これはすごい。 https://toyo.repo.nii.ac.jp/record/2750/files/enryocenternenpo11_037-05…
大きな使命を終えて帰っていかれた人がまたひとり。 稲盛和夫さん。 もう十年ほど前の日経主催の国際経営者会議で稲盛氏のご講演を拝聴させていただいた。 JALをV…
西恩寺の池田住職のご法話にあった話で、 どなたか、「こうだからもうわしは地獄に行くしかありません」と仰った方に ある和尚がこう喝を入れられた。「おまえのような…
地位、名声、権力、肩書、そういう立場にあって、 得てして、人は矜持というものを持つ。 恃むべきは、自分。他者を圧倒できる何かを持つ自分。 挙句「この私を誰だと…
人というのは、脳が発達しているために知恵を巡らし、 それが、幸も不幸も生み出してきた。 何千年経っても、どれだけ社会が発展しても、やはり 人間というのは、煩悩…
どれだけ仏教を勉強して解ったとしても、 どれだけありがたいと感謝しても、 どれだけ素晴らしいと感動しても、 自分を取り巻く状況は変わらない。 目の前で人の愚か…
避けられない五濁 自分にとっての不条理、世の中の不条理にあって、 歎異抄の後序にはこうある。聖人のおおせには、 よろずのこと、みなもって、そらごと、たわごと、…
仏様というのは、どこかにおられて、昔からものすごい数の人を 見ておられるのかといえば、あんまりそういうことではないと思う。 そもそも物理的にどこかにおわすこと…
何事もそうだけれど、多分、結果そうなることを 直接の目的として、そのやり方を知れば、結果が得られるという 安直な考えにあることを、気付けなければ無駄足になるど…
田坂先生は、よく覚悟をお定めなさいと言われる。 自分にはこれは、導かれていることを疑うな、と受け取れる。 思いつくこと、出会うことや、機会というのは、タイミン…
日曜礼拝「ねんごろのこころ」西蓮寺 白山副住職ご法話から 真宗聖典P563 「としごろ念仏して往生をねがうしるしには、 もとあしかりしわがこころをもおもいかえ…
自分とおさらば、とか軽々しく言えるものではない。 けれど究極の仏教者は、自我を越えようとする。仏の呼吸というかも知れない。 自我の物差しではなく、仏の物差しと…
時間が過去から未来への流れるというのであれば、 確かに現在は過去の延長線上にあったし、未来は現在の延長線上にあることになる。 だから未来というのは現在の在り方…
最近、取り沙汰されるカルト宗教問題。「解毒」とか脱会者の本を 読んだりもしたが、マインドコントロールというキーワードがやはり その通りなのだと思う。ただ、マイ…
自分から一年発起して何も始めていない。 いつも何かに導かれるように、始まって取り組んでいることが多い。 毎朝、神社に参拝していた頃。ふと、思い立ったことが記憶…
よろずの啓蒙や幸福実現法のように、人生に役立てるために仏教する というのは、ありえない。何のために仏教しているのか、と問われて 返せる答えがない。質問が間違っ…
テクノロジの世界で仕事をしていると、海外で日進月歩の進化を遂げる あらゆる技術や概念に日本語がついていかない。原著や論文をそのまま 読んで理解できる人はいいが…
子供の時から、不思議に思っていたことがあった。 お墓を建てて、仏壇を据えて、法事も、葬儀も、あらゆる儀式作法があって、 全て亡くなったご先祖や縁者への冥福の手…
「明治三十五年の頃、私は一生懸命称名念仏していた。 ところが清沢先生は、それは止めたほうがよかろうとおっしゃった」 暁烏敏「正信偈の講和」宝藏館P335から …
この自分の往生のために、この自分の後生のために、 お念仏申すのです、といえば否定も肯定もできない。 自分に意味のないことをする必要はないし、 自分だけどうにか…
自分は昭和の生まれなので、子供の頃から親のことは オトウチャン、オカアチャンだった。今でもそうだ。 自分の子は与えた名前で呼んでいる。妻はアナタといっているこ…
一般論の幸せメソッドのような仏法というのはあるのか。 あるとしたら、それ仏法でなくても良いと思う。 それなら世界のあらゆる哲学者、成功者の名言集でも良いではな…
Well deservedというが、「受けて当然の果報」は良いことばかりだけではなく、 残念なことも結構ある。これら良いも悪いも、しっかりと受け取り 逆境にな…
これはあまり一般化できないことだと思うけれど、 気づいたような、思いついたような言葉で、 今あるあらゆる不安、不運、苦境、から来る辛さを 誰かに完全に取り除い…
ご聴聞を続けて思うのは、現実を魔法で変えようとするのは、 一つの逃避であるということ。呪文、祈祷、百度石、荒業、布施、 そういった行動で、何かが起動するメカニ…
相田みつをの残した言葉に、物差しについての名言がある。 「そんかとくか人間のものさし うそかまことか佛さまのものさし」 池田勇諦師がお若い頃、安田理深師がこの…
ご聴聞を続けていくうちに、現代用語で使われていても仏教語となったとき、 意味がかなり変わることがよくある。 了解も、「りょうかい」ではなく「りょうげ」 自然も…
どこかのご法話で聞いた妙好人のお婆さんの話。 聞法して、ありがたいありがたいと言っているような仏法はない、と。 自己でとどめているうちは自己満足の倫理道徳にす…
自分の中の勝手な思い込みが、現実世界の真実と混同されてしまうのは ことさら宗教とか、スピリチャルといった個人の自由なところに必ずあって、 それは念仏の行者も例…
歩いていて、思いがけずこの言葉が出てきた。 仕事でも、生活でも、趣味でも、全てあて当てはまるが、 見るべきことをじっくり見ていないと、大したことができない。 …
世の中、定量的にできないが間違いなく存在するものがある。 命の重さ、とかいうのも数字にできない。 むしろ数えられる状態にするのは、人間の所業であり数字は知恵の…
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これはすごい。 https://toyo.repo.nii.ac.jp/record/2750/files/enryocenternenpo11_037-05…
兵庫県の作用というところに播州一の宮大工といわれたお爺さんがいた。 姫路城昭和大修理の棟梁として、大仕事を成し遂げ名を残した一職人。 昨年の夏、作用に行ってお…
この人にとっては、「真実(まこと)か真実でないか」だけが全てであった。 正しいかどうかではない、利益があるかどうかでもない、助かるかどうかでもない。 真実なの…
歎異抄のすごいところは、真宗の信者でなくとも、国内外の別宗教や無宗教の人でさえ 多くの知識人に極めて高い評価を受けている事実があって、むしろ自分自身はおそらく…
真宗聖典にある親鸞の声は、古今多くの人々が語り継いできたし、 ご法話でも何度も聞くことであり、知識としても断片的ながら理解した気でいる。 それが良いも悪いもな…
12月31日、神社にゆく。お祈りも、お願いもしない。 ありがとうございました、とだけ小さく柏手を打ってお礼を言う。 1月1日。初日の出を拝みに桟橋にゆく。いつ…
全ての結果には原因がある。例外なく因と果が連綿と続く、と。 だが、結果になって初めて原因と言われる。 今の状態も原因があっての結果であるのだ。 今の自分という…
信じると言っても、かなり意味が違う。 お金を信じる、他人を信じる、組織を信じる、仲間を信じる、 何を信じるかで、自分が決まる。この時の信じるというのは、信用す…
なんぞ、目当てがあって仏教だの念仏だのに縋るのは、それは違う。 それは全部、自己都合や。解決とか救済とかの秘法にあやかろうという根性では 当てが外れたら、別に…
ご法話で「あんた、南無阿弥陀仏て何て聞かれてどう答える?」と問われた。 阿弥陀仏に南無します、では答えになっていない。 だから南無は、信じるとか、難しく言えば…
200年ほど前の山口県の小島に「おかる(阿軽・於軽)」という妙好人がおられたという。 こうも聞こえにゃ 聞かぬがましよ 聞かにゃおちるし 聞きゃ苦労 今の苦…
推しの仏様を選ぶようなことをしてはいけないよ。 大日如来より阿弥陀如来が良いとか、いやいや釈迦如来が一番偉いとか、 人間レベルで決めることではないよ。 例えば…
昨日は報恩講に出仕して面白い話を聞かせていただいた。 日本の幽霊の絵は、たいていパターンがあって子供が絵を描いても 手を前に垂らし、足はなく、長い髪が後ろに伸…
本願寺派の梯先生のご法話で紹介された鹿児島の正覚寺さんが サイトに「輝くいのち」を公開してくださっていた。 https://www.syougakuji.co…
アニメ化した「チ。ー地球の運動についてー」には、宗教というものの恐ろしさを 天動説を絡めて描写しているが、リチャード・ドーキンス教授は、そういう集団心理は 中…
念仏する、という。 見た目は、自分が「南無阿弥陀仏」と言うという行為に他ならない。 けれど、念仏は、出るもの。 自分が言うのではない、念仏がこの業にまみれた人…
薪を焚べて焚き火をする。 静かな時間。 雑念がなくなり、正信偈が出てくる。 理由もない。 自然に触れて分かること。
僧侶なら、悟るための修行をするのでしょう?と聞かれることがある。 していない、全く。 他宗のご法話でも、私たちは悟るために仏教をしているのだとかいうのを聞いた…
鴨長明「方丈記」を読んでいると、 方丈の庵に住む究極の生活は、自然に溶け込む生き方の達人のようであり 現代人が忘れがちなある種のASMR体験と想像するが、 精…
やっとあのお爺さんのお墓参りに行けた。 不思議なご縁と思う。母の生命が尽きようとしているこの時に、 お婆さんからの便りをいただいて、ようやく伺うことができた。…
当たり前のことだけれど、宗教があって阿弥陀仏があるわけでもなければ 教団があって阿弥陀仏があるのでもない。念仏は宗派の専売特許でもない。 阿弥陀仏があって自我…
仏国土は星の数ほどあると言われていて、阿弥陀仏の仏国土は浄土とも言われる。 では、この世は何という名の仏国土かといえば「娑婆(Saha)」というが、 浄土のよ…
大経と呼ばれる無量寿経は、康僧鎧訳(魏訳)において、17,421文字の漢字で書かれている。 この漢文では、サンスクリット文からいくつかの加上が見られるが、 中…
分かることと、できることは違う。これは誰でも理解はしている。 個人においても、組織においても、 今、どういう状態に置かれているのか 周囲環境はどう動いているの…
昔から言われているように、仏教は道徳とちがう。 それは道徳を排除することではないし、何らのコンフリクトもない。 人に優しく、救いの手を差し伸べ、柔和に接し、き…
日曜礼拝のご法話を聴聞して、思わされた。 介護、うつ病、壮絶な人生を生きる人がいる。思わされるのは、 自分には、誰の真似もできない。小学校に入りたての子供を轢…
無量寿経巻下を読経中、浮かんだ。 「因位の自覚を持ちなさい」 因位とか果位というのは、仏の世界で他人事のように、そうなのですかで聞くなと。 たとえ5年先のこと…
人智を超えたところに仏智がある。 説明ができることではない。 釈迦が覚者となって人に法を説いたが、 例えば、お経の内容を見るに、後年の加上があるにせよ、釈迦以…
僧侶、と一言でいうが実に多彩なのだと今更ながら思わされる。 別に国内に限ったことでもなく、現代に限ったことでもない。 自分にとって、明らかに違うと思うのは、 …
繰り返し、くりかえし現れる「あさましい」という言葉。 現代でも、あらゆるところで見聞きする。教義のことではなく人間性なのだ。 歎異抄の十八条、 まことに、われ…
歎異抄のような伝聞形式で伝わる「蓮如上人御一代記聞書」。 内容は316条と膨大な伝聞が伝わっているが、御文とはまた違った角度でその教えを味わえる。 むしろ現代…
南無阿弥陀仏の後に、阿弥陀仏と噛み締める。 同じではない。日々、読経や勤行を続けているとこの感覚になる。 理屈ではなく、音の違いでもない、明らかな違いと言える…
「アンタの南無阿弥陀仏は平和な時代の念仏やな。」 確かに、歴史を紐解くに現代ほど恵まれた時代はない。 人権のない時代に生きた人もいる、戦争に駆り出され異国で斃…
いつも、南無阿弥陀仏て言いよるな。なんでですかいな。 ワシも、よう分かりまへんねん。気がついたら口に出とるんですわ。 阿弥陀仏て、ほんまにおってですんかいな。…
無量寿経の最後あたりに慈氏(弥勒)が釈迦に尋ねるシーンがある。 阿弥陀仏の浄土で、他の仏国土から生まれてきた者たちを見たという。 蓮華の蕚(うてな)に跏趺(か…
日頃のインプットを変えてゆきなさい、と聞こえる。 一般的にいう生活習慣を改善しましょう、とかと同じなのだろうか。 日頃、見るもの、聞くもの、食するもの、飲むも…
三帖和讃浄土にある「現世利益和讃」15首には、 「南無阿弥陀仏をとなうれば」が10回現れる。 これに続く言葉に、神、鬼、龍、天、王、祇などが登場する。 不思議…
BY AGE 40 YOU SHOULD BE SMART ENOUGH TO REALIZE THIS:40になる前に気付いておくべきこと 1. Some…
昔から、戒というのがあり、戒律ということも作られてきた。 人間社会でも法律や規則はあるが、むしろ自戒という意味合いが強い。 禁止事項というよりは、十善戒という…