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  • やってみる

    臍下三寸辺りの自分の感じるままに制作していると、いつの間にか想定していないところに立っている事がある。結果はその方がいいので、なぜそうなったのか、性能が今一つの頭で後から考える。昨日書いたように、陰影排除により自由を得るのと引き換えに、質感描写はあきらめていた。リアルになるのでやっていた肌の下塗りも、陰影を排除すると、見た目と違ってただ汚れに写るので一色のベタ塗りにしたし、肌の艶もNGなので、40年磨いて来たのも止めた。なのに立体間を意識した蘭渓道隆の肌が、アクリルガッシュの艶消しの肌と違って生々しく皮膚感が出た。なぜそうなるのか私には判らない。構図など自由に描け、なおかつ人間的に写るとなればいう事がない。こんな時、まずは田村写真に走るのを常として来たが、厚木に移転してしまったし台風だし。たまたまでなく、...やってみる

  • 質感と立体感

    先日来、撮影法に少々手心を加えた。同じことをしている人がいないので書くのを止めたのがこのことだった。私の作品の一番の特徴は、自ら作り出した陰影、つまり立体像を被写体にしていることであろう。ならば、と立体感を意識してみたのだが、どういう作用か蒙古兵の鎧は革に覆われているように見えるし、蘭渓道隆は妙に肉々しい皮膚感である。実は陰影を排する段階で、自由と引き換えに質感描写は諦めていた。それにしても質感と立体感は異なるジャンルだろう?実物が粘土感まるだしなのに、なぜこうなったのか、今の私には判っていない。もしこれが次の段階へ進んだ、大リーグボール3号改、あるいは4号ということにでもなれば、例によって初めからこうするつもりだった、ということにする。質感と立体感

  • 一日

    坐骨神経痛の激痛で、3週間寝たきりでいた。幸い痛みは消えたものの右膝に力が入りにくく、階段も今のところ上りは一段づつで、右膝をかばうせいか、左膝が痛くなり腰痛も。私のような渡世ではスポーツ選手と違い経験を重ね生きるほど作品は良くなるだろう、と単純計算し、足腰立たなくなった時に備え、空や海、地面、壁、まるでノアの方舟に画像データを積み込むかのように集めた時期があった。ところが〝念写”がこうじて『蘭渓道隆天童山坐禅図』が完成しているのに実写の滝が役不足だ、と作り物に入れ替えようか、という有様である。やはり考えるな感じろであり、頭で計算し、企んだことはハズれる。月一のクリニック。おかげで10年以上風邪をひいていない。椅子に座らりっぱなしだと、てきめんに脚が浮腫むので利尿剤を処方してもらう。テレビの台風情報。爺さ...一日

  • お盆の間の制作疲れ

    蘭渓道隆三作目完成。ルーター故障でスマホでモニターを撮る。遠くの赤富士を眺める葛飾北斎と違って、すぐ後ろのせいで、ビャクシンの樹を眺めている感じにはならないが、七百数十年前に、自ら植えた樹と共にこの月日を想う、というイメージ作品なので、問題はない。これで滝を作って実写と入れ替えれば、蘭渓道隆3作完成ということになる。次は円覚寺の開山、無学祖元の2作に行くか、悪天候の中の半僧坊か。無学祖元2作のうちの1作、蒙古兵とのカットは蒙古兵が画面上にすでに居るが、しばらく真面目に蘭渓道隆取り組んでいたので、雷鳴轟く帆柱の上に立ち、呪文呟く天狗的人物、というのを先にやりたい気もするが。最近は念ずれば写るので、慌てることもない。集中力は小学生時代から衰えていないものの、身体がそれに対応出来ず、飲酒によらないと取り除けない...お盆の間の制作疲れ

  • 蘭渓道隆3作目

    午前中、合掌する蘭渓道隆を夕方着彩し、夜になり撮影。3作目、最初にイメージしてからずいぶん経っている。これだけ準備に時間をかけると、さすがに引っかかる場面は一つもなかった。適当に描いたスケッチが、以後超えられないことがあり、可能性を減らす気がして何十年もアイデアスケッチなどしなかったが、これもやり方による、これからは場合によっては描くことにした。陰影のない絵画を立体化する時、もっとも有用なのは人間のディテールに対する記憶だと改めて。七百数十年前の個性的な面相を、現在感じられるのも、特に臨済宗が克明な肖像を残して来たからであろう。蘭渓道隆3作目

  • 被写体制作

    ビャクシンの樹と蘭渓道隆。写るところしか作らないので完成は早い。前面に夢中になってほとんど出来てしまい、慌てて後ろを作ることなんてことを繰り返しだせいで身についてしまった独学我流者のあまり自慢にならないことであるが、これが一眼的撮影専用の造形を可能にした。被写体制作と撮影の二刀流ならではで、普通に作った物を撮影したのとは一味違う撮影結果を得られる。被写体を公開しなければ、その効果のほどは私にしか判らないだろうけれど。それに数度も振れないほど冷酷に、写らない所を作っていないのに、後から後ろを作り足すことも可能である。なんといっても、依頼仕事の場合の制作時の少ない場合に効果を発揮する。そう考えると残る時間を考えると、今後写る所だけ作ることが多くなるだろう。被写体制作

  • 仕上げで1日

    月下達磨図、蘭渓道隆面壁坐禅図は仕上げも終わり完成。天童山坐禅図は滝を残し完成。無学祖元と蒙古兵の蒙古兵仕上げして完成。無学祖元を着色し完成するか、考えたが、蘭渓道隆とビャクシンの樹の蘭渓道隆のポーズ違いの制作を、明日始める。赤富士と葛飾北斎で試した、見上げているが赤富士は背後にある。というのをふただび。日本人は主人公の想い、心情をよく背景に托す。これも陰影がないからこそである。おかげで蘭渓道隆はビャクシンに隠れることがなく真ん中に大きく、その後ろに画面一杯にビャクシンの樹。見せたい部分を出来るだけ大きく描きたい。蘭渓道隆は上半身だけの予定なので、人間大より大きくなるだろう。これに円覚寺開山無学祖元の2作品と、雲水姿の一休宗純。仕上げで1日

  • 乱歩とアラン・ポー、4号は止めろの巻

    昔の作品がフェイスブックで流れてくると、黒蜥蜴役の女性の30センチ前に人形置いて二人が並んでいるように見せたり(私の大リーグボール1号)真昼間撮った室内の床に反射した光を、夜の暖炉の明かりに見立ててエドガー・アラン・ポーを配したり(2号)昔からイメージのためなら、どんな卑怯な手でも使うぜ、なんていってきた私であったが、挙句は掌に乗る石ころで中国の仙人が住まうが如き山まで捏造したり相変わらずである。私は思いついた時、いかにも思いついた、という顔をするらしい。母がよくいっていた、台風の幼稚園の休園日、佃の渡し船の絵を描いていて、煙突だったかに東京都のマークが描いてあり、同じものがあった、と止めるのも聞かず台風の中、マンホールの蓋を見に行った。その時もそんな顔をしたのだろう。思い付くのは一向に構わないが、私の大...乱歩とアラン・ポー、4号は止めろの巻

  • 本意の解明

    最近、撮影に多少工夫を加えている。例によって人に話して通じるようなことではないので書かないけれど。わざわざ立体という陰影を作り出しておきながら、あえてそこから陰影を排除する。残り時間も少なくなりつつあるのに、私のような病的な面倒臭がりが、こんなことを始めた。臍下三寸辺りのもう一人の私の本意に迫りたいと考えている。雷鳴轟くシナ海の船の帆柱の先端に立つ半僧坊。中国からの帰路、禅師の乗る船を博多まで導く。まさに道開きの猿田彦が原型だろうという場面である。不穏なムードの背景は既に出来ているが、そこに稲妻を描く練習をする。小学校の時に描いたキングギドラが口から吐く光線、あるいはメーサー砲の要領である。明日、粘土が届くので、建長寺のビャクシンの樹を見上げ、この七百数十年を想い合掌する蘭渓道隆を制作する。本意の解明

  • 元寇

    無学祖元に刀を突きつける蒙古兵完成。蒙古兵の鎧には革が多用されている。主役の無学祖元の着彩を済ませ、撮影すれば完成である。無学祖元の場合、円覚寺に残る木像が圧倒的で、いつものように、他の資料を探索しよう、という気がまったく起こらなかった。説得力というのはこうした物だろう。横顔なども判るので完成も早かった。来日前後ということで多少若さを意識した。名場面の割には視覚化された形跡がない。ならば私が、となったわけだが、刀を向けられながら平然と漢詩を詠む禅師、その姿に蒙古兵は退散する。できればこの時禅師が詠んだ漢詩を真ん中に配したいと考えている。Facebookで“せつな糞せつない時に出る糞のこと“に本日最も感銘を受けた。飲み屋で知り合いに、志ん生がビールはションベンになるだけだが、日本酒はウンコになるといった話を...元寇

  • 向き不向き

    寒山拾得以来のシリーズでは人形であるし絵画的ではあるが写真であるし、なのであえて古来からのスタイルを踏襲してこそ面白い、と考えてきた。おおよそ長焦点レンズ的である。しかし曾我蕭白のまるでオーパーツの如き超広角レンズ的『石橋図』の表現には、そんな私を嘲笑うかのようである。以前つげ義春トリビュート展で、当時は陰影を排除するだけでなく、古来の日本的遠近法にも挑戦したが、さすがに写真となると無理があり、バラバラにして組み立てるしかなく、これは私のイメージしている行為とは違うと断念。会期中に2度、作品を差し替えるという失態を演じた。蒙古兵に喉元に刀を突きつけられ平然としている無学祖元。喉元に焦点を当て、蒙古兵の表情を広角的に、など考えないでもないのだが、果たして面白いだろうか。曾我蕭白も超広角表現を思いついたものの...向き不向き

  • 次の作品候補3選

    蘭渓道隆最後の一点は、現在の建長寺の「ビャクシンの樹にこの七百数十年を想い合掌しているというイメージ作品で、背景はすで決まっている。これは国宝の頂相に近い横顔を向ける予定だが、合掌するポーズを作らなければならない。この一点用なので写るところしか作らない。雲水姿の一休像、まさに小学生の私のイメージした姿である。竹竿に骸骨はすでに作ったので、朱鞘の竹光の大刀を持たせるつもりだったが、はるかに知られたエピソードでありインパクトもこちらの方がある。今年は元寇750周年ということで、日本各地で記念イベントが開催されるそうである。無学祖元が開山となった鎌倉の円覚寺は、敵味方双方の犠牲者を祀る目的で創建されている。坐禅する無学祖元に刃を向ける蒙古兵は随分前に完成していたのでまずは撮影しておきたい。次の作品候補3選

  • 法の雨

    寺の天井画の雲龍図は、法の雨を降らせるということだと知って『蘭渓道隆面壁坐禅図』でやってみようと考えたが、いかにもくどい。背景の山の上にいるはずが、すぐ頭上に小さな龍に見えてしまうので、やめたのだが、雨を降らせる雲があれば、違って見えるだろう。結局龍を加えた。頭に浮かんだものは人間は作るようにできているらしい。浮かばなければ作る必要はないのだろう。蘭渓道隆最後の一点は、現在のビャクシンの樹にこの七百数十年を想い合掌しているという作品で、背景はすで決まっている。これは国宝の頂相に近い横顔を向ける予定だが、合掌するポーズを作らなければならない。この一点用なので写るところしか作らない。法の雨

  • 連休最終日

    人形制作は、頭部制作はあぐらをかいて、全身像、画像制作は椅子に座って制作するが膝から下が浮腫んでしまう。ここ数日徹夜までしてしまうと、まるで博多人形の金太郎の如き有様である。これは母が全く同じであった。なので靴やサンダルが入らなくなり骨折者用のサンダルを入手したくらいである。未だ展示のスケジュールが決まっていないので、徹夜する必要はないのだが、普段グウタラしているのに制作となるとせっかちに変身し、早く見たくて仕方がない。今回は被写体制作に時間がかかり、空腹感が募り、ご馳走にかぶりつくようにして連休中に3作品が早々に完成した。『蘭渓道隆天道山坐禅図』(部分)イメージそのままで、私の念写は無事成功した。しかしこの能力を得るため何十年もかかるものなら、真面目にスプーン曲げから練習した方が早かったんじゃないか、と...連休最終日

  • 新作3点目

    『蘭渓道隆面壁坐禅図』完成。坐禅は視線を前方に視線を落とすようにするそうなので、その辺り工夫を要した。予定どおり坐禅窟の入り口開口部を光背に見立てたが、はるか遠方上空に龍が浮かび、それが禅師の頭上から法の雨を降らせているように見える、と思ったが、そもそもクドくやり過ぎか、と思っていたところに、やってみると頭上に小さな龍が浮かんでいるようにしか見えない。陰影がなく平面的なので、こんな時は距離感が出ない。龍の法の雨は別の機会に。『蘭渓道隆天童山坐禅図』はほとんど背景は出来ているつもりだったが、気が変わってきて、当初、ポイントとするつもりで石質にもこだわった岩を削除した。お約束の滝に松の枝。しかし松は盆栽だし、岸壁は石ころだし、人形だし写真だし。オーソドックスにやる方が面白いだろう。これを2メートル超のプリント...新作3点目

  • 私にはそう聞こえた

    空想ばかりしていた鍵っ子時代の私は、頭に浮かんだイメージを友達にでも話さないかぎり、何処かへ消えていってしまう。私の制作動機の原点は、それを頭から取り出し可視化し、”やっぱり在った”と確認することである。長い間、まるでこの世の物であるかのように光を当て陰影を与えていた訳だが、それでは届かないものがあった。長らく続けて来たそんな作風が良い、といっていただくことは多いが、私本人としては、陰影を排除することにより、何とか間に合った。と思う今日この頃である。タイムマシンでもあれば葛飾北斎に、西洋風陰影なんて娘にまかせて、晩節を汚しなさんな、といってやりたい。あんた後世にドラマ化され西洋画見て「見たまんま描いていやがる。」っていってたんだぜ?ちょうど陰影を排除しようって時だったから、その後に続けて私には”この野暮な...私にはそう聞こえた

  • フランケンシュタイン博士の感慨

    『月下達磨図」に多重塔を加え完成。『蘭渓道隆面壁坐禅図』と『蘭渓道隆天道山坐禅図』にようやく蘭渓道隆を配した。明日中には完成するかもしれない。天童山は2メートル超、面壁坐禅は長辺約150センチになる予定である。大きなプリントをするようになったのは、サンデイエゴ写真美術館館長だったデボラ・クロチコさんにアドバイスされたのがきっかけだが、その時は拡大したら粘土感丸出しの粗が目立つだろう、とその真意は判らなかったが、小さな人形を人間大、あるいはそれ以上に拡大してみると「私が意図したのと別の何かが迫ってくる。」という”フランケンシュタイン博士の感慨”を味わうことが出来る。フランケンシュタイン博士の感慨

  • 洞窟内の明るい達磨太師

    陰影を排除した石塚式ピクトリアリズムはどうせなら、この手法でなければ手掛けられないであろうモチーフを手掛けたい。生来出無精ではあったものの、コロナや酷暑、坐骨神経痛により外出し難い状況も、この手法がそうさせたのではないか?と疑いたくなる。完成まじかの達磨大師、中国人だと思い込んでいる人が多いので、インド人を意識してみた。少林寺の岩窟内にいるのに照明を当てたように明るい。我が国の絵画にはかつて月が昇っていたり行燈があれば夜である、というルールがあった。最近まで実行していた作家に蛭子能収がいたけど。見たまんま、それがまことであり世界だ、などとは野暮というより野蛮である。もしかしたら私は生まれた時からずっとそう思って生きて来たのではないのか?そう考えると私に関しての、全ての説明がつくような気がする。洞窟内の明るい達磨太師

  • 完成に向けて

    フィルム代のかからないデジタルカメラの時代になったというのに最近の手法は、撮影の段階で構図など決まっていなくてはならず、従って、だいたい5、6カット撮れば終わる。モニターで確認して撮り直すことはあっても、シャッターを切る回数は極端に少ない。偶然が入り込む余地もほとんどない。眉間にレンズを向ける念写となればそういうことになる。今回やってみて判ったことは、ずっとアイデアスケッチなどしないできたが、これからはやることにした。おかげで二日間でおおよそ背景が出来た。もっとも、精度を高めるためには、そこから手直しの時間が必要だが、やればやるだけ頭に浮かんだイメージに近付いていく。そろそろ蘭渓道隆の法衣に着彩をして完成させたい。完成に向けて

  • 一歩も外出せず

    長辺2メートル超になる予定の『蘭渓道隆天童山坐禅図』の背景完成。数百メートルの絶壁、石ころで作ったとはお釈迦様でも気が付くめえ。『月下達磨図』は、少林寺の岩窟という設定なので、多重塔を作って配せば完成となるだろう。達磨大師はすでに座っている。満月に多重塔がシルエットとなって、それが当初のイメージであったが背景と月の高さの都合でどうなるかは多重塔が出来てから考える。『蘭渓道隆面壁坐禅図』はるか背後の上空に龍を配し、禅師の頭上から法の雨を降らせているかのように。これはさすがにクド過ぎの気がしている。洞窟の開口部の形は、禅師が背負う光背に見立てているし。もっともモニターで見るのとは違って長辺150センチほどになる予定なので、そうなるとまた違うかもしれない。難航すると思っていた半僧坊の嵐の夜空は不穏な感じが出てい...一歩も外出せず

  • 晴天の日に悪天候作る

    先日、武道の番組で、日本人はなぜ盾を持たないのだ、と海外ではいわれるらしいが、日本刀は重く、両手で扱うので盾など使わないのだ、といっていた。円覚寺の開山となった無学祖元の喉元に刀を突きつける蒙古兵。ちょっと持たせたくなった。陰影がないとオブジェ同士が干渉し合わないので、撮影後に足しても問題ない。浜松は方広寺の禅師、中国修行からの帰途嵐に遭う。雷鳴轟くシナ海、そこへ3メートルはあろうかという袈裟をつけた異形の者が現れ、無事日本に導いたという。天狗、あるいは猿田彦的。船の帆柱の先にスックと立たせる予定。不穏なムードの悪天候を作った。後で雷を加えよう。晴天の日に悪天候作る

  • 背景の事

    『蘭渓道隆天童山坐禅図』の背景は、数十年ぶりにアイデアスケッチなどしたせいで、頭の中で熟成され、実にあっけなく、滝を加えれば完成となる。そびえる山も禅師が坐禅する岩も、全て実景ではなく、手のひらサイズの石である。となると実景の滝のデータは合わないだろう、以前から考えていた方法で作ろう、と考えていた。肝心なのは虚実のバランスである。ところがある方法で作った『慧可断臂図』の岩窟と違って、今回は本物の石ではある。虚実の間で“夜の夢こそまこと““眉間にレンズを当てる念写が理想“を標榜し、別なカットでは、禅師の頭上から龍により法の雨を降らせようとしているのに立ち止まる。こんなことで悩む人がおらず「あんたはこういう時どうしてる?」なんて話相手が相変わらす皆無な私である。背景の事

  • 残念なくらい進む制作

    幼い頃、本を読ませておくか、紙に鉛筆、クレヨン与えておけば何時間でも大人しくしている、といわれた私だったが、この二日間、オリンピック中継のテレビこそ着け放なしであったが、私自身はシャッター切る音を30回くらいと、炊飯器の蓋の開け閉めの音をさせたぐらいで実に静かであった。まる2年、散々待たされたご馳走に、ようやくかぶりついている。『蘭渓道隆天道山坐禅図』『蘭渓道隆面壁坐禅図』『月下達磨図』の背景が集中力のせいでおおよそ出来上がった。ダラダラと余計なことをして自分を焦らし、創作の快感をより高めよう、という昔から治らない悪癖があるが、蘭渓道隆師はあまりに私に我慢を強いた。おかげで集中力が昂まり、残念なくらい制作が進んでしまった。※集中しすぎて時間感覚がおかしくなり一回多くブログを書いてしまったらしい。昨日書いた...残念なくらい進む制作

  • 面壁坐禅

    約2年ぶりのフォトショップ。随分忘れている。といっても、切り抜いて色と形の調整ぐらいで、特に難しいことをする訳ではないので、昼過ぎぐらいから少しづつ思い出してきた。臨済宗は壁を背にして坐禅をする。袈裟は着けないとも聞いていた。一番肝心な表情を見せられて良い、とそのつもりでいたが、蘭渓道隆の七百数十年前はどうだったのか?と思い始め、関係者の方に伺うと、果たして開祖達磨大師同様面壁だったという。ここから面壁問題?をどうするか、が一つのテーマとなった。すでに『慧可断臂図』で達磨大師を振り向かせていたが、蘭渓道隆の生けるが如き頂相のリアルさを思うと同じ様には扱えない。まずは2メートル超になる予定の『蘭渓道隆天道山坐禅図』から始める。元々寝る寸前まで起きている私は“ピストルに撃たれたように“寝るといわれるが、おそら...面壁坐禅

  • 石の撮影

    縮緬石をろくろ台の上で少しづつ動かしながら撮影。「月下達磨図』『蘭渓道隆面壁坐禅図』『蘭渓道隆大童山坐禅図』用に、あらかじめシュミレーションしたイメージに基づいて撮影する。今回はただ陰影が出ないように、平面的に撮るのではなく石の亀裂であるとか、デイテールを拾うように意識した。この辺りのテクニックは実に面白いのだが、相変わらず私にはテクニックについて話し合う相手がいない。一歩も外へ出ることなく、中国の仙人が住まうが如き風景を。鍵っ子の私がアマゾンやエジプトの探検記を読んで想像した世界。あんなものが実際あるわけがない。寺山修司がいうように、どんな鳥だって、想像力より高くは飛べる訳がないのである。すでに痛みはないものの坐骨神経痛の余波にこの酷暑である。どこにも出かけたくない。と書いたところで、昨日買ったアイスが...石の撮影

  • 撮影開始の事

    建長寺開山蘭渓道隆の、国宝である唯一の寿像(生前に制作された像)を私が立体化すると、建長寺の重文の木像と明らかに別人になってしまう。七百数十年の間、拝されてきた寺宝に対し異を唱えているかのような、罰当たりなことをしている、という気分が作りながらずっと拭えずにいた。しかし臨済宗の、師の姿に込める想いに打たれ、立体化の後七百数十年ぶりに、真正面の尊顔を拝してみたい、という想いを抑えることが出来なかった。場合によっては発表不可の可能性も考えないではなかったけれど、何のために、私にカラの米櫃を突きつけるような存在を排除して来たのか。作りたければ需要は関係ない。とはいうものの、未完成の開山像を持って建長寺の門をくぐる二日前、寝ていたら胃液が上がってきて目が覚め吐いてしまった。幸いなことに、その後建長寺の関係者にお叱...撮影開始の事

  • 一日

    ホームの母は、ついこの間会った時はお腹が空いて仕方がない、といっていたし、幸せだ、というから、終わり良ければ全て良しだ、とブログに書いたばかりだったが。その後食事を取らなくなり、同じ敷地内の病院に入院となった。認知も進んでいるようだが、精神科医の友人に、楽しそうにしている患者が、その内実は、必ずしもそうではないのだ、と聞いたことがあるが、母の幸せ、にもそんな事情があるのだろうか。もっとも彼のいっているのは分裂病患者の話だったが。担当医師の話では、向精神薬と食欲不振の関係はバランスがあって、ということだそうである。心臓が大きくなっているのが気になるが、来週には退院できそうな感じである。ずっと96歳だと思っていたが、従姉妹によると「おばちゃん95でしょう?」「そうなの?まあどっちでもいいや。」小学校の後輩ウル...一日

  • 吐いた唾は飲めない

    水石を霧吹きで濡らしては拭いながら、使いたい所を撮影していく。書斎派という言葉があるが、中国の仙人が住まうが如き深山風景も、キャベツ大から手の平サイズの石で作る予定である。雪舟など、中国で絵を学んだ連中の中には、中国の山水画が創作ではなく、そのままだと驚いた人間もいただろう。仙人や寒山拾得など、超俗の存在を理想とした世界があった。おそらく中国に行って実景を撮ったところで、もはや私の作品には合わないだろう。陶芸家を志望していた工芸学校時代、写真家志望の友人と飲んでいて口ゲンカ。「お前みたいな雑な奴に良い器なんか作れるか!」こちらも「お前があの娘を可愛くした訳じゃないし、あの山だってお前が雄大にした訳じゃないだろ!」彼の予言の正しさは証明され、口は災いの元。と手の平の上の石を見つめる私。.吐いた唾は飲めない

  • 対戦相手は自分だけで沢山

    ブログでさも制作中のように書いているが、頭に浮かんだことを書いているだけで、今月早々には、まず背景用の石ころの撮影から始める。その間に蘭渓道隆の語録『嵐渓録』をもう少し読み進めたい。中国語を訳したといっても、元々が難解であり、私には荷が重過ぎるが、少しでも触れ、向かい合うことが大事である。独学我流者は、こうして忍耐さえも、自分の成そうとすることから学ぶことになる。凡人で能力のないものは、たった一つのことに注力し、それでせいぜい描いたイメージに届くかどうか、ということは初めから知っていたが、様々なことに手を出し、有限の時間を使い散らかすのが凡人の特権だ、とばかりの人達を見ると、まあそれも一理あるかな、と思ってみたり。オリンピックを見ていて、どんなに努力し万全を期していても、相手に負ければ泣くことになる。親戚...対戦相手は自分だけで沢山

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明日できること今日はせず
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