歴史紀行 81 ‐ 5 平家終焉の地 平宗盛公 胴塚 5
平宗盛公胴塚滋賀県野洲市大篠原1183年、寿永2年5月〜6月倶利伽羅峠の戦いに惨敗し、次戦の篠原の戦いと2度の連戦で木曽義仲に敗れたことにより、平家の北陸平定は頓挫しました。これは頓挫という生優しい事態ではなく、平家の軍勢は飢饉の最中に強引に徴発された寄せ集めの集団では、20年の怨嗟を溜め込んだ源氏の怒りの軍勢を抑える力など無く、これにより平家の声望は地に落ち、義仲がすでに上洛の手筈を整えたとの風聞すら都に囁かれ始めました。ここで平家一門は二つに分裂します。平宗盛は伯父にあたり、いまや一門の重鎮たる平頼盛に京の都の玄関口にあたる山科の防衛を託します。平頼盛は、平清盛とは母の違う異母弟にあたる兄弟で、かつて源頼朝の助命のために、断食まで行い頼朝の命を救った池禅尼の息子でした。宗盛とは平家の縁者であるものの、...歴史紀行81‐5平家終焉の地平宗盛公胴塚5
2024/09/29 21:47