chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 猫眠り 秋草揺れて 釜ヶ淵。

    (雨上がりの小駅@釜ヶ淵駅)朝から降り続いていた雨がようやく上がった立山線沿線。寺田から真南に向かう立山線の線形は順光が作りやすいので、どうしても撮影する機会が多くなるような気がする。線路っぱたも開けてるしね。秋の柔らかな日差しが雲間から零れる釜ヶ淵の駅。この駅も地鉄の中では雰囲気のある良駅で、下見板張りのしっかりした木造駅舎と、庇を支える柱には大きな柱石がついていて、いかにも雪国らしくがっしりとした作り。そして、「釜ヶ淵驛」の旧字体はその雰囲気をさらに引き立てているような。かつての出札口と、ホームに繋がる通路上屋。もう随分前に無人化されているのだろうけど、地域の人の手が丁寧に入り、待合室にはベンチに座布団が置かれ、駅を使う人向けの文庫なども整備されている。駅は集落の人々の共有財産としてしっかりと意識され...猫眠り秋草揺れて釜ヶ淵。

  • ラッピング 色の行方や こはいかに。

    (KATALLERTOYAMA-GO!@電鉄富山駅)元はと言えばかぼちゃ塗装だった14767編成が、今年の2月からラッピングされて「カターレ富山号」として走り始めています。前回来た時は見られんかったので、初めてのご対面。カターレ富山って何ぞや、ってなるのですけど、地元のサッカーチームで現在はJ2。北陸電力とYKKの2社が持っていた実業団チームを母体に、現在は富山県の32社が出資するサッカークラブとなっていて、富山地方鉄道も出資しておりますので、そういうご縁でラッピングが始まったのかな。2月に、稲荷町で「なんか60形が青い色に塗られている」みたいな噂話を聞いたときは、すわ「14710形のインディゴブルーにホワイトラインのリバイバルか!」と色めきだったものですが、何のこたーない、地元J2チームのラッピングと知...ラッピング色の行方やこはいかに。

  • コロナ禍の 悲運の新車 20020。

    (HowDoYouLikeTOYAMA?@横江駅)ススキ揺れる秋の横江を通過するは、元西武ニューレッドアローこと20020形。導入されてから1年以上寝かされていたのは、コロナ禍の中でデビューのタイミングを逸してしまったからなのだろうか。今年2月から営業運転を開始して以降は、主に上滝線の輸送力列車に使われる程度で華々しい活躍の場がありません。本当はもっと大々的にお披露目もして、立山へ、宇奈月へと縦横無尽に活躍をしていたはずの新型車両ですが、そもそも減便ダイヤで特急もないのであれば、3連は輸送力過剰で使い道がないのかもしれないですねえ・・・最近になって、土休日の電鉄富山~立山間の臨電に起用されている20020形。初めて迎える富山の秋は、どないでっか?コロナ禍の悲運の新車20020。

  • 復活の アルペン走れ 立山へ。

    (ALPSisBack@有峰口駅)現在は、コロナ原因の減便ダイヤにて特急列車の運行もなくなってしまった地鉄の列車ですが、この夏から富山県の補助を受けて土休日のみ宇奈月温泉→立山間の特急(いわゆるアルペン号)が暫定的に復活しています。2号車はJTBが販売するツアーによる貸切で、2,500円で宇奈月→立山の乗車券に富山の寿司店で食事ができるクーポン券が付いてくるらしい。あくまで補助金事業なので、今後恒久的に復活するのかは神のみぞ知るところではありますが、ひとまず地鉄に特急列車が帰って来ました。有峰口にて交換待ちのシーン。アルペン運用は16010形のアルプスエキスプレスの定期運用となっているようです。真ん中のサハを挟んだ3連は、平日朝は上滝線の輸送力列車、そして土日はかつてのアルペン運用というルーティン。UNや...復活のアルペン走れ立山へ。

  • 雷鳥や 捕まえさせて その翼。

    (霧咽ぶ山麓に@横江~岩峅寺間)まだまだ9月では青々としていた岩峅寺の大銀杏。そろそろ色付き始めた頃合いだろうか。霧咽ぶ立山山麓を降りて来た60形。秋と言っても、初秋と晩秋の雰囲気は大きく違う。夏と冬は季節の中で色合いは割と固定されるけど、春と秋は出口と入口で植物の装いが大きく異なるものだ。好きな路線だからこそ、季節を変えて十二節季を回ってみたくなる。そんな地鉄沿線の四季彩。米どころであるはずの富山平野、下段の一角にあったそば畑。秋そばが可憐な白い花を咲かせている。近所を通りがかった散歩中の爺さんが、「ここの持ち主はそばやってんだよ、珍しいでしょう?」と声を掛けて来た。確かに、米が出来る肥沃な土地では米を作るのが日本の農業のお作法で、地味が痩せていて荒涼な場所でも生育出来ることに特徴があるそばや雑穀の類は...雷鳥や捕まえさせてその翼。

  • 森閑と 歴史伝える 大伽藍。

    (信仰の道に立つ@本宮集落・念法寺)本宮集落にある念法寺の大伽藍。本宮集落の「本宮」とは、この寺のはす向かいにある立藏神社がかつては立山の雄山神社の本宮とされたことによるもの。この本宮集落と対岸の芦峅寺の集落は、立山信仰の信徒が住む信仰に篤い土地で、立山開山の祖と言われた佐伯有頼(さえきありより)の出身地でもある。富山地方鉄道の祖でもある富山電鐵の創始者・佐伯宗義も、雄山神社の神職を務める家の後継者として、立山は芦峅寺の集落に生まれています。大伽藍の裏に回ると、小さなお堂と親鸞聖人の像があった。親鸞聖人と言えば浄土真宗の開祖。北陸地方は浄土真宗の信仰の強い地域として有名ですが、北陸への布教の広がりは、室町時代に後継の蓮如上人によって行われたそうです。立山信仰は山岳信仰と仏教信仰のハイブリッドとも言われ、浄...森閑と歴史伝える大伽藍。

  • 思い出は 森に還りて 終着駅。

    (ススキ揺れる、秋の坂道@横江~千垣間)雨の中、霞む山肌をバックに立山への道を登って行く60形。ススキの草むらを分けて、やっとこ列車がハマる構図を探り出す。雨で濡れた草を掻き分けて作った構図で、腰から下はビショビショに。古びた架線柱、連続したカーブの登り坂はいかにも立山線の山線区間という感じがする。こうも雨が降ると車輪の空転も気になりそうなコンディション。運転士氏も慎重に、速度を落としての山登り。秋雨を集めて早し常願寺川。雨のせいで大濁りに濁った川の水が岩を嚙んで流れて行く。千垣の芳見橋から、定番アングルの千垣橋梁。この時期、新緑も青葉もなく、紅葉でもなく雪でもない景色なので、何だか中途半端な風景だなあ。そして千垣橋梁、以前と比べて川を渡るケーブルが横に入って構図が狭くなったような気がする。霧に煙る幽玄の...思い出は森に還りて終着駅。

  • 「中抜き」が 少し寂しい 京阪色。

    (物憂げな朝@岩峅寺駅構外)降り続く雨の中、立山線の岩峅寺止まりでやって来た1307レが折り返し作業。この作業は、岩峅寺駅南側の踏切を支障しての作業。岩峅寺折り返しの列車は、逆線出発は行わずに一旦駅南側の本線にに引き上げてから富山方面行きのホームに出発列車を据え付けます。ちなみに岩峅寺の駅、一番駅舎に近い立山行きホームが2番線で、1番線は立山線の電鉄富山方面行き。3番が上滝線の折り返しホームで、4番が通常時は未使用。この「駅舎から順に並ばない」番線の付け方は寺田とか電鉄黒部もそうなんですが、それがなぜなのかはよく分かりません。地鉄の10033F。京阪電車時代の塗装に塗り直され、二階建てのダブルデッカー車両を挟み込み地鉄御自慢の観光列車「ダブルデッカーエキスプレス」として活躍していました。が、コロナ禍による...「中抜き」が少し寂しい京阪色。

  • 雨の日は 駅のアロマが 薫り立ち。

    (雨は強く激しく@横江駅)台風由来の雨は止む気配もなく、むしろ激しさを増して降り続いていた。ほぼ土砂降りと言ってもいい横江の駅、思わず足元を長靴に履き替えて駅前に出る。結局、この日は最後まで長靴を脱ぐことは出来なかったですね。横江のイメージも自分の中では「雨の駅」なので、暗い朝に濡れそぼる古い木造駅舎、というまた情感たっぷりな雰囲気を味わう事が出来ました。駅の待合室のベンチに座って、降りやまない雨の空を見上げる。横江の駅に限らないんだけど、こう古い木造の駅って独特の木の湿った匂いと言うか、防腐用に染み込ませてるクレオソートが溶けだしてるのか、少しのカビ臭さとホコリ臭さと合いまったような「古い木造駅っぽい匂い」としか言いようのない独特の匂いがしますよね。雨の日は特にそれが強く薫り立つというか、もうこれは木造...雨の日は駅のアロマが薫り立ち。

  • 立山は 雨にしっとり 濡れてこそ。

    (雨音は雷鳥の調べ@本宮駅)台風由来の秋雨は止む事なく降り続き、本宮の集落を濡らす。千垣より先、常願寺川の鉄橋を渡ってからは、線路の勾配やカーブもきつくなり、山岳路線の趣が増します。終点の立山は観光客の乗り換え需要に特化した駅であり、沿線に集落と民家が立ち並ぶのもこの辺りまで。以前は本宮止まりの列車も何本かあったように、日常の足として地鉄を利用する乗客の利用も同様にこの辺りまで、という事になります。大雨で濁り、増水した真川の鉄橋を渡るKB301。立山線に関しては、個人的には撮りに来る時に割と雨がちで、天気には恵まれない印象がある。思えば、最初に来た秋の日から雨だったんだよなあ。という事で、自分のPCの写真フォルダには、立山線の雨の写真がたくさん残っているのだが、今回も割と湿度の高いカットを多く持ち帰ること...立山は雨にしっとり濡れてこそ。

  • KBは アルピニストの ガイドウェイ。

    (常願寺の谷に臨んで@千垣駅)今は立山線の山線区間の小駅に過ぎない千垣の駅ですが、大正から昭和の初期にかけてはここが終着駅でした。富山県営鉄道がこの先の常願寺川の谷に橋を架け、粟巣野へ線路を伸ばしたのはそれから15年後の昭和12年の事。先日、ひょんなことから当時の富山県営鉄道の時刻表を手に入れたのですが、南富山(堀川新)から千垣までは下りが1時間20分、上りが1時間とだいぶ所要時間が違っていました。県が行う常願寺川の電源開発事業の工事用資材輸送を主目的に建設された富山県営鉄道ですが、当時は蒸気機関車での運行だったので、勾配のあるなしが大きく所要時間に影響したものと思われます。まだ夜も明けきらぬうちの朝の快速急行、KB301レ。早朝のアルペンルートへ、登山客を届ける立山線の名物列車です。電鉄富山を早朝5時半...KBはアルピニストのガイドウェイ。

  • 秋雨に 煙る蒼朝 立山路。

    (始発前、雨に濡れる@岩峅寺駅)夏の丹後半島から、話は秋の富山に移る。何となく秋の三連休は富山に行く事が半ばルーティンワーク的なモノになっていて、これで五年連続の参戦になりました。その土地の事を深く知るのであれば、季節を変えて訪問する方がいいのだと思うのだけど、そこはそれ。こちらにも出掛けやすい時期とそうでもない時期というものがあるんだよな。それにしてもこの秋の三連休は連続で台風がぶち当たって天気的にはお話になりませんでしたね。せめて日本海側は若干マシな事前の天気予報ではあったのだけど、結局台風15号流れの雨雲は抜けてはくれず、ほぼ雨の中でのロケーションとなりました。恐怖すら感じる土砂降りの中央道から安房峠を抜け、国道41号を笹津から回って朝5時。いつものルートのアプローチで到着した岩峅寺の駅。雨の朝、始...秋雨に煙る蒼朝立山路。

  • 由良の戸や 夜に糸引く 光の矢。

    (八月の夜風に吹かれて@与謝野駅)京都丹後鉄道を中心に廻った丹後半島の旅、実質は一泊二日だったけれども、比較的天候に恵まれて濃厚な旅路となりました。久美浜から徐々に帰路へと車のハンドルを回しながら、列車のダイヤを見ながら撮れるところでは撮って行こうという展開。加悦鉄道が分岐していた与謝野駅(旧:丹後山田駅)で、夕方の2連をバルブ。加悦鉄道は、地方特産の丹後ちりめんやニッケルなどの鉱石を運ぶために敷設された鉄道ですが、コッペル型のSLや旧型気動車などレトロ車両の宝庫として有名で、この木造の待合室の向こうから、国鉄から譲受したキハ20系列の気動車や、客車改造のキハ08なんていう珍車が発着していました。現在の与謝野駅の駅舎には、在りし日の丹後山田駅のジオラマや資料が保存された小さな鉄道資料館があるそうで見てみた...由良の戸や夜に糸引く光の矢。

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、lonely-blueskyさんをフォローしませんか?

ハンドル名
lonely-blueskyさん
ブログタイトル
青空、ひとりきり
フォロー
青空、ひとりきり

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用