどり着いたのであろうか。死刑制度には賛成派も反対派もいるが、死刑囚の実態はあま
意識を考え始めて、範囲はどんどん広がり、今回は自由意志を考える。前野隆司の受動意識仮説と比較して貰いたい。それぞれはどう違うのであろうか。 自由意志とは何か?この問いに対する答えは、哲学や宗教、科学などの分野で様々に議論されてきた。自由意
意識を考えて暫くして、前野隆司の記述に興味を持った。前野隆司は「受動意識仮説」というものを語っているがこれが面白い。受動意識仮説とは、人間の意識や自由意志は、自ら能動的に行動や思考を決めているのではなく、脳の無意識の処理を受け身に見ているだ
不眠症から「意識」とは何かと考えだした。本を読む時は老眼鏡が必要だが、インターネットで見ると楽だ。むかし読んだ本から、インターネット等で得たものを調べて始めた。インターネットは本当に便利な道具だと実感した。年をとり本の小さな字を追うのには疲
不眠症を考えているうちに、意識を考え始めた。意識とは何だろうか。意識を調べ始めた。 意識は、一般に、「起きている状態にあること(覚醒)」または「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」を指す。 日本語では、「ある物事に
私は鬱病であるが、特に調子を崩すと夜寝られず辛くなるときがある。24:00を過ぎ、1:00,そして2:00を過ぎると焦る。3:00、4:00を過ぎると落胆する。鬱病と言われ眠剤を処方されて、一時眠剤が強すぎて翌日朦朧として一日無為に過ごし、
ジョセフ・クラーク・グルーは、アメリカ合衆国の外交官。日米開戦時の駐日アメリカ合衆国特命全権大使。 日米開戦回避に努めた。開戦(1941年12月)後日本国内に抑留され、日本の外交官との交換船により帰国(1942年6月)。帰国後は国務次官とな
寺内寿一陸軍大臣に対する質問演説。「革新」の実体の曖昧さを突き、広田内閣の国政改革の大要の質問を行った後、軍部革正(粛軍)を軍部に強く要請すると同時に議会軽視の傾きのあった軍部への批判演説である。 苟も立憲政治家たる者は、国民を背景として正
斎藤 隆夫は、日本の弁護士、政治家であり、帝国議会衆議院において、立憲主義・議会政治・自由主義を擁護し、弁舌により軍部の政治介入に抵抗した。粛軍演説、反軍演説が有名である。粛軍演説は別記事で全文載せる。 粛軍演説: 立憲政治の立場から軍の暴
太平洋戦争によって約350万人の兵士、軍属、民間人が戦死した。戦後になっての戦病死を含めると500万人を超えるだろうといわれている。この500万人が不在のなか戦後が過ぎ去っていった。彼らが生きていたならばどんな戦後の歴史になっていたことか。
樺美智子は1937年(昭和12年)に東京都北多摩郡武蔵野町の(現・武蔵野市)学者の家系に生まれた。2人の兄がいる。中学から父の神戸大学赴任にともない兵庫県芦屋市に移る。 芦屋市立山手中学校、兵庫県立神戸高等学校を卒業後、一浪して東京の研数学
1945年2月下旬、木更津の航空基地で連合艦隊司令部主催の作戦会議が開かれた。間もなく沖縄にアメリカの総攻撃が予想され、海軍もこれを迎え撃たなければなない。前年度10月から始まった特攻作戦が主軸になることは予想され、事実主席参謀は「次期沖縄
小泉純一郎の議会答弁を聞いていて、紋切り型の話し言葉に嫌な感じを抱いた。「構造改革」の言で「構造改革なくして景気回復なし」をスローガンに、道路関係四公団・石油公団・住宅金融公庫・交通営団など特殊法人の民営化など小さな政府を目指す改革(「官か
熊本県生まれ。旧制熊本県立熊本中学校から熊本高等工業学校を経て、東北帝国大学工学部電気工学科を卒業する。この期間柔道に熱中する武道少年であった。逓信省に技官として入省し、無装荷ケーブルなどを発明して通信技術の進歩に貢献した。この時内村鑑三の
野中広務は被差別部落出身で、野中が生まれた頃は、部落差別が日常の生活の中に深くしみついていた。野中の著書を簡単に書き麻生太郎に触れたいと思う。 校長が「今日は穢多の清掃か」と言葉を投げかけたり、社会的には知識階級と見なされた医師ですら「コ
日本国憲法は103条もあって外国に比べ長い。ある本で読んだのだが(随分昔の本)36条「公務員による拷問および残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」とあるのは戦前の特高警察を意識したものであり、85条「国費を支出しまたは国が債務を負担するには国会
ヤミ金融とは、違法な高利貸しのことである。「トイチ(十日で一割)」、「トサン(十日で三割)」という恐ろしい高金利で商売をしている金融業者である。それがヤミ金融である。ヤミ金融は、消費者金融法や出資法などの法律に基づいて登録や許可を受けていな
竹中労は、日本のルポライター、アナーキスト、評論家であった。。東京都出身。甲府中学(現:山梨県立甲府第一高等学校)中退。「夢野京太郎」「ケンカ竹中」「反骨のルポライター」などの異名を持ち、芸能界や政界に斬り込む数々の問題作を世に送り出した。
菅原文太は、日本の俳優である。「下積み」の時代が長かったが『まむしの兄弟』シリーズ、『仁義なき戦い』シリーズ、『トラック野郎』シリーズなどで人気を博した。その後岐阜県で有機農業に取り組み、食の安全や命の大切さを人々に訴えた。晩年は山梨県北杜
浜口雄幸は、日本の政治家で、大蔵大臣や内務大臣を経て、1929年から1931年まで内閣総理大臣を務めた。その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれ、国際協調と緊縮財政を掲げた政治家であった。浜口雄幸が政治家として活躍した時代は、1927年(昭和2
裁判員制度の導入に向けて、死刑と無期懲役との境界はかねてから法律家の間でも議論のあるところであったが、裁判員制度が導入され、これから国民一般が関心を持たないといけない状況になった。井上薫が1984年から1995年までに、最高裁で死刑が確定し
東電OL殺人事件とは1997年(平成9年)3月9日未明に、東京電力の社員だった女性が、東京都渋谷区円山町にあるアパートで殺害された未解決事件である。ネパール人被疑者が犯人として逮捕・有罪判決を受け、横浜刑務所に収監されたが、のちに冤罪と認定
宇都宮徳馬とは、日本の政治家であり実業家であった人物である。彼は1906年に東京で生まれ、父は陸軍大将の宇都宮太郎だった。京都帝国大学で河上肇に師事したが、不敬罪で退学した。その後、日本共産党に入党したが、治安維持法違反で逮捕された。釈放後
日本興業銀行頭取。「ミスター興銀」と評され、財界の鞍馬天狗の異名をとった。 戦後日本興業銀行の存亡をかけたGHQとの交渉で中山素平が粘り強く活躍し存続が決まる。その後日本の高度経済成長期にあって、戦後日本の復興を担った、大型経済案件には必ず
水俣病とは、日本の熊本県と新潟県で発生した公害病の一つである。原因は、化学工場から海や河川に排出されたメチル水銀化合物によるもので、これを含んだ魚介類を食べた人々が神経障害を起こした。水俣病は、高度経済成長期の日本における四大公害病の一つと
1980年代金の地金を用いた詐欺事件が起きた。バブルがはじけ、ドルショックなどから、純金に対する関心が高まっていた社会背景を悪用し、人情に訴える営業方法で、高齢者や母子家庭、身体障害者などをターゲットにありもしない純金の販売を始める。純金を
東芝が上場廃止したことから石坂泰三について考えて、書いてみる。城山三郎の作品『もう、きみには頼まない』を参考にさせて貰う。石坂泰三は、どんな難題にも果敢に挑戦し、権力者にも屈しない気骨の人物であったが、しかし、彼の信条は「無事是貴人」であり
一時藤沢周平をよく読み映画も殆ど見た。江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説の作品を多く残した。とくに、架空の藩「海坂藩(うなさかはん)」を舞台にした作品群が有名である。子供の頃から歴史の戦国時代ものが好きで、上杉謙信、武田
佐高誠の「原発文化人50人斬り」と私の経験からそのまま書かせて貰う。佐高誠は木川田一隆が原発を容認したのに評価しているのはおかしいとの指摘もされたが、木川田の一点の曇で、木川田の全体の見方は佐高誠と同感である。原発問題のA級戦犯は正力松太郎
財界の良心と呼ばれ、率先して企業の社会的責任を唱えた木川田一隆について考える。 木川田は福島県出身で東京電力に入り「電力の鬼」松永安左エ門に師事し、その後の財界で活躍をした。経済同友会代表幹事に就任すると、業界の協調的競争を訴え「産業問題研
若い頃からスキー、ゴルフは嫌いだった。スポーツに、誘われることは多かったがスキー、ゴルフはやらなかった。このスキー、ゴルフは山林という大事な自然を壊し、競技場を作らなければ、やれないものと思ったからだ。ただ中学校の体育行事で、スキー場ではな
父は村で一番早く車を購入した。決して裕福でないのに、新らしもの好きで、購入した車はスバル360であった。写真にも凝っていて、現像室を家に作るなど、それは度を超していたと思う。家計を預かる母の苦労は大変なものがあったと思う。写真機も高価なもの
労基法の第36条は、労働時間の延長に関するルールを定めている。労働時間とは、労働者が雇用主の指示に従って働く時間のことを指す。まず、第36条では労働時間の原則を規定している。労働時間は1日8時間、1週間40時間を上限とし、これを超える労働時
2008年に起きた秋葉原無差別殺傷事件について考えてみたいと思う。この事件は、7人が死亡し10人が重軽傷を負った凶悪な犯罪で、加藤智大死刑囚が犯人である。この事件は白昼に起き、19歳から74歳までの被害者がいた。凶器には両刃のダガーナイフが
ここ数年で庭の大きな樹木が2本蟻にやられた。日々水くれをしていたが、樹木に群がる蟻に気づくことはなかった。本当に迂闊であった。あんな小さな蟻が太い樹木を倒すのだから驚きだ。裏の畑では,カラス、タヌキ対策には余念がなかったのに,蟻は見逃した。
推理小説には昔から、「密室殺人」を扱ったものが多い。そのヒントになったのが19世紀初めのフランスはパリで起こった事件である。被害者はモンマルトルに住む少女で、ある朝いつまでたっても起きてこないことに不審に思った管理人が、警官と共にドアを蹴破
十数年前に、家のテレビの映りが悪く,代えることにした。何にするか迷っていたら,量販店で店員から、SHARP亀山モデルのテレビを進められた。思い切って50万のものを購入した。従来あったテレビの倍以上の大きさと、画面の鮮明さに代えて良かったと想
破戒はご存知のとおり、島崎藤村が1906年に出した小説である。この話の主人公、瀬川丑松は長野県飯山市の飯山小学校の先生で、被差別部落出身の身の上を隠して教職についていたが、結局は父親の「決して言ってはいけない」という「戒め」を破って自分の出
貧困層とはどういう人たちを指すのであろうか?日本では、相対的貧困率という指標で貧困層を測っている。相対的貧困率とは、等価可処分所得の中央値の半分未満の世帯の割合である。等価可処分所得とは、世帯の収入から税金や社会保障費などを引いた金額を、世
不況になると路上生活者が増える。学生の頃、上野駅に眼を避けたくなるような姿の戦災孤児が路上にいた。可哀想にと思うと同時に、国はこの孤児達に何もしないのかと思った。戦争を始めたのは国であり、その戦争で家族・家庭を失い、その日を生きるのに精一杯
昔下宿していた時お世話になったお婆ちゃんが、布団に寝ながら、競馬を見て馬の走るのを、綺麗と言っていた。当時の古いテレビで画像は粗く何かが走っているようにしか見えなかったが、お婆ちゃんには馬が綺麗に走っているように見えたのだろう。毎週土曜日、
2007年3月22日城山三郎こと杉浦英一が亡くなった。1927生まれの城山は多感な時期が戦争中と重なる。2007(平成19)年5月21日に開かれた「お別れの会」で佐高誠は辻井喬こと堤清二や渡辺淳一と共に弔辞を読んだが、この会には中曽根康弘や
昨年イギリスの公共放送BBCがドキュメンタリー番組で,ジャニーズ事務所創始者のジャニー喜多川の性犯罪を報道した。あまりに内容がリアルなことからか、いやジャニーズ事務所に気をつかったのであろう、NHK、民放各社は沈黙していた。日本でも過去に、
障害者自身の思いとは、どのようなものであろうか。少し前に障害者施設で嫌な事件があった。犯人は自分の一方的な思いで、犯行を行った。障害者を思いやることはなかった。なかなか口に出来る事ではないが、あえてタブーのようにしないで、障害者の思いを、障
高度障害者とは、身体や知的、精神の障害が重度であり、日常生活において特別な介護を必要とする方のことである。特別障害者手当を受給している人の数は、厚生労働省等を調べたが、やり方が悪いのか把握できなかったが、私の周りの様子から察するに、かなりお
「障害のある当事者からのメッセージ(知ってほしいこと)」の集計結果
内閣府が行った「障害について知って欲しいこと」等に関する意見募集で寄せられた様々な意見を下記にまとめた。障害のある方の多くが知ってほしいと希望される内容を明らかにし、今後の国民への意識啓発の取組に活用する事を目的とすると述べている。応募総数
内閣府が行った「障害について知って欲しいこと」等に関する意見募集で寄せられた様々な意見を下記にまとめた。障害のある方の多くが知ってほしいと希望される内容を明らかにし、今後の国民への意識啓発の取組に活用する事を目的とすると述べている。応募総数
今は故人となった、安倍晋三の迷言と暴挙は数知れないが,長くなるが上げてみたい。 ・集団的安全保障をめぐって民主党岡田克也代表が「きょう、総理が述べたこと一つも納得できませんよ。間違っていますよ。」と疑問を呈したことに対し「我々の提出法案につ
私は10年以上前に鬱病(鬱状態)と診断された。原因は明らかで、私にとってあの「あれ」の事件のせいである。本当にあの「あれ」の事件には悩まされ,今でも苦しんでいる。日々雨が降っているような感じが続くのである。晴れている日も、目の前は雨が降って
学生時代同じアパートに、九州出身のTくんとMくんがいた。Tくんは目先が利いて要領よく立ち回るタイプなのに対し、Mくんは鈍くさく、融通の利かないタイプだが一端気に入ると半端でなかった。3人でよく飲んだ。語り合うというよりよく飲んだ。私自身酒は
むかし星由里子が出演していた「千曲川絶唱」という映画を見て、原爆被害者への差別を初めて知った。ストーリーもはっきり覚えていず,間違った部分もあるかもしれないが勘弁して貰いたい。主演の男優は忘れたが,広島出身で被爆をしたが、元気に生活を送って
私には2人の子供がいる。その二人の子供には色々イタヅラをされた。一人には大事な映画黒澤明の「生きる」を録画したビデオを消され、消沈した。もう一人の子供には高価だった(当時60万位したのではないか)PCを壊された。子供は磁石を持って、PCをや
あるとき知人から高校生の子供が悪さをして困ると相談を受けた。私が時間を割いて、知人宅を訪ねたら,丁度タイミングが良かったと言っていいのか、悪さが度を超して学校から停学処分を受けていた時だった。私からは素直で明るい子に見えたが、遊び仲間の中に
私の周りに、障害を持った子供のいる方々が思いの外多い。それぞれ程度に差はあるが、みんな子供の将来を深刻に考え、思い悩んでいる。親が生きている間は、まだ面倒を見てやれるが、両親が亡くなったら、誰が真剣に面倒を見てくれるのかと思い悩むのである。
退職を機に、家の改築を思い立った。いくつかの業者を回り、大手リフオーム業者に決めた。細かい間取りなどはお母さんに頼み、業者の対応は私がやった。勤めているとき,増築をしたので、その経験から業者との交渉は支障なく進んだ。今回の違いは退職していて
中村哲は日本の医師で、アフガニスタンで30年以上にわたって医療活動や用水路建設に取り組み、現地の人々からカカ・ムラト(ナカムラのおじさん)と呼ばれて愛されていた。しかし、2019年12月4日、彼は武装勢力に銃撃されて命を落とした。彼はなぜア
緒方貞子は犬養毅の玄孫で国際政治学者として日本人初の国連難民高等弁務官、アフガニスタン支援政府特別代表を歴任し、国際協力機構 (JICA) 理事長をつとめた。夫の緒方四十郎は緒方竹虎の子供である。母方の曽祖父は犬養毅である。 緒方貞子の功績
2.26事件は日本の大きな転換点だった。半藤一利の本を参考に書く。まず「皇道派」と「統制派」について考える。根本的違いは「皇道派」が、「皇軍や皇道という考え方を中心にした国家の改造や転覆を狙っていた」のに対して、「統制派」は「あくまで陸軍大
吉村昭は、記録文学や歴史文学の第一人者として活躍した作家で、多くの文学賞を受賞した。彼の作品は、現場や証言、史料などを徹底的に取材し、人間の本質や感情をリアルに描き出す。吉村の作品にたいする綿密な調査,小さな疑問にも詳細に納得がいくまで調べ
2007年3月22日城山三郎こと杉浦英一が亡くなった。1927生まれの城山は多感な時期が戦争中と重なる。2007(平成19)年5月21日に開かれた「お別れの会」で佐高誠は辻井喬こと堤清二や渡辺淳一と共に弔辞を読んだが、この会には中曽根康弘や
官僚山内豊徳という名前を聞いたことがありますか? 彼は日本の厚生官僚で、元環境庁企画調整局長であった。1990年12月5日、水俣病裁判の国側の責任者として、被害者側との和解を拒否し続ける立場をとっていた彼は、自宅で自殺した。53歳であった。
災害が起きると72時間の言葉が叫ばれる。これは人間が3日間水を飲まないと生きていられないからと言われている。私も調子を崩して倒れた時、食べられず,寝られず,飲めず横になっていたが、意識は朦朧として、3日目これは駄目かなと思った。何とか這って
ある正月にあったNHKのドキュメンタリー番組はたしか犬養道子であった。(昔のことで緒方貞子だったかもしれない。でも二人とも難民問題に深く関わった,また犬養毅につながる人物でもある。) 番組は「難民問題」に関するもので、この問題に深く関わった
石原慎太郎の新井将敬への選挙での嫌がらせに、野村秋介が石原慎太郎に抗議したと知り、その後朝日新聞で自分の頭を拳銃で撃ち抜いて自殺したと聞いてから、野村秋介への興味がわいた。 野村は、神奈川の高校を中退後、愚連隊に入り、その後稲川組幹部出口
私は、音楽を全く分からない。楽譜、音符などみんな、ちんぷんかんぷんである。そんな私がNHKのドキュメンタリーで坂本龍一の音楽講座のような物を見た。音楽の話はよく分からなかったが、音楽に興味を抱かせるような中身であった。YMOなど知らなかった
豊田章一郎氏(2023年2月14日没 享年97歳) 【佐高信「追悼譜」】を載せる。 いま、私の評伝選を出してくれている旬報社から、およそ20年前に『本田靖春集』全5巻が出た。私よりひとまわり上の本田は、私が敬愛するジャーナリストである。この
(磯崎補佐官関連) 「放送法」の流出した文書を載せる。本当に長い文書だが我慢して読んで欲しい。 平成 26 年11 月 26 日(水) 磯崎総理補佐官付から放送政策課に電話で連絡。内容は以下の通り。 ・ 放送法に規定する「政治的公平」につい
安倍晋三政権のとき、政府に批判的な報道機関に圧力をかけた事が,改めて報じられていた。日曜日のサンデーモーニング、その番組に出ていた岸井成格を阿倍は嫌っていたようだ。テレビに出ているコメンテーターに金がばらまかれたようだが,岸井だけは受け取ら
昔我が家では,商売をやっている家の子を預かっていた。Sちゃんと呼ぶ。私が中学校の頃で、父と母は我が子のように可愛がっていた。当時珍しかった車に乗せて行楽地に遊びに連れて行ったりしていたようだ。やがてSちゃんも大きくなり預かるのをやめたが父、
1948年(昭和23年)1月26日、帝国銀行(現三井住友銀行)の支店に「東京都防疫班」という腕章をつけた人間が現れ、近所で赤痢が発生したと言い、予防薬を飲むように銀行職員に言い、手本を示しながら劇薬を飲ませた。行員は間もなくばたばたと倒れ1
映画「誰も守ってくれない」のストーリーは、姉妹2人が殺害されるという事件が起こる。その容疑者としてある少年が浮上する。その時勝浦刑事(佐藤浩市)がある事件の影響から、別居した奥さんと、やり直そうと計画していた旅行のための休暇を取り下げられ、
1979年(昭和54年)以降、4件の女児誘拐殺人事件と関連が疑われる1件の女児連れ去り事件(失踪事件)が栃木県と群馬県の県境半径20km以内で発生した。そのうちのの1件が、冤罪が確定した足利事件である。足利事件は、1990年(平成2年)5月
1961年(昭和36年)3月28日の夜に三重県名張市葛尾地区の公民館で集落の懇親会があった。その会で振る舞われた葡萄酒に農薬ニッカリンが混入されていて、葡萄酒を飲んだ多くの女性が倒れ5人が亡くなった。第二の帝銀事件と注目を浴びて、被疑者とし
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女子アナの衣装代は、テレビ局や番組によって異なるが、一般的には自己負担が多いと言われている。しかし、自前の服だけではなく、スタイリストさんに借りたり、メーカーから提供されたりすることもある。また、番組の内容やイメージに合わせて、色やデザイン...
加熱しても生クリームとは、加熱しても分離しない特殊な生クリームのことである。通常の生クリームは、加熱すると水分と油分に分離してしまうが、加熱しても生クリームは安定した乳化状態を保つ。これは、加熱しても生クリームに含まれる乳化剤や増粘剤などの...
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私が体調不良で苦しんでいた時、入院をした。その時の初めは記憶が殆どなく、断片的に、家族、医者の話や看護師の動きをお思い出せるだけだ。食欲がなく、殆ど食べずアルコールだけは浴びるほど飲んでいたので、体がおかしくなるは当然のことであろう。精神的
歴史は繰り返すではないが、今また政治と金が問題になっている。政治家に求められるのは、政治家としての資質より、地盤、鞄、看板などで、それを継承した世襲議員が横行している。中でも金が一番問題であろう。 私は歴史が好きで、政治と金と言えば田中義一
私はうつ病であるそうだ。もう20年近く昔になるが、ある出来事でおかしくなった。この出来事だけは、今までの記事に中で書いてきたが、誰にも話し、相談が出来ない。前の記事と重なる部分もがあるが書いてみる。 それは突然私に襲いかかってきた。どうすれ
別の記事「家族旅行に私一人留守番」で私の生活は書いたがもう少し詳しく家族のいる時の一日(平日)を書く。私の朝は早い。平均して3時には目を覚ます。youtubeのニュース番組を見ていると5時頃お母さんが起きてくる。昨夜洗濯した洗濯物をたたみ出
先日私を除いた家族が2泊3日の旅行にでた。私は留守番である。旅行中の食事はお母さんが用意をしてくれて冷蔵庫の中に入れていった。その量は3日分を越えるものであった。出発前は慌ただしく準備をし、そして出かけていった。出かけた直後は取り残されたと
今65歳以上の6人から7人に一人はうつ病だそうだ。私は昔からうつ病なので、うつ病とは長い付き合いである。症状が重い時は、晴天の日に雨が降っている状態で、そんな日は苦しいが、長い体験でその症状にも慣れてしまった。酷いときは処方された睡眠薬で寝
能登地震から半年が過ぎて復興半ばであるが奥能登は今も変わりがないのではないか。そしてまだ避難所で段ボールの仕切りで暮らす人達がまだいる。これは何とかならないものか。国、県は何をしているのだろう。その能登地方をまた災害が襲った。今回の水害で仮
年をとり畑仕事も年々疲れたかたが増した。当然のこととは言え、寂しさを感じる。今は殆どお母さんがやってくれているが、痛めた膝を庇いながらの草取りも辛い。そして夏の私の仕事は水くれが私の仕事の主となる。庭からじょうろで水くれを始める。一つ一つの
我が家の庭には大きな松が10本ほどある。剪定にはお金がかかり、同居の子供が家を継いだら、庭の維持費は随分負担になるだろう。子供の負担を考えて、お母さんから松のことを言われた。松を切ったらというのである。庭の松の一本ずつに思い出があり、処分す
数年前健康診断で脂質異常症を指摘され通院するようになった。2階から転げ落ち、頭を強く打ったが、膝の骨折だけ済んだ。その後別の病気で入院していた時、看護師さんから栄養失調が深刻だったと言われ退院してから、よく食べ栄養ドリンクをよく飲んだ。膝の
子供の頃犬を2頭飼っていた。犬は2頭とも捨て犬である。家の隣が神社で、そこの木に紐でくくりつけられていた。犬の鳴き声で母が気づき、飼い主が迎えに来るのではと、しばらく様子を見ていた。しかし来なかった。犬は捨てられたものと判断をし、家に連れ帰
今、私は情報をYou Tubeのデモクラシータイムス、一月万札、津田大介、Arc Times、郷原信郎、金子吉友などから得ている。テレビはニュースを見る程度で殆ど見ない。バカみたいなバラエティー番組の垂れ流しは酷い。新聞も取っているがさーと
今まで以上に政治への不信が高まっている。この秋総選挙もありそうだ。今日本は、小選挙区比例代表並立制で、投票率は異常に低く、自民党は低い得票で、多くの議員を要する事態となっている。政治の不祥事、問題は上げればきりがないが、企業献金を禁止する為
八月の日本は追悼と慰霊の日々である。高校野球でも8月15日の正午には、サイレンの音と共に黙祷が行われる。果たして今の高校生に、この黙祷の意味を理解しているであろうか。野球漬けの彼らに日本史、それも近代史を学ぶ機会はないと言ってよいのではない
福井県高浜町の元市長今井利一への「原発警備犬」を利用した暗殺未遂が、斉藤真の「関西電力反原発町長暗殺指令」で明らかになった。関電若狭支社幹部Kの依頼で原発の警備会社を始めた加藤義孝と犬のブリーダーの矢竹雄兒が警備犬を使って今井を暗殺しようと
母は日赤の看護学校で学び、仙台から戦地に向かった。色々戦争の話を聞いたが今思うと記録をしておけば良かったと悔やまれる。思いつくまま書いてみたいと思う。 母は夏になって、私がポロシャツをズボンの中に入れないで、出して着ていると何度も私を叱っ
父は無宗教というか,宗教を嫌い,昔から合った大きな仏壇を私が小さい頃処分したらしい。母は信心深く、父を何とか説得してランドセル位の大きさの仏壇を購入して毎日参っていた。父はお盆に菩提寺の僧侶が来られるのを嫌がって、まだでたばかりの録音機に経
靉光(本名石村日郎)は広島出身の将来性を大いに嘱望された画家だったようだ。敗戦後復員すること無く中国で病没した。そのとき側にいたのが父の知り合いで、靉光の飯盒を持ち帰って遺族に手渡した。父の友人からそのときの様子を聞き、さぞ靉光は無念だった
親しくしていた先輩のことを書く。お婆ちゃんと奥さんと子供夫婦で幸せそうに暮らしていたが、退職して子供夫婦に気を遣い裏に、子供のための豪勢な住宅を建てた。またお婆ちゃんのために本宅をバリアフリー化し、新築並みに改装してそれは幸せ一杯な老後が待
今福島はどうなっているのだろうか。最近はニュースにも殆ど取り上げられない。事故直後の復旧計画は最初から無理だと言われていたが、今は個々の作業が間に合わないと言うだけで、後は何も言わない。制御棒の抜き出しは途轍もない難問だろう。テレビでやって
先日ブログに沖縄返還の密約を書いたら、翌日朝日新聞が沖縄の「密約」を載せた。不思議な因縁だと思った。沖縄の1972年返還が決まった69年11月の日米首脳会談で、非核三原則を掲げ「格抜き、本土並み」を目指す佐藤栄作首相とニクソン大統領が返還後
私の家の周りも空き家が増えてきた。私の知り合い達に、子供が親と同居しないで、実家の側にアパートを借りたり、新築の家を建てたり、別居する人が目立つ。新築の家を建てることに至っては、同居も可能なのに親子関係が、原因だろうがもったいないことだ。あ
2007年夕張が財政破綻した。財政再建団体に指定され全国で初めて国の管理下に置かれ、予算編成も国の指導の下で行われるようになった。間もなく北海道新聞の記者が夕張の実態と破綻の原因を本にした。早速購入して読んだ。夕張と言えば、メロン、映画「幸
「朽ちていった命」は何度読んでも涙がでる。もうとても読めないと想いながらも、本を手にする。福島第一原発事故の直前にも読んでいた。また山形の土門拳記念館でチェルノブイリの青白い少女の写真にも見いった。この女の子はどうなったのだろうと思い馳せて
10年程前の国会は気分を悪くしながらよく見ていた。安保法制が焦点だった。連日国会で審議しているとき、安倍晋三が首相でありながら国会を放り出して、大阪のテレビ局に出演したのには腹がたった。そんな国会で山本太郎は目立っていた。以前からおかしくな
今政治資金パーテーの裏金で岸田政権が揺らいでいる。政治家の発言は聞いていられない。政党助成金(政党交付金)の成り立ちを理解していないのではないか。田中眞紀子が久々に登場して真紀子節で次のように言い放った。「11年ぶりに永田町の土を踏みました
詐欺事件が起こると、犯人は悪く言われるが、被害者は善良な人として扱われ、高齢者となると一層それが顕著になる。一般の事件ではそれで良いだろうが、国と国民の間となると簡単に割り切れない問題となる。太平洋戦争で、戦後国民は、国に騙された、マスコミ
初めて飛行機に乗ったのは新婚旅行の時である。私は高所恐怖症で、さらにあの飛行機という物体が宙を浮くのが信じられなかった。だから飛行機は極力さけてきた。新婚旅行は沖縄に行った。沖縄に行くのには飛行機を選ばざるを得なかった。沖縄では石垣島、竹富
家の後ろに、狭いが畑がある。体を壊す前は、朝4時に起きて1回目の朝食、畑仕事をして、家族が起きてきて7時に2回目の朝食、仕事に行き、帰るとまた畑仕事。夕食は食べずかつおを肴に酒を飲み、午後9時には寝ていた。畑仕事は、まず土を掘り返す、「耕す
人間何かしら、人には話せない悩みがあるものだ。離婚、リストラなど周りからその悩みがはっきりわかるものもあるが、周りからは、計り知れない問題を抱えている人も多いことだろう。 50を過ぎた頃、詳しく内容は話せないが、私はやっかいな問題「あれ」
人間何かしら、人には話せない悩みがあるものだ。離婚、リストラなど周りからその悩みがはっきりわかるものもあるが、周りからは、計り知れない問題を抱えている人も多いことだろう。 50を過ぎた頃、詳しく内容は話せないが、私はやっかいな問題「あれ」
大学の入学には2年かかったが、就職は地元に、大学卒業後すんなりと出来た。その職場に、その後親しくなる人がいたが、彼は私が入ってくるのを、後輩が来るものと思い楽しみにしていたという。ところが入ってきた私は大学入学に2年余計にかかっていて、彼の
私が入学した大学の時期は、学生運動末期の内ゲバが盛んな頃だった。学生運動に勧誘する者や、警察の公安も学内をうろうろしていた。公安は、初めは知らなかったが後から友人になった、運動家から聞いた。私は母からの仕送りで大学に来たので、運動には関心は
下宿をしながらの中学校生活から、実家から通える高校に入って気分は非常によかった。自転車で通う学校は心地よかったが、学業には身が入らなかった。中学校の頃から読み始めた、色々な分野の本を読み(乱読)、当時盛んだった学生運動にも影響を受けた。成田
私は、中学校は隣町の国立大学の付属中学校で、親戚の家に下宿して通った。母から離れられない,甘えん坊の私に父が大人になれと、やったのではないかと思う。下宿では、2階のお婆ちゃんの部屋で過ごし、お婆ちゃんの脇で寝ていた。中学校では心細かったが間
母は兄弟・姉妹の大勢いる大きな農家で生まれ育った。私の祖父は,農業をやりながら学問にも精を出していた。大学の教授が訪れ交流を深めていたそうである。母の兄の中にはブラジルに開拓団として行き苦労しながら、大きな農地を手にした人や、戦争でシベリヤ
我が家は、画家の父と元看護婦だった専業主婦の母、姉2人末っ子の私の5人家族であった。長男がいたのだが、早死にし、もし兄が生きていたら私はいなかっただろうと、姉たちには、子供の頃から言われていた。一人の人間の存在なんてものは、このようなもので