曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「あずさわ日記」に準じて新たに 「あずさわたより」を開始いたしました。 同じく光明思想の発信をとおして、 自己啓発のお役にたてればうれしいです。
ところで「動ずるときは影あらはる」で、その錫杖が動くと、それを振ふ人の心境でそのヂャリンと鳴る響がちがふので、この錫杖を揮ふ僧はまだ悟に達していないか、悟入間近の人であるか、既に覺者であるか、その態度
【解釈】麻谷といふのは麻谷山に住持した寶徹禪師のことである。麻谷も章敬も南泉も馬祖大師の法嗣であり、謂はば相弟子である。章敬は京兆の章敬寺に住持した壊き禪師である。いづれも住持した場所又は寺の名前をも
地球の中心部に存在する高温の鉄などでできた「内核」が、地表より速く回転していたのが止まり、今度はその回転速度が地表よりも遅くなっている可能性があるとする論文が23日、英科学誌ネイチャージオサイエンス(Na
これに反して、ある目的意識、利害意識、所有慾や、貪欲の立場に立ってそれを眺めると、“眞金”すなはち純粋の黄金すらも色を失ってしまふのである。これらの眞理は、公案を書物の上で読み、禪師の提唱をきいているだ
人眞似をするのでは駄目だ。人眞似ではなく、自分の生命の實相に透徹してそこから本當の「信」を得て來なければならない。それが「透得徹し、信得及し」である。かうして、“動”だ、“不動”だ、“覺”だ“不覺”だ、“野狐
そこでだ「其れ或は不動、不覺なる」がよいのではないか。心が動ずるから迷生じ、病ひを生ずるのだから、「覺った」といって悟にひっかかって氷のやうな「心の法則」みたいな融通のきかぬ人間が出て來るのだからと言
かうして心が“迷”の方に動けば病気があらはれるが、悟の方に動けば病気が消える。胆嚢の中の“石”までも消えるのである。それだからといって“悟”といふものに心が引っかかって、融通がきかなく、家族に病気があらはれ
昔のいろんな言葉にありますけれども、“牛に曳かれて善光寺参り”……私は此の病気(胆石)に曳かれて飛田給にお参りに來れた、といふことは、矢張り一つ一つのその現れたものを嘆くんでなく、矢張りそのものに感謝して
「さうしまして、まあ自宅へ帰りましていろいろとかう考へてみた結果、“やはり一つの病院よりもう一つの病院にも矢張り診て貰はなきゃならないんでなからうか”と、かう思ひまして、今度は労災病院に行きまして、いろ
それは、昭和四十九年九月十三日、北海道釧路市(厚生年金體育館)にて生長の家の講習会のあったとき北海道・釧路市愛國二十二の原口良雄さん(五十八歳会社員)が、次のやうな自己の體験を発表されたのであった。「
第三十一則 麻谷振錫遶ぐる 【垂示】垂示に云く。動ずれば則ち影現じ。覺すれば則ち冰生ず。其れは或は不動、不覺なるも、野孤窟裡に入ることを免れず。透得徹し信得及し、絲毫の障翳も無くんば、龍の水を得るが
詩人はその心境を詩にうたふが、禪僧は行動に、行履に、作務にその心境をあらはすのである。支那の鎭州といふところは大根の名産地で、日本で言ふならば尾張とか練馬とかいふ所は、その名を聞くと直ぐ大根を連想する
【頌】頌に云く、鎭州に大蘿葡を出す。天下の衲僧則を取る。只知る自古に自今に、争か辯ぜん。つるは白く烏は黒きことを。賊々。衲僧の鼻腔曾て拈得す。【解釈】この頌には、本則の趙州の言葉「鎭州に大蘿葡を出す」
聖書の「ヨハネ傳」にはイエス・キリストが、生まれつき盲目なりし少年を癒して視力を恢復した奇蹟が描かれているが、ユダヤ人たちが驚いて、「その目は誰に治してもらったか」とたづねると、少年はイエスを指して「
最近、世界人口は爆発的に増加している。それに比して我が日本国の人口は減少化していて、次代を憂いる声が多い。人口爆発とは、人口が急激に増えること。世界人口は、長らく緩やかな増加を続けてきたが18世紀から21
『維摩經』に文殊菩薩が釋尊の病問の使者として維摩居士を訪問したとき、維摩は文殊を顧みて、「よくぞ來りし文殊、不來の相にして來り、不見の相にして見える」といふ有名な一節がある。“不見の相”にして見えるので
それだから趙州和尚は、まともに、尋ねられた問題には答へないで「しん州には大きな大根が頭を出しとるよ」(しん州には大きな大根が頭を出しとるよ)と、途方もない別問題のことをもって答へているのである。この趙
そこで碧巖録の編纂者は“こんな實例があった”と擧げ示すーーーといふのが「擧す」である。ある僧が、趙州和尚の許に來って、「承り聞く、和尚、親しく南泉に見ゆと、是なりや否や」(和尚さんは、南泉和尚のお弟子で
【本則】擧す。僧趙州に問ふ、承り聞く、和尚親しく南泉に見ゆと、是なりや否や、州云く鎭州に大蘿葡を出す。【解釈】斯ういふ簡単な“謎かけ”みたいな問答が時々禪僧の問答に取り交はされて、返事に詰ったら負けたの
“壊”も“不壊”もそれは現象のことであって、そんな關門を超えなければならないのに、憐れむべし、「他に隨ふ」などといって世界が壊けてしまふ時が來れば「自分も一緒に壊けます」などといふのは實相常住を知らないで
【頌】頌に云く、劫火の光中、問端を立つ。衲僧尚ほ兩重の關に滞る。憐むべし、一句他に隨ふの語、萬里區々として獨り往還す。さきにも言ったやうに、われわれの肉體の全細胞は常に“成住壊空”の劫火の眞唯中にあるの
何故このやうな成・住・壊・空の周期の循環が繰返されるのであるかといふと、行為(業ーわざ)によって、人間の魂は現象の無常を通して、創造の歓喜を学び、執着するの愚を学び、衰へ壊け行く者に對する同悲同慈の心
すると大隋は「壊」(くだけてしまふよ)と答へた。そこで僧は「什麼ならば(そんな事ならば)他の者たちと一緒に壊け去るのか」と問ふ。大隋は「他の何もかもと一緒にくだけ去るのだ」と答へた。この僧も、大隋和尚
大日本史ってご存知でしょうか。私が青年時代、この書と出会い、瑞々しい青年時代に虜になって、復刻に心血を注いだ時代がありました。或る奇縁で、近い世代で此の書に人生を捧げた青年を友の一人として迎える事に成
【本則】擧す。僧大隋に問ふ。劫火洞然として大千倶に壊す。未審し、這箇“壊”か“不壊”か。隋云く、壊。僧云く、什麼ならば則ち他に隨ひ去るや、隋云く、他に隨ひ去る。【解釈】大隋といふのは、益州大隋の法眞禪師の
精神統一に使う水晶でつくった凝視球があるが、それを靈能者がジッと見詰めていると、過去の光景や、未來の予言的有様がその澄み切った球面に浮かんで來るのである。それには漢人もあらはれて來るし、胡人(西方の蠻
それなのに、環境に自分に都合が悪いことが生ずると、これは隣人が悪いのだとか、制度が悪いのだとかいって、他を呪ふやうな念を起こす。無論、隣りの魚が行けば水を濁してこちらに迷惑を及ぼすことはある。しかし自
人生五十年と言われ 最早六十九歳。大凡七十年で知らされた一番大切な事。🔺≪人間は神の子である≫人は既に救われて居る。🔺≪煩悩即菩提≫生老病死の煩悩は究極菩提への機縁である。🔺≪一番の徳は布施(施し:物施(金銭
私(雅春尊師ご自身)の本に『降り注ぐ愛の奇跡』と云う本が有るんですが、ちょっと読んで見ます。こんな事も有った。彼が獄中でキリストの幻影に救われてから、絶対に忍耐強く、寛大であろうと決心した或る日、一人
「転生」むかし書いたものです。 なんとなく https://ncode.syosetu.com/n9094fc/ 神々しいい雰囲気 輝く容貌の方が居た。 ふと 歩みを止められて その温かい眼差しを仰ぐと 思わず伏して
業は原因となって必ず結果を惹き起こすのである、。原因となった業を“業因”といひ、結果としてあらはれた業を“業果”といふのである。原因は“主”であって、結果は“賓”である。或る好ましくない現象が、自分の肉體や環
ところで業即ち行為といふものは、自分が自分の心で何を思ひ、自分の身體で何を為さうが、それは自分の自由であるから、他から彼れ是れ言はれる筋合のものではないーーーなどと“人権の自由”を楯にとって、勝手気儘を
第二十九則 大隋劫火洞然 【垂示】垂示に云く。魚行けば水濁り、鳥飛べば毛落つ。明かに主賓を辨じ、洞かに緇素を分かつ。直に當䑓の明鏡掌内の明珠に似たり。感現じ胡來り、聲に彰れ、色に顕はる。且く道へ。什
次に「一一南に面して北斗を看る。斗柄垂る」といふのは北斗七星は、北を向いて見なければ見えない筈なのに南を向いて北斗七星を見ようとしている。“北”といふのは、子丑寅卯辰巳午を方向に配すると、“子”が一番はじ
【頌】頌に云く、祖佛従來人の為にせず、衲僧今古頭を競うて走る。明鏡臺に當って列像殊り。一一南に面して北斗を看る。斗柄垂る。討ぬるに處なし。鼻腔を拈得して口を失却す。【解釈】祖佛といふのは釋尊のことと思
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曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの
曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの