還暦前後から老後の暮らしを豊かにするための東洋、西洋、仏典などの古典の紹介。
「臨済録」原文全文とその現代語訳を紹介しました。 仏教や禅に関する書籍ですが、純粋に東洋思想の書物としても読むことができます。 そこに書かれている言葉は、現代に生きる私たちにとって、自信を持ち、より心穏やかに暮らすための導きとなるものばかりです。 「臨済録」が、より多くの人たちに読まれることを
行錄(22)「誰知吾正法眼藏、向這瞎驢邊滅卻」(吾の正法眼蔵が、この目の見えない驢馬のところで滅んでしまうとは)「臨済録」より
臨済は、自らの法を伝えた慧然に、最後の問いかけをします。 それに対し、慧然は一喝で答えます。 臨済はその答えに満足したのでしょうか。 それとも大いに不満だったのでしょうか。 自分の法は、目の見えない驢馬のところで滅んでしまう。 そう言って亡くなりました。 臨済が亡くなった後、慧然らは師の
行錄(21)「勝即總勝、負即總負」(勝ったとしたらどちらも勝ち、負けたとしたらどちらも負け)「臨済録」より
金牛和尚は臨済の振る舞いを無礼であると咎めます。 しかし臨済はまったく構いません。 そして、さらになにか言おうとする金牛和尚に一棒を加えます。 溈山に、さてこの二人、どちらが勝ったのだろうかと問われた仰山は答えます。 勝ったとしたらどちらも勝ち、負けたとしたらどちらも負け。 勝ち負けは、こ
行錄(20)「官不容針、私通車馬」(公には針をも通さずとも、裏では馬や車が勝手に通り抜けています)「臨済録」より
溈山は、古人たちの教えは電光石火のようなもの、誰も追い切れないが、そもそもそんな言葉には意味などなかったのだ、と言います。 それに対し、仰山は言います、表向きには誰も通さないが、裏ではこっそりと馬も車も通り抜けています。 言葉の上での厳しさはあっても、通り抜ける術はあるものだ。 そう言っている
行錄(19)「祇圖踏破草鞋」(ただ草鞋をすり減らそうとしているだけです)「臨済録」より
明化は臨済に、どうして歩き回っているのかと尋ねます。 臨済は、ただ歩いて草鞋をすり減らそうとしているだけです。 あるいは、ただ草鞋がすり減ってしまうまで歩いているだけです、ということかもしれません。 明化はさらに問います。 それはどういうことか、と。 臨済はそれに答えるのではなく、ただつぶ
行錄(18)「老僧祇與麼」(老僧はただこんなものだ)「臨済録」より
臨済は凡でもなく聖でもないところを象田に尋ねます。 それに対し象田は、まあ自分は見たままの、このままのものだよ、と答えます。 臨済は一喝して、ここに集まっている僧たちは、象田から何を学ぼうとしているのか、と言います。 その言葉の意味は、何通りかに解釈できるかと。 ここには学ぶべきものはない。
行錄(17)「一箭過西天」(一箭(矢)は西天に飛び去った)「臨済録」より
翠峰の問いかけに対して、臨済は、黄檗には特別な言葉などありません、と答えます。 そうだとしても、何か言ってごらんと翠峰はさらに問いかけます。 それで、臨済は、矢のように、あっという間に西に向かって飛び去った。 もうここには痕跡も残っていないのだ、と言います。
行錄(16)「作家禪客、宛爾不同」(なるほど一家をなした禅客は、他とは違う)「臨済録」より
とても短いやり取りの中で、華厳和尚と臨済はお互いの力量を計りあっています。 そしてそれぞれを認めているのでしょう。 臨済録の中に出てくる人たちは、懸命に経典を読むことよりも、むしろ居眠りをするような状況を評価しているようです。 そこから私たちはどのようなことを読み取るべきでしょうか。
行錄(15)「慈云、作麼」(大慈和尚が言った、なにを言っているのだ、と)「臨済録」より
大慈和尚は臨済に答えて言います。 冬の寒さの中でも松は変わらず、千年経とうとも他のものとは同じではない。 しかし、世の中も春ともなれば、老人は花を手にもて遊ぶのだ。 それは大慈和尚のそのままの現状を言ったものかもしれません。 それに対して臨済は言います。 古くから完成された知恵といわれてい
行錄(14)「金牛昨夜遭塗炭、直至如今不見蹤」(金牛は昨夜炭で塗りつぶされてしまい、まったくその痕跡も見ることはできません)「臨済録」より
臨済は、師である黄檗の教えを、その痕跡を見ることもできない、と言います。 それは形を変え、臨済自身の中に流れ込んだものということかもしれません。 黄檗の教えが、笛に流れ込む爽やかな風であれば、きっと清々しい音を出すはず。 その笛の音を聞いている者はどこにいるのか、と平和尚は尋ねます。 その問
行錄(13)「不展鋒鋩、如何得勝」(切先を交えることなく、どのようにして勝ちを得られるでしょうか)「臨済録」より
剣先を交えることなく勝ちを得るにはどうしたらよいか、どうかその方便を示してほしい。 臨済はそう問います。 それに対して龍光は剣で相手に切り掛かるときのかけ声を発します。 咄嗟の方便ではなく、追い詰められたときに発する一声のように聞こえます。 臨済は遠慮することなく言います。 龍光は負けた、
行錄(12)「師云、佛祖俱不禮」(師は言った、仏祖ともに礼拝しない、と)「臨済録」より
住職は、仏陀のお墓に礼拝しますか、それとも祖師のお墓を先にしますか、と聞きます。 臨済は、どちらにも礼拝しない、と言って、立ち去ってしまいます。 では臨済は何をしにそこに行ったのでしょうか。 仏教や禅の修行者を縛り付けているものの張本人たちを確認しに行ったのかもしれません。 そして、それらの
行錄(11)「已後坐卻天下人舌頭去在」(将来、天下の人々の舌頭を押さえて座り込むこともあるだろう)「臨済録」より
黄檗は、自らのもとから独立しようとする臨済に、百丈和尚から受け継いだ禅板と机案を渡そうとします。 しかし臨済はそれを燃やしてしまおうとします。 臨済は、物を受け取ることを法の伝授の証にするようなことはしたくなかったのかもしれません。
行錄(10)「汝向後北去」(あなたはこの先、北へ向かうといいでしょう)「臨済録」より
臨済は黄檗のもとで修行をしていましたが、大悟するためには大愚と出会う必要がありました。 大悟の後、自らの禅風を確立するためには首座とともにする修行が役立っています。 さらには、普化との出会いもとても大切なのですが、そのきっかけは溈山と仰山のもとを訪れた時に与えられています。 臨済の修行は、この
行錄(9)「賊是小人、智過君子」(賊は小人ですが、その智は君子以上ということでしょう)「臨済録」より
黄檗が持っていた鍬を臨済がさっと取り上げてしまいます。 この場面は、どのようなことを私たちに伝えようとしているのでしょうか。 溈山にその意味を問われた仰山が答えます。 鍬を取り上げた者はまだまだ小人だが、その知恵は十分で君子以上です、と。 ここでもやはり、その後の臨済の活躍を予言しているよう
行錄(8)「兩彩一賽」(一度の勝負で二度勝ち)「臨済録」より
臨済は僧堂で居眠りをしています。 一方の首座は僧堂で坐禅を組んでいました。 そのどちらもが、黄檗を相手にして動じる素振りを見せません。 後に、仰山が言います。 この場面では、二度の勝ち目が出ている、と。 それはどのように解釈したらいい言葉でしょうか。 黄檗は二人の良き後継者を得た。 そ
行錄(7)「首座云、知即得」(首座が言った、それを知っているならまあいいでしょう、と)「臨済録」より
臨済は、黄檗が来たのに気づいて、目を閉じました。 その様子に黄檗は恐れをなしたようにして、方丈に帰ります。 黄檗の後について方丈に行った臨済は、黄檗に礼拝します。 自分を認めてくれた黄檗に感謝を示しているようです。 黄檗はまだ若い臨済の資質を認めていました。 そのような黄檗と臨済の振る舞い
行錄(6)「正賊走卻、邏蹤人喫棒」(賊本人は走り去り、取り締まりの警邏が棒をくらったようなものです)「臨済録」より
臨済は、黄檗の棒の一打をとらえ、押し返して、黄檗を倒してしまいます。 黄檗を助け起こした維那(いな:僧堂に集まった僧たちの取りまとめ役)が、かえって黄檗の一打を受けてしまいます。 これを後に溈山と仰山が話題にしています。 賊本人はその場から逃げてしまい、残っていた警邏が棒で打たれたようなものだ
行錄(5)「師侍立德山次、山云、今日困」(師が徳山のそばに立っていると、徳山が言った、今日は疲れた、と)「臨済録」より
徳山は坐禅を終えて、疲れた、と言ったのでしょうか。 それを聞いた臨済は、徳山がなにか寝言で言ったぞ、と返します。 徳山は臨済を打ちます。 臨済は徳山が腰を下ろしていた坐禅用の椅子をひっくり返します。 徳山は、その時、一緒にひっくり返ったのかもしれません。 そのまま徳山は居眠りでも始めたので
行錄(4)「深山裡栽許多作什麼」(こんな深山の奥に松を数本植えて、それでなにをしようというのか)「臨済録」より
黄檗は、岩山に松を植え、後に続く人たちのための道標にするというのを聞き、臨済の修行の到達点を見たのかもしれません。 松は、紅葉樹が散った後も葉を残すもの。 そのような松の木を、黄檗のもとで育てたのは臨済である。 後の人たちは、臨済の業績を松の木に見立てて書き残した。 そのようにも読み取れる文
行錄(3)「非但騎虎頭、亦解把虎尾」(虎の頭に乗ったばかりか、虎の尾まで捕まえていたのです)「臨済録」より
臨済は、黄檗が大愚に一撃を喰らわせたいものだと言うのを聞いて、それならこの場で喰らえと平手打ちをします。 黄檗は臨済の変化や成長をそこに見たのでしょう。 侍者に、臨済を参堂に連れて行かせます。 そのあとに溈山と仰山とのやり取りが書かれています。 臨済は虎の頭に乗っただけではなく、尻尾も掴まえ
行錄(2)「元來黃檗佛法無多子」(もともと黃檗の仏法にややこしいことなどなかったのだ)「臨済録」より
臨済が黄檗に仏法の根本義を尋ねたところ、黄檗はただ棒で打っただけでした。 それを大愚に話したところ、大愚は、黄檗は老婆のような親切心で教えているのだ、と説明します。 その言葉を聞いたとたんに、臨済は大悟します。 このときから、臨済は自身の禅風を発展させるようになります。
行錄(1)「汝向高安灘頭大愚處去、必為汝說」(高安灘頭の大愚の所に行け、必ず汝のために説いてくれるだろう)「臨済録」より
首座は、まだ若い臨済に、将来性を見ていました。 その言葉を理解した黄檗は、自分のもとを去ろうとする臨済に、大愚の所に行け、と言います。 臨済は黄檗と大愚との間を行き来することで大悟します。
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還暦前後から老後の暮らしを豊かにするための東洋、西洋、仏典などの古典の紹介。
「臨済録」原文全文とその現代語訳を紹介しました。 仏教や禅に関する書籍ですが、純粋に東洋思想の書物としても読むことができます。 そこに書かれている言葉は、現代に生きる私たちにとって、自信を持ち、より心穏やかに暮らすための導きとなるものばかりです。 「臨済録」が、より多くの人たちに読まれることを
臨済は、自らの法を伝えた慧然に、最後の問いかけをします。 それに対し、慧然は一喝で答えます。 臨済はその答えに満足したのでしょうか。 それとも大いに不満だったのでしょうか。 自分の法は、目の見えない驢馬のところで滅んでしまう。 そう言って亡くなりました。 臨済が亡くなった後、慧然らは師の
金牛和尚は臨済の振る舞いを無礼であると咎めます。 しかし臨済はまったく構いません。 そして、さらになにか言おうとする金牛和尚に一棒を加えます。 溈山に、さてこの二人、どちらが勝ったのだろうかと問われた仰山は答えます。 勝ったとしたらどちらも勝ち、負けたとしたらどちらも負け。 勝ち負けは、こ
溈山は、古人たちの教えは電光石火のようなもの、誰も追い切れないが、そもそもそんな言葉には意味などなかったのだ、と言います。 それに対し、仰山は言います、表向きには誰も通さないが、裏ではこっそりと馬も車も通り抜けています。 言葉の上での厳しさはあっても、通り抜ける術はあるものだ。 そう言っている
明化は臨済に、どうして歩き回っているのかと尋ねます。 臨済は、ただ歩いて草鞋をすり減らそうとしているだけです。 あるいは、ただ草鞋がすり減ってしまうまで歩いているだけです、ということかもしれません。 明化はさらに問います。 それはどういうことか、と。 臨済はそれに答えるのではなく、ただつぶ
臨済は凡でもなく聖でもないところを象田に尋ねます。 それに対し象田は、まあ自分は見たままの、このままのものだよ、と答えます。 臨済は一喝して、ここに集まっている僧たちは、象田から何を学ぼうとしているのか、と言います。 その言葉の意味は、何通りかに解釈できるかと。 ここには学ぶべきものはない。
翠峰の問いかけに対して、臨済は、黄檗には特別な言葉などありません、と答えます。 そうだとしても、何か言ってごらんと翠峰はさらに問いかけます。 それで、臨済は、矢のように、あっという間に西に向かって飛び去った。 もうここには痕跡も残っていないのだ、と言います。
とても短いやり取りの中で、華厳和尚と臨済はお互いの力量を計りあっています。 そしてそれぞれを認めているのでしょう。 臨済録の中に出てくる人たちは、懸命に経典を読むことよりも、むしろ居眠りをするような状況を評価しているようです。 そこから私たちはどのようなことを読み取るべきでしょうか。
大慈和尚は臨済に答えて言います。 冬の寒さの中でも松は変わらず、千年経とうとも他のものとは同じではない。 しかし、世の中も春ともなれば、老人は花を手にもて遊ぶのだ。 それは大慈和尚のそのままの現状を言ったものかもしれません。 それに対して臨済は言います。 古くから完成された知恵といわれてい
臨済は、師である黄檗の教えを、その痕跡を見ることもできない、と言います。 それは形を変え、臨済自身の中に流れ込んだものということかもしれません。 黄檗の教えが、笛に流れ込む爽やかな風であれば、きっと清々しい音を出すはず。 その笛の音を聞いている者はどこにいるのか、と平和尚は尋ねます。 その問
剣先を交えることなく勝ちを得るにはどうしたらよいか、どうかその方便を示してほしい。 臨済はそう問います。 それに対して龍光は剣で相手に切り掛かるときのかけ声を発します。 咄嗟の方便ではなく、追い詰められたときに発する一声のように聞こえます。 臨済は遠慮することなく言います。 龍光は負けた、
住職は、仏陀のお墓に礼拝しますか、それとも祖師のお墓を先にしますか、と聞きます。 臨済は、どちらにも礼拝しない、と言って、立ち去ってしまいます。 では臨済は何をしにそこに行ったのでしょうか。 仏教や禅の修行者を縛り付けているものの張本人たちを確認しに行ったのかもしれません。 そして、それらの
黄檗は、自らのもとから独立しようとする臨済に、百丈和尚から受け継いだ禅板と机案を渡そうとします。 しかし臨済はそれを燃やしてしまおうとします。 臨済は、物を受け取ることを法の伝授の証にするようなことはしたくなかったのかもしれません。
臨済は黄檗のもとで修行をしていましたが、大悟するためには大愚と出会う必要がありました。 大悟の後、自らの禅風を確立するためには首座とともにする修行が役立っています。 さらには、普化との出会いもとても大切なのですが、そのきっかけは溈山と仰山のもとを訪れた時に与えられています。 臨済の修行は、この
黄檗が持っていた鍬を臨済がさっと取り上げてしまいます。 この場面は、どのようなことを私たちに伝えようとしているのでしょうか。 溈山にその意味を問われた仰山が答えます。 鍬を取り上げた者はまだまだ小人だが、その知恵は十分で君子以上です、と。 ここでもやはり、その後の臨済の活躍を予言しているよう
臨済は僧堂で居眠りをしています。 一方の首座は僧堂で坐禅を組んでいました。 そのどちらもが、黄檗を相手にして動じる素振りを見せません。 後に、仰山が言います。 この場面では、二度の勝ち目が出ている、と。 それはどのように解釈したらいい言葉でしょうか。 黄檗は二人の良き後継者を得た。 そ
臨済は、黄檗が来たのに気づいて、目を閉じました。 その様子に黄檗は恐れをなしたようにして、方丈に帰ります。 黄檗の後について方丈に行った臨済は、黄檗に礼拝します。 自分を認めてくれた黄檗に感謝を示しているようです。 黄檗はまだ若い臨済の資質を認めていました。 そのような黄檗と臨済の振る舞い
臨済は、黄檗の棒の一打をとらえ、押し返して、黄檗を倒してしまいます。 黄檗を助け起こした維那(いな:僧堂に集まった僧たちの取りまとめ役)が、かえって黄檗の一打を受けてしまいます。 これを後に溈山と仰山が話題にしています。 賊本人はその場から逃げてしまい、残っていた警邏が棒で打たれたようなものだ
徳山は坐禅を終えて、疲れた、と言ったのでしょうか。 それを聞いた臨済は、徳山がなにか寝言で言ったぞ、と返します。 徳山は臨済を打ちます。 臨済は徳山が腰を下ろしていた坐禅用の椅子をひっくり返します。 徳山は、その時、一緒にひっくり返ったのかもしれません。 そのまま徳山は居眠りでも始めたので
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こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の13回目です。 修行僧が「真正の見解とはなにか」と問います。 それに対して臨済は答えます。 「この世のものはことごとく仮の姿だ、実体などないのだ」と。 そして、さらに言葉を続けます。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認くだ...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の12回目です。 修行僧たちがあちらこちらの「偉い」和尚のいるお寺を巡って、お墨付きを得ようとします。 いつまでもうろうろとし続ける修行僧たちに、そんなことは無意味なのだと臨済は説きます。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の11回目です。 臨済のもとで学ぶ僧たちは、さまざまな疑問をいだきます。 今回紹介する箇所では「魔とは、仏とは」について改めて一人の僧が問い、それに答える形で臨在が説明しています。 この「魔」と「仏」は、前回のところから引き続き説か...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の10回目です。 臨済の頃の唐では、修行僧が集まる人気の寺があったようです。 そこに仲間入りして、自分は出家したと考える僧がいたのでしょう。 臨済はそのような僧に向かって、それは真の出家ではないと言います。 臨済録の原文全文は以下...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の9回目です。 ここでも臨済は繰り返します。ことさらなことなどしなくていいのだ、と。 普段通りに生きて、ヒトとしてすることは当たり前にやって、無理なことはやらない。 その日々がそのままで解脱なのだ、と。 臨済録の原文全文は以下のリ...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の8回目です。 臨済が自らの説いているところをさらに踏み込んで語ります。 世間の人のしている物事の格付けと、「かの人」の行う格付けとはそもそも違うのだ、と言います。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!...