黒海の記憶#42番外/黒海は東洋と西洋の境目にある#04
東から黒海北側にある大草原に入ってきた人びとの大半が遊牧民であった。一部は半農半牧だったが、農のサイズは限られていた。灌漑がないところで文字が生まれることは稀だ。ましては計算術は確立しにくい。そのために彼ら自身によって残された史料はほぼない。彼らと関わった、文字を持つ定人々が語るものからしかその姿は窺い知ることができない。 それでも総体として見られるのは、文化様式/言語/経済方法全般にわたってイラン的要素とテュルク的要素の混淆であること、そして強くギリシャ世界/ペルシャ世界も受けていたことであろう。 彼らについて、東ローマの歴史家たちが語るとき、ヘロドトスを踏襲しながらも 「言うなれば
2022/10/29 05:21