■知識的徳があるかという問い真に価値として認識できるのは、知識的徳と貢献的徳のみだ(徳=善=価値=肯定=肯定的感情、理性的動機、モチベーション、自らの内部の充実した活力)。本質的には、「その行為には、知識的徳/知性的徳があるかどうか」、という問い
《悩みの意味》悩むくらいなら、諦めて・受け入れたらいい↓悩むということは、悩みの対象が、今の自分の持つ能力では解決できないことということだ。自力で解決できる(解決できそう)なら悩んだりはしていない(悩む前に解決できている)↓悩みの対
人と人の間の個別事象を見て、帰納的に(仮説を立てて、経験という実証により)仮説が本質であると見つけたら(一般化したなら)行動心理となる。 ↓人間関係を演繹的に説明できるようになる。人と自然の間の個別現象を見て、帰納的に(仮説を立てて、試験
新しい概念を見つけると、世界を理解してあげた(ことになる)ので、自己肯定感が得られて、快感となり、幸福を感じる(知性的卓越性)
自分の当たり前は、人の当たり前ではない。自分にとっては、欲望を満たせる面白いものではなくても(当たり前の現実でも)、人にとっては、欲望を満たせる面白いもの(当たり前ではない理想)が与えられたということにな(りう)る。だから(自分にとっては、当た
アリストテレスのニコマコス倫理学(第二巻第二章)普通以上の理想(過超)は↓ ↓ 普通へ落とす普通:現実という当たり前(中庸) ↑ 普通にする普通以下の現実(不足)は↑今の現実が当たり前
陰謀論者は、周りの人が信じない情報を信じて(周りの人=普通の人たちは信じておらず会話にも出さないため、一見知らない風に見えることから)、周りが知らない情報を知っている俺はすごい、周りの人が触れない情報を取り扱っている私は偉いと思っている人たちのこ
他人に興味がない方が好かれると言われてますが、なぜでしょうか。【回答】なぜかというと、 他人に興味がない人 ↓ 他人(との人間関係)に興味がない人 ↓ 他人(との上下関係)に興味がない人 ↓ (人間関係を上下関係だと思っている多
発展途上国とは、・人口を養う経済力がない・人口が少ない↓そんな国で、資源が見つかり、(それを売って)経済力に余裕が出てくる↓人口が少ない(人がいない)と、周囲に(自分を認めてくれる人がいないので)寂しくなる↓人肌が恋しくなる↓男女が
どんな人でも価値はある。引きこもりの人は、 自分には価値がないと思い込んでいるから、萎縮して動けなくなっている。自分には価値があると思うためには、『これ』と逆をやればよい。『これ』とは、・自分には価値がないと思っているから、萎縮して動けな
勉強とは、自分の周り(の世界や社会)のことを理解してあげる活動です。自分が勉強をしないなら(自分が周りのことを理解してあげないなら)、周りもあなたのことを理解しようとはしないでしょう。報酬はいつでも等価交換です。(ただし、運の分だけ報酬は少なくな
おそらくあなたは、人から優しくされないから、自己肯定感が下がり、自分には価値がない、面白いことがない、何もいいことがない、居場所がない、と思い気持ちが沈んで辛いと感じているのです。対処法としては、まず、人が優しくしてくれないのは当たり前だと思い
レールから落っこちたら、レールから落っこちたことは事実として認め、そのような現実を当たり前のこととして受け入れよう。 落っこちたことを自分が責めても、周りから責められても、レールから落っこちた事実は変わらないからだ。大事なのはレールから落っこちた
悪口を言う人は、自分も同じように悪口を言われる存在であることを想定していないから、平気で悪口を言うのだ。どうして人を殺してはいけないのかと問う人は、(もし殺人が許されたなら)自分も人から殺されることを想定していないから、そのように問うのだ。人を責
弱者男性が救われない現実は、確かに存在するし、個人の力ではどうしようもないことだ。そもそも個人には弱者男性の持つ考え方すら変える力はない。それは他人の思考であり、他者課題なのだから。弱者男性とは、愛や優しさを与えられたいのに、(容姿、収入、地位、
当たり前でないもの、変わったもの(目新しいもの)は、それだけで現実化した理想であるから、(与えられる)幸せとなっており、語ることはあまりないのだ。与えられた快感(自己肯定感)だけだ。当たり前でないことがあったら、素直に、運良く(有り難く)与えられた
スルーすることとは、諦めることであるスルーすることとは、自分の力ではどうしようもないこと(他者課題、運)を、諦めることであるスルーすることとは、欲(欲望の理想、上下関係、優劣、与えられる、愛される、優しくされる)を捨てて、諦めて、(与えられないと
浅田真央さんは、愛したから(スケートを愛し、スケートを見る人に感動(愛)を与えたから)、(見る人に愛を与えた分だけ)愛されている。愛を人に与えずに、人から愛されることはない。もっと云うと人に愛を「与える」ことが第一で人から愛を「与えられる」こ
自分で、手足を使って、何かをやるとよい。勉強とは、自分の頭を使って、人にまつわる物事(貢献、役に立つこと、善)を知ってあげることだ。人を理解してあげることだ。リアルでやってこそ、以下の理想と現実のギャップが明確化されて、 理想:人の関係でうまく
幸福とはどのようなものだと思いますか幸福とは自分には価値があると思うことで、心の平穏を得ること、だ。①人から与えられたい欲は捨て(与えられなくていいと、過程を放棄するのでなく 与えられないのが当たり前だと、結果は運なのでうまくいかないのは仕
質問:ネットで不快なコメントを繰り返す人がいて、ついつい言い返してしまいます。どうしたら無視できるでしょうか。回答:基本的に現実社会では、特に匿名のネット上では、人の(些細であっても)ミスや解釈の違いにこだわって、マウントを(無意識的にでも)とろう
(自分が)評価されなくていいじゃなくて(人から)評価されないのが当たり前ということ勝たなくていいじゃなくて勝てない(こともある)のが当たり前ということ(負けることもあるのが当たり前ということ) 勝つかどうかは運だから 勝ち負けにこだわらなくていい
知ることとは、ある対象について知り、考察し、深く理解し続けてあげることである(愛をもって、対象に理解と認識を与えることである)それが理性的な意味での知ることだ。雑多な記事(情報)を広く読むことではない。そういう雑多記事を入り口として、その記事の
ゲームなどをプレイして、1回でも勝って、与えられてしまうと、その欲望の欲求を満たした快感(与えられたことで得られる快感)は非常に強いものなので、理性の欲求による快感(与えることで得られる快感)は、かすんで、物足りなくなってしまうのだ。そして、欲望の
一つの言葉(物事)にはすべて必ず2つの性質(相対する2元論というよりは、言葉から派生して2つに分かれる2側面の性質)がある。良い性質・悪い性質、理想・現実などだ。理想にも2つあり、欲望の理想と理性の理想だ。自己肯定感にも2種類ある①欲望の自己肯定感
前提として、運動による肉体的なしんどさは、精神的な苦しみではない。精神的な苦しみは、欲望が生まれている証拠だ。肉体的なしんどさで、精神的な苦しみを和らげることができる(気血水で脳のフレームレートを上げる(血液・体液の巡りをもって気を改善する)、精
人間の幸せ(幸福)には2つある①欲望を満たす幸せ・与えられる・知られる、理解される・愛される・優しくしてもらう・見てもらう・受動的与えられた分だけ、利己の分だけ、自分には価値があると思う快感の幸せ利己(欲望)の理想に現実が近づいた
欲望の問いは、すべて・今の私に-(理想)が与えられないのはどうしてか、となり、その答えは、すべて・今の私にー(理想)が与えられないのは当たり前(不快でない)である、となるだろう。そして、善のために、・今の私がー(理想)を与えればよいとなる。(自明
人や社会が優しくないのは当たり前です。なぜなら、社会にいる人は皆『(周りから自分に対して)優しくしてほしい』と思っているからです。この思いを承認欲といいます。本能なので誰でも持っています。みんな、優しさというベクトルが外から自分に向いているのです
夢を見るな、現実を見よ人に優しさを期待するな、優しくない現実に苦しくなる、優しくないのが当たり前、誰も人に優しくする余裕はない自分の優しさに期待しろ、優しい理想に嬉しくなれる、優しいのは特別で、人に優しくしたら喜びとなる
欲望を生まれさせるのに長けた人の発言は、あなたの心の中に、与えられたいという欲望を生み、焦りや苦しみを生み出す。こういう人たち(こういう人が発した情報も含む)は、世の中にはたくさんいて、お前の現実はこういう点で全く足りていないから、理想はこうだから
40歳の無職引きこもりの精神病です、どうしたら幸せになれますか?あなたが、あなたのことを価値がないと思っていて、あなた自身もあなたの置かれた環境も周りもすべて価値がないと思っていて、嫌いだという状況なのだろうと思います。幸せになりたいと思っている
脳出血で倒れた30代男性、自ら死を願った驚愕理由https://toyokeizai.net/articles/-/745912この慶応大学教授は不幸な人(自分には価値がないと思っている人)なのだろう。この人は、けがをして期待したお金を与えられない自分に価値がないと思い、認知症の母や
与えられるのも悪くはないが、与えられたいとは思わないことだ(利己は抑制する。利己はたくさんあるから自己価値を失う)与えることは善いことなので、与えたいとは思った方がよい(利他は積極する。利他は少ないからレアなので自己価値を得る)与えられるの
ゴールドオンラインの記事で、欲望に刺さる記事と刺さらない記事があるのはなぜでしょうか。自分と同じか似たような立場や視点を持つ人の欲望のエピソードならば刺さる。そうでなければ、欲望の焦りは生まれないので、欲望に係る質問と回答も出てこない。この人
お金になるニーズとは、欲望の苦しみを消してあげることだ。ニーズとは、欲望の焦りを消してあげようとすることだ。人間関係があれば、必ず人のニーズが生まれる。ニーズとは、承認欲の焦りや苦しみを消してあげようとすることだ。その対価がお金や評価(名誉)であ
最初から全部分かるよう理想を作って読む必要はない、気楽に、(理想を捨てて)苦を感じないように、目を走らせよそれだけでも、重要なところは知れるし、まずはそれだけでいい。デティールは(重要な箇所に)積み上げるように知ることとなる。まずは客体を(愛を持って)
なぜそうなるのか、を答えるためには、それを知る努力を゙持って(知る対象への愛を持って)、知る必要がある。どう考えるのかは、どう考えるのが良いのか知っていることだ。よって、未知を既知とするよう、対象の客体と同一となる行為をして(これを勉強・読書して、知らな
高齢者になると誰にも相手されなくなるので、寂しいと感じやすくなります。高齢者でなくとも承認欲が強いとそうなりやすいです。誰かに相手してほしい、誰かに慕ってほしい、かまわれたいという欲求(欲望)が生まれ、現役時代よりもその欲望が強くなります。しかし
黒歴史が記憶に蘇って辛いときどうするか。恥ずかしいこと、人にバカにされたこと、侮辱や軽く見られたことなど。人がどう思うかは人次第だから、あなたではどうしようもないので諦めろ。あなたが不要だとか、あなたがた早く辞めればいいのに、あなたの言ったことは(
自らの゙欲求ばかりを満たしてしまいがちだが、そればかりでは、欲求の頭打ちになり、欲求が満たせなくなるから、苦しくなってしまう。自分の欲求を満たし、自分には価値があると思うことばかりだと、欲求が満たせず、自分には価値がないと思い、不快で苦しくなるからだ
仕事が精神的に辛いから辞めたいと思うことはよくあることだと思いますですが、辛いからといってすぐに辞めていては、次の職場でもどうせ辛いことがあるので、辞めることを繰り返してしまいます。すぐに辞めようとはせずに、自分の辛いと思う感情をなだめ、心の平穏を
人間関係では、人と比べる機会が増えるので、欲が生まれ、理想(人より優位になりたい)が生まれる。人とは対等である、と思っても、承認欲(人より優位になる欲)があるから、本当の対等扱い(何もやりとりのない平等扱い)とは本能的には無理なのだ。対等とは、持
生きていたら、以下のように辛いことがあるので、・与えられたい欲があるのに、・与えられる能力が足りないせいで(能力が足りていれば、欲を満たしているはず、理想を実現しているはず)、・与えられず、欲が満たせず、・与えられない自分には価値がないと思い、
欲は捨てるべきだが欲を捨てることにこだわりすぎると、欲に注目することになって、欲を意識するので、返って苦しくなる。大事なのは、まず自分が与えること、与えることだけを考えること。与えることだけを意識すること。欲を捨てるというのは、欲を意識しない
人間関係があればあるほど、承認欲(多くの人よりも優位に立つこと欲すること)が刺激され、理想(多くの人よりも優位に立つこと)と現実(優位に立っていないこと)とのギャップに苦しむことになる。よって、究極的には、人間関係がなければ、欲(理想)が生じる機会も
ぶっちゃけると、★人間関係がまったくない、けれども、 →欲が生まれず、悩みも生まれない (理想が生まれない、人から与えられない不幸せがない)■それでも安定して生活できる、 →安定した仕事がある (周りに与える幸せがある) 安定した生活
目的(動機)があって、原因(理由)と結果(現象)がある結果(現象)に対して、ホワイダニットが目的(動機、なんのためにやったか)で、ハウダニットが原因(理由、どのようにしてやったか)である目的は一つしかないので肝要だ。原因は諸々あるので問う意味はそれより
欲を捨てることとは、理想と現実のギャップを少なくすること(で、ギャップから生じる苦痛や生きづらさを減滅すること)であって、具体的方法には以下の2つのアプローチがある。・理想を現実に下げること(人に期待しない、欲をあきらめて現状を受け入れる、人にそう思
周りや人から、好ましくないもの(暴言、暴力、マウント、騒音、その他の攻撃的なもの)を与えられたならば、たちまち心が乱れ、承認欲が刺激され、直情的になってしまうかもしれない。このようなときに、承認欲の不満を鎮め(あきらめ、反応せず)、心の平穏を保つ(アンガ
勉強/学問とは、対象を研究し調べる(既存の知識を知り、未知を知るために仮説を立てて実証する)ことを方法として、対象に含蓄されている・知られずに眠っている情報・(周りの)誰も見つけていない情報を見つけ、発見し、意識することで、知を蓄積し(未知を既知とし)、真
生きづらさとは『自分には価値がない』と思っていることで沸き起こる苦しみである。そして、人は、『何も(してい)ない』※と、本能的に自然と『自分には価値がない』と思うようになっている。自分には価値がないと思うのは、苦しいこと(で生きづらいこと)だから
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■知識的徳があるかという問い真に価値として認識できるのは、知識的徳と貢献的徳のみだ(徳=善=価値=肯定=肯定的感情、理性的動機、モチベーション、自らの内部の充実した活力)。本質的には、「その行為には、知識的徳/知性的徳があるかどうか」、という問い
どのみち、今無いものを手に入れる・認識する・積むという、本能から逃れられないならば(神経的刺激の生理システム)、・自分の内に知識善を積むこと(知識的徳)・自分の外に貢献善を積むこと(貢献的徳)で、その今に無い「善=価値あるもの」を積めば/認識すれば
否定する(失敗や批判)↓自己否定=苦しさ↓自己防衛=承認欲を満たそうとする(①自責か②他責又は両方)↓①自責:注目の承認欲を満たす・自分を下げて注目されたい =過度な自己卑下、自虐・他人を上げて注目されたい =過度な自己犠牲、ゴマす
■本質(探究という目的)と形(記録という手段)の関係本質は形(言葉など)にすると、形への執着となり、本質(形ではとらえきれなかった概念を含む全体)から離れてしまう。本質は(探究の)目的であり、形は(記録の)手段であって、形にすると、形(記録の手段)
■徳を積むについて自分の時間を差し出して自分の内や外に善を作る(善を作る=徳を積む)与えられることは諦めて(与えられることは無いから・なお、"一方的に"与えることでもない)徳を積む=善を作ること積む徳、作る善を、自己が認めれば、些細な肯
全ては、無を「否定する」ことから始まり(一切皆苦であり)、継続するものなので、意識し、無を「否定せず」、受け入れることだ(無を否定する苦しみを打ち消す方法)自動的に、無を否定するとしても、意識し、無を否定しない→まずは無意識の否定の対消滅無い
無の荒野・与えてくれる(都合のいい)他者は居無い・与えられる(都合のいい)自己の特別性も無い例えば、全くの見返りなしで、新規性もなく、誰かに1万円を渡す/寄付する行為があって(それは行動の善であるが)それに善さ、価値、善い神経的刺激、
自分を(本能的に)特別な存在だと思うことは、特別では無いという現実(現実の無)と常に戦うことになる。そして、(失敗者は当然のごとく、成功者でも時間とともに必然に)いずれ心のエネルギーが尽きて、無の否定とその苦しみに囚われることになる。無の否定と苦
日々のことに、何も無いなら、何も無いことが当たり前で中庸である。日々の行動は知るためだけにあって、知ることにしか価値と肯定はない。
イヌはボールをぶつけられると、ボールを敵と見做して吠える。ボールを自分にぶつけた者やぶつけた原因を見る=知ることはしない。これは、イヌだけでなく(それなりに知能があると思い込んでいるだけの)ヒトにも同じことが起こる。
皆が本能的に感じている否定の苦しみを放置したままにしておくと、自己否定の鬱や自暴自棄、他者否定の攻撃性(からの孤立や孤独)に繋がって、徐々に壊れてい(き、自己否定に起因する鬱病・アル中・薬物依存、他者否定に起因する誹謗中傷、暴言暴力や犯罪行為へエスカレー
他人を責めたり自分を責めたところで現状が変わるわけがないただ承認欲を求めているだけだ自分の内に善(価値)を生まなければ、自己肯定の変化(自己成長・自己変革)もない------否定も刺激であるし受容も刺激であるし肯定も刺激である否
自分は特別だと思うことが、認知の歪み(本当は特別ではないのに、そう思い込んでいる)の根源なんだよこの本能的な(承認欲求に起因する)歪みのせいで人間は苦しむようになっている(特別なはずの自分が、現実では特別扱いされないという承認欲の否定の苦しみ)この自己
究極的には、肯定感は、知性的卓越性(知の善)で得るしかないし、否定感は、倫理的卓越性(中庸)で消すしかない。ただし、否定も日々の行動のトリガーとしては必須。否定と苦しみがなければ、考えることもなく、動くこともしなくなり、受容のカタルシスも得られない
人生はいずれ無に帰すが、無を否定したとしても(無を否定したままにせず)、無を受け入れて、無から「何か」を生み出して肯定することだと思っている。身の回りに有る物や事が、この何か(誰かが残した善さ)から構成されている以上は、その分だけは意味があると捉える
前向きになるんじゃなくて、まずは無になるんだ何も無いのに前向きになれるはずがないだろう無理に前向きになろうとするから、(何も無いことに対して)後ろ向きになるんだよ~~~~~~~~~どうやって何も無いことを受け入れるかどうやって何も無いこ
『意識を仕直すこと』《無意識の否定に対して》①自己否定したとしても、否定したままにせず、②自己受容できること③そのうえで、自己肯定できること《無意識の期待/肯定の期待に対して》①承認欲の期待が生まれたとしても、他者運も無く、才能運も無いか
そうやって現実を否定する(のは仕方がないとしても、否定したままだ)から、自分は(自己否定で)苦しいし、他人も(他者否定で)苦しくて離れていく。人生が苦しいのは一切皆苦であるし、孤独になるのは因果応報/自業自得なんだ。
犯人の心理を5段階で解説(自己否定の苦しみを抱えている人は現在『非常に多い』ので、今後も事件は発生)する。①現実否定=自己否定で苦しい(生き苦しい)↓②他責思考=苦しいのは周囲や社会のせい↓③他者攻撃=人を攻めて気持ちよくなろうとする(承認欲/
No.0 詳細(無と中庸と善)No.1 全体(否定➡受容➡肯定)No.2 無知の知_知の探究_知の幸福No.3_意識の不連続_No.4_無意識の否定の仕組み_No.5_無の荒野
外部から入ってくる/与えられる物(有形の物)や事(無形の概念)は多種多様であって、その快感も不快感も多種多様にあることから、①外から自分が受け取って快感なときは、外は無なのに、 奇跡的に物や事が有るとして、欲望の幸運を感謝して、 快感を享受できる②外か
ある事件や事故を起こした人の問題行動の理由を説明するのに・優秀な人だから・真面目な人だから・金持ちだからという、特定の目を引く性質を理由に問題行動を起こした、と言うのは間違っている。これらの不快な記事は、ライター側が読者の関心を引くために仕掛け
①外から与えられたものはすべて喜ぶ、感謝する・空即是色(自分の外には何も無く空であるなら、すべてのものは奇跡的な幸運の産物であり、よって、すべての物欲はすでに満たされている)・欲望の幸福(外から与えられる幸福)の『幸運に』感謝する・幸運とはなかな
この世の全てが「 」(無や空)であるならば、この世の全ての物が有ることは全て奇跡(幸運)の産物であり、愛情の対象となる。有ることが難しい奇跡的な物への(有り難うという言葉のとおりの)感謝や慈しみとなる。物欲(客体への欲望)も、無や空がベース(本来の、根
①色即是空:物(色)への欲(物欲)は苦痛しか生まないため、物欲が生まれたら、これを、自分より外から与えられるものは無く、すべてが空であるとして捨て去る。すべての物(色)が無いとすれば、(理想や願望も空であり、現実(もまた空であるから)とのギャップも生
□欲望を捨て去るために欲望を完全に捨て去るなら、自分の外から入ってくるものは、全くないものと思い(外には何も無い)、自分の内から外へ出ていくものしかない(自分のみが確実に有る)、と思うほかない。ゲームだって、無から考えれば、ゲームがあって、
■承認欲の強い人は必ず苦痛を感じ不幸になる人から認めてもらいたい欲求(承認欲求)を持ってしまうと、自分の力で自分のことを認めることができなくなって、自分だけでは、自分に価値があると思えること(自己肯定感を得ること)ができなくなってしまう。代わりに、
真面目な人が、ストレスのせいで問題行動を起こして転落するのではなくて、(承認欲求が強いせいで、外面が良くて)真面目な(ように見える)人が、承認欲求の苦痛のせいで問題行動を起こして転落していくのだ。しかし、本当に真面目に会社のために頑張って貢献しようと
承認欲求とは、子供が生き延びるための本能であるから(自活できない子供が、親や周りの他者から、可愛い子供であると認知されて、食べる物などを与えられて生き残るための欲望であるから)、自活できる(ようになる代わりに子供の持つ可愛さを失う)大人がいつまでも持つよ
気分の浮き沈みがあるとしたら、それは、・欲望が満たされたから一時的に気分が良くなっているか(自己肯定感がある・高い)、・欲望が満たされなかったから気分が悪くなっているか(自己肯定感がない・低い)、のどちらかの心理状態を、日常生活の中で揺れ動いている
点を取りたいから勉強をするのではなくて(点を取って他者よりも上に立ちたいという欲望ではなくて)、この世の中の仕組みを理解し(てあげ)たいから勉強をする(理解をしてあげる、知識を身につけて役に立てるという理性である)ことだ。点数がとれるかどうかは、そ
日本を含む先進国で精神疾患が多い理由は、欲望(承認欲、金銭欲、名誉欲など)を満たすことが人生の幸福である、という価値観が推奨され広く浸透しているからです。しかし、幸運に恵まれ(続け)ない限りは、欲望を満たし続けることはできないので、欲望の幸福の屋台骨
○行為だって、自分の欲望を満たすからではなく、□の役に立つという理性を満たす気持ちでやることだ。□を理解する・□に優しくする・□に興味を持つ・□に愛を感じてもらう・□にひとりではないと感じてもらう。○欲は、欲望なので苦痛と不幸にしかならない。
欲望は苦痛しか生まないから捨て続けること。この世の全て(外界から自分に入ってくるものは)利己的・欲望的なものだ。よって幸運や他者課題に恵まれなければ、欲望の不満の苦痛により不幸(欲望を満たせない自分には価値がないと思う状態)となる。利他的・理性的
欲望とは、欲望の苦痛を自分に与えて、欲望の理想へ向かう行動を強制させ続ける仕組みである。そして、欲望の理想を獲得するには、幸運や他者の評価・人脈などの他者課題が必要となる。よって、人間は、生きている限り、欲望の苦痛に苛まれ続ける。生まれながらに
!欲望は苦痛になるので、勝ち負けは考えない。負け続けることもあるのが当たり前の事実だと現実を受け入れる。苦しみたくなくば欲望を捨てよ。!自分の技量を実行すること、技量を確認することだけを快感とする。技量が行えれば(行えなければ)、その結果で勝とうが
この世の全て(外界から自分に入ってくるもの)は利己的なもので溢れている。よって幸運がなければ、欲望の不満の苦痛により不幸となる。利他的なものとは、自分から外界に対して出していくものだけだ。自分の意志と善の活動により、役に立てる、理解してあげる、優
現代社会で各種ハラスメントやうつ病患者が増えている理由について、そのメカニズムを以下に記載しておく。■人は不満があれば簡単に他責や自責をしてしまう他者からの関心、注目、評価をもらえず、承認欲求が満たされないと、人から注目されない自分には価値がな
幸福になるというのに、愛嬌やコミュ力が必要だと考えていると、運悪く自分より愛嬌や能力がある他者が出てきたり、運良く理解者があらわれなかったり、自分が愛嬌や能力を保てなくなったら、幸福の屋台骨が崩れて、すぐに不幸の沼に沈むというのに、そんな(承認欲求という
円安も増税も貧困も、自分では制御できない外的要因である。自分の力が及ばない運要素に頼るものについて悩んでも仕方がないし、不満をためるだけ思考と時間の損だ。①利己の幸運があったことに感謝する②利己は捨てる(幸運がある理想の諦め、幸運がない現実の受