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2021/03/06

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  • 仏に成ってから死ぬべし

    仏式で葬式する人の多くは死んで仏になるように思っているようである。死んでから戒名(法名)をつけたり、年忌に追善供養したりしている。人としてその存在が無くなるのであるから成仏のしようがないのである。人の生涯は、仏教では十二支縁起で示されている。無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死である。しかし、この生以前なんて考えてみても意味がない。さて、私が考えてみた生から死を示してみたい。「人として生まれ、人間として生き、人格を作り、仏格を得て、涅槃に入る」仏に成ってから死ぬべし

  • 病気自慢81

    今回でとうとう80種。前回は腎盂炎で入院する羽目になったが、今回は麦粒腫である。17日頃から右目にゴミが入ったようにコロコロした感じで使用中の保健的目薬で流そうとしたが取れない。いつまでもいう訳ではコロコロ感がなくなる時もある。流れ出たかと思いきや、また繰り返す。2日ほど辛抱したが、治らない。2日経ってこれは眼科に行った方が良さそうだと、何年も前に係ったことのある近所の眼科へ行ってみた。予約制になっていた。予約するとすれば25日だという。予約の間が空けば受診可能だがいつになるか分からないという。待ってられないので、もう少し離れた予約制でない眼科を受診した。麦粒腫であるとの診断で目薬を2種処方してもらった。5日間点眼してどうやら治まったようだ。しかし、数日前から左目も違和感があり、昨日辺りからコロコロ感が出...病気自慢81

  • 安泰寺での修行風景

    以前テレビ放送された安泰寺の修行風景がユーチューブにアップされたので興味のある人はご覧ください。https://www.youtube.com/watch?v=vj84dJHwbBo安泰寺での修行風景

  • 真実と事実(17)縁起

    今日は縁起について考えてみたい。「縁起を見るものは法を見る、法を見るものは縁起を見る」「法を見るものは、我(仏)を見る」だから、縁起を極めれば仏教が分かる。縁起は仏教の根本概念で四諦、十二支縁起、四法印、五蘊説、大乗仏教の空といった概念もこの縁起から派生する。縁起は、すべての存在が相互の因縁によって生起することだが、縁起というと、切ったり結んだり、良かったり悪かったり、あったりなかったするような因縁話がよくある。これは複数の事物を時間的あるいは空間的に関連付けてみた上の話でこれは頭の中の事実の世界の話である。十二支縁起(時間的関連)、五蘊説(空間的関連)なんかもそれにあたる。真実の世界にあっては、一切が繋がり相互作用しその縁は切りようがないのである。私は宇宙全体と繋がり切り離しできない。宇宙全体が縁起し私...真実と事実(17)縁起

  • 人は二度死ぬ

    前回は古代ギリシャ哲学者エピクロスの言葉を紹介した。「我々が存在するとき死は存在せず死が存在するとき我々は存在しない」去年の10月には、古代ギリシャ哲学者キケロの「死者の命は生ける者の記憶に留まる」という言葉を用いて文章を書いた。それに関連するが「人は二度死ぬ」ということが言われるようになった。「一度目の死は肉体が滅んだ時、二度目の死は全ての人から忘れられた時」という意味で使われるようだ。キケロのいう記憶に留まっていたものもなくなってしまうと意味である。永六輔が言い出した言葉のようで膾炙されるようになってまだ日が浅い。お釈迦さんなんか多くの人に今も記憶されているお方だから生存中ということになる。まあ、悪名を残さないようにしましょう。人は二度死ぬ

  • 知恵袋:死ぬのが怖い

    ヤフーの知恵袋の質問で「死ぬのが怖い」という内容のものがあったので、参考までに次のように回答した。私の回答:他人の死はあれども自分の死はありません。自分の死は自分で体験できないからです。古代ギリシャの哲学者エピクロス(紀元前341-270)「我々が存在するとき死は存在せず死が存在するとき我々は存在しない」知恵袋:死ぬのが怖い

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