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多摩川の筏道 https://tamaikada.hateblo.jp/

「筏道」とは、江戸時代から大正まで続いた「多摩川の筏流し」の筏乗りたちが、歩いて帰った道のことで、その「筏道」を散策するための案内マップです。

たまいかだ
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2022/12/26

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  • お問い合わせ

    このサイトでは、多摩川の筏道のいろいろについて書いてみました。 ほとんど知られてない筏道についての資料は少なく、調査に時間がかかりました。現地を何度も歩いて写真を撮り、参考資料もできるだけ調べたつもりですが、内容に疑問なところや間違いがありましたらご指摘ください。 そして、GoogleMapに載せた風景などは、写真よりもイラストにしたほうが雰囲気が出ると思い、写真をイラスト風に加工してあります。また、多摩川の筏道に関係した情報やご質問、表示の不具合などもどうぞ。 最後に、みなさんの中には、多摩川の河岸を散歩されている方も多いと思います。散歩の途中、なにげなく細い道を見つけたら、それはまだ知られ…

  • 資料の引用と出典

    文献からの引用 筏道のポイントの説明には、文献からも引用させてもらいました。 文献などの文章をそのまま使う場合は、引用した文頭に《引用》と入れました。引用した文献の書名等の表記は《引用文献》とし、下記のようにします。 ・書籍から引用の場合 著者、発表年、出版社、書名、引用ページ ・雑誌、研究誌から引用の場合 著者、発表年、編集発行、書名、記事タイトル、巻号、引用ページ ・インターネットサイトから引用の場合 著者、サイト名、記事タイトル、入手日、記事URL 地図の出典 このサイトでGoogleマップ以外の地図を使う場合は、下記の地図を使っています。地図はそれぞれのサイトから抜粋して、文字や記号等…

  • サイトの目的と方法

    サイトの目的 筏道という言葉は、だれもが知っている “ メジャーな言葉 ” ではないため、まったくというほど知られていません。それでも、多摩川の筏道について書かれたものが、いくつかの出版物のなかにあります。 目的の一つ目 筏道という道があったことを知ってもらうために、筏道の順路をインターネットで見れる地図にします。また、筏乗りたちが帰り道に歩いた道中には、安全を祈った道祖神があったり、歩き疲れての休憩でちょっと一杯のお店もあったり、小腹がすいて団子屋に寄ったこともあったはづです。 途中、仲間たちと旅籠に泊まったという内容の資料もありました。帰り道の道中は、まるで小さな旅のように、村ごとに新しい…

  • 修正した順路を五つに分ける

    [地図全体を表示する] 上の「地図全体を表示する」をクリックして出る地図は、実際に歩けるように修正した右岸の順路全体です。 赤色の線が修正済の順路で、オレンジ色の星印は、順路を五つに分けるポイントです。 つぎの五つは、右岸のそれぞれの道をGoogleマップで表示します。六郷橋 ~ 平間の渡し平間の渡し ~ 諏訪の一本松諏訪の一本松 ~ 登戸の渡し登戸の渡し ~ 稲田堤稲田堤 ~ 矢野口の渡し 前書きのような、あと書き サイトの目的と方法資料の引用と出典

  • 古い順路を修正する

    [地図を表示する] 上の「地図を表示する」をクリックして出る地図は、修正した順路です。 赤色の線は、現在の道路に上に描いてあます。ところどころに道路から外れたようになっていますが、歩ける場所です。 そしてこの順路を、多摩川右岸の筏道とします。 つぎのページ >> 修正した順路を五つに分ける

  • 古い順路を現用地図で見る

    [地図を表示する] 上の「地図を表示する」をクリックして出る地図は、古い地図で作成した順路を、現用地図にそのまま載せたものです。青色の線がその順路です。 地図をよく見ると、いくつかのところで、順路の線が多摩川の川の中にあるのが確認できます。このことは当然と言えば当然で、明治の頃の多摩川の流れと現在の流れ方が違っていることによるものです。 しかし、筏道の順路を歩いて探すには勝手が違ってきます。そこで、この古い地図から作成した順路を、実際に歩ける順路に変更することにします。 つぎのページ >> 古い順路を修正する

  • 文献と古い地図で作成した右岸順路

    全体図 《出典》このページの地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。表示地図:首都圏1896-1909。同地図から一部を抜粋し記号等を追記して使用。青線の追記には「地理情報システム ひなたGIS」を使用。その他の追記は本サイト作者による。参照>>資料の引用と出典 文献の内容から全体を五つに分ける 文献の内容(a) 「まず六郷橋の近くから土手伝いに平間に出る」 文献の内容(b) 「その先は無堤防なので、丸子、小杉、宮内と府中街道を歩き、北見方の長崎堤防を通って、諏訪の一本松のところに出る」 文献の内容(c) 「それから二子の筏宿…

  • 古い地図に文献の順路を描く方法

    《出典》この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。表示地図:首都圏1896-1909。同地図から一部を抜粋し記号等を追記して使用。追記は本サイト作者による。参照>>資料の引用と出典 文献と古い地図を使って、筏道の順路を作る ではここで、右岸の筏道の設定方法について、例を挙げて説明します。 使うものは、1)引用する文献『多摩川の筏流し』のなかにある記事2)「今昔マップ on the web」の 地図そして上の地図は、1と2を使って、例として地図の上に描いた筏道です。 例に挙げた筏道の作成方法についての細かな説明 場所について明…

  • 文献に合う古い地図を探す

    「左岸と右岸順路の作成比較」のページに示しましたように、右岸の場合は、古い地図を使って作ることが最初です。つぎは地図について示します。 選んだ古い地図 参考文献による年代から選択時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」同地図の首都圏1896-1909※ 時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」(C)谷謙二により作成されたものから一部を抜粋し、記号等を追記して使用 地図中へ記号等の追記をするためのサイト名「地理情報システム ひなたGIS」 「迅速地図」という地図を使用する場合のサイト名「農研機構農業環境研究部門」内「歴史的農業環境閲覧システム」※ 上記の各サイ…

  • 右岸筏道の文献を探す

    ページ「左岸右岸の順路作成方法の比較」に示しましたように、資料の選択が重要になってきます。つぎは、右岸の全体を作るために引用させてもらった資料についての詳細です。 右岸筏道の順路を作るために引用させてもらった文献 筆 者:平野順治発行年:2008年発行者:大田区郷土の会書 名:『多摩川の筏流し』 この文献を選んだ理由 左岸の順路の作成で参考にさせてもらった資料は『大田区史誌12』です。 同じ資料を使って右岸の順路を作成できるのが最良だと思いましたが、この資料には右岸の筏道についての内容はほとんどありませんでした。そこで、同じ筆者によるものであれば、書かれた資料などの背景は同じではないか、と思い…

  • 順路作成方法の比較

    左岸筏道の順路は、既に出版されてる大田区の資料を使わせてもらいました。 右岸筏道の地図については、図書館などの郷土資料なども含めて調べたましたが、調べた範囲ではありませんでした。資料に筏道という文字を見つけても “ 筏道があった ” という言葉で終わっています。 ということは、筏道の地図を探すのではなくて、「川崎にあった筏道」に関係した資料を探して、その中から右岸筏道の順路を作ることができる内容を、見つけ出す必要があります。 つぎのページ >> 右岸筏道の文献を探す

  • 左岸の順路図の見方

    このサイトはGoogleマップ上の細かな操作が多くありますので、広いモニターで見ることができるパソコンの利用を推奨します。 では、このサイトで使うGoogleマップの操作について、説明します。 手順0 共通の操作 共通する操作は、見ている地図を閉じる方法です拡大地図を見ているとき×印をクリック▼表示中の地図は閉じます 手順1 地図とポイント一覧を表示 例えば、目次ページで[ 世田谷区の筏道 ]をクリック▼地図は別のタブで表示画面左に、世田谷区で扱うポイントの一覧が出ます 手順2 一覧から選ぶ 見たいポイントをクリック地図上のポイントでも可能▼画面左に、選択したポイントの絵とメモが出ます別のポイ…

  • 左岸の順路は羽田から府中まで

    《出典》地図は地理院地図から一部を抜粋して、記号等を追記して使用 左岸の筏道の全体 上の地図は、このサイトで扱う「多摩川左岸の筏道」の全体です。 赤色の線が筏道で、出発点は大田区の羽田、このサイトでの到着点は府中市内までです。 地図中に大田区、世田谷区などとあるのは、行政区分のイメージを持ってもらうために書き込みました。行政区分の境界点は記号で示し、それぞれの境界は大掴みな位置です。 引用させてもらった文献 このサイトでは、下記に示した文献に掲載された順路を使います。 文献のなかの地図では、府中市内の終点は京王線・東府中駅近くの旧甲州街道上でした。そこで旧甲州街道上の順路を少し延長して、府中市…

  • 筏道は筏乗りの帰り道

    さて、公園で小学生の男の子が、お父さんに質問をしています。Q:筏道ってなんなの?A:それはね、江戸時代から大正時代の頃の話なんだよ。東京と神奈川県の境を流れている多摩川での話なんだ。多摩川のずっと上流で、切った山の木を川に並べて、結んで、多摩川の流れに乗せて、河口近くまで運んでいたんだ。それを「筏流し」(いかだながし)って呼んでいるよ。筏には男の人が乗っていて、筏を操っていたんだ。そして、流れに乗って無事に到着したら、筏は受け取りの人に渡して、まだ鉄道が無いころは、筏に乗っていた男の人は歩いて帰ったんだ。その「帰り道」のことを「筏道」(いかだみち)って呼んでいるんだよ。そして「筏道」は、多摩川…

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