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2021/10/07

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  • 自己嫌悪

    1977年2月1日の日記にこんなことを書いている。「毎日毎日休みも取らず、戦場に向かっている。笑っては馬鹿にされ、泣いては卑怯だと言われる。日々の終着は、居眠りでごまかし、目覚めれば、また戦場に向かう。疲れの報酬は、何もない。疲れの報酬は、何もない。」なんだ、何も変わってないじゃないか。環境こそ変わったものの、根本は47年前つまり19歳の頃と同じである。いったい今まで何をやってきたのだろう。それが人生だと言われればそれまでだが、何かむなしい。19歳のぼくは、ギターと戯れていた。66歳のぼくは、スマホと戯れている。19歳、ぼくの未来はキラキラと輝いて見えた。66歳、ぼくの過去はキラキラと輝いて見える。あの頃から人生設計を立てていた人は、立派になっていることだろう。今もって人生設計を立てていないぼくは、自己嫌...自己嫌悪

  • 給食室

    この間、用があって、ぼくが通っていた小学校の近くまで行った。当時木造だった校舎は、鉄筋校舎に変わっていた。位置も若干移動していて、木造校舎の建っていた場所が運動場になっていて、運動場のあった場所に鉄筋校舎が建っていた。位置的にまったく変わってないのはプールだけだった。かつては田んぼだらけだった周りの景色も、今は住宅地に変貌していた。というわけで、母校ではあるが、母校とは言い難い雰囲気を、今の小学校はかもし出していた。ただ一つだけ、昔とわらないものがあった。それは建物だとか位置などではなく、においだ。何のにおいかというと、給食室のにおいだ。最近の給食はかなりいい食事を出していると聞くが、それでも給食室のにおいは変わってなかった。行ったのが平日の午前中だったので、においがプンプンにおってきた。このにおいに気づ...給食室

  • 兵隊やくざ

    中学の頃、日曜日の午後にテレビでよくやっていた映画がある。勝新太郎主演の『兵隊やくざ』シリーズだ。ぼくはこの映画が好きで、いつも見ていた。規律の厳しい軍隊という枠に縛られずに、好き勝手やっていた大宮上等兵(勝新太郎)の行動が実に痛快だったのだ。これは学校内でもけっこう評判になり、この映画を見てないと月曜日の話題について行けなかったものだ。さてこの映画、モノクロだったせいで、その後はテレビでやらなくなった。そういうことがあり、だんだんその映画の存在を忘れていった。二十年ほど前だったか、一度ビデオで発売されたことがある。が、その時はさほど見たいとは思わなかった。ところが最近、なぜか『兵隊やくざ』の夢を見るようになった。別に自分が『兵隊やくざ』の中に登場しているわけではない。その映画を見ている夢だ。「何で今頃、...兵隊やくざ

  • 理科が嫌いだった

    以前書いたことがあるが、ぼくは理科という教科が苦手だった。何でそれほど理科が苦手だったのかわからないが、ただ一つだけ言えることがある。それは、理科にまったく興味がないということだ。まあ、理科で関心を持っていることと言えば、気象学、つまりお天気と、あとはアルカリ食品くらいである。ぼくは昔から実験が嫌いな子だった。小学校の授業では、やたら時間をかけて実験をやっていた。火を点けたり、唾とデンプンを絡ませたり、「こんなことやって、何になるんだろう」といつも思っていた。中学の時には、かわいそうに、蛙やフナの解剖をやるし。エーテルの臭いを嗅ぐと、気分が悪くなったものだ。蛙の解剖は、一年の時にやったのだが、授業が終わった後に先生が、「犠牲になった蛙に、黙祷しましょう」と言った。解剖された蛙はまだ生きていて、心臓がバクバ...理科が嫌いだった

  • 間の悪い人

    1,取引先に間の悪い人がいる。その人は、決まってぼくが食事に行く直前にやってくるのだ。こちらは早く食事に行きたいのに、彼のおかげでなかなか行くことが出来ない。しかたなく、彼の来る日は時間をずらそうと思い、1時間ほど食事の時間を遅らせたことがある。ところが、そういう日に限って、彼も1時間ほど遅れてやってくるのだ。「あんた、おれに飯を食わさんために来よるんね」とつい嫌味を言ってしまう。「いや、そういうつもりじゃないんですけど…」と彼は頭を掻きながら言う。が、次の週も、彼は決まってぼくの食事の直前にやってくるのだ。2,休憩時間中に、何人かでお菓子を分けて食べるとする。そういう時、決まって呼ばれもしないのにやってくる人がいる。その人が入ってきた時、ぼくたちは「あっちゃー」という顔をして、お互いの顔を見合わせる。ま...間の悪い人

  • 今日はいい日だろうか?

    顔を洗ったあとタオルで顔を拭いたら何かが唇に付着した。何だろうと手にとってみるとそれはちぢれ毛だった。シャツのボタンの位置が昨日までとは違うではないか。「えっ?」と動作が止まり一、二分後、ようやく裏返しだということに気づく。六階の家からエレベーターで一階の駐車場まで行く。そこに着いてから初めて車のキーを忘れていたことに気づく。すでにエレベーターは八階まで昇っていた。暖機運転をしていたことを忘れエンジンをかけるとシャカシャカという異音がする。故障じゃないかと思い外に出てから暖機運転していたことを思い出す。車を運転している時大きな真っ黒いカラスが突然前方を横切って行った。さらに他のカラスが「カア」と四度鳴いた。仕事中にとある出版社から本を出しませんかという電話がかかる。いい気になって話を聞いていると多額の費用...今日はいい日だろうか?

  • 高校教師

    プライムビデオに、映画版の『青春とはなんだ』があった。主演は石原裕次郎になっている。原作が石原慎太郎だからそうなったのだろう。これは知らなかった。ぼくが知っている『青春とはなんだ』は、テレビ版の夏木陽介主演で、一連の学園ドラマの走りになったやつだ。日テレ系は、その後『これが青春だ!』や『飛び出せ!青春』などに続いていくわけだ。ぼくが高校の頃、その日テレ系とは、ひと味違った学園ものがあった。それは、加山雄三が主演した『高校教師』というドラマで、『青春とはなんだ』などの爽やか路線とは、まったく意を異にしていた。主題歌を歌っていたのが、夏木マリだったというのも、その当時の学園ものとは異質のものだったというのが伺えるだろう『高校教師』は東京12チャンネルでやっていたものだった。そのせいか、当時、同じ12チャンネル...高校教師

  • 早飯、早糞、早ブログ

    「早飯、早糞、芸のうち」という言葉がある。これがいいのかどうかはわからないが、ぼくはいいふうに捉えている。なぜなら、いらんことを考えずにすむし、さっさと他の行動に移せるからだ。さて、今日のブログ、「ああじゃない、こうじゃない」と考えすぎて、なかなか記事がまとまらない。いつもは、ブログ更新を終えてから、朝の体操をし、仕事に行く準備をしているのだ。ここでつまずくと、一日の流れが悪くなる。そのために早起きしているのに、流れが悪くなると、仕事にも支障が出てくる。ということで、また明日。早飯、早糞、早ブログ

  • おひかえあそばせ

    最近プライムビデオで、「おひかえあそばせ」という古いドラマを見ている。昭和46年の作品で、石立鉄男、大坂志郎、富士真奈美、宮本信子、岡田可愛などが出演している。昭和46年というと、ぼくは14歳、中学2年の頃である。テーマ曲はなんとなく覚えがあるが、当時この番組を見ていたという記憶がない。調べてみると、このドラマが一連の石立鉄男シリーズの第一弾である。このドラマの次が「気になる嫁さん(S46)」、その後「パパと呼ばないで(S47)」「雑居時代(S48)」「水もれ甲介(S49)」「気まぐれ天使(S51)」「気まぐれ本格派(S52)」と続いていく。最後の「気まぐれ本格派」は、ぼくが20歳の時である。14歳から20歳、まさにぼくの青春時代だ。ぼくは石立鉄男ファンだった。石立ファンになったのは、「気になる嫁さん」を...おひかえあそばせ

  • 学芸会

    小学校の頃、講堂と呼んでいた場所があった。入学式、卒業式、始業式、終業式といった行事や、映画教室や全校集会、体育館がなかったので体育もそこで行っていた。講堂で行っていたもう一つの行事が、学芸会だった。ぼくたちの時代はいつも3学期に行っていた、講堂に漂うナフタリンの匂いが、今でも懐かしい。学芸会といえば、ぼくは小学生の頃、六回の学芸会のうち四回は器楽合奏に参加した。担当はいつもハーモニカだった。ぼくはおじの影響で、物心ついた時にはすでにハーモニカを吹いていたため、ハーモニカが得意だった。ということで、「ハーモニカをしたい人いますか」と言われたら、手を上げていたものだ。さて、残りの二回の学芸会では何をやったのかというと、合唱と劇である。合唱は二年の時、劇は四年の時だった。合唱をやったのには理由がある。実は、最...学芸会

  • 血の轍

    コンクリートの床の冷たさが上履きの靴底からしみてくる。その日は朝から気温が上がらない寒い寒い一日だった。昼休み、ぼくは予約していたその日発売のボブ・ディランのアルバム『血の轍』が入荷しているかどうかを確かめるためレコード店に電話をかけていた。「少々お待ちください」からどのくらい時間が経っているのかえらく待たされているような気がする。窓の外ではとうとう雪が舞いだした。「・・・・申し訳ありませんが・・・・」「えっ、まだ入ってないんですか!?」その辺にいた数人の人たちがつい大声になったぼくを見た。「じゃあ、また電話します」ぼくはムッとして受話器を置いた。その時、当時好きだった女子が保健室から赤ら顔をして出てきた。そしてぼくの横を素通りしていった。寒さと、血の轍と、怒りと、恋心と、1975年1月のことだった。↑こ...血の轍

  • 同窓会

    『同窓会』高校に入学してからのぼくは中学生の頃までとはまったく違う生き方をしてきたせいでそれまで考えてきたこととかそれまでの立ち位置だとかをほとんど覚えていないのです。どの人と仲好くしていたのかどの人と仲好くなかったのかそんなことまで忘れています。同じクラスじゃなかった人はほとんど初対面感覚なのです。『えっこの人誰だったっけ?』なんて方も少なからずいます。ぼくは数十年ぶりの同窓生と「乾杯」を繰り返しながらも旧交を温めあうことをせずに誰?ばかり考えておりました。中学の同窓会のことを書いたものだ。あれから5年が経っている。その時、馬の合った奴と「ちょくちょく会おうや」と再会を誓ったのだが、その後ぼくの病気やコロナ禍などで、会わないままになっている。健康体を取り戻したし、コロナ禍も終わったし、そろそろ、会いたい...同窓会

  • 暖房病

    (1)暖房依存症年が明けて、しばらく寒い日が続いたが、ここに来て若干温かくなった。ここ二、三日、最高気温が15度を超えているのだ。15度というと、秋の気温である。もし、10月や11月でこの気温なら、まず暖房を入れることはないだろう。しかし、12月を過ぎるとそうもいかない。一度暖房を経験した体は、よほど暑い日でもない限り、暖房を要求するのだ。あげくに乾燥肌に悩まされたりするから、始末に負えない。(2)ズボン下の害暖房というのは、何も機械だけではない。ズボン下もそうである。ズボン下も、一度はくまでは、別にはかなくても何と言うことはない。ところが、いったんはいてしまうと癖になる。それ以降ズボン下をはかないと、落ち着かなくなるのだ。これも先の暖房体験と同じことである。履いてない時と比べると、当然通気が悪くなるから...暖房病

  • 30分

    小学生の頃、国語の時間によく作文を書かされていたのだが、その時間内に出来なかったら、宿題になっていた。宿題になるといやなので、いつも授業中に書き上げていたものだ。ところが、たまに「今から30分で作文を書いてください」と、時間を限定されることがあった。そうなると、ちょっと事情が違ってくる。プレッシャーに弱いせいなのか、時間を限定されることに反発していたのか、やる気がなかったのか、そのへんは今となってはわからないが、まったく書けなかった。しかし、その時間がくるといやでも提出しないとならない。そこで無理矢理書くのだが、それがまったく文章になっていない。しかも、3行4行の世界である。当然いい点はもらえなかった。ということで、今日はそんな日記になりました。いい点もらえんだろなあ・・・・。30分

  • 昨日の『漢字を発明したのは日本人だった!』ではないが、漢字を見ていると、時々「はて、こういうものが中国にあったのか?」「これは日本の文化ではないのか?」という文字にお目にかかることがある。その代表が『開』という文字である。『開』、漢字源の解字では『門のかんぬきを両手ではずして、門をあけるさま、または「門+幵(平等に並んだ姿)」で、とびらを左右平等にひらくことを示す』となっている。ちょっと待ってほしい。この解釈は、どうもこじつけのような気がしてならない。門の中にあるのは、平等に並んだ姿となっている。その並んだものは扉だといっているが、扉が平等に並んでいるのなら、それは閉じているということになりはしないだろうか。閉じているものを、どうして開くと読ませるのだろう。ぼくが思うには、門の中にあるのは、平等に並んだ姿...開

  • 漢字を発明したのは日本人?

    30年ほど前に、『漢字を発明したのは日本人だった!』という本が話題になったことがある。何でも、甲骨文字を作ったのが日本人の先祖で、その当時は彼らが大陸を支配していたというものだった。甲骨文字は、漢字のもとになった文字だと言われているが、漢字ではその甲骨文字を解釈できないのだそうだ。ところが、それを日本の神代文字で読むと、ちゃんと文章になるのだという。だから漢字を発明したのは日本人である、といった内容の本だった。そこには面白いことが書かれていた。中国春秋戦国の頃に『斉』という国があった。これを旧字で書くと『齊』となるが、この文字をばらして、神代文字で読んでみると『いづも』と読めるらしい。『いづも』、そう『出雲』である。斉と出雲は歴代の王の数も一致するし、同じような国譲りの話もあるという。決して斉の歴史を、日...漢字を発明したのは日本人?

  • 漢字とのつき合い

    漢字を覚えるのは大変である。興味がある人にとっては独自の覚えかたがあるのかもしれないが、興味がない者にとっては書いて覚えるしか方法がない。これが嫌なのだ。小学生の頃、よく「二百字帳を漢字で埋めてこい」という宿題が出ていた。この宿題、若干なりとも解く楽しさがある算数などと違って、ただ黙々と書くという地味な作業だった。そこには当然、持続力とか耐久力とかいったものが要求される。そのため、集中力のないぼくにとって、これほど辛い宿題はなかったわけだ。高学年になるにしたがって、漢字の画数も増え、より時間がかかるようになっていき、その苦痛に耐えかねて、それまでやらないことのなかった宿題を、ついにやらなくなったのだった。教育漢字中心の小学校でさえこの調子だったのだ。当用漢字が頻繁に出てくる中学高校の漢字には、対抗出来るは...漢字とのつき合い

  • 新字と旧字

    現在、正しい漢字(旧字)を使用している国は、台湾だけらしい。日本は戦後、新字体や簡化字が使われるようになり、旧字は人名や参考程度でしか使われてはいない。また、本家の中国も同じく簡化字を使うようになっているし、半島にいたっては、まったく漢字を使わなくなっているようだ。確かに漢字は難しいし、書くのが面倒である。比較的簡単になった現代の漢字でさえそうなのだから、画数が多くなる旧字はなおさらである。例えば渡辺の『辺』という字があるが、これは今でこそ簡単だが、旧字だと『邊』や『邉』となる。同じように『浜』は『濱』、『桜』は『櫻』、『尽』は『盡』、『斎』は『齋』である。旧字で姓名を書いている人には申し訳ないが、一般の人にとってこのような漢字は読めたとしても、書く気にはならない。とはいえ、旧字でないと伝わらない文字とい...新字と旧字

  • 朝食

    若い頃、朝食と言えばご飯が中心だった。だが、納豆を食べた記憶はない。別に納豆が嫌いなわけではないが、食卓には並ばなかったのだ。このへんは、母が関西出身ということと関係があると思う。もし関東出身だったら、間違いなく納豆が並んでいたことだろう。ぼくが初めて納豆を食べたのは、小学4年頃だったと思う。臭いには閉口したが、食べてみると意外においしかったのを覚えている。しかし、病みつきになると言うほどでもなかった。混ぜるのが面倒だったし、ネバネバが指などに付くのが嫌だったので、敬遠していたのだと思う。その敬遠は今でも続いていて、納豆は年に1,2度しか口にしない。ところで、その当時朝食に何が並んでいたのかというと、明太子である。今でこそ明太子は価格が高いが、かつては魚屋や乾物屋で安く売っていた。あの頃は食卓に明太子が並...朝食

  • ハーモニカ

    久しぶりにハーモニカを吹いてみたのだが、吹けない。いや、単独では何とかなる。しかし、ギターを弾いているとだめなのだ。やはり10年間のブランクは大きい、と言わざるを得ない。プロは練習しなくても、イメージトレーニングだけで大丈夫らしい。が、ぼくはイメージトレーニングやれるほど、精神力は強くない。ましてや、ハーモニカが職業でもないのだから、そこまでやろうとも思わない。とはいえ、昔出来たことが出来ないというのは、実に歯がゆいものだ。そこで、今後は休みを利用して、ハーモニカの練習をしようと思っている。幸い、ほとんどのキーは揃っているので、別に買い足すこともない。まあ、金もかからないことだし、手軽に出来る趣味としては、もってこいである。それにしても、家の中で眠っていたハーモニカを引っ張り出してみると、かなり汚い。吹き...ハーモニカ

  • 夢を蒔く人

    小学生の頃、人が夢を見るのは、どこかに夢を蒔く人がいるからだと思っていた。一度そのことを友人に言ってみたことがある。すると友人は、「その人は何人おるんか?」と突っ込んできた。「一人」「おまえはバカか。一人一人見る夢は違うんぞ。たった一人でどうやって何十億の人に違う夢を見させることが出来るんか?」「それは・・・」ぼくは答に窮してしまった。それ以降、何年もそのことを忘れていた。久しぶりにそのことを思い出したのは、高校生になってからのことだった。ぼくは高校時代の一時期、心理学に傾倒していたことがある。図書室に行っては、フロイトとかユングとかいった、小難しい本を読んでいたものだった。どうしてそういう本を読むようになったのかは憶えていないが、おそらくきっかけになったのは、フロイトの『夢判断』にあったのではないだろう...夢を蒔く人

  • 今年も残すところ356日になりました

    年が明けて10日が過ぎた。昔の漫才ネタで言うと、「今年も残すところ356日になりました」ということになる。その残すところ356日の間に、オリンピックがあり、プロ野球ペナントレースがあり、日本シリーズがある。そういうことに一喜一憂しながら、また一年は過ぎていくのだろう。前にも書いたことがあるのだが、ぼくは一日がかなり長く感じ、そのくせ一年がとても短く感じる。一日が長く感じるのは、睡眠以外に楽しみを持たず、一日を過ごしているからだろうし、一年が短く感じるのは、毎日同じような生活をしているために、記憶がスルーしてしまったからだろう。おそらく一日が長いなどと考えているのはぼくだけで、他の多くの人は、ぼくとは逆に、一日を非常に短く感じているに違いない。それはきっと、いいにつけ悪いにつけ、充実した日々を送っているとい...今年も残すところ356日になりました

  • 赤い橋

    小学生の頃にアングラという言葉が流行っていた。当時のぼくはこの言葉の意味を知らなかった。まあ、それについての関心がなかったので知ろうとしなかっただけのことだ。その言葉の意味を知るのは数年後のことで、第二期フォークブームが到来した頃だった。たまたま遊びに行った叔父の家で浅川マキのアルバムを見つけ、その時初めて彼女の歌を聴いた。実は長い間浅川マキのことを、カルメン・マキの別名だと思っていたので、そのアルバムを見つけた時に、『時には母のない子のように』を聴いてみようと、そのタイトルを探してみた。だけどない。そこで解説を読んでみると、まったく違う人だということがわかった。アングラの意味もその時に知った。吉田拓郎や井上陽水などに傾倒していた当時のぼくには、彼女の歌は気だるく感じた。『赤い橋』に到った時には、憂鬱な気...赤い橋

  • おまえ、頭真っ白やん

    旧い友人や知人に会うと、決まって言われることがある。「おまえ、頭真っ白やん」ぼくはこの真っ白な頭が気に入っているので、別に言い返したりすることはない。逆に「ああ、それはありがとう」と、お礼を言ったりしている。それが面白くないのか、「老けて見えるから、染めた方がいいぞ」と、言ってくる奴もいる。余計なお世話だが、それも取り合わないでいると、相手は話題を変えてくる。それでもしつこく頭のことを言ってくる奴には、こう言っている。「頭が肌色よりはいいやろ」こう言うと、黙り込む奴もいる。おまえ、頭真っ白やん

  • 一月病

    すでに小寒に入っている。この時期、ぼくの体は微妙である。暖かさがわからないのだ。「今日は暖かいね」などと言われても、さほど暖かいとは感じない。逆に「今日は寒いね」と言われると、体が過敏に反応して、一段と寒く感じてしまう。のどが渇くと、イガイガしているような気がするし、ちょっとした冷えでさえ悪寒のように感じてしまう。鼻炎気味なので、朝方にいつもクシャミをするのだが、それさえも風邪の諸症状のような感じがする。そのたびに薬を飲んでいる。薬を飲めば飲んだで、風邪を引いているような気分になってしまう。ぼくは、何でも風邪と思ってしまう状態を、一月病と名付けている。五月病とかと同じく、一種の気の病である。この日記に、風邪気味だと書いている時は、おそらくそのほとんどは風邪ではなく、この一月病の類いだと思う。一月は薬代がか...一月病

  • 妙な年頃

    昔は正月三ヶ日が終わると、テレビの特番が減るのでいやだった。ところが今は、早く通常の番組に戻ってくれと思っている。決して正月特番がつまらなくなったわけではない。どちらかというと、昔よりはずっと面白くなっている。では何で通常の番組に戻ってくれと思うのかというと、バラエティ番組よりもドラマ、それも連ドラを好むようになったからだ。きっとあっさり笑えるものよりも、深読み出来るものに魅力を感じる年頃になったのだろう。妙な年頃

  • 二十歳の頃ツアー

    今年の初夢は、印象的なものではなかったので覚えていない。ありきたりな、どうでもいいような夢だったと思う。今年に入ってからは、ずっとそういう夢ばかり見ている。そういうわけで、今年は大したことのない年なんだろう、と勝手に占っていた。ところが、今朝見た夢はかなり印象的なものだった。それも、これまでに見たことのない、SF的なものだったのだ。タイトルをつけとしたら、『二十歳の頃ツアー』ということになるだろうか。何かこの世の終わりがきているような場面から、夢は始まった。案内の者がしきりに、「宇宙に行かれる方はこちら、二十歳の頃に戻られる方はこちらにご乗車下さい」と言っている。どうしようかと迷ったあげく、ぼくは『二十歳の頃行き』の乗り物に乗ったのだった。そこで以前勤めていた会社の先輩に会う。「あっ、しんた」「Tさんもこ...二十歳の頃ツアー

  • カレーライス

    今無性にカレーライスが食べたい。昔はおせちを食べ飽きたので、そろそろ普通の食事を、というのでカレーを欲したことがある。が、今年はそうではない。毎日おせちばかり食べていたわけではないし、昔ほどカレーが好きなわけではない。かといって体が欲しているわけでもなさそうだ。おそれくこれは、習慣なのだろうと思う。つまり、この時期にいつもカレーを食べていたために、癖になってしまっているようなのだ。そういえば、昨年もカレー屋で食べたのだった。しかし、カレー屋のカレーはどこか辛さ勝負みたいなところがあって、ぼくは好きではない。辛いのがダメなぼくには、やはり自宅で作ったカレー(こくまろの甘口か中辛)が一番舌に合っている。それにしても、最近のカレーはおいしくなった。ぼくが幼い頃は、カレーといえば、グリコワンタッチカレーだった。他...カレーライス

  • 夢見

    何年前からか忘れたが、見たことのあるようなないような町を嫁さんと二人でドライブしている夢を、テレビのCMのように何かの夢の合間合間に見るようになった。同じ場所を行ったり来たりする夢、工事中の道路を恐る恐る走る夢、中には運転していると突然多くの象が追いかけてきたという夢もあった。その象がえらく頭にこびりついていたので夢占いで調べてみたら、人から圧力をかけられているということだった。その時点でそういうことはなかったので、それ以降にそうなるのかと思っていた。だが、いつまで経ってもそういう事態には陥らず、そのうち象のことも気にならなくなった。きっとCM的な夢だから大した意味もなかったのだろう。さて、昨日は夢を見てないので、おそらく今日初夢を見ることになるのだろうが、いったいどんな夢を見るのだろう。まあ、どんな夢で...夢見

  • 正月風景

    1,昨日、初詣に行く途中に気づいたのだが、注連飾りは多くの家がしていたものの、国旗を揚げている家はまったくなかった。昨年のサッカーのワールドカップで、日本が勝った翌日に国旗を揚げている家があった。当然その家は揚げていると思っていたのだが、そこにも日の丸は飾られてなかった。ぼくが小学生の頃は、どの家も日の丸を揚げていたのだが、最近はそういう習慣がなくなったのだろうか。まさか、中国や韓国に遠慮してというのはないとは思うが、正月くらいは日の丸を見たいものだ。2,昨年もそうだったのだが、今年も外で遊んでいる子がいない。たこを揚げている子がいない。コマを回している子がいない。彼らは、相変わらず家にこもってゲームをしているのだろうか。日常と同じことしかできないのなら、犬やネコと同じだ。きっと正月の伝統も、彼らが大人に...正月風景

  • 2024年1月1日

    明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。昨日の夜、実家まで歩いて行ったのですが、往復1キロ、何とか制覇できました。今日は氏神さまにお参りに行く予定です。これも歩き。こちらは往復2キロです。まだまだ痛みはありますが、徐々に回復しております。2024年1月1日

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