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  • 美容外科に行ったよ

    今から書くのは、整形依存症のリアルだ。 前々から、左目の二重の調子がいかんせん優れない事に悩んでいた。起きたら、瞼が一重に戻っているのだ。 おかげで、起きたら鏡を真っ先に見る生活が、当たり前になっていた。このような日々を約1年くらいは送った。 メンテナンスをサボっていないで、美容外科にそろそろ行こう。重い腰を上げて、昨日、品川美容外科の梅田院に電話を入れた。 美容外科に電話を入れる事には慣れている。このため、特には手間取らず、今回もスムーズに予約を入れる事ができた。 ちなみに、ここにはS先生という男性医師がいる。彼は二重のエキスパートであり、私は彼に瞼の施術をしてもらった。 私「医師を希望して…

  • 私の墓標

    遺書を書くように、Twitterで私は呟く。遺書を書くように、ブログの記事を書いている。 呟き、記事のほとんどは遺書みたいなものだ。 私が死んだら、Twitterのアカウントとこのブログは、私の墓標になる。死ぬまでの間、このブログとTwitterを地道に更新するつもりだ。 初めて死にたいと思ったのは、中学生の時だった。 自殺願望、希死念慮などの言葉をあの当時は知らなかった。死にたいと願う自分は、異常なのかもしれないと思った事をよく覚えている。 両親の離婚が私の死にたいに拍車をかけた。 両親が離婚した後の私は、母方に引き取られた。母方の祖父と私は折り合いがとても悪く、度々対立した。 何度も追い出…

  • 振り返れば

    2022年は私の中で最も安定した1年だ。 こう書くと、自分の人生の悲惨さがよく解る。 2018年、2019年、2021年……。 高校を卒業し、第一志望の大学に進学した2018年。 ネットで知り合った男とエンカした。この男の家に数日間居候した果てに、この男から私は首を絞められた。 パチンコ店で働き始め、地下鉄に飛び込んだ2019年。 名古屋の元彼と共に過ごした2021年。 今回ピックアップして書くのは、名古屋での暮らしだ。 名古屋に私が移ったのは、同年の3月。 家族との仲がこの当時は悪く、家に帰ろうにも帰れない状態だった。 そもそも、家族から逃げるために、アパートで1人生活していた。 上手くゆか…

  • 知られざる作家、蘭郁二郎

    蘭郁二郎についてをブログに書くと宣言してから、早いもので1年あまりが経過した。 筆無精に私は見えないかもしれないが、かなりの筆無精である。どうでもいい事はすぐに書く。しかし、肝要な事はなかなか書かない。 まあ、このような事をたらたらと書いていても仕方がない。蘭郁二郎の魅力を読み手に普及するために、ただ今から簡単に書いてゆく。 参考文献は、1971年10月26日に発行された『地底大陸』だ。 仔細な事は、追って書く。 蘭郁二郎 本名は遠藤敏夫(えんどうとしお)。彼は1913年の9月2日に東京の芝三田に生まれる。 そうして、1944年の1月5日。高雄を発出した飛行機に搭乗。その飛行機が墜落し、亡くな…

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