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天孫降臨の天児屋命と加耶
1.天孫降臨のカラクニ 以下は古事記の天孫降臨の一節。 「向韓國(からくににむかひ)眞來通(まきとほりて)、笠紗之御前(かささのみさき)而、朝日之直刺(たださす)國、夕日之日照國也」 古田武彦氏の解読では、「真来通り」はまっすぐに通り抜けているという感じ
2024/02/28 19:26
浦島子伝承の時間進行の異なる世界があることを示す大陸の説話
古代において、常識では考えにくい年齢が語られるケースでは、現在の半年の期間を一年でカウントしていた場合があって、天皇の長寿も本当はその半分が実年齢であると考えるのが、二倍年暦である。ただ説明しにくい二倍を超える年数をなんでも倍数で説明するのは、無理があ
2024/02/23 07:47
日本書紀の編纂には新羅側の意向も見受けられる
記紀などの語る渡来人の記事では、百済、高句麗からの渡来が目立ち、新羅についてはあまり目立たないことが指摘されている(田中2013)。また秦氏の記事はあっても、政治の中枢部での活躍はあまり見られない。こういったことから、記紀は、渡来系移住民の「倭」全体の動向
2024/02/19 09:53
天智(中大兄)と鎌足の関係は、金春秋と金庾信の関係がモデルだった。 つくられた乙巳の変⑸
1.二人の出会い以外にも参考にされていた。 新羅武烈王の金春秋(603~669)は654年に王に即位しているが、647年に人質として来日し、百済征討の支援をもとめるもかなわず、翌年には唐に渡って派兵を要請している。後に百済を滅ぼし朝鮮半島統一の基礎を固めた。后の文姫は
2024/02/16 07:42
石川県金沢市チカモリ遺跡の木柱列の謙虚な復元 14.5.16
地中より360点余りの木柱根が360点あまり見つかったチカモリ遺跡。なかには直径最大85cmと、三内丸山遺跡とかわらないものもあった。その公園に木柱列の復元がされているが、そのうちのクリ材を半裁した環状の巨大木柱が高さ2メートルになっている。根元に巨大な木柱根があ
2024/02/12 07:27
漢数字の一のような表現のある石川県御経塚遺跡の縄文土器14.5.16
写真は石川県野々市(ののいち)市ふるさと歴史館の展示品。御経塚遺跡は縄文時代の後期中ごろから弥生時代初頭、今から3,700年から2,500年前の大集落の跡地で、縄文の出土品などが多数展示されている。面白い文様のものがいくつもあるが、その中にひょっとして漢数字の「
2024/02/07 07:10
現代の少子化のイメージで復元された?古代の住居
山田康弘氏の『縄文時代の歴史』(講談社現代新書2019)には次の一節がある。「一つの住居に何人ぐらいの人が生活していたのかという問いに対しては、住居の拡張面積などの検討から、居住者数=(住居跡の床面積)÷3(人が手足を大きく伸ばしたときの広さ)-1 という
2024/02/04 20:04
時代にそぐわない鍵穴を通る男の話
日本書紀・古事記には時代の合わない記事が多数練り込まれており、その中には外来の要素が盛り込まれている場合が少なからず見受けられる。 古事記の崇神天皇の段に、苧環(おだまき)型蛇聟入伝承といわれる奇譚説話がある。夜な夜な活玉依毘売(イクタマヨリヒメ)の所
2024/02/01 09:56
2024年2月 (1件〜100件)
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