曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「あずさわ日記」に準じて新たに 「あずさわたより」を開始いたしました。 同じく光明思想の発信をとおして、 自己啓発のお役にたてればうれしいです。
第五十則 雲門塵々三昧【垂示】垂示に云く。階級を度越し、方便を超絶す。機々相應じ、句々相投ず。儻し大解脱門に入り、大解脱用を得るに非んば、何をもって佛祖に權衡し、宗乗に亀鑑たらん。且く道へ、當機、直截
三聖が「網を透る金鱗、何をもって食するか」と雪峰に問ひかけた機鋒の鋭さは、既に網を破って外に出た金龍ともいふべき悟境の人のはたらきの自由自在さを知っていた上で仕掛けた問である。その乾坤を揺がし蕩かす有
【頌】頌に云く、透網の金鱗、云ふことを休めよ、水に滞ると。乾を揺がすし、坤を蕩(あうごか)す。鬣(たてがみ)を振ひ尾を攘(うちはら)ふ。千尺鯨噴いて洪浪(こうらう)飛び、一聲震うて清飆起る、清飆起る。天上人間
この三聖の反論は禪問答の型式の網の中にいて、問答に打ち勝ちたいーーー自分の方が“勝者”だあるといふ自負が見られるのである。しかし雪峰はそんな禪問答の勝負の網目の中にもういなかったのである。それだから「老
三聖が「網を透る金鱗、何を以ってか食と為す」と雪峰禪師に問答をしかけた時に、雪峰が「儞が網を出で来らんを待って、儞に向かって道はん」といったのは、時間空間の現象認識の中に住んで、すべては物質だと見てい
「無我」になれない以前の人は誰でも“我”でつくった網で自分自身の實相を包み覆ってしまって、自由を失っているのである。それだからオリンピックの色々の試合を見ても、各國の選手は大抵力量が平均していて“相打ち”
東海道豊橋市の堀田家に傳承された“平常無敵流”の流祖山内甚五兵衛は若い時から劍術を好み、諸流を歴訪して修行を積み、多賀伯庵について富田流の奥儀をさづかり、竝ぶ者なき劍術の達人となった。それより諸國の名だ
そして三十秒間起き上がれないやうに押へ込むと勝となるのである。形式は同工異曲であって颯爽とした“投げ技”といふやうな軽快なものは見られなかった。つまり自分でつくった型式の網の中でも力闘である。つまりオリ
わたしは柔道ばかり酷に批評したと思はれては困る。わたしは、少しばかり合気道を学びその試合の型をたびたび見たことがあるので、柔道といふ限りは體重の重さの競技や、筋肉力の強さの力くらべではなく、立った瞬間
柔道着を著て、その襟と袖とを互に把んで自分自身の生命の自由の動作を限定する作法・習慣の網の中に自分自身を限定してしまふーーーこの自分自身の自由をみづから縛る作法・習慣等をここでは“網”をもって譬へるので
わたしは、今年の七月から八月はじめにかけて催されたカナダのモントリオール市で開かれたオリンピック大会で、武道やスポーツの競技の光景を興味をもって見ていた。特に武道の試合には一層興味をもって注視していた
「網を透る金鱗」といふのは、人間を金鱗の美しい魚族にたとへたのである。“網”と言ふのは前述のところで譬喩にもって来た“笊”といふのと同じく、時間・空間といふ“認識の形式”のたとへとしてもって来たのである。普
“縦”は時間の象徴であり、“横”は空間の象徴であり、笊に乗っている米、時間空間面に乗せられて物質として假にあらはれている米は、笊を引っくり返してみれば笊と一緒に引っくり返ってしまふのである。それだから笊の
しかし、かういふ素人考への批評をされたのでは雪峰禪師も気の毒であるから、假に禪問答的立場に立って、この洞山・雪峰の問答のやりとりを解釋してみるならば、洞山大師から「お前は砂を洗うて米とするか、米を洗う
これでは此の解説書は、洞山下で典座をしていた頃の雪峰を「機鋒の鋭き人」といってほめているらしいが、それとも禪宗で、「機鋒の鋭き人」といふのは鋭い癇癪持といふ意味を、わざとこんな美辞麗句をもって形容する
わたしは禪の素人であるから、そんな禪の“型”の“網”の中で。禪僧の眞似をして公案を解釋しないのである。しかし禪の師家ともいふべき大家の解説書を読んで、禪の方ではこんな“型”が、生活にも、問答にも、修行にも、
【本則】擧す。三聖、雪峰に問ふ、網を透る近鱗、未審(いぶか)し何を以てか食と為す。峰云く、儞が網を出て来らんを待って、儞に道はん。聖云く、一千五百人の善知識、話頭だも也た識らず、峰云く、老僧住持事繁し。
守る側に立って、味方の軍勢をして十重二十重に城をとりまかしめ、鼠一疋隙間から忍び込むことが出来ないやうに、前を瞻、うしろを顧みて戦々兢々、やっと鼠ならぬ虎を捕へて、その虎の頭に馬乗りになり、尻尾をにぎ
禪の本には「作家」といふ熟語が時々出て来るが、禪を専門家に習ったことのない私には、禪の方で「作家」とはどういふ意味に用ひるのか知らないけれども、前後關係で判断してみる。現代では小説や戯曲を筋面白く描く
百匝千重の“匝”といふ字は“めぐる”といふ意味で環状にとりまくことである。不動明王は「右手に利剣を把り、左手に三匝半(さんぞうはん)の縄を持ち」という風に“匝”といふ字は使はれている。百匝千重で幾重にも何重に
基本的 神想観 https://www.youtube.com/watch?v=e-0C5q5qbYk
生長の家は、1930年(昭和5年)に谷口雅春先生が創設した光明思想哲学でありまして、 全ての物は言葉から成り、悪しき言葉(想念)は悪しき現象を顕し、良き言葉(想念)は良き現象として顕われる。とお説き頂いてお
第四十九則 三聖以何為食【垂示】垂示に云く、七穿八穴して、鼓を挽き、旗を奪ふ。百匝千重、前を瞻(み)、後を顧みる。虎頭に踞(またが)って虎尾を収むるも、未だ是れ作家にあらず、牛頭は没し、馬頭は囘るも、亦未
吉田講師はまことに實相を直視する正覺を備へていた。すべての現象悪を、“灰カグラの茶爐を一蹴踏倒し去った時”實相の潜龍昇騰して雷雲生じ五彩の閃光、實相世界を照すのである。この邊の眞理の悟を吉田國太郎君は自
少々勘違いいたしました。
灰カグラをあげるやうな茶爐は本来無いと踏倒してしまった時に實相妙樂の世界があらはれるのである。それが法華経の“如来壽量品”の自我偈にある「衆生、劫盡きて大火に焼かるると見るときも、此の土は安穏にして天人
第二章 人生は鍛えらるべき鋼鐡である人生は粘土ではない。それは鍛えらるべき鋼鐡である、とエマソンは言っている。人生を甘く考えてはならないのである。書物の講釋がいくら上手に出来ても、それが畳の上の水練で
朗上座には獨眼龍の知見だけであって現象の片眼だけが開いて、實相を見る活眼がまだひらいていない。それだから“眠れる龍”みたいなもので、どんな牙も爪も見えない青大将の姿である。いや、この潜龍、眼を覚まして口
それで、一分一厘見當ちがひをなすことなく、急所に觸れるのを形容して「風を成す」といふ成語が出来たのだと言ふ。王太傅が「その茶爐の下に何があるか」ときいたのは、現象の奥にある佛性に注目せしめるための“誘
【頌】頌に云く、来問風を成すが若し。慶機善巧に非らず。悲しむに堪へたり、獨眼龍。曽て未だ牙爪を呈せず。牙爪開く。雲雷を生ず。逆水の波幾回をか經る。【解釋】王太傅が「茶爐下是れ什麼」と言って“現象の灰カ
この話はこれで終わっているのであるが、それに對して雪竇老師が著語して「當時、但だ茶爐を踏倒せん」(その時、わしが其處にいたら、茶瓶だけではなく、茶爐も踏み倒してやったのに)といふのである。これは茶爐が
そこで朗上座から茶をついでもらっていた明招が朗上座に言った。ーーー「朗上座招慶の飯を喫却し了って、却って、江外に去って野たいを打す」(朗上座よ、お前は招慶寺に長い間居って、この寺の飯を食って佛法はもう
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曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの
曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの