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  • 稲盛和夫さん

    大きな使命を終えて帰っていかれた人がまたひとり。 稲盛和夫さん。 もう十年ほど前の日経主催の国際経営者会議で稲盛氏のご講演を拝聴させていただいた。 JALをV…

  • おまえなんぞが地獄に行けるか!

    西恩寺の池田住職のご法話にあった話で、 どなたか、「こうだからもうわしは地獄に行くしかありません」と仰った方に ある和尚がこう喝を入れられた。「おまえのような…

  • 私は何者かはいらなくなる

    地位、名声、権力、肩書、そういう立場にあって、 得てして、人は矜持というものを持つ。 恃むべきは、自分。他者を圧倒できる何かを持つ自分。 挙句「この私を誰だと…

  • 自力作善善と自然作善のちがい

    人というのは、脳が発達しているために知恵を巡らし、 それが、幸も不幸も生み出してきた。 何千年経っても、どれだけ社会が発展しても、やはり 人間というのは、煩悩…

  • 現実に直面するのではなく仏法に直面する

    どれだけ仏教を勉強して解ったとしても、 どれだけありがたいと感謝しても、 どれだけ素晴らしいと感動しても、 自分を取り巻く状況は変わらない。 目の前で人の愚か…

  • 抗いようのない不条理があるとき

    避けられない五濁 自分にとっての不条理、世の中の不条理にあって、 歎異抄の後序にはこうある。聖人のおおせには、 よろずのこと、みなもって、そらごと、たわごと、…

  • どこにもおわさず、それでも感じ取れる

    仏様というのは、どこかにおられて、昔からものすごい数の人を 見ておられるのかといえば、あんまりそういうことではないと思う。 そもそも物理的にどこかにおわすこと…

  • 望む結果を目的にすることの怖さ

    何事もそうだけれど、多分、結果そうなることを 直接の目的として、そのやり方を知れば、結果が得られるという 安直な考えにあることを、気付けなければ無駄足になるど…

  • 導きというのがあるということ

    田坂先生は、よく覚悟をお定めなさいと言われる。 自分にはこれは、導かれていることを疑うな、と受け取れる。 思いつくこと、出会うことや、機会というのは、タイミン…

  • 昔の日本人にみる懇ろのこころ

    日曜礼拝「ねんごろのこころ」西蓮寺 白山副住職ご法話から 真宗聖典P563 「としごろ念仏して往生をねがうしるしには、 もとあしかりしわがこころをもおもいかえ…

  • 自分とさようなら

    自分とおさらば、とか軽々しく言えるものではない。 けれど究極の仏教者は、自我を越えようとする。仏の呼吸というかも知れない。 自我の物差しではなく、仏の物差しと…

  • 時間のコペルニクス的転換:純粋未来

    時間が過去から未来への流れるというのであれば、 確かに現在は過去の延長線上にあったし、未来は現在の延長線上にあることになる。 だから未来というのは現在の在り方…

  • 自覚がないからこそマインドコントール

    最近、取り沙汰されるカルト宗教問題。「解毒」とか脱会者の本を 読んだりもしたが、マインドコントロールというキーワードがやはり その通りなのだと思う。ただ、マイ…

  • 誰もがいづれは去るけれど

    自分から一年発起して何も始めていない。 いつも何かに導かれるように、始まって取り組んでいることが多い。 毎朝、神社に参拝していた頃。ふと、思い立ったことが記憶…

  • 役立てるための仏教とかあるのか

    よろずの啓蒙や幸福実現法のように、人生に役立てるために仏教する というのは、ありえない。何のために仏教しているのか、と問われて 返せる答えがない。質問が間違っ…

  • 字面を追って解釈する限界が

    テクノロジの世界で仕事をしていると、海外で日進月歩の進化を遂げる あらゆる技術や概念に日本語がついていかない。原著や論文をそのまま 読んで理解できる人はいいが…

  • 追善供養の本当のところ

    子供の時から、不思議に思っていたことがあった。 お墓を建てて、仏壇を据えて、法事も、葬儀も、あらゆる儀式作法があって、 全て亡くなったご先祖や縁者への冥福の手…

  • 善行を積むつもりならおやめなさい

    「明治三十五年の頃、私は一生懸命称名念仏していた。 ところが清沢先生は、それは止めたほうがよかろうとおっしゃった」 暁烏敏「正信偈の講和」宝藏館P335から …

  • お念仏の奥にある意味を思うと

    この自分の往生のために、この自分の後生のために、 お念仏申すのです、といえば否定も肯定もできない。 自分に意味のないことをする必要はないし、 自分だけどうにか…

  • 名前を呼ぶとき意味すること

    自分は昭和の生まれなので、子供の頃から親のことは オトウチャン、オカアチャンだった。今でもそうだ。 自分の子は与えた名前で呼んでいる。妻はアナタといっているこ…

  • 問うても問うても先がある

    一般論の幸せメソッドのような仏法というのはあるのか。 あるとしたら、それ仏法でなくても良いと思う。 それなら世界のあらゆる哲学者、成功者の名言集でも良いではな…

  • いい出来事、悪い出来事の受け止めかた

    Well deservedというが、「受けて当然の果報」は良いことばかりだけではなく、 残念なことも結構ある。これら良いも悪いも、しっかりと受け取り 逆境にな…

  • あなたがあなたでなくなりますよ

    これはあまり一般化できないことだと思うけれど、 気づいたような、思いついたような言葉で、 今あるあらゆる不安、不運、苦境、から来る辛さを 誰かに完全に取り除い…

  • 現実を変える前に立ち位置を変える

    ご聴聞を続けて思うのは、現実を魔法で変えようとするのは、 一つの逃避であるということ。呪文、祈祷、百度石、荒業、布施、 そういった行動で、何かが起動するメカニ…

  • まじめな人のまじめなものさし

    相田みつをの残した言葉に、物差しについての名言がある。 「そんかとくか人間のものさし うそかまことか佛さまのものさし」 池田勇諦師がお若い頃、安田理深師がこの…

  • 安心(あんしん)と安心(あんじん)

    ご聴聞を続けていくうちに、現代用語で使われていても仏教語となったとき、 意味がかなり変わることがよくある。 了解も、「りょうかい」ではなく「りょうげ」 自然も…

  • 嬉しいとか幸せとかいうのが目指すところか

    どこかのご法話で聞いた妙好人のお婆さんの話。 聞法して、ありがたいありがたいと言っているような仏法はない、と。 自己でとどめているうちは自己満足の倫理道徳にす…

  • 無理のない自我の張りかた

    自分の中の勝手な思い込みが、現実世界の真実と混同されてしまうのは ことさら宗教とか、スピリチャルといった個人の自由なところに必ずあって、 それは念仏の行者も例…

  • よく見なさい、よく見なさい

    歩いていて、思いがけずこの言葉が出てきた。 仕事でも、生活でも、趣味でも、全てあて当てはまるが、 見るべきことをじっくり見ていないと、大したことができない。 …

  • 数えられないけれどあるもの

    世の中、定量的にできないが間違いなく存在するものがある。 命の重さ、とかいうのも数字にできない。 むしろ数えられる状態にするのは、人間の所業であり数字は知恵の…

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