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2022/03/20

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  • 永遠の命とは

    「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(ヨハネによる福音書17章3節)以下は、ある牧師の説教の抜粋と私なりのまとめです。「イエスは人として世に来て、人として十字架につけられ、人として死に、生き返ってこの世に戻って来た。イエスは天に帰り、今、神と共にいる。人の思いを超えた、神を知ること。人の思考の中だけですべてのことを理解できず、神とキリストという人を超えた存在に思いを馳せる時、永遠という概念を理解することができる。これは、人生の指標として大切である。どうやって、この試練を乗り越えようかと途方に暮れる時、思考を停止するのではなく、思考を切り替えるようにする。神とキリストが、私たちを試練から乗り越えさせてくれる。永遠の命とは、ゆだねることである...永遠の命とは

  • イエスの昇天日

    「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。」(ヨハネによる福音書16章13節)聖霊とは、どんなものでしょうか?みんなが納得のいく説明は難しいと、この日の説教で語られていました。神さまやイエスさまについてはイメージできても、聖霊をイメージするのは難しい。聖霊とは「真理の霊」である。そう言われても、難しいです。「わたしは道であり真理であり命である」(同14章6節)「アレテイア」というギリシャ語も説教の中で紹介され、これは「真理」に該当する言葉だそうです。霊と真理が一体であるとは、どういうことでしょうか?牧師が引いた辞書によると、「真理=いつ、どんなときにも変わる...イエスの昇天日

  • 打ち明け話

    「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。」(ヨハネによる福音書16章23節)あらかじめ許されているから、打ち明けることができる。この前の日曜日の説教では、イエスさまは私たちを、もうすでにおゆるしになっているから、私たちは自らをさらけ出すことができるという趣旨の話がありました。「こんなこと言っても大丈夫かな」という不安を、一度くらいは抱いたことがある人がほとんどだと思います。友だちや同僚、家族など、自分の本音を言いたいけれど、言ってしまっても大丈夫かな。言ったら嫌われるんじゃないか。変なヤツだと思われたらどうしよう。それでも、言ってしまったというのは、どんな時でしょうか?ここまでならOKかも、イチかバチか言っ...打ち明け話

  • どんな実を結ぶか

    「わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。」(ヨハネによる福音書15章6節)イエスさまを信じる人と信じない人とを、こうもはっきりと区別してよいのだろうかというのが、今日の説教の問いかけでした。そして、イエスさまにつながっていても、実を結ばない人は切り捨てられる(同2節)という言葉にも注目するべきだというお話しでした。なるほど、確かに、この「ぶどうの木」の聖句は、つながることの大切さ、集まることの大切さを表す言葉として語られがちです。コロナウィルス感染症対策として、さまざまな集会が中止や延期になっている状況が日本でも続いています。そして、オンラインでの礼拝出席やライブ配信による説教の視聴は、私たちクリスチャンの生活を豊かにする助け...どんな実を結ぶか

  • 若い人を歓迎します。

    「若い人を歓迎します」と言っている教会に、若い人がいないことはよくあります。どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。それは、年配の人たちが若い人を大切にしていないからです。歓迎しますと言っておきながら。私は、今の教会で結婚式を挙げました。といっても、ウェディングドレスは着ないで、夫と2人で誓いを立てる小さな式でした。私たち夫婦は結婚式を挙げていなかったので、後々、後悔するだろうと思ったのです。幸い、夫の理解を得ることができました。私は教会員でしたので、教会の皆さんと一緒に準備をしました。短い式の後、礼拝堂の隣の部屋で茶話会を行いました。その時、式に出席していた70代の男性の教会員が、突然、「もっと結婚式らしい歌を歌わなきゃダメだ。さあ、用意したから、みんなで歌いましょう」と言って、讃美歌を印刷した紙を参加者...若い人を歓迎します。

  • ないものねだり

    「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(マタイによる福音書6章24節)バランス良く物事を進めて行けたらいいなと思います。家庭のこと、仕事のこと、友だちのこと、そして教会のこと。上手くやっていくのは、案外難しいものです。専任で働いていた高校を雇止めになった後の1~2年は、想像以上に苦しかったです。その原因は雇止めになったことではなく、仲間を失ったことでした。苦楽を共にした仕事仲間も、離職すれば他人です。近くにいるのに二度と近づけない場所や人間関係。嫌なこともたくさんあったけれど、教員として社会に出ていることには、何にも代えがたい充実感がありました。代わりを見つけることができないのです。...ないものねだり

  • 心の楽屋

    「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」(ルカによる福音書19章46節)きたやまおさむさんのインタビューを読みました。「あの素晴らしい愛をもう一度」「戦争を知らない子どもたち」などの作詞で知られ、フォーククルセダーズのメンバーとして活動した人です。現在は精神科医として活動しています。人間に表と裏があるように、人生にも表と裏がある。その橋渡しをしているのが「私」。「私」には、誰にも邪魔されない「心の楽屋」が必要だという内容でした。人生を「劇場」に例えて話をする、きたやま氏らしい表現です。imagesfromNPSMedicineWiseさて、私は私立高校の英語科教員として長く勤めています。専任として担任や部活動の顧問をしていた頃もありましたが、いろいろあり、最近は専ら講師として活動しています。そこに加わった...心の楽屋

  • 対話について

    「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。自分自身を知恵ある者と見るな。主を畏れ、悪を避けよ。」(箴言3章5-7節)ある障害を持つ人が、こんなことを言っていました。相手をコントロールすることが目的の対話には応じる必要がないのではないか。対話という名の人権侵害は、職場や家庭だけでなく、社会全体においても、しばしば見られます。相手を自分に同意させるための話し合い、相手を自分の意図する方向に導くためのコミュニケーション・・・このような類の対話の構造に気付くためには、日頃から自分自身と対話していることが大切な気がします。自分はどう思っているのか、相手はこう思っているけど自分とはここが違うというように、自分の心に問いかける時間が必要で...対話について

  • 牧師も「ひつじ」

    「わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。」(ヨハネによる福音書10章7-9節)牧師も羊なんです、という説教を聞いて、牧師自身がそうおっしゃる教会は、いい教会なのではないかと思いました。牧師はイエスの代わりになれない。このことを忘れると、カルトになるんです・・・この視点は大切だと再確認しました。imagesfromModernfarmer日曜日に羊の門を通って、それぞれの場所に派遣される私たち信徒ですが、同じように牧師もまた、1匹の羊として門を通っている。牧師は信徒とは別格だと思っている人もいると思います。確かに、信徒と同じではだめだと思いますが、イ...牧師も「ひつじ」

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