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2021/02/02

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  • 上賀茂神社(かみがもじんじゃ)

    上賀茂神社(かみがもじんじゃ)は、正しくは賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)といい、京都最古の歴史を有する一社であり、かつてこの地を支配していた賀茂氏の氏神を祀る神社として、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と称される。いずれの正式名称にも賀茂氏の「賀茂」が付くが、通称としてなぜ「賀茂」と「鴨」と分かれているかは諸説ある。 平安遷都後は皇城の鎮護社として、京都という都市の形成に深く関わってきた。毎年5月15日には、賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称・葵祭)で有名である。 厄除、八方除、電気の守り神、必勝の神として信仰を集めている。本殿・権殿は共に流造の典型として国宝に指…

  • 松ヶ崎大黒天(まつがさきだいこくてん)

    松ヶ崎大黒天(まつがさきだいこくてん)は、「妙」「法」の送り火で知られる松ヶ崎東山の「法」の下にある。正式には山号を松崎山、寺号を妙円寺という。1616年(元和2年)日英上人が創建の際、法華経の守護神として別棟にまつったのが大黒さん。「松ヶ崎の大黒さん」として親しまれている、都七福神の一つ。日蓮宗。1969年(昭和44年)の火事で無事だったので、「火中出現の大黒天」とも呼ばれる。60日に1回の甲子(きのえね)の日にご開帳。諸願成就・寿福円満の御祈祷が執行される。寺の境内と周囲はモミジが生い茂り、GWのころは青もみじが、晩秋から初冬にかけ美しい紅葉が堪能できる穴場である。 寺の境内をはじめ、寺が…

  • 実相院門跡(じっそういんもんせき)

    実相院門跡(じっそういんもんせき)実相院は、左京区岩倉にある仏教寺院。宗派は単立(包括宗教団体に属さない独立した宗教団体)、開山は静基。本尊は不動明王。門跡寺院の1つである。岩倉実相院門跡とも呼ばれる。かつては天台宗寺門派三門跡の一つであった。 京狩野、江戸狩野の障壁画を有す。本堂と四脚門は御所の旧殿と御門を移築したもの。 裏山を背にした池泉式庭園と表の石庭は趣を全く異とする。その2つをむすぶ通路のかえでが室内に映りこむ様子は「床もみじ」「床みどり」と呼ばれているが、現地での撮影は禁止されている。

  • 寂光院(じゃっこういん)

    寂光院(じゃっこういん)は、天台宗の尼寺で、594年(推古2年)、聖徳太子の創建と伝える。平家滅亡後の1185年(文治元年)、平清盛の娘、建礼門院が入寺、仏門の生涯を送ったことで知られる。平成12年5月9日の火災で本堂全焼、平成17年6月再建された。旧本堂は桃山時代の様式からなり、内陣に飛鳥、藤原様式を残していた。旧本尊(重要文化財)も火災によって大きく焼損したが像内の納入品は無事であった。宝物殿に一部が展示されている。境内は、『平家物語』の「潅頂の巻」、「大原御幸」に描写されている。 京都バス、大原停留所からの道中はのどかな田園が広がり、途中の大原温泉に立ち寄るのも良いだろう。

  • 三千院(さんぜんいん)

    三千院(さんぜんいん)は、左京区大原にある、四季折々の美しい風景が広がる名刹で、天台宗五箇室門跡の一つ。最澄(伝教大師)が比叡山に庵を結んだ時、東塔南谷に一堂を建立したのが起こりと伝わる。往生極楽院に安置されているのは、国宝の阿弥陀三尊像。昼なお暗い苔むす庭園が美しい。

  • 今宮神社(いまみやじんじゃ)

    今宮神社(いまみやじんじゃ)は、平安期以前から疫病鎮めに疫神を祀った社があったといわれる。994年(正暦5年)、都の悪疫退散を祈り、御輿を造営し紫野御霊会を営んだのが今宮神社の起りである。現在の社殿は1902年(明治35年)の再建。「阿呆賢さん」と呼ばれる神占石は叩くと怒るともいわれ、撫でて軽くなれば願いが叶うとされる。四面仏石(現在は京都国立博物館に寄託)などが有名。4月第2日曜のやすらい祭は京の三奇祭の一つ。徳川五代将軍綱吉の生母 桂昌院の氏神社として、良縁開運「玉の輿」のご利益を願う人で賑う。東側参道の両脇に建つ2件の〈あぶり餅〉屋が名物。

  • 光悦寺(こうえつじ)

    光悦寺(こうえつじ)は、江戸初期の文化人・本阿弥光悦が1615年(元和元年)徳川家康から与えられたこの地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのが起こり。光悦の死後、寺(日蓮宗)となった。境内には、大虚庵など7つの茶室がある。竹を斜めに組んだ垣根は光悦垣と呼ばれる。 秋は特に美しく、公道から参道の紅葉に染まる石畳は風情があるが、ここから山門まで観光客が滞留し、拝観せずに立ち去ることもしばしばで、近年は拝観時間まで参道は封鎖され、紅葉期は警備されている。

  • 法輪寺(ほうりんじ)

    法輪寺(ほうりんじ)は、713年(和銅6年)行基が開創。829年(天長6年)空海の弟子道昌が虚空蔵(こくうぞう)菩薩像を安置し、法輪寺と称した。名勝嵐山の中腹に位置する。「十三まいり」の寺として有名で、数え年13の男子、女子が智恵と福徳を授かるために参詣する。人形塚、針供養塔などもあり、毎年10月15日に人形供養、12月8日に針供養。また、電気・電波守護の電電宮社がある。

  • 松尾大社(まつおたいしゃ)

    松尾大社(まつおたいしゃ)は、大宝元年(701年)、渡来人秦(はた)氏が一族の氏神として信仰した古い社。大山咋神(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祭り、境内に霊亀ノ滝、亀ノ井の名水があり、酒造家の信仰が厚い。室町初期の作で「松尾造(両流造:りょうながれづくり)」といわれる本殿(重要文化財)ほか拝殿、釣殿、楼門など社殿が多く、等身大の神像(重要文化財)は平安初期の作。4月20日以降初めての日曜の「神幸祭」は1000年の歴史を持つ祭礼。この祭では七条通の桂大橋上流付近で舟渡御(川渡り)を行うのが圧巻。桂離宮の対岸の河原斎場で神輿が6基そろって祭典を行う。川原は見物客であ…

  • 梅宮大社(うめのみやたいしゃ)

    梅宮大社(うめのみやたいしゃ)は、橘諸兄の母、橘三千代が酒解神、酒解子神(大山祇、木花咲耶姫)を祭り酒造安全と子孫繁栄を祈願した神社。檀林皇后(嵯峨天皇の后)が井手町から現在地に遷座。皇后は当社に祈願し初めて皇子をもうけたといい、以来子授けの神として信仰され、境内にまたげ石や産砂をうける風習がある。カキツバタの名所。5月3日の「神幸祭」は、朝は子どもみこし16基、午後は神社のみこしが氏子町を練りあるく。 神苑の見学は有料。また、境内には関係者の保護を受けた猫が多数おり、親しみを込め〈猫神社〉としても知られる。

  • 赤山禅院(せきざんぜんいん)

    赤山禅院(せきざんぜんいん)は、比叡山の西麓にある延暦寺の塔頭。慈覚大師円仁の遺命により888年(仁和4年)天台座主安慧が創建。本尊の赤山明神は、陰陽道の祖神・泰山府君(たいざんふくん)を勧請したもの。かけ寄せの神として、また、京都の表鬼門にあり、王城鎮守、方除けの神として信仰が厚い。拝殿屋根に陶製の神猿が京都御所を見守っている。毎月4回、比叡山大阿闍梨の加持がある。 境内の2つの大きな数珠は、「正念珠(しょうねんじゅ)」と「還念珠(かんねんじゅ)」。「正念珠」は本殿前に置かれ、赤山禅院の境内を巡拝する間、願い事を思い続け、最後に「還念珠」をくぐりながら、その願いに努力することを誓い、仏の御加…

  • 禅華院(ぜんけいん)

    禅華院(ぜんけいん)は、東山の紅葉散策エリアにあり、修学院離宮にほど近く、ここからさらに北上すると、赤山禅院へ至る。特徴的な山門は修学院離宮の茶屋から移築されたもの。臨済宗大徳寺派の寺院です。山号は解脱山(げだつさん)。 江戸時代の茶人で造園師としても知られる小堀遠州作の庭園が見どころ。また、秋は紅葉が美しい。

  • 曼殊院門跡(まんしゅいんもんせき)

    曼殊院門跡(まんしゅいんもんせき)は、「小さな桂離宮」ともいわれ桂離宮を創始された八条宮智仁親王の皇子良尚法親が1656年、現在地に移された。そのためそこかしこに桂離宮と通うものがある。曼殊院は竹内門跡とも呼ばれる門跡寺院であり、青蓮院、三千院、妙法院、毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられる。明治維新まで北野天満宮の別当(管理職)を務めていた。大書院・小書院・八窓軒茶室・庫裏は重文。枯山水の庭園(名勝)。国宝の不動明王(黄不動)は三不動の一つ。内部の襖絵は主に狩野探幽筆だが、他に狩野永徳筆竹虎図(重要文化財)など。紅葉の名所としても知られる。

  • 詩仙堂(しせんどう)

    詩仙堂(しせんどう)は、江戸初期の石川丈山が1641年(寛永18年)に造営、隠棲した山荘跡で、狩野探幽筆の中国の詩家36人の肖像を掲げる詩仙の間を中心に、白砂の唐様庭園には小川が流れる。特に春 (5月下旬) のサツキと秋 (11月下旬) の紅葉が有名で観光客で賑わう。

  • 鷺森神社(さぎもりじんじゃ)

    鷺森神社(さぎもりじんじゃ)は、貞観年間(859年~877年)創建と伝えられ、もと修学院離宮地にあったのを元禄年間(1688年~1704年)に現在地に遷座。スサノオノミコトを祀り、修学院、山端地区の産土神(うぶすながみ)である。また境内には触れると夫婦和合や良縁が授かるという「八重垣」の石がある。5月5日の「さんよれ祭」は少年達が着物姿に紅たすき、菅笠姿で手には扇子を持ち「さんよれ、さんよれ」のかけ声で鉦、太鼓で神輿とともにねり歩く。巡行コースは赤山禅院発→氏子町→鷺森神社着。参道は紅葉の美しさでも知られている。

  • 源光庵(げんこうあん)

    源光庵(げんこうあん)は、鷹峯にある曹洞宗の寺。もとは貞和2年(1346年)、大徳寺の徹翁義亨(てっとうぎこう)国師(こくし)が隠居所として開いたものだが、元禄7年(1694年)卍山禅師(まんざんぜんし)が開山となり、これより曹洞宗となる。 本堂前に広がる庭園は、四角い「迷いの窓」と丸い「悟りの窓」の両方から鑑賞することができる。また本堂の天井には伏見城の遺構と伝えられ、落城の悲劇を伝える血天井とよばれている。2021年(令和3年)10月まで施設改修のため休業中。

  • 平等院(びょうどういん)

    平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある単立寺院。山号は朝日山。開基は藤原頼通、開山は明尊。本尊は阿弥陀如来坐像。 宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立寺院となっていて、塔頭である本山修験宗聖護院末寺の最勝院と浄土宗の浄土院が年交代制で共同管理している。 鳳凰堂(国宝)で世界に広く知られている。平安時代後期にあたる11世紀以来保持されてきた数々の建造物を中心とする寺宝と文化財は、往時の思想・文化を今に伝える。平等院と周辺地域は琵琶湖国定公園指定区域の一つである「宇治川沿岸地区」の中核をなす。1994年(平成6年)に登録されたユネスコ世界遺産「古都京都の文…

  • 長建寺(ちょうけんじ)

    川沿いの月桂冠大倉記念館の建物 山門前には東濠川 寺田屋※コロナ禍で休業の場合あり 長建寺(ちょうけんじ)は、真言宗醍醐派。正式には弁財天長建寺と称し、一般に〈島の弁天さん〉と親しまれている。1699年(元禄12年)、伏見奉行・建部内匠頭政宇(たけべたくみのかみまさのき)が中書島開発の際、深草大亀谷の即成就院から塔頭多聞院を分離して創建した。 かつて門前に、大坂との間を往来した三十石船の船着き場(弁天浜)があったことから、一帯は海上交通の要衝地になっていた。現在も、付近に観光用の十石船の発着場がある。 脇仏は珍しい裸形弁財天。7月に弁天祭がある(第4日曜日)。京都で御本尊が弁財天という寺はここ…

  • 伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)

    伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は、京都市伏見区深草にある神社。稲荷大神が稲荷山に鎮座したのは和銅4年(711年)2月初午(はつうま)の日とされ、全国各地に祀られている稲荷神社の総本宮。同社は古来「衣食住の大祖にして、万民農楽の神霊なり」と篤く信仰されており、中世から近世にかけては商売繁盛・家内安全の神としてご神徳も広く伝播されている。 本殿(重要文化財)は明応8年(1499年)に再興し、権殿のほか摂末社も重要文化財。稲荷山の神蹟を巡拝する〈お山巡り〉は約4キロ、参道に建立された数千本の鳥居は壮観。2月初午の日はご鎮座ゆかりの日として古来より、民衆が群参する。4月20日に近い日曜日(神幸祭…

  • 宝塔寺(ほうとうじ)

    宝塔寺(ほうとうじ)は、深草山(じんそうざん)と号し、日蓮宗に属する。 寺伝によれば、藤原基経(もとつね)が発願し、昌泰2年(899年)藤原時平(ときひら)が大成した極楽寺(ごくらくじ)が起りと伝え、当初真言宗系の寺であったが、徳治2年(1307年)住持(じゅうじ)の良桂(りょうけい)が日蓮の法孫(ほうそん)、日像(にちぞう)に帰依して、日蓮宗に改められた。また、日像が京都に通じる七つの街道の入口に建てた法華題目の石塔婆の一つを、当寺の日像廟所に奉祀したことに因み、寺名を宝塔寺と改称した。 本堂は、慶長13年(1608年)の創建で、堂内には、十界曼荼羅・釈迦如来立像及び日蓮・日像の像を安置して…

  • 瑞光寺(ずいこうじ)

    瑞光寺(ずいこうじ)は、深草山(じんそうざん)と号する日蓮宗の寺である。この地は、もと極楽寺薬師堂の旧跡で、応仁の乱により荒廃していたが、明暦元年(1655年)、元政上人(げんせいしょうにん)が日蓮宗の寺とし、瑞光寺と名付けたといわれている。 上人は、京都に生まれ、俗名石井吉兵衛と称し、彦根藩に仕えた武士であったが、後に出家してここに草庵を建て、父母を引き取って孝養に努め、学者、文人、又は孝子として知られるようになった。寛文7年(1667年)、母親の死の直後に46才で没した。上人の墓は、境内の西隅にあり、遺命によって竹を三本立てただけの簡素なものである。 本堂寂音堂(じゃくおんどう)は、丸みを…

  • 城南宮(じょうなんぐう)

    神苑「楽水苑」の見学は有料です。 城南宮(じょうなんぐう)は、794年(延暦13年)の平安京遷都に際し、国常立尊(くにのとこたちのみこと)と八千矛神(やちほこのかみ)と神功皇后(じんぐうこうごう)を祀り、以来都の南方に鎮まり国を守護する城南宮と仰がれる。 平安時代の末に白河上皇がこの地に壮大な離宮を造営して院政を開始されると、政治・文化の中心地となり、祭礼も大いに賑わった。『平家物語』の舞台でもあり、当時盛んに行われていた、熊野詣での際には、度々上皇方の方除(ほうよけ)の精進所(しょうじんどころ)にあてられ、旅の安全が祈願された。今日、方除の大社城南宮として篤く信仰され、普請・造作・転宅・旅行…

  • 六角堂(ろっかくどう)

    六角堂(ろっかくどう)は、紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)と号する寺で、本堂が六角宝形造(ほうぎょうづくり)であることから、一般に「六角堂」の名で人々に親しまれている。 開基は聖徳太子で、四天王寺建立の用材を求めて太子がこの地を訪れた時、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。早くから人々の崇敬を受け、弘仁13年(822年)には嵯峨天皇の勅願所となり、また長徳2年(996年)には花山法皇の御幸があり、西国33箇所観音霊場(現18番の札所)となったと伝えられる。建仁元年(1201年)、親鸞聖人が当寺に100箇日間参籠して霊告を受け、後に真宗を開宗…

  • 墨染寺(ぼくせんじ)

    墨染寺(ぼくせんじ)は、山号を深草山(じんそうざん)と号する日蓮宗の寺院である。 もとは清和天皇の貞観16年(874年)に建立された貞観寺の旧蹟で、その後次第に衰微していったが、天正年間(16世紀後半)、増長院日秀(ぞうちょういん にっしゅう)上人が豊臣秀吉公の知遇を得、また秀吉公の姉・瑞龍尼(じゅいりゅうに)公の篤い帰依を受けた事により、此の地を日蓮宗の寺として再興することを許され、墨染桜寺(ぼくせんおうじ)として再興させた。 境内には、墨染(すみぞめ)の地名の由来となった墨染桜(すみぞめざくら)が植えられている。この桜の由来は平安時代まで遡り、時の太政大臣 藤原昭宣公が葬られた際、その死を…

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