歴史の話(戦国中心)、届け出や申請でもらえるお金(給付金)の話などをまとめています。 映画やドラマ、アニメが面白くなるような、歴史の常識が「じつは違うんですよ!」という話をしております。
浅井長政(あさいながまさ)5分で分かる古き義を貫いて滅びた悲劇武将大河ドラマアニメ戦国時代
浅井長政は織田信長(おだのぶなが)と同盟を結び、信長の妹であるお市を妻にするなどの固い絆を持って共に天下を目指したものの、最後は信長と敵対して滅ぼされた悲劇の武将として有名である。 なぜ長政は義理の兄だった信長と袂を分かち、一族もろとも破滅することになったのか。
前田慶次(まえだけいじ)利益【花の慶次】5分でわかる天下御免の傾奇者マンガアニメ戦国時代
隆慶一郎の小説と、これを原作としたコミック(花の慶次)で一躍有名になった前田慶次は、フィクションの世界に描かれるように、戦国時代きっての傾奇者であった。黒皮胴の具足をつけ、猩々緋の陣羽織、金泥の数珠の総に金瓢箪をつけたものを襟に掛け、十二のひだがついた山伏頭巾を被って戦の場に臨んだという。
直江兼続(なおえかねつぐ)5分でわかる家康を敵に回して一歩も退かない大河ドラマ天地人
越後(現在の新潟県)の上杉家に生涯仕えた直江兼続は、知勇兼備にして信義に厚い武士の象徴のような男であった。 幼いころから才覚を見せていた兼続は、すぐに上杉謙信(うえすぎけんしん)の目に止まり、謙信の養子である景勝の近習として側に置かれるようになる。 ただ、なぜ兼続が景勝の側近に登用されたのか明確な理由は不明である。
石田三成(いしだみつなり)5分でわかる打倒家康!豊臣への忠誠を貫く大河ドラマアニメ戦国時代
「関ヶ原の戦い」の首謀者として西軍の指揮をとった石田三成。 彼を戦いに駆り立てた理由は多々あると思われるが、一番の要因は、忠義の心を忘れた徳川家康(とくがわいえやす)への怒りだったのではないだろうか。 1560年、三成は近江(現在の滋賀県)の地で生まれました。
明智光秀(あけちみつひで)5分でわかる信長の重臣から反逆者に大河ドラマアニメ戦国時代
大河ドラマ麒麟が来るでは主人公として描かれ織田信長の天下布武の実現に尽力し最後はおのれの信じた大義のため、本能寺の変を起こし織田信長(おだのぶなが)に対して下克上成功させた人物というのがざっくりとしたイメージではないでしょうか。 これを見れば明智光秀の一生がわかります。 是非最後までご覧ください。
徳川家康(とくがわいえやす)5分でわかる天下統一果たす武将の頂点大河ドラマアニメ戦国時代
徳川家康は、 1543年に三河国・岡崎城主の松平広忠(まつだいらひろただ)の嫡男(ちゃくなん)として生を受ました。 だが、護送を担当していた今川氏の家臣が織田氏へと寝返り、家康は尾張国に送られてしまう(家康はこのときに幼少の織田信長(おだのぶなが)と出会っている)。
5分でわかる豊臣秀吉(とよとみひでよし)日本史上最高の成り上がり大河ドラマアニメ戦国時代
日本の歴史を代表するサクセスストーリーの主人公・秀吉は、1535年、尾張国愛知郡中村の百姓・木下弥右衛門の子として生まれた。 日吉丸の幼名で知られるが、 これは後世の創作。雪の日の朝に信長の草履を温め、足軽に取り立てられたエピソードが有名だが、これも真実かどうかは定かではない。
片倉小十郎(かたくらこじゅろう)5分でわかる独眼竜を支えた知勇最強軍師大河ドラマアニメ戦国時代
伊達政宗の軍師として名高い片倉小十郎景綱は、1557年、米沢・成島八幡神社の神職の家に生まれた。 身分はさほど高くないが、政宗の乳母・喜多は異父姉にあたる。 小十郎の才能を最初に見抜いたのは伊達家の宿老・遠藤基信でこの基信の推挙を受け、小十郎は当主・伊達輝宗の小姓に取り立てられる。
伊達政宗(だてまさむね)5分で分かる日本戦国時代最後に現れた隻眼の英雄大河ドラマアニメ
戦国時代の大河ドラマやアニメ、ゲームなどで必ずと言っていいほど登場する伊達政宗という人物は、それらで描かれている通りそんなに強くて格好いい人物だったのか。 今回は分かりやすく伊達政宗の誕生から晩年まで5分でわかるように解説。 これを読んでいただければ戦国時代の大河ドラマやアニメ、ゲームがもっと面白くなること間違いなし
大倉喜八郎(おおくらきはちろう)大河ドラマ青天を衝け一代で大倉コンツェルンを築いた大実業家
大倉喜八郎(おおくらきはちろう)は学問好きの父親の影響もあり、幼い頃より四書五経、書、そろばんなどを学んでいました。 1854年、17歳の時に江戸の出て、麻布の鰹節店に丁稚見習 でっちみなら いとして奉公します。 丁稚時代には安田善次郎と交友関係にありました。 1857年大倉屋を開業。
【キングダム】媧燐(かりん)昌平君の姉?モデルは和田アキ子?戦局全体を操る戦の天才
合従軍と秦との戦いで、楚の第一軍を率いた臨武君が討たれた後、楚の第二軍を率いて秦を苦しめたのが花の女将軍・媧燐(かりん)です。 媧燐(かりん)のモデルとなったような女将軍が、春秋戦国時代に実在したのでしょうか? ちなみにキャラクターデザインは、あの和田アキ子さんをモデルとしているのでは? と考えている読者も多いようです
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