2022年10月にブログを立ち上げてから書きたいことを書いてきたけれど、今となってはそれが単なる承認欲求だったんだなぁと思う。ブログを書いていく中でそんな気がし始めていたけれど、やっぱりそうだったなと思った。 私にはたま …
2022年10月にブログを立ち上げてから書きたいことを書いてきたけれど、今となってはそれが単なる承認欲求だったんだなぁと思う。ブログを書いていく中でそんな気がし始めていたけれど、やっぱりそうだったなと思った。 私にはたま …
とりあえず今も、ウォーキング行ったり野菜ジュースを飲んだりするのは強制していない。それでも悪くはなっていないように感じる。足の力の入り方だけを考えたら、良くなっている。(筋トレのおかげ) ――――――――最近はもっぱら、 …
この世界に生まれてきた目的、私たちの人生の目的は『自分の存在を認める』と言うことだと この本に書いていた。(まさしく『可愛くてごめん』の世界観)価値観は引き寄せの法則や潜在意識、バシャールにも通じる。
『病気を治すため』には、病気でい続けなければいけないのだ。病気が治ってしまっては、『病気を治すため』という目的が果たせなくなる。だから、病気に留まり続ける。私の潜在意識は、目的を果たしたいがために好んで病気を続けいる。
このときの『願望』とは、『私は脊髄小脳変性症になりたい』ということ。 「そうなのか」と納得できるはずはない。でも、この引き寄せの法則、潜在意識のサイトを読む限りではそうなるし、NLPで考えてもそうなる。 顕在意識には決し …
歩きにくさが増す現実」が現象化されていた。常にその不安を感じていたから、日に日に増していたように思う。でも「思考の変化」が起きて少し歩きやすくなった。エゴが歩きにくさを指摘してきたら「黙ってて!と一蹴する感じ。するとエゴは黙る、脳内で行われる会話が止む。
とにかく現状維持した方が安心だ、と猛烈にアピールしてきた結果なんだと思う。私の潜在意識は私の性格を把握。リラックスしなさいと言ってるのか!と解釈することにした。超即席アロマキャンドルにして、自愛に励む!家に揃ってところが『(潜在意識は)完璧
2、3日前突然、カラダに強烈な不具合が起こって、日常生活に支障をきたす症状が現れた。(脊髄小脳変性症は関係ない) 症状のせいで夜も眠れず睡眠不足。充分に休まらないから、身体の運動機能が低下したように思えた。仕事へは行くけ …
ここ数週間このサイトを見まくった。響く方には、めっちゃ響くサイト!そして108さんの「ザ・チケット」も買った。(このリンク先はスマホだと見れない設定にされているようなので、購入したい方はPCで開いてください) 「ザ・チケ …
69-船が沈みかけているのに空いた穴を補修せず、入ってきた海水をバケツでせっせと汲みだしていた状態
固定概念を自分で創りだして、盲点までも自分で創りだしていた。『自作自演』だ。その日マイナスミラーニューロンを働かせることをやっていたことに気が付いた。無意識に悪化するための情報、を私は定期的に仕入れていたのかとようやく気が付けた(遅いっ)
初めまして、だけど中年以降の男性との初めましてのシチュエーションで、なぜかホステスしてたときの記憶が脳裏に蘇った。一瞬だけど。(このときの私のアタマは24になっていたw) それはそうと。話しやすい医師で良かった^_^印象 …
難病だから治らないというのが『思い込み』であることが理解できた。どの世界を選択するか?ということ。ここ数日で歩数が減っている。つまり歩幅が大きくなったということ。時間も5分縮まった。…風の時代に突入したから、心理面の影響がより顕著に表れるの
見よう見まねでやってみたらすぐに歩きやすくなったのがわかった。私の重心はどうやら『浮いている』ようだ。見えている地面の3センチ下が地面だと思って歩くようにすれば良いことになるから、試しにその意識で室内を歩いてみたら、しっかりと地に足が着く感じがした。
潜在意識に刻めば叶う、と言うことだ。都合のいい勘違いを潜在意識にインストールしよう。効果が出るかはわからない。も楽しいならいっか!って感じ。最近ふと『完治』じゃなくても良いんじゃない?と思った。『足に痺れだけがある状態』。この状態が良いと思った。
歩きにくさにフォーカスしていた私の思考に反応した潜在意識が、きちんと『歩きにくい』現実を引き寄せてくれた。やったことはひたすら「ありがとう」を言う。あ~なんかついに変な方向に進み始めたな…と思うかも!何を信じたいかはそれぞれの『選択』だから!
欲求に負けて何か食べたりもするからか、経過としては面白いことに痩せることなく、なんなら太ったwだってさー、食欲に負けることがしょっちゅうあるし、普段はベジタリアンだけど彼がいるときの食事は合わせるから、どうしても動物性の食事になって、それはそれで良しとしているからかな?(否、一緒に住んでいるわけではないから、それは言い訳か…)まぁ我慢のガス抜きにもなっていて、悪くはないと思うけれど太るて…(^^; とりあえず3ヶ月は様子をみなきゃわからないかな?と今は甘やかしている。それでもやっていく中で気づいたこともあって。 私は最初から「食べることはやめない」と決めていて、今でもそれは変わらないんやけど、 そういうことを日々考えることで、少しずつ『不食』や『節食』という単語に抵抗が無くなる。 そして日々考えるから、繰り返しその単語が刷り込まれて、私のアタマに新しい回路ができた。
必死で働いたのは母だけ。父はオンナを作ってお金はそちらに流れ、私の記憶では「ウチは貧乏」。家のどこかに現金を隠しておくと探し出して根こそぎ持っていく。…そしてもうすぐ43になるという今頃、親子関係のやり残しをしているんだな、と最近は思う^_^
初期症状発現から脊髄小脳変性症と診断されるまでの、9個の記事をざっくりまとめました ======================== 2008年(28歳)までさかのぼります。ずっと健康に過ごせていましたが、2008年の冬 …
無性に食べたくなる。野菜ジュースと豆サラダばかりで仙人みたいな食事と言われる。気を抜いてサータアンダギー食べて幸せ感じたり(安つくわぁw)、一時的なことであってやめたわけじゃない。 その瞬間は引き換えに幸せを感じているんやから。それでいい。
やっぱり足首が上がりにくい、動画をいくつか見て、効果を感じられた。この話題にどれだけの人が関係あるだろう。歳を重ねたとき
何かを変えなきゃいけないとは思うけれど、思いつくこと全て自分の世界観の中。主治医が定年退職することで、ある意味強制的にコンフォートゾーンを出さされる、それはそれで良いかもしれない。また、ある人のYouTubeを見ていたとき『信じる=疑う』と書いていた。
最後の日に初めて不安をぶつけてしまったのだけど、自分の不安を表現しぶつけたことは、かえって良かったのかもしれないと解釈を変えることにした。不思議に足の指により力が入った気がした。気のせい、なんだろうけど気分は上がった^_^
要は16時間何も食べないか飲む、だけ。常識とされている栄養学ではありえないメニュー。 でもその『常識』ってヤツで私は思考停止していた。空腹感に耐えきれないときは、ちゃんと認めて何かを口にする。
左足の親指に力が入って地をつかんでいる感覚があった。ふくらはぎにも力が入っているのが伝わってきた。ずっと右足でカバーしていた。 『脳からの命令が伝わる神経(シナプス)の損傷では?』という仮説。 シナプスを再生させるための食べ物を食べ続けたらシナプス復活するかなぁ~。
付き合いに反対していたのに勝手に籍を入れたこともあり、抱えていた悩みを話せる人がひとりもいないまま、「妻」を演じていた。 離婚したあと「今までとは違う景色が見たい」という思いと、せっかく難病を与えられたのだからそれ存分に味わえばいいだけ、なの
食べすぎていない?たんぱく質。たんぱく質維持必要量=『0.65×体重』 将来身体にガタがきては困るから良質なたんぱく質を食べて老化を防ぐ。 動物性のたんぱく質ばかりを食べていたら、病気・老化が進行し、たんぱく質の比率を減らしたエサをマウスに与えると、
食べた回数分を体外に出せていなければそれは便秘だということを認識… そうして体内にとどまり続ける消化物は37度という腐敗に適した環境で毒素を作り出し、その毒素は体内に吸収されて、全身をめぐる。 そしてめぐった先々で抵抗力が落ちているところを見つけたら、そこで悪さを始める。
正解なんてないだから、数ある選択肢の中から自分にとっての正解を探す。 そして自分にとっての正解をポリシーとして生きる。 それって
1500歩の壁は実は筋力の問題ではなくこの病気によるもの、な気もするけれど、 そこに関してはわからないのだから、考えても答えは出
原因は先にも書いたように、自分の実力を過信したことにある。 出勤した日の歩数を毎回記録しているから「5000歩であれば歩ける。」という自信が生まれていたのかもしれない。
いつものウォーキングと同じ1500歩程度の歩行なら問題ないけれど、 それ以上を歩くことが今の私には、できない。 と言うことを思い知らされた。
できた。こうしたことを続けていくうちに自信がついてきて、杖を手放せるときがくるのだなということがなんとなく理解できた。
『つっぱり』と『脱力』、これらが同じことを指していることをようやく理解した。 まったく違う感覚のように思っていたけれど、視点を変えたらそうともとれる。 ある意味パラダイムシフト!( ̄▽ ̄)
46-西式甲田療法で小食を始めたけれど、食べたい欲求ほとんどなし
腸を徹底活用するには「小食」「断食」腸の仕事を邪魔しないために食事を必要最小限におさえて、食べたら食べたぶん出せるカラダになることが、病気を治す、または病気にならないコツ、であり幸福感をも持続させることになる。小食、続けるぞ!
確かに加熱したものを食べるのはヒトだけ。野生の動物は生食しかしない。 人間も自然界の一部だから、そうするのが自然なのだろう。
良くなった。と思ったけど、 あるある、だ。 少し歩き方がおかしくなった気がする(T_T) 現実を直視して、考えようと思う。
主治医は「この病気は去年と今年の差がわからないくらいにゆっくり進行する」と言ったけれど、『去年より確実に良くなっている』と思った。この間なんて階段を3段、手すり持たずに降りるという快挙を成し遂げた!これはかなりの改善だと思う。
◯朝食(5:00) 玄米パンとおかずを小鉢に2品 →食べないときもある。食後のコーヒーはやめられない^^; ◯夕食(15:30) 青汁を飲んだ後に玄米クリーム(前日から浸水させたもの) →仕事に行く日はもう少し遅く食べる
人類が二足歩行になったがゆえに起こる背骨のゆがみを、板の上で寝ることで自然と矯正してくれるらしい。症状のなかに痺れがあるから、矯正されてマシになるかもしれないけれど… それにしても、『板の上に木枕』で寝るなんてちょっとした修行みたいだ。 もう何十年と
前提は『苦境ありき』だ。 《良い》《悪い》を判断しない潜在意識は無意識にそれを再現しようとする。そして潜在意識に『苦境ありき』が刻まれてしまうと、私の目の前には《苦境》が現れ続けてしまうことになりかねない、と思った。 それはつまり、症状が進行するということだ。
人間は「欲」にまかせて色んなものを食べる。 身体が必要としていること、と、欲していることの違いが正しく認識できていない。(私も!)以前マルチタスク実験をやったときに、マルチタスクだと集中できないと書いた。そのときもやっぱり消化もマルチタスクだと
使い始めてから1週間くらいで睡眠時間の8割は木枕で眠れるようになった。 まだ効果らしい効果、は感じられないけれど、これも経過を観察していこうと思う。(本当は布団も敷かない板の上に寝て、木枕を使用する)←私はベッドで使用…
身体が思う通りに動かせるというのは、幸福感を感じられる要素のひとつ、ではあると思う。 だから改めて目的を《完治させる》にした。 私の定義する脊髄小脳変性症の完治は ◯足に感じる痺れが無くなっている ◯間欠跛行(かんけつはこう)が出なくなっている(30分以上歩ける) ◯無意識で歩くことができている かな。
でも、《歎異抄》にあった親鸞の答えは『信じること』だった。正解なんてどっちでもよくて、自分が信じることが、正解なんだと。私はそう理解した。以前、同じことを感じたことがある。だから改めて≪信じる≫ということの重要性を脊髄小脳変性症が教えてくれ
≪痺れ≫に対して単純接触効果が働いてしまったのではないか?それで、本当は不快だと思っている痺れなのに脳は好意的に感じてしまった。 人間関係に当てはめたら、≪一見、仲のいい友達、だけど単にいつも一緒にいるということだけでその輪に居続けているけれど、本当はそうでもない≫っていう感じか。
〝健常者〟だった。だけど転倒が増えていた頃だった。脊髄小脳変性症の進行性とやらを否応なしに体感していた。なのに一年が経ったいま、 〝障害者〟となっている。それなのにほとんど転倒しなくなった。その頃より足は動いている、歩けるようになってきている。
なにが言いたいのかというと、 ●ヒトは小食にしたらしたで、必要なものは先のタンパク質のように自分で生成できるようになるんじゃないか? ●数値化された筋肉量は実は意味なくて、実際に日々感じる身体の感覚がすべてなんじゃないか? ということ。(当りまえか)
すると足がピクっと動く。不随意運動が始まったと気がめいる。ネットに『足のピクつきで病院にかかる場合は神経内科』と書いてあったから、脊髄小脳変性症の症状のひとつだったのかもしれない、と今になって思う。日中はなんてことない。ピクつきはベッドに入ってウトウトしだしたころにやってきていた。寝落ちしそう〜ってときに足がピクッとなって目が覚める。しばらくしてまた寝落ちしそうになるとピクっとなる。そのせいで眠れない。1〜2時間そんなことを繰り返したのち、睡魔がようやく勝って眠りにつける。
ってことはよ?『塩水療法』を続けながら『小食』や『断食』をすれば治癒のスピードが早くなるのかもしれない! と新しい仮説ができた。そうなると試したくなる性分。このまえ沖縄へ行ったときに買ってきた食糧の消費予定をまずは立てよ(^^;
脳は情報を処理してエネルギーを使うのに、愛着のあるものはそのことを見えなくさせていたことに気づいた。だから、病気を完治させたいんだ!仲間のいない長く、孤独な旅になるとしても!と再びマインドをセットしなおした。
実はゴールに向かう手段なんて何だっていいのではないか?と。心の底から信じられることであれば塩水療法じゃなくてもいいのでは?新薬かもしれないし、iPS細胞かもしれないし、リハビリを続けることかもしれないし、民間療法かもしれない。それに必要ことは『信じる』こと。
ネットでみる「脊髄小脳変性症(難病全般)は治らない」の文字。その文章を認識するたびに潜在意識にすりこまれて、結局自分で限界をつくっていることになるのではないのか、と思った。だから今でも治ると信じている。あの人バカだと言われても。
おめでとうございます。もう七日ですが^_^; 去年、難病と診断されてから色んなことを考えるようになりました。『生きるって…』の『…』部分です。 これからも『…』にはプラスの言葉を当てはめて、頑張っていこうと思います。 よ …
それをネットから知るんではなく、医師の口から患者に伝えて欲しい。「治った事例もある」と。そして治っているイメージを脳に描かせてほしい。それこそ医師の役割じゃないの?って思った。
◯可哀想な私、で障害者手帳をふりかざして生きていくこともできるし、 ◯根拠のない自信で必ず治る!と思って生きていくこともできる。 ◯「指定難病」は現代医療で治療法が確立していないから「指定難病」になっていて、それを治ると信じているある意味イタい人、になることもできるし、 ◯風邪をひいても寝てれば治るから、この病気も治るよーと楽観的にとらえる生き方もできる。
杖は持つ、ただし浮かせて。 と、いう私なりの『脊髄小脳変性症のリハビリルール』を作った。 そしてやってみた。
前回の投稿から『これからどうする?』が、良くも悪くも頭から離れない。 自分に問いかける。「本当は何が欲しいの?」と。 出てきた答えは「最期まで(杖に頼らず)自分の足で歩きたい」だった。 母になる人は、母になる練習なんてし …
ブログを始めた当初は13年という長い時間を思い出しながら文字にするのに一体どれくらいの時間がかかるのだろう、と思っていたけれど、忘れていることもきっとあって意外と早い期間で13年が埋まった。現時点で思い出せることは書きき …
なぜ塩水療法にねらいを定めたのかはタイトルに尽きる。 世間には体に良いと言われるもの、悪いと言われるもの、両方がある。 水だって塩だって、摂りすぎたら毒になる。それは何にでも言えることだと思う。 探せば塩水療法以外の他の …
なぜ塩水療法にねらいを定めたのかはタイトルに尽きる。 世間には体に良いと言われるもの、悪いと言われるもの、両方がある。 水だって塩だって、摂りすぎたら毒になる。それは何にでも言えることだと思う。 探せば塩水療法以外の他の …
障害者手帳に貼るための写真を撮った。会社の最寄駅にあった箱型のやつで。 出てきて驚いた。イヤ、確かに〝真実を写す〟とは書くけど、こんなのイヤだーーーっていうできあがりだった(右側のやつ)から別の機械で撮りなおした。 とい …
難病と診断を受けてまず取得したのが医療費受給者証(病院に勤めていたときは〝限度額〟とか〝特定疾患〟と呼んでいた)これの取得は大変さは感じなかった。役所に診断書を提出してから約3か月で受給者証が届いた。これでこの病気に関係 …
真面目に岩塩での塩分摂取を続けているけれどこの血圧ならやっぱり(天然塩であれば)塩分摂取量と血圧は関係ないのかもしれないと思えた。
彼とは歳の差が33ある。親よりも歳上だ。だからジェネレーションギャップはある。でも若いときからホステス業で年輩層と接してきたからかそこまで感じない。
私に現れた症状の特徴のひとつにバランスを崩しやすい、というのがある。(でもトランポリンは不思議に跳べる( ̄3 ̄)また、方向転換が苦手というのもある。一旦止まってからでないと次の一歩を踏み出すのにふらつく。頭では一連の動き …
脊髄小脳変性症だと診断された日から2週間くらいは思考が停止していた。ネット検索では良いことなんてひとつも見つからない、せいぜい「薬で症状を抑えられます」程度。 難病、障害者、治療法無し、などネガティブな情報しか入ってこな …
7月中旬から本に書いてある塩水療法を始めた ☆1ヶ月目(7月) ○やったこと○・水を飲むときに入れていた塩をピンク岩塩からクリスタル岩塩に変えた。本によるとピンク岩塩でもいいのだが、粒子の細かさ(細胞への入りやすさ)が違 …
ここ数年(今2022/10)エスカレーターのアナウンスが二列で止まって、のような表現に変わった。以前はお急ぎの方のために左側は開けて、だった。 発病前はなんてことなかったエスカレーターの大阪ルール。でも、 ・右利きで・杖 …
前半の上から撮った映像は少しわかりにくいが、後半の横から撮ったのは左足が上がっていないのがよくわかる。 これでもだいぶ上がるようになった方で。撮影日2022年10月21日 ひどいときはも1センチも上がらなかった(~_~; …
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2022年10月にブログを立ち上げてから書きたいことを書いてきたけれど、今となってはそれが単なる承認欲求だったんだなぁと思う。ブログを書いていく中でそんな気がし始めていたけれど、やっぱりそうだったなと思った。 私にはたま …
とりあえず今も、ウォーキング行ったり野菜ジュースを飲んだりするのは強制していない。それでも悪くはなっていないように感じる。足の力の入り方だけを考えたら、良くなっている。(筋トレのおかげ) ――――――――最近はもっぱら、 …
この世界に生まれてきた目的、私たちの人生の目的は『自分の存在を認める』と言うことだと この本に書いていた。(まさしく『可愛くてごめん』の世界観)価値観は引き寄せの法則や潜在意識、バシャールにも通じる。
『病気を治すため』には、病気でい続けなければいけないのだ。病気が治ってしまっては、『病気を治すため』という目的が果たせなくなる。だから、病気に留まり続ける。私の潜在意識は、目的を果たしたいがために好んで病気を続けいる。
このときの『願望』とは、『私は脊髄小脳変性症になりたい』ということ。 「そうなのか」と納得できるはずはない。でも、この引き寄せの法則、潜在意識のサイトを読む限りではそうなるし、NLPで考えてもそうなる。 顕在意識には決し …
歩きにくさが増す現実」が現象化されていた。常にその不安を感じていたから、日に日に増していたように思う。でも「思考の変化」が起きて少し歩きやすくなった。エゴが歩きにくさを指摘してきたら「黙ってて!と一蹴する感じ。するとエゴは黙る、脳内で行われる会話が止む。
とにかく現状維持した方が安心だ、と猛烈にアピールしてきた結果なんだと思う。私の潜在意識は私の性格を把握。リラックスしなさいと言ってるのか!と解釈することにした。超即席アロマキャンドルにして、自愛に励む!家に揃ってところが『(潜在意識は)完璧
2、3日前突然、カラダに強烈な不具合が起こって、日常生活に支障をきたす症状が現れた。(脊髄小脳変性症は関係ない) 症状のせいで夜も眠れず睡眠不足。充分に休まらないから、身体の運動機能が低下したように思えた。仕事へは行くけ …
ここ数週間このサイトを見まくった。響く方には、めっちゃ響くサイト!そして108さんの「ザ・チケット」も買った。(このリンク先はスマホだと見れない設定にされているようなので、購入したい方はPCで開いてください) 「ザ・チケ …
固定概念を自分で創りだして、盲点までも自分で創りだしていた。『自作自演』だ。その日マイナスミラーニューロンを働かせることをやっていたことに気が付いた。無意識に悪化するための情報、を私は定期的に仕入れていたのかとようやく気が付けた(遅いっ)
初めまして、だけど中年以降の男性との初めましてのシチュエーションで、なぜかホステスしてたときの記憶が脳裏に蘇った。一瞬だけど。(このときの私のアタマは24になっていたw) それはそうと。話しやすい医師で良かった^_^印象 …
難病だから治らないというのが『思い込み』であることが理解できた。どの世界を選択するか?ということ。ここ数日で歩数が減っている。つまり歩幅が大きくなったということ。時間も5分縮まった。…風の時代に突入したから、心理面の影響がより顕著に表れるの
見よう見まねでやってみたらすぐに歩きやすくなったのがわかった。私の重心はどうやら『浮いている』ようだ。見えている地面の3センチ下が地面だと思って歩くようにすれば良いことになるから、試しにその意識で室内を歩いてみたら、しっかりと地に足が着く感じがした。
潜在意識に刻めば叶う、と言うことだ。都合のいい勘違いを潜在意識にインストールしよう。効果が出るかはわからない。も楽しいならいっか!って感じ。最近ふと『完治』じゃなくても良いんじゃない?と思った。『足に痺れだけがある状態』。この状態が良いと思った。
歩きにくさにフォーカスしていた私の思考に反応した潜在意識が、きちんと『歩きにくい』現実を引き寄せてくれた。やったことはひたすら「ありがとう」を言う。あ~なんかついに変な方向に進み始めたな…と思うかも!何を信じたいかはそれぞれの『選択』だから!
欲求に負けて何か食べたりもするからか、経過としては面白いことに痩せることなく、なんなら太ったwだってさー、食欲に負けることがしょっちゅうあるし、普段はベジタリアンだけど彼がいるときの食事は合わせるから、どうしても動物性の食事になって、それはそれで良しとしているからかな?(否、一緒に住んでいるわけではないから、それは言い訳か…)まぁ我慢のガス抜きにもなっていて、悪くはないと思うけれど太るて…(^^; とりあえず3ヶ月は様子をみなきゃわからないかな?と今は甘やかしている。それでもやっていく中で気づいたこともあって。 私は最初から「食べることはやめない」と決めていて、今でもそれは変わらないんやけど、 そういうことを日々考えることで、少しずつ『不食』や『節食』という単語に抵抗が無くなる。 そして日々考えるから、繰り返しその単語が刷り込まれて、私のアタマに新しい回路ができた。
必死で働いたのは母だけ。父はオンナを作ってお金はそちらに流れ、私の記憶では「ウチは貧乏」。家のどこかに現金を隠しておくと探し出して根こそぎ持っていく。…そしてもうすぐ43になるという今頃、親子関係のやり残しをしているんだな、と最近は思う^_^
初期症状発現から脊髄小脳変性症と診断されるまでの、9個の記事をざっくりまとめました ======================== 2008年(28歳)までさかのぼります。ずっと健康に過ごせていましたが、2008年の冬 …
無性に食べたくなる。野菜ジュースと豆サラダばかりで仙人みたいな食事と言われる。気を抜いてサータアンダギー食べて幸せ感じたり(安つくわぁw)、一時的なことであってやめたわけじゃない。 その瞬間は引き換えに幸せを感じているんやから。それでいい。
やっぱり足首が上がりにくい、動画をいくつか見て、効果を感じられた。この話題にどれだけの人が関係あるだろう。歳を重ねたとき
できた。こうしたことを続けていくうちに自信がついてきて、杖を手放せるときがくるのだなということがなんとなく理解できた。
『つっぱり』と『脱力』、これらが同じことを指していることをようやく理解した。 まったく違う感覚のように思っていたけれど、視点を変えたらそうともとれる。 ある意味パラダイムシフト!( ̄▽ ̄)
腸を徹底活用するには「小食」「断食」腸の仕事を邪魔しないために食事を必要最小限におさえて、食べたら食べたぶん出せるカラダになることが、病気を治す、または病気にならないコツ、であり幸福感をも持続させることになる。小食、続けるぞ!
確かに加熱したものを食べるのはヒトだけ。野生の動物は生食しかしない。 人間も自然界の一部だから、そうするのが自然なのだろう。
良くなった。と思ったけど、 あるある、だ。 少し歩き方がおかしくなった気がする(T_T) 現実を直視して、考えようと思う。
主治医は「この病気は去年と今年の差がわからないくらいにゆっくり進行する」と言ったけれど、『去年より確実に良くなっている』と思った。この間なんて階段を3段、手すり持たずに降りるという快挙を成し遂げた!これはかなりの改善だと思う。
◯朝食(5:00) 玄米パンとおかずを小鉢に2品 →食べないときもある。食後のコーヒーはやめられない^^; ◯夕食(15:30) 青汁を飲んだ後に玄米クリーム(前日から浸水させたもの) →仕事に行く日はもう少し遅く食べる
人類が二足歩行になったがゆえに起こる背骨のゆがみを、板の上で寝ることで自然と矯正してくれるらしい。症状のなかに痺れがあるから、矯正されてマシになるかもしれないけれど… それにしても、『板の上に木枕』で寝るなんてちょっとした修行みたいだ。 もう何十年と
前提は『苦境ありき』だ。 《良い》《悪い》を判断しない潜在意識は無意識にそれを再現しようとする。そして潜在意識に『苦境ありき』が刻まれてしまうと、私の目の前には《苦境》が現れ続けてしまうことになりかねない、と思った。 それはつまり、症状が進行するということだ。
人間は「欲」にまかせて色んなものを食べる。 身体が必要としていること、と、欲していることの違いが正しく認識できていない。(私も!)以前マルチタスク実験をやったときに、マルチタスクだと集中できないと書いた。そのときもやっぱり消化もマルチタスクだと
使い始めてから1週間くらいで睡眠時間の8割は木枕で眠れるようになった。 まだ効果らしい効果、は感じられないけれど、これも経過を観察していこうと思う。(本当は布団も敷かない板の上に寝て、木枕を使用する)←私はベッドで使用…
身体が思う通りに動かせるというのは、幸福感を感じられる要素のひとつ、ではあると思う。 だから改めて目的を《完治させる》にした。 私の定義する脊髄小脳変性症の完治は ◯足に感じる痺れが無くなっている ◯間欠跛行(かんけつはこう)が出なくなっている(30分以上歩ける) ◯無意識で歩くことができている かな。
でも、《歎異抄》にあった親鸞の答えは『信じること』だった。正解なんてどっちでもよくて、自分が信じることが、正解なんだと。私はそう理解した。以前、同じことを感じたことがある。だから改めて≪信じる≫ということの重要性を脊髄小脳変性症が教えてくれ
≪痺れ≫に対して単純接触効果が働いてしまったのではないか?それで、本当は不快だと思っている痺れなのに脳は好意的に感じてしまった。 人間関係に当てはめたら、≪一見、仲のいい友達、だけど単にいつも一緒にいるということだけでその輪に居続けているけれど、本当はそうでもない≫っていう感じか。
〝健常者〟だった。だけど転倒が増えていた頃だった。脊髄小脳変性症の進行性とやらを否応なしに体感していた。なのに一年が経ったいま、 〝障害者〟となっている。それなのにほとんど転倒しなくなった。その頃より足は動いている、歩けるようになってきている。
なにが言いたいのかというと、 ●ヒトは小食にしたらしたで、必要なものは先のタンパク質のように自分で生成できるようになるんじゃないか? ●数値化された筋肉量は実は意味なくて、実際に日々感じる身体の感覚がすべてなんじゃないか? ということ。(当りまえか)
すると足がピクっと動く。不随意運動が始まったと気がめいる。ネットに『足のピクつきで病院にかかる場合は神経内科』と書いてあったから、脊髄小脳変性症の症状のひとつだったのかもしれない、と今になって思う。日中はなんてことない。ピクつきはベッドに入ってウトウトしだしたころにやってきていた。寝落ちしそう〜ってときに足がピクッとなって目が覚める。しばらくしてまた寝落ちしそうになるとピクっとなる。そのせいで眠れない。1〜2時間そんなことを繰り返したのち、睡魔がようやく勝って眠りにつける。
ってことはよ?『塩水療法』を続けながら『小食』や『断食』をすれば治癒のスピードが早くなるのかもしれない! と新しい仮説ができた。そうなると試したくなる性分。このまえ沖縄へ行ったときに買ってきた食糧の消費予定をまずは立てよ(^^;
脳は情報を処理してエネルギーを使うのに、愛着のあるものはそのことを見えなくさせていたことに気づいた。だから、病気を完治させたいんだ!仲間のいない長く、孤独な旅になるとしても!と再びマインドをセットしなおした。
実はゴールに向かう手段なんて何だっていいのではないか?と。心の底から信じられることであれば塩水療法じゃなくてもいいのでは?新薬かもしれないし、iPS細胞かもしれないし、リハビリを続けることかもしれないし、民間療法かもしれない。それに必要ことは『信じる』こと。