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2023/04/26

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  • 明日は変わる

    明日は変わる、どんどん変わる、自分で変える、必ず変える、いつもそう思えば、本当に変わるものであります。やらないのを人のせい世間のせい仕事のせいにするのが最悪なパターンであります。ただ、自分を甘やかしているだけの事。同じパターンでは飽きてしまう人生。ただ、走り過ぎると必ずガス欠になるので、それだけはご用心。明日は変わる

  • 迷路

    よくよく考えればこの道自分に向いていないと思えば即引き返した方が良いなぜならこれから起こる失敗を全部嘆いて後悔しなくてはならないからだとはいえ、それが自分に向いているか否かわからないならば、まずは小さな一歩を踏み出してみることが大切です。挑戦を続ける中で、自分の強みや興味を再確認することができるかもしれません。失敗を恐れず、経験を積むことで新たな発見や成長が得られるでしょう。どんな道を選ぶにしても、自分自身を信じて進むことが大切です。あなたの選択が、最終的にはあなたの人生を豊かにするものとなることを願っています迷路

  • アンとホッパーのお話

    夏の暑い日、太陽が空高く輝き、地面は焼けるように熱くなっていました。アリたちはその暑さにも負けず、一生懸命に働いていました。食料を集め、巣を整え、次の季節に備えて忙しく動き回っていました。そんな中、キリギリスは木陰で涼みながら、アリたちの働く姿を見ていました。キリギリスは音楽を奏でるのが得意で、普段は歌を歌ったり、楽器を弾いたりして過ごしていました。しかし、この日はアリたちの姿を見て、何か手助けができないかと考えました。「こんな暑い日に、あんなに一生懸命働いているなんて、すごいなぁ。でも、少しでも涼んでほしいな。」キリギリスはそう思い立ち、近くの森へと足を運びました。森の中には、甘くて美味しいベリーがたくさん実っていました。キリギリスはそのベリーを摘み、アリたちのもとへ持って帰ることにしました。「これで少...アンとホッパーのお話

  • 剥がれていく化粧

    このところ大谷選手以外でいい話はありませんね。一回りも二回りも小さくなっていくこの国を不安視する人も多いかもしれません。世間に余裕を感じないようになったのは、私だけではないかもしれません。何かに押し込まれているのか中身が薄っぺらくなったのか、はたまた、守り人がいなくなったのか。コロナからの立ち上げに失敗して、円安にとどめを刺された経済の停滞が招いた感覚でしょうか。最後の光は隣国の半導体事業でしょうか。ただ人材不足でキャパも足りていないようですが、どうなるのでしょうね。もう、古き良き時代の慣習は無くなり、新しき時代の弱い時代が今国をどう変えていくのか、この国の黄金期をつくった人たちはただただ、頭を抱えて生きているのでしょうね。こんな時はできる事を一つずつこなしていくしかないのでしょう。「臥薪嘗胆」の言葉の意...剥がれていく化粧

  • 共に生きるという事

    若者が結婚しない事を心配するより明日明後日来年のこの世を心配した方がいい。ここ最近の空を見るとそんな風に思えてくる。季節によって違うけれど、今年の夏は野菜を植える土が太陽のくしゃみのせいで土が燃えて野菜は育たなかったらしい。米がないとかで都会には本当に米不足になっていた。来年はもっと酷くなるのかもしれないと、誰もが思うような時代である。若者限定ではなく、全人類指定である。それでも、人の食いぶちを狙って争いを仕掛ける、野蛮な国もあり、それを防ぐために多大な金額を払って自分たちを守る武器が必要である。争えば、廃墟と炎しか残らないのは、映像を観れば誰でもわかる。そこに転がる焦げた野菜畑は生きるために必死に育てた食料である。ただでさえ天変地異が続くこの世の中で、本当に馬鹿な争いはやめろと言いたい。いずれ、地球が目...共に生きるという事

  • 二人芝居

    人生で転びそうな時誰かが腕を握ってくれると捨てずに済む時がある捨てるのは大して大事なものでは無いものだけどまた笑える時間が持てるただ、それだけでいいのが二人芝居どうせ、周りは作り笑い。人の舞台を見に来た観客演技が終われば去っていくもの綺麗ごとで自分を飾り人の関心を引いて明日を生きる独りじゃないから大丈夫と言い訳をして自分をだます人生いつしか鏡の中にいた自分が消えた時心はふっと自由になる振り返ればそこには君が・・本当の舞台はここから始まる二人芝居

  • 絹の山

    綺麗な山ほど危険でありしなやかなふりをして人を誘うだがその厳しさが魅力であり小さな達成感が頭を洗脳する魅了された人達は前回より重い靴を履いてその山に挑むしかし、最初の感動を超えるには靴だけでは足りなくなるいつしか山人となり山の虜となるその山は険しく見えるけれど本身は絹で出来ているその姿で山人の心に纏わりついてこれから白糸の季節となる絹の山

  • 育てた花

    どこかで沢山の花の種を拾って大事に育てた。全部違う形の花の種で、その名前さえ知りもしない。花は咲き、色とりどりだったけれど、大きく鮮やかな花はその花びらの重さに耐えきれず早く散っていった。どの花も自分らしく咲いて、美しさを競い合った。「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」この言葉は、単に花の短命を嘆いているだけでなく、人生の儚さや苦しみ、そしてそれを受け入れる強さを教えている。そう、大事な事は、自分らしく咲く事。全部違う花のように、全部違う人生。その大きさも色も違う。さあ、それぞれが凛としたプライドを持って、最高の舞台を求めて咲いて行け。育てた花

  • 星の夢

    星たちは夜空で輝きながら、遥か彼方の宇宙を見渡しています。彼らの夢は、宇宙の果てまで旅をすることかもしれません。銀河の間を自由に飛び回り、新しい星々や惑星を発見する冒険の夢。また、星たちは地球の人々の願いを聞き、その願いが叶う瞬間を見守ることも夢見ているかもしれません。人々が星に願いをかけるたびに、その願いが叶う瞬間を見届けることが、星たちにとっての喜びであり、夢なのかもしれません。さらに、星たちは自分たちの光がどれだけ多くの人々に希望や癒しを与えているかを知り、その光が永遠に続くことを夢見ているかもしれません。星たちの輝きが、夜空を見上げるすべての人々にとっての希望の象徴であり続けることを願っているのです。月の見る夢星の夢

  • 魅せられて

    ハーベストムーンの光はいつも特別で、夏の残暑を払いのけ、秋の訪れを告げる。普段は漆黒に包まれる丘へと続く小道も、月の光に照らされ、銀色に輝いている。この月の明るさを頼りに、私はライトなしで静かに丘へと足を運ぶ。道端には、露をまとったススキが風に揺れ、まるで月の光を浴びて踊っているようだった。その奥には、古くからこの地に生息するという月影草(げいごうそう)が群生している。銀色の葉っぱが月の光を反射し、まるで星が地上に降り注いだかのようだ。この花には、不思議な言い伝えがある。月影草の花言葉は「永遠の命」。満月の夜にこの花を見ると、願いが叶うと言われているのだ。私は静かに目を閉じ、深呼吸をする。そして、心の底から願いを込めた。魅せられて

  • 無い事の大切さ

    私たちは、常に何かを求め、何かを得ようとしています。新しい服、美味しい食事、承認欲求…。しかし、それらの欲求を満たしても、心の底から満たされることは難しいかもしれません。それは、私たちが「ある」ものにばかり目を向けてしまい、「ない」ものに意識が向いていないからかもしれません。「何もない」と感じる時、それは、私たちが自分自身を見つめ直し、本当の意味での豊かさを求める時なのかもしれません。満員電車に揺られ、同じことの繰り返し。そんな毎日を送っていると、「何もない」と感じてしまうかもしれません。でも、よく考えてみてください。美味しいコーヒーの香りがする朝、愛らしいペットとの触れ合い、本に夢中になる時間。些細なことでも、心が満たされる瞬間はたくさんあります。「何もない」と感じる日々こそが、自分自身と向き合い、本当...無い事の大切さ

  • 古き良き時代

    古き良き時代、昭和の風が吹く街角には笑顔が溢れ、子供たちの声が響く商店街の賑わい、八百屋の声が響き渡る夕暮れ時、家々の窓からは温かな光が漏れ家族団らんの時間が始まる高度成長の波が押し寄せ新しい技術が次々と生まれるカラーテレビが家庭に入りトランジスタラジオが音楽を届ける人々は未来への希望に胸を膨らませ新しい時代の到来を感じていた朝の通勤ラッシュ、満員電車の中で人々は黙々と仕事へ向かう昼休みには公園でお弁当を広げ桜の木の下で友人と語らう夕方には銭湯で一日の疲れを癒し夜には家族と共に食卓を囲む古い木造の家々が立ち並ぶ中新しいビルが次々と建設される商店街にはモダンなカフェがオープンし若者たちが集う場所となるしかし、どこか懐かしい風景は変わらずに心の中に残り続ける昭和の時代は過ぎ去り新しい時代が訪れるしかし、古き良...古き良き時代

  • 背中で生きるという事

    ある日、すべてを無くして公園のベンチに佇む友人を見ていた。友人は公園の電柱に繋がれた犬に向かって何か話をしているように見えた。「こう見えてもね、おじさんは昔、ちょっとした会社を持ってたんだ。そこで、沢山の人と頑張って働いててね、楽しかったよ~、そう必死でね、楽しかったんだ」繋がれた犬は微動だにしないで、話を聞いているかのようだった。「でもね、もう、終わったんだ、人生は厳しいもんだね~」とうなだれた。そこに一人の若者が現れて、友人の背中を叩いた。「社長、背中が泣いてますよ、この背中についてきたんですから、俺たち・・」「小さいっすけれど、始めたんです会社、手伝ってもらえないっすか」友人は首を縦に振って立ち上がった。その瞬間繋がれた犬もいなくなっていた。いや、そうではなくて、繋がれていたように見えたのは、公園を...背中で生きるという事

  • 幸せへのカギ

    夢が現実に変わるまでが楽しくて、そばで笑って見ていられるもの。それが現実に変われば、次の夢までは眠れない夜が続くもの。気が付けばボロボロの服に、穴の開いた靴を履いている。悲しみを喜びに変える魔法の言葉は賞味期限が過ぎている。何とか奮い立たせなければ、心が壊れてしまう。人前では笑っていなければ、大事な人に心配かけてしまう。そんな風に思っている人が周りにいるなら、一言かけて欲しい。「すいませんが、今度は私の夢を一緒に叶えてくれませんか」とね。その言葉が人生のカギとなりうる。幸せへのカギ

  • ステレオタイプな俺たち

    「昭和生まれですから~~」といっても7割がそうなので、あまり言い訳にもならない。それでもって「ステレオタイプじゃいけませ~~ん」と言われても、頭の中は。LPレコードや、ソノシートしか浮かばないのでござります。すまん、残念。そもそも「ステレオタイプ」とは悪意や偏見を持った固定観念を持つことだと聞いておりますので、すべてがわるいわけでもあ~~りませんが、現代ではNGという事なので、できるだけ貝になります。しかし、おしゃべり世代で威張りたい僕たちは、そうそう大人しくはしておられないのでございます。ダメならば穴を掘って叫びましょう。「ばかやろ~~」「ふざけるな~」「ヤッホー」「男尊女卑、いまや逆だろう~」「SNSなんかやめちまえ~」「お前は俺が守ると言っただろ~~、俺を守るな~~」「ありがと~~」「俺は男だ~~」...ステレオタイプな俺たち

  • 夏の終わり

    夏の終わり、空は徐々に柔らかな夕暮れの色に染まり、風は静かに木々を揺らす。蝉の声が遠のき、夜空にぽつりと星が瞬き始める頃、季節の移り変わりが心の奥深くに忍び寄る。暑さに溢れた日々は、まるで夢のように過ぎ去り、草原には金色の光が斜めに降り注ぐ。ひまわりは重たげにその頭を垂れ、秋の訪れを静かに受け入れている。かすかな冷気が頬を撫でるたび、心に残る思い出が一つ、また一つと浮かび上がる。夏の喧騒が遠のく中、日々の儚さに気付かされる。夕日が沈み、夜の静けさが広がる瞬間、私たちは短い季節の終焉を感じ、その美しさに切なく心を震わせるのだ。夏の終わりは、まるで一つの詩。始まりと終わりが緩やかに交わり、永遠に続くかのような瞬間が、ふとした瞬間に消え去る。夏は、ただ過ぎ去るものではなく、心の奥に深い爪痕を残して、次の季節へと...夏の終わり

  • 咲く花の意味

    世の中の事はよくわからない。色々言う人もいるが、自分の眼で見たわけでもなければ、そんなに興味がある事でもない。ならば、口は開かないでいた方が良い。花に咲く理由を聞いたことがあるならば、花を語れる。植えてもいないのに咲き出した彼岸花にどうして秋がわかるのか、聞いたこともないだろう。大事な事なのに、その本当を知る人はあまりいない。花の周期と言えばそうなのだろうけれど、彼岸花は球根植物で、夏の間に地中で栄養を蓄え、気温が下がり始める秋に花を咲かせる。特に日本では、秋分の頃、つまり昼と夜の長さがほぼ等しくなる時期に咲くため、「彼岸花」という名前がつけられたらしい。彼岸花は日長や気温の変化に敏感で、夏の暑さが和らぎ、日照時間が短くなると開花のタイミングを迎える。このようにして、秋の訪れを告げる象徴的な花として咲くよ...咲く花の意味

  • 道具小屋

    この前の台風で飛んでしまった道具小屋をなかなか修理できずにいた。すると昨日から雨が降ってきて、悲惨な状況を想像しながら小屋のドアを開いた。すると、自作のテーブルの下に何か動くものが見える。「タヌキチ?にゃんこ先生?キツネ?」そう言いながら、膝を折ると無言でバタバタしながら、雨除けに道具の上にかぶせていたビニールシートがあちゃこちゃ逃げ回る。「オイオイ、チミ誰?」と言いながらシートをはぐと、ぴょこーんとすわる、川島君、いや小さなウサギがいた」基本、自然界の動物は触らない方が良いが、追い出すのもかわいそうなので、「そこがいいの?そかそか、そこで雨宿りしなさい」と言って濡れないようにそこらじゅうの段ボールで屋根を作った。外へ出て、空を睨んで、「う~ん、ウサギ小屋になってるし・・・」と自分で笑いをこらえきれずに思...道具小屋

  • 静けさの中のムーム

    便利な世の中だけど、少々五月蠅い。電気はありがたいけど。少々お高い。結構世の中に尽くしてきたけれど、暖簾に腕押し感が否めない。まあ、それもいいさ。そんな事誰も知らないし、興味もないだろうから。都会から田舎に帰ると真っ暗で兎に角、静かでその深さを改めて感じる。「ムーム」「ムーム」というとアマガエルが近寄ってくる。毎回大きさが同じなのでこいつが「ムーム君」とは限らない。呼んですぐ来れば雨になる。ある意味、かわいい天気予報士である。もう少ししたら、草刈に疲れた夏の景色も終わるだろう。そして、緑を恋焦がれる季節になる。勿論、ムームもいなくなる。人は、それが当たりまえと思っていた自分のあやまちを季節ごとに知っていく事となる。静けさの中のムーム

  • さあ、行こうぜ!

    先日、いつものようにボウリングをしていると、いきなり少し坊主が伸びきったような頭をした、高校生のグループの中から一人、私のところにやってきて「すいません、自分一人だけスコアが酷いので教えて頂けないですか」と言われた。彼が指さすスコアボードには「29」と書いてある・・。「えっ、そんなスコアある?10回投げて29点?」と言うと「はい」とニコニコして答える。私は「わかった、あのね・・・・」と一応ウンチクを述べて「投げてみて」と言うと、いきなりストライク連発した。「まじか・・」私を含め、グループも全員大笑いした。「お前、センスあるわ、何部?」と聞くと「野球部です、もう引退なんでみんなで記念に遊びに来ました」と言う。野球好きな人がきけば、誰でも知る有名高校の3年生であった。野球をするために全国から集められてきた精鋭...さあ、行こうぜ!

  • 手のしわをみて

    若さを保つために色々努力する人たちを見る。まあ、金次第である。久々にあって、「まあ、」はどっちなのかは相手の表情を見ればわかる。同級生も上級生に見える事のほうが多いのが世の常ではある。同級生が何度見てもその人の父親にしか見えないこともしばしばである。でも、それは人生が順調と言う風に考える事にしている。そう自然の摂理と同じ、川は上から下へとしか流れていかないもの、それに逆らっても労力の無駄使いである。下から光を当てても前から扇風機を回してもスイッチを切れば、ハイ元通りである。たまに顔ばかりではなく、手のひらを見る。若き頃に比べればこちらも谷ばかりである。しかし、そこには脈々と流れてくっきりと刻まれたしわがある。何が刻まれているのか、喜び、悲しみ、出会い、別れの後である。「はあ~」となる。手のひらを眺め飽きた...手のしわをみて

  • その花が咲いたら

    昔は悩み事相談をされることが多かった。どこかの街の怪しい占い師みたいな感じでよく面白がって、沢山の方がみえていた。特に若い子たちが多く、自分の将来とか今の恋愛運とか尋ねて右往左往していた。勿論、結果は全部幸せになるように答えないと、来て頂いた意味がない。あまり、本質的と言うか、正解は言う事もなく、笑顔で帰っていただいてなんぼであった。人間幸せと不幸せは半分ずつで、今がどっちの季節かだけの話であるからして、無理やり幸せの季節にすればいいだけの話である。そして、話の最後には必ず花の種を渡していた。種類は季節ごとに違うが、一番多く渡したのは「あさがお」である。なぜなら、この花は一番早く、幸せの花が咲くからである。「もし、この花が咲いたら、あなたはしあわせになれる、きっと願いが叶うよ」と言って、その人の絵顔を心で...その花が咲いたら

  • 今ならば、いや今だから

    ゴルフで1ラウンド72のスコアを出せばパーとなりますが、どこかでスイングが乱れるホールが必ず存在します。ボウリングでも、普通に投げれば200点は取れるはずですが、必ず変わったフレームが出現します。もちろん、68のスコアが出ることもあれば250のスコアが出ることもあります。まるで、自分の人生のようです。青春時代の高校野球の事さえ振り返ると、今となってはなぜあんなに変わった構えをしていたのか不思議に思います。今なら、どんな球でも打てたはずだと、馬鹿げたことを考えがちです。年を重ねると、過去の経験を振り返る機会が増えます。高校時代のような若い頃の自分を振り返ると、経験不足やその時の自分の限界に気づくことがありますが、同時に「もし今の自分があの頃の自分だったら」といった思考が生まれるのは自然なことです。これは、年...今ならば、いや今だから

  • 明日の天才は今日作られる

    思い切り太ってていつもニコニコしているけれど勉強は苦手なまるちゃん。温厚派を地で行く穏やかな性格で皆から好かれていたスポーツも苦手で特に走る方の競技はいつも後ろの方であったある日、もう一人同じような体格で悪さばっかりしている同級生に、担任がぼろくそ叱った時があった。「お前、そんなだから・・・」それを傍で聞いていたまるちゃんの顔がだんだん赤くなっていってついには爆発。「先生そんなだからは言いすぎでしょう、人には理由があるんです」と先生に詰め寄った。いつも温厚なまるちゃんのどこかの逆鱗に触れたのか、わからない先生も「おう、そうか、すまんすまん」とたじろんだ。次の日からまるちゃんは変わった。休み時間もこつこつと自習して放課後はグラウンドを毎日走った。職員室前に張り出されるテストの成績も180番からトップに躍り出...明日の天才は今日作られる

  • じゃあ右手で

    右投げ左打ちのスーパースターが中学の時いて、野球の練習試合をした。彼らのチームは全国レベルの強豪であった。こっちは舐められて最初は相手チームは控え選手ばかりが先発出場してきた。我らも全国レベルではないが県では1,2を争うチームであった。勿論、名門高校やプロのスカウトがその試合を観に来ていた。流石に控えでは相手にならないと思ったのか途中でどんどん選手交代を相手はしてきた。そして、いよいよ、スーパースターの登場となった。勿論、ピッチャーで4番バッターである。投げては三振の山、打っては2塁打,3塁打の連打を放ち、たちまち同点となった。しかし、その後、スカウトも味方も相手も愕然とすることが起きた。我がチームの打てない3番左バッターに、監督が「おい、真面目にやれ」と言った。彼は左投げ左打ち‥の筈だったが、「じゃあ右...じゃあ右手で

  • 夢のガーデンカフェ

    そろそろ夏も小さくなってきたような朝の気配それはそれで寂しい気もするけれど、思いを残しても仕方ない事新しい季節が来るならば最高の準備をしなければなるまい台風で道具小屋の屋根を持っていかれてもし雨が降ったら大変なのでまずは屋根補修と思ったが、この際、一度小屋ごとぶっ壊して新しい小屋を作ることにした。どうせ、自分でやる事なので誰も文句は言わないそれに伴い、遊びに来る人の為にガーデンカフェを作ろうと思う。5年前に植えた芝生が大体100坪くらい生えわたっているので、そこに椅子とテーブルを置いて、休みの日にはこれまたオリジナルのピザ窯でピザを焼いて騒ぐとするか。飽きるまでやれば満足。その繰り返しがいい人生だと思えればいいんじゃないか~。あまり深く考えても、なんにも面白くないから。夢のガーデンカフェ

  • あと少しだけ

    何事も諦めが肝心というけれど、誰かが支えてくれるから、あと少しだけがんばろうと思う日々であります。今までは10の事が出来ていたけれどそれが8になり5になってくると、流石に自分に飽きてくる事もあります。そんな時は自分の事は諦めて、すぐさま人の舟を押す事に専念します。「先に行きなさい」そんな気持ちであります。しかし、自分自身もオールを捨てるわけではありません。あと少しだけ頑張ろう・・・0になるまで・・・と。あと少しだけ

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