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SANETAKAの日記 https://sanetaka.hatenablog.com/

紫微斗数鑑定をしながらヲシテ文献の研究や、自然の法則について独自に学んでいます。長年教育の仕事に携わる中で、人生や人の命の根本的な仕組みを知りたいと思うようになり探し求めて今に至ります。必要な方に真っ直ぐ届きますように。。。

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2022/09/14

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  • 先祖のこと⑦

    長きにわたりましたが、少し紫微斗数のことと離れて自身の先祖のことをまとめてきました。調べてきたことを全てまとめようと思うと、かなりのボリュームになりますので、今回はできるだけ講座の中でで伝えていることと共通した部分を引っ張って、まとめさせて頂きました。 なぜこのようなことをしたのかと申しますと、人間は未来に不安を覚えるときに「道」(宇宙自然の法則や道理)からそれてしまうという傾向がございます。例え道が一体何なのかということが分かっていても、それてしまうのが人間の「性」です。となると逆に「道」とは一体何かということが分からなければ永遠と彷徨ってしまうということです。講座を受けて下さっている方は、…

  • 先祖のこと⑥

    2020年の年明け、私は神戸市文書館に足を運びました。佳澄の書いた大正7年1月20日付け神戸新聞の一面記事をコピーするためです。佳澄は国民新聞記者時代に、日露講和談判に際しポーツマスに特派されます。条約調印のその日、日本では条約反対を叫ぶ群衆が暴動を起こし、国民新聞社も焼き討ちにあいます。帰朝後、国内の混乱状態を目の当たりにした佳澄は、神経衰弱に陥り、記事を書くことができなくなりました。病を得て、国民新聞社を退社し帰郷していた理由とは以上のことでした。何とか記者生活を続けようと試みましたが、復帰は叶わず明治43年に療養のため帰郷します。そして約7年間の療養生活を経て大正7年に神戸新聞の主筆とし…

  • 先祖のこと⑤

    前回の先祖のこと④の続きです。以下は『山水随縁記』の一節です。江戸時代末期(1863年)に生を受けた蘇峰の書く文章は、もちろんどれも漢文調で、現代人からすると非常に硬い印象を受けるのですが、その中でも以下の文章は、佳澄との師弟関係を描いた優しく穏やかに編まれた文章だと感じます。馴染みのある旧字体はそのままに、そうでないものは新字体に直しました。濁点に関しては原文に従って付けておりません。~ 船は塩飽群島の間を過きて、午前十時過きに多度津埠頭に著し、何よりも先つ出向 ひたる濱田佳澄君と相見て一笑し。直ちに相携へて、其宅に赴けり。 濱田佳澄君に逢ふ 予か此地に來る楽の主なる一は、實に君と相見るにあ…

  • 先祖のこと④

    インターネットのおかげで、誰もが時代や国を超えてあらゆる情報に辿り着くことができるようになり、また埋もれていた情報が掘り起こされる時代になりました。これまでの教育現場では、どれだけ情報を『暗記』できるかということが問われてきましたが、今後は『膨大な情報から自身はどの情報を掴むのか』つまり取捨選択する能力の育成、または『それらの情報を整理し、どのように使っていくのか』つまり情報活用能力の育成がますます必要になってくると感じます。インプット、つまり暗記は誰がしても内容は同じですが(暗記できる量は人それぞれでしょうけれど)、アウトプット、つまり「表現やその知識」をどのように使っていくかというのは、個…

  • 先祖のこと③

    前回のブログの続きです。私の曾祖父は明治13年生まれで、明治の後半に故郷から東京に出てきて、最初は化粧品製造・販売の仕事を生業としていました。代々、家には秘伝の灸術が伝わっていたらしいのですが、曾祖父本人はお灸は大嫌いで、避けていたそうです。しかし、自身が病になったときに、あらゆる治療法で以てしても治らなかったのに、自分の母親に据えてもらったお灸ですっかり治ってしまったという経験から、人生を大きく方向転換し、自身で灸術を研究し始めます。古来の直灸や家伝の灸術に加えて、先日ブログ で書いた「活鹽水」を灸法に応用し、「活鹽灸」という灸法を創始しました。これら一連の流れや縁も、自身の好き嫌いという次…

  • 先祖のこと②

    好きな仕事だからしているんですよねと仰って頂くことがよくあります。もちろん、教えることや、人の話を聴いたり文章を書くことは嫌いではないですが、好きや嫌いだという感情を超えてさせて頂いているというのが正直な気持ちです。講座の中でも、「使命」とは何か、「天命」とは何か、「宿命とは・・・」など、語彙の整理をさせて頂いておりますが、以上のことは、いづれも人間の「好き・嫌い・楽しい」などと言った人間の個人的な感情では計り知れないところに存在するものだと私は考えています。例え嫌なこと、苦手なことであっても、自分がしないといけないことであるならば腹を括って、何とかその状況に沿うように心を尽くす姿こそ、人間の…

  • 先祖のこと①

    古代日本には「カミの道」という言葉がありました。カミを漢字で「神」と当ててしまうと、神社に行けばそのカミに会えると思い、神社参拝を思い浮かべますが、ここで言うカミは敢えて漢字にあてると「カミ=上」、がふさわしいかと思います。著書「授かりし命をつなぐ道」でも書きましたが、私達生きている人間には必ず両親がいて、そして祖父母・曾祖父母がいます。そして、もっと遡ると万物を造られた存在に辿り着く。私たちの先祖、特に一番近い先祖は両親になりますが、先祖の生きてきた道があって私たちがいる、また今を生きる私達は先祖のことを頂き、先祖から学ぶことでしかるべき道を歩くことができる、これを「カミの道」と古来の日本人…

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