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2023/08/09

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  • 存在価値は一定のまま

    わたしたちには、存在価値がある。 存在している、という絶対的な価値。 ただ、わたしたちの多くは、もたらされる歴史や情報、教育によって、その個人の存在価値が上下する、条件を満たした上での評価から決まる、ような気がしてしまっている。 それは、形ある財産や資産を得たり、社会的地位・信用を得たり、(他人よりも)容姿を綺麗にしたり、人に感謝され、人の役に立つことで、ゼロの存在価値に、ポイントとして加点されるような。 または、借金や逮捕歴があったり、社会的地位・信用を失ったり、(他人よりも)容姿が劣っていたり、老いたり、人に迷惑をかけることで、ゼロの存在価値に、さらにポイントとして減点されるような。 存在…

  • 普段から睡眠時間は長くとるほうだ。 そんなわたしでも一六時間くらい眠らなければもたない日が三日間ほど続いた。 起きたても眠くて、運転していても眠くて、とにかく眠いときは、もうそのまま眠るようにした。 彼と会ったあとの数日は、いつも泥のように眠る。 ただ、今回の眠気は異常である気がしてしまうほどだったのだ。十分な睡眠時間であるはずなのに、もう目を開けていられなかった。脳が思考を始めるのを強制的に停止させるように。 体調不良ではないのだけれど、なんだか食欲もなかった。はじめて買ったコンビニのブリトーも、食べたい気持ちにならないまま助手席のドア側の隙間へ落としてしまい、温めが必要なのに温めてもいない…

  • 積荷を下ろす

    わたしはどうも世界の流れに逆らって生きている気がする。 世の中、キャリアを積んだり、友人や仲間を増えていく一方で、わたしは月日を重ねるごとに、これまで抱えていた積荷を下ろしている。 降ろしつづけているのだから、それらは当然増える気配はなく、もしかして、わたしは「わたし」という身一つになろうとしているのではないか、と自分でも勘づき始めてもいる。 この積荷を下ろす作業は、本格的には十年前から始まった。 積もうとすると、重ねようとすると、増やそうとすると、どうしようもない反発がやってくるのだ。 はっきりと分かっているのは、それは恐怖ではない。本能に近いもので、「今は降ろすことに専念するように」の聴こ…

  • 刺激からの卒業

    楽しいって幸せ。 楽しくなきゃ、意味ない。^_−☆ わたしの基準は、多分、全部、楽しいか楽しくないか。 楽しくなくてもし続ける。っていうのができない。 というかそこに美学を感じない。 感じてる人がいても、全然いいけど。 楽しくなくてもする。は、一応できるけど。 長くて一年くらい。 一年以上、し続けるのは無理みたい。 わたしの場合、はじめの一ヶ月くらいならなんでも楽しめる。 そのものを楽しんでるわけではなくて、「初めて」「分からない」というような「新鮮な空気」を楽しんでるだけで、そのものなんて見てるようで見てない。 その新鮮味がなくなってからが、そのものと自分の本当の相性があらわになって、楽しい…

  • わたしは、過去に一度でも風俗といったお店で性的交流があった男性とはお付き合いはしない、セックスもしない、と決めている。 これまで知らなくても、そうであったと知った時点で関係は終わる。 一夫多妻制度が大嫌いだし、ましてや、世間に転がっている「男の本能は、自分の遺伝子を残したい」「そのための種を蒔くこと」といった、訳の分からない浅い理論を持ち出されると、わたしの心のシャッターは閉じ、そのまま会話をしているふりがつづく。 一夫多妻制度は、男性側の経済力に物を言わせているだけで、妻子に不足のない生活さえ与えられるのであればそれでいい、といったもの。 とはいえ、「明日を生きられるか」ほどの緊迫した空気の…

  • 共同体感覚と自己確立

    アドラーの共同体感覚について 「真の共同体感覚とは、自己を確立した個人が、自由意志で他者に協力する感覚である。」 アドラー 繋がりさえすればいいわけではない。 協力さえ、共感さえ、すればいいわけではない。 むしろ、協力、共感、繋がるために、自己を確立させる前段階があり、その先で真の貢献がある。 「我々が共同体感覚(共同感覚)を持つとき、それはすべての人間に向けられる。しかし、それは盲目的な受容を意味しない。」 アドラー 「全人類を仲間だと感じることはできるが、すべての個人と親密になる必要はない。」 アドラー ……………………………………………………… ある先生と話をしていると、「アドラーのよう…

  • アドラー心理学について思うこと

    アドラー心理学は、例えるなら、精神的に自立した者の蕾を花へ誘導する内容だと感じた。 正直、精神的に不安定、また、依存で構築された人間関係がある者が取り込むと、貢献という形で他者への執着や依存心が増すのではないか、と。 本当に、とてもいい内容だとは思う。 けれど、無条件に誰にでもいい薬とは思わない。人を選ぶ心理学だ。 日本人の多くは、生まれながらにして共同体感覚(アドラーが提唱する)を持ち合わせている人が多い。 共同体感覚と依存心の違いを明確に理解していなければ、アドラーが見ている本当の共同体感覚は得られない。 基礎というより応用。

  • 透明な執着

    彼がいないと生きていけない、なんてわたしが言いだしたら彼はどう思うだろう。 最近、彼と執着の話になった。表面的な性質でいうと、わたしたちは正反対である。 彼は大地だ。木々や花々、動物たちが安心して暮らせるような。根づく豊かさを育てるような。そんな器がある。再現性もある。責任感もある。実際に社会的にも立場がある。 彼が大地なら、わたしは空か海だろう。雲も波も、一瞬でも目をはなしたら、一秒前とは姿形が変わっている。安定などしていない。別にそれが悪いわけじゃない。むしろ、それでこそ空であり海である。瞬間に価値を宿し、うつろう豊かさを体現している。不安定さが安定であり、わたし自身、その状態を仕事にして…

  • MBTI?

    何度やっても、INFP-A なんだけど、 ISFPとかINTPとかのほうが近い気もする。 でも、よく分かんない。 詳しくないから余計分からない。 YouTubeでINFPについて一度検索かけたら、 大量に流れてくるようになっちゃって。 その解説みたいなのを見てると、全然ピンとこない。 本当かいな。 気が弱いとか。 過去を引きずるとか。 弱々しいとか。 ネガティブとか。 気にしいとか。 はっきり言えないとか。 自己犠牲しがちとか。 … わたし。 過去どころか現実も見ないで、未来ばっか見てる。 いや、未来すら見てない。 現実とか社会に焦点あってない。 それなりに怒るし、嫌なものは嫌と言うし、引きず…

  • 依存、嫌い

    組織の中にいると、より自分が見えてくる。 わたしは多分、広い規模なんかの世界とか人類とか、そういう概念としては興味があるけど、個人そのものには本当に興味がない。 よく優しい、と言われるけど、それすら疑わしい。 わたしが優しいのはデフォルトとして備わっているから、警戒が必要な人以外には、皆んなに優しいし、皆んなに笑うし、皆んなを覚えている。(皆んなを忘れる) それは、自分が、平和で穏やかで、なんか楽しい空気が好きだから。 昔からこういう性格なので、「勘違い・誤解されることしなきゃいい」と言われたこともあったけれど、優しくされる、笑顔を向けられる、個人を尊重理解される、くらいで人を好きになる人のほ…

  • 愛するための距離

    わたしたちの根底には、愛がある。愛で繋がっている。 だからこそ、ときに愛せるところまで距離をとることも必要だと実感している。 自分とそれぞれ一人一人とのあいだには、唯一無二のパーソナルスペースがある。 あるがままの自分のまま、精神的・肉体的、パーソナルスペースが近ければ近いほど違和感が生じない間柄こそ、縁が深い。といわれるものなのではないだろうか。 わたしは、他人の一人一人に対し、肉体的・精神的に、距離をとることに罪悪感を抱かないようにしている。 本格的に集団生活が始まりだした学生時代から、心の奥で違和感や不快感が生じたり、相手の存在を肯定できないと感じたら、躊躇なく距離をとってきた。 どんな…

  • 連絡頻度

    頻繁に連絡をとらない。 友だちとも、彼とも、家族とも、誰ともとらない。 仕事であれば、業務連絡でやり取りはするけれど。 連絡をとらないからと言って、縁が切れたとは思っていない。 わたしは、互いに思い合っていて、会いたい意思があるか、そこに意味がある気がしているから。 わたしの場合、なんでも極端である。 昔は、友だちや彼と、四六時中、それはもう時間という時間は常に繋がっていた。 電話は繋ぎっぱなし。一度の通話時間が十数時間を越えるなんて当たり前。 電話を繋ぎながらお風呂に入り、電話を繋ぎながら他人からの電話に出て、電話を繋ぎながら仕事をし、電話を繋ぎながら買い物をし、電話を繋ぎながら食事をしてい…

  • ずっとひとり、ずっとひとつ

    寂しかった。 誰かと一緒にいれば寂しくないと思ってた。 だから、他人を求めた。 家族と一緒にいても、寂しかった。 だから、友だちを求めた。 友だちと一緒にいても、寂しかった。 だから、恋人を求めた。 恋人と一緒にいても、寂しかった。 一人でいても、家族といても、友だちといても、恋人といても、誰といても、何をしていても、寂しかった。 絶望した。 誰といても、一人なんだと思った。 誰といても、変わらないんだと思った。 「いつか寂しさは消える」「ある特定の誰かに出会えば寂しさは消える」と思っていたけれど、可能性の終わりが見えてしまって、絶望した。 ただ、その絶望は一瞬であり、「この世界は、一生わたし…

  • 越えていく

    心から満たされていると、今ある豊かさや幸せを、素直に受け取れるようになる。 今ある豊かさ。今ある幸せ。それらは確かにある。 どんな状況や環境であれ、わたしたちは常に無条件に与えられている。それは事実である。 たとえば、※わたしという存在。意識の有無に関係なく絶え間なく働いている臓器。全ての生命を生かしてくれる空気。すべての生命を育ててくれる太陽の光。静かに休息を与えてくれる月の光。潤いの水。蓄え支えてくれる土。澄んだ風。現代科学。戦争のない平和な国。尊重してくれる人間関係。雨風雪を凌いでくれる屋根のある丈夫な家。わたしという存在を支えてくれている最低限の衣食住。大好きと心から感じられる存在がい…

  • 文明の発展

    文明の発展って、科学の進歩と比例して精神の進歩がなければ成り立たない。 どんなに高度な知識・技術によって便利な世の中になったとしても、それを使用・活用する者の準備が整ってなければ、その者たちの手によって崩壊する。 身近なもので言えば、刃物。 料理や工具、あらゆる場面で重宝され、たしかに便利ではあるものの、使用する者の精神が追いついていなければ、一瞬で凶器へと変わる。 インターネットも人工知能も、核もそう。 わたし個人としては '自由' という概念が大好きだけれど、この世界には '制限'によって守られる者は確かにいると感じてはいて、一概に自由を推し進めようとは思わない。 各コミュニティで、それぞ…

  • へんてこりん

    人間ってよくできてるな、というか、わたしはよくできてるな、と思ったことがあった。 あまりにも悲しみが蓄積されると、自動的に放出する流れになる。 その放出は無意識で、溜めすぎると漏れだすようになる。 怒りや悲しみ、ネガティブな表現をしている人というのは、意識的にしているわけではなく、漏れ出ているのだろうなと理解した。 少なくともわたしはそうだった。人間って、生物って、本当によくできている。 過去の職場で、出勤早々大泣きしたことがある。 わたしの性格って、明るくもないし暗くもない。 あんまり自分のことは話さないし、聞きもしない。 休みの日に会うとか、そういうのもない。 連絡先も交換しないし、SNS…

  • 縦社会でも横社会でもない、点社会

    「縦社会が終わり、横社会が始まっている」という言葉を聞いた。 わたしは縦社会は好きではないし、同様に、横社会も好きではない。 縦社会とは、上下関係のような権威や階位、それらを軸にした社会であり、横社会とは、左右関係のような家族や界隈、血や情けなど、それらを軸にした社会である。そんな認識がわたしの中にある。 縦社会も横社会も必要な人にとっては必要なのだろうし、その人たちが価値を感じ、生きやすさに繋がるような居場所であるのであれば、否定する権利はわたしにはない。否定する権利はないけれど、問いかけ、疑問をもつ権利はある。 すべてではないにしても、一部の宗教団体は縦社会と横社会の両面の要素から成り立っ…

  • 嫉妬心のあれこれ

    「嫉妬されているんだよ」 自分にとって心地いい反応をしてくれない人がいるんだと相談すると、こんな風に返されたことはあるだろうか。 きっとそう伝えてくれる人は、自分に心地いい反応をしてくれない人に対して、自分が自分に、日頃からそう言い聞かせているのかもしれない。 嫉妬自体、悪ではない。 そして、善でもないのも分かる。 ただ、嫉妬ってなんなんだろうなぁ。 そんな風に考えた日があった。 (恋愛によくあるヤキモチじゃなくて、) わたしは、嫉妬という想念は好きじゃない。 嬉しくないし、純粋に全く価値を感じない。 けれども、「嫉妬されてナンボ」「嫉妬されるが勝ち」と捉える人もいる。 嫉妬という想念を力に変…

  • 理解できない *未知なるもの* の取りあつかい

    テーマの終わりを感じる頃に、意味があとからやってくる。はじめは理解などいらない。まず、受け入れる。 理解しようと躍起になったりすることもなく、理解できないからといって否定・拒絶したりすることもなく、理解できなくても、一度わたしの中へ招きいれる。 長い夜、その *未知なるもの* がわたしの前を歩いてくれる。わたしはひたすらに道なき道を歩く。次第に夜は明け、空が *未知なるもの* の正体を、通ってきた道を、照らし教えてくれる。 「わたしは、これを学びたかったんだ」 「そのために、この道を通ってきたんだ」 であり、拒絶や否定で流れを止めてしまうのはとても勿体無い、と常々思う。 理解は成長の証であり、…

  • 幸せのための優先順位

    わたしの中で最も大切にしている感情は、* 楽しい* であると自覚している。 過去、心から楽しいと感じられた経験はゼロではないにしても、本当に少ない。ものごころついた幼少期から大人になる長い過程でも指折り数えられるほど。 「死にたい」の言葉を吐き出すと、病んでいるのか、辛い出来事・問題があったのか、なんて他人は心配するだろうけれど、わたしにとっての「死にたい」は願望ではなく、「死んでもいいかな」という選択のひとつだった。 その理由は明確で、単純に楽ししくないからである。'世間共通の楽しさ' をすべて試したって、なにも楽しくなかった。尖った言いかたに聞こえるので誤解されやすいけれど、'世間共通の楽…

  • 恋は、愛からはじまる

    近年、「恋と愛は別物である」と唱える人が増えた。 それでも、わたしはこう唱えたい。 本来、「恋と愛は共にあるものである」と。 「恋と愛は別物である」 そう唱える人たちの中には、そもそも恋ではない、依存心(過去に感じた空虚・穴)が刺激されているだけで、実際は恋なんてしていなかった、たとえ何歳であろうとまだ恋をしたことがない可能性のほうが高いようにも感じている。 感情が強く揺さぶられる。 独占欲・嫉妬心・支配欲で、頭がおかしくなる。 これらは恋心由来のものではなく、依存心由来のものである。 それなのに、この依存心由来の刺激的感情と恋心を一緒くたにしてしまえば、「恋と愛は遠い存在」と位置付けてしまっ…

  • The block of flats.

    There is a house that I want to live in. It's really wonderful. The ideal house that I dreamed of. (When it comes to a detached house, there's another ideal.) The block of flats I dreamed of! I made up my mind.Yes,I live there.

  • I am free.

    Today, I was like I hate it with Dad. Until now, I had brainwashed myself into thinking, "We're family, I have to love him." but no. It wasn't. I did not love him. From the beginning. Being able to acknowledge this feeling set me free. I am free. I am free. I am free. I was able to Spiritual self-re…

  • 愛したい

    わたしは、愛するということが大好きなんだな。 人生において、愛に響くような、愛が揺さぶられるような、そんな体験を多くしているような気がするのは、ただの気のせいではない。気がする。 わたしは愛したい。 わたしは愛されたい。 わたしは愛を学びたい。 わたしは愛を描きたい。 わたしは愛を創りたい。 わたしは愛を語りたい。 わたしは愛を伝えたい。 わたしは愛を生きたい。 わたしは愛に触れていたい。 わたしは愛の中にいたい。 その手段の一つが絵を描くことであり、その手段の一つが恋愛をすることであり、その手段の一つがわたしがわたしであることである。 目的ではない、生き甲斐ではない、到達地ではない、本当に過…

  • 猫へ

    ようやく英語と向き合う気持ちが整ってきた。 本能的に気持ちがなければ、行動と直結できないわたしは厄介だよ、本当にさ、もう。 わたしはしたくないものはできないし、更にはしようともしない。 ただ最近は、本能がGOと言っている。行く、じゃない、GOなのだ。 それは、外へ出かける前からもう既に出かける準備万端の格好のようなもので。 気持ちが前のめり。あとは行動するだけ。それが本能。 本能の声に従うと、わりかしスムーズなのはそのおかげ、そのせい、なのもあるのだろうなぁ。 一緒に暮らしている猫に話しかける言葉が、日本語から英語に変わった。 心なしか、猫の表情も戸惑っているように見える。 多分、いつになく真…

  • 分からない

    今勤めに行っている場所で、「おもしろいなぁ」と言われてしまった。 いい意味で空気を読めていないところがありますよね、とか、思いがけないところを突っ込んでいきますよね、とか、笑いながら。 そう言ってくれた彼は優しいから、こちらが気にしなくてもいいような伝えかたで言ってくれたのもあって、なにも気にもしていないのだけれど、人にはそう見られているのだなぁ、と思う。そして、毎回思う。 他人とある程度の時間を共有すると、結構な頻度で言われる。言われないことのほうが少ないかもしれない。 今までに会ったことがない人種、タイプ、人間、と表現される。 ただ最近わたしが思うに、決してわたしのような人間が少ないのでは…

  • 変わらないもの

    他人と深く関わる職場に勤める機会ってあんまり多くはないんだけど、多少は関わる、くらいはある。 今回も、多少は関わる、くらいの距離感なんだけど、なんだか今回は、不満を伝えてから即改善された。 わたしはわりとなんでも抗議をしたりする方で、フェアでいたい気持ちもあって、本音本心、思ったこと、言いたいこと、すべて言ってから去る、が多かった。続ける選択肢がない。 プライベートもそう。とにかく、はじめにどんなに熱していても、どれだけ長く熱していても、一度冷めてしまったらもう二度と気持ちが戻らなかった。 これまで、笑えるほど純粋100%の絶対的確率だったから、てっきりわたしとはそういう人間だと思っていた。 …

  • 開きっぱなしの日記帳

    定期的に、他人や社会と関わりたくなる時期があって、その時期が来ると、月に数回、数時間だけ働ける仕事に出たりする。 農業だったり、お寺だったり。 短くて季節のワンシーズン。長くて一年。 前はずっと水商売をしていたのだけれど、好かれるのも面倒だし、駆け引きも面倒だし、営業も面倒だし、わたしが店に貢献したい気持ちも皆無だろうし、で、最近はしていない。 プライベートであっても酒の場で「絵を買うよ」なんて言われることもあったけれど、すごく浅く、すごく表面的に感じてしまうのもあって、全く買ってほしいとは思わない。むしろ買ってほしくない。 逆に男性社会では、よく酒の場こそ仕事の話をする場、という印象はあるけ…

  • 人間関係

    これまでの人間関係の在りかたを変えよう、そう思った。 わたしのこれまでの在りかたを簡潔に表現すると、旅のような人間関係。 次、次、次。土地、環境、心境、が変わるたびに、人間関係も元いたそこへ置いていく。繋がりつづけない。 彼らに心を閉じていたわけではない。むしろ自然体でいる。ただ、誤解を恐れずに言えば、これからもずっと一緒にいたい、と思ったことはなかった。 けれど今、旅ではなく歴史、深く関わっていくような人間関係を築いてみたい願望が生まれている。 旅は必要だった。事実、その旅をやり尽くさなければ生まれもしなかった願望なのだろうから。 わたしが自分自身を偽り、周りの人たちの人間関係に対する価値観…

  • 感情と事実を切り離す

    わたしのなかの感情は、起きている限り絶え間なく働いている。 喜怒哀楽。怒りの感情は元々少なかったのだけれど、二十代半ば頃までは抑制していたから余計少なく、本来なら怒りの感情で昇華されるはずだったネガティブな出来事も、すべて哀しみの感情が賄っていた。 まぁ今ではすっかり怒りを肯定しているため、滞りなく内側が循環されているような、自然特有の心地よさを感じている。 そんな感情過多なわたしが、自分自身の心に刻印しているマイルールがある。 それは、感情と事実を切り離す、ということ。 わたしの場合、目の前に現れた感情は、加工や修正など一切せずに、そのまま感じきるようにしている。 たとえるなら、不意に不機嫌…

  • 気分が優れなくたっていいじゃない Ⅱ

    わたしには訳もなく気分が優れない日がある。 気分が優れなくたっていいじゃない、気分が優れなくたって、いいじゃない - ダンスダンスミューズ この心意気で過ごすと、大抵はいつの間にかその渦のような海域からは抜けている。 今、まさに今、訳もなく気分が優れていない。 そして、そのまま揺れる波のまま、ゆらゆら身を委ねている。 これまでのわたしは「気分が優れていない」ときたら、この気分の悪さはどこからきているのだろう、と心のトラウマや問題を探って解決しようとしてきた。 そう、'消えない問題' がある前提。 けれど、本当は違う。 問題なんて最初からなかった。なにも。 気分が悪いのに理由なんてない。 意味な…

  • 好意を断る

    何年も連絡をとっていなかった友人から、「(わたし)と繋がりたいから紹介してほしい、と言われたんだけど、大丈夫?」といった連絡がきた。 その人は、少しだけ知っている人。 正直、別にどっちでもいい。 どっちでもいいけれど、気も乗らない。 これまでは、どっちでもいいからこそ、いろんなものを受けいれてきたほうだ。 それは、若さゆえの経験の昇華となり楽しかったのだけれど、場面を重ねるごとにマンネリ化してし、'来るもの拒まず精神'から目新しい感情や経験は得られなくなってきていた。 だから、今度は逆に、どっちでもいいからこそ受け入れないでみようと思った。 本当、なんとなく。 興味が湧かなかったから。 仲介者…

  • 死にたい、というよりも

    死にたい、というよりも、 消えてなくなりたい。 そう思う日がある。 虚しさを感じていたくない 乏しさを感じていたくない 寂しさを感じていたくない 満たされなさを感じていたくない そんなの皆んなが抱えている、と言われたとしても、わたしは抱えていたくない。 それらを抱えている自分を支えることが難しい。 それらを抱えている自分を支えながら生きられるほどの器をもった人間ではないし、そうなりたいとも思っていないのだと思う。 今は、そんな汚物を垂れ流しつづけるような弱い自分を、ただ黙って見つめてあげるしかできない。 寂しい 寂しい 寂しい 悲しい 悲しい 悲しい 愛されたい 愛されたい 愛されたい 満たさ…

  • 愛されなくてよかった

    本当は、与えたくなんかない。 本当は、尽くしたくなんかない。 本当は、合わせたくなんかない。 本当は、許したくなんかない。 本当は、解りたくなんかない。 しなきゃいけないと思ってた。 しなきゃ愛されないと思ってた。 しなきゃ生きていけないと思ってた。 しなきゃ離れていかれると思ってた。 しなきゃ価値を感じてもらえないと思ってた。 だから。だから。だから。 だから。だから。だから。 だから。だから。だから。 でも。でも。でも。 もう辞めた。 こんな自分、好きじゃない。 こんな自分、らしくない。 こんな自分、辞めた。 自分が好きじゃない自分なんだもん。 好きな人にこんな自分を好かれたら困るもん。 …

  • 気分が優れなくたって、いいじゃない

    この二日、気分が優れない。 原因は、分かるようで分からないし、分からないようで分かる。 それでも、その原因についてあれこれ考えようにも、まったく気分がのらない。 気分がのるようにしなければいけない、気分が上がるようにしなければいけない、気分が優れるようにしなければいけない、頭のなかが、これらでいっぱいだった。 疲れた。疲れた。あー、疲れた。 気分が優れず心が疲れていた上に、頭も疲れはじめた。 とにもかくにも、わたしは今、気分が優れない。 もう、それでいい、それがいい、とことん、そう在ろう、そう在るべきなのだ、腹をくくった。 どうして、気分よくいなきゃいけないと思ってたんだろう。 別に、誰に強制…

  • 誘いを断るに理由なんていらないでしょう

    送られてくるすべての誘いや連絡に、必ず返信しなければいけない、という思いを捨てた。 数ヶ月前、小料理屋のカウンター席で隣に居合わせた一人の男性と、その場で仲良くなった。 彼は東京在住の既婚者であり、妻とは十年以上別居している、と言っていた。ずいぶん自由な生活を送っている経営者である。そんな印象だった。 その場だけでも仲良くなったのは、彼が美大出身で、そういった分野による討論に近い会話が楽しかったのだ。 わたしが住む街は、彼と居合わせた街の隣の県。東京からだと、新幹線で三時間以上、四時間未満。 「また君と会えたらいいな」彼は帰り際そう呟き、投げキッスと共に去って行った。 連絡先を交換することに抵…

  • 踊るように生きる

    ダンスダンスミューズ。 ふ、と、降りてきた、今のわたしのテーマ。 わたしは画家としてお金をもらい、生活をしている。 毎月たくさんのお金をもらい、上級な暮らしをしているか、と言ったらそうではないけれど、満たされない生活をしているわけでもない。 好きなことをして、囚われずに自由に暮らす、わたしが求めた生活が、今ここにあった。 ただ、画家を生業にし、改めて思った。 わたしは働きたくないのだ、と。 生業から自由になりたいのだ、と。 絵を描くこと、芸術に触れること、創作すること、これらを手放すのではなく、'仕事'という、役割として与えようとする、この男性性を手放したいと思ったのだ。 昨今、「男性性と女性…

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