聖書に出てくる話が本当であるかどうかよりも、そのエピソードが後世に伝えたいことは何かをつかむことが大切であるという説教を聞きました。聖書の話はすべて本当の話だと言う牧師もいますので、この点は意見が分かれるのでしょうか。私は、聖書に出てくる話が本当かどうかというのは、正直に言うと、あまり考えたことがなかったことに気づきました。ああそうなんだ、と思っていたのです。ずいぶん気の抜けたクリスチャンだと思われるかもしれませんが、聖書のエピソードが真実であるかどうかを確認することに、あまり意味がないような気がしていたのだと思います。ところが、聖書に書いてあることはすべて真実であると主張する牧師やクリスチャンがいます。それに対しては何とも言えません。いずれにしろ、同じ聖書を読んでいるのですから、触れている話は同じでしょ...信じられない②
「神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。」(コリントの信徒への手紙一12章28節)「みんなちがってみんないい」とは神さまがそうされたんですよ、という説教を聞きました。そして、自分がそのタイトルでここに書いたことがあることを思い出し、自分のブログを見てみました。一つは、みんなちがっていいことを目指して留学する人たちについて、もう一つは、ちがいを強調するのではなく、信仰により既存の枠組みから解放されるという説教についてです。クリスチャンを中心に世の中を見てしまうと、この世は無法地帯で悪だらけ、クリスチャンでない人々は救いを知らない人々になります。個人的には、クリス...みんなちがってみんないい③
教会学校で子どもたちに話をしてみませんかと声をかけられ、ギターを弾くことを交換条件に引き受けました。ギターは以前から時々さわっていましたが、やはり発表の機会がないと腕が上がらないものです。そこで、こどもさんびかの中から1曲を練習して、当日、お話しの後に子どもたちと一緒に歌いました。子どもたちが集まるところには、必ず大人の力が働いています。子どもは子どもなりに大人の世界を見ていて、批判を口にしたり、子どもだけの世界を作って大人を締め出そうとします。それでも、子どものすることだからと、多くの場合は許されます。imagesbyVoiceOfYouth教会学校は大切だという話が今日の説教でありました。教会学校の存在は、子どものためだけではなく大人のためでもあるのではないか。教会学校でお話を担当して、そんなことを感...教会学校
「また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を追うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。」(ヘブライ人への手紙9章27-28節)自分らしく生きるためにキリスト教を信仰するんですよ。これは悩んで苦しんでいた時に牧師から贈られた言葉です。私の半生はキリスト教の存在により苦しめられていました。そんな時に、まるで反対のことを言われたので、拍子抜けしました。そして、その牧師にこう返事をしました。「私は、キリスト教を信仰したら、自分らしく生きられないと思っていました。だけど、自分の人生を生きるために必要なら、キリスト教と共に歩きたいです」。違いばかりが強調さ...みんなちがってみんないい②
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