不妊治療のあれこれをイラストブログで綴ります。辛い事や怒りを覚えたこと、ブラックな感情になったことも包み隠さず書いています。現在治療歴3年、転院3院目、体外受精中です。色んなハプニングや病院によって変わる治療方法なども書いて行きます。
ある日の診察、とんでもなかったです。 私は、子宮頸がんのトラケレクトミーという手術をしていて、中を縫っているのですが、その影響か、そもそもガンだったからなのか、内診でかなり出血しやすかったのです。 その頃、手術に使われた糸だと思うのですが、一部分の糸が溶けきらずにいつまでも残っていたようで、健康診断の内診なんかでも糸が飛び出ているとよく指摘されました。 主治医に聞いてみても、なんの部分の糸だろう?とりあえず、他の病院なんかで言われても、切ったりしないようにしておいてと言われていたので、まぁどうすることもできず、どうすることもないと思って、普通にしていたら痛みも何もないので、気に
採卵日が近づいてきてからは、更に忙しかったです。 プラスされた飲み薬に、毎日の注射が2本に増えました。それに加えて、肌に貼るエストラーナテープも2日ごとに貼り替え。 家が近いからか、自己注射ではなく、通院しての注射でした。 そんなある日の注射時のハプニングです。 いつものように、診察が終わり、注射を打って帰るのですが、ナースさんから、いつものですねと言われたのが気になりました。 毎回、ナースさんも違う人だったし、いつものって言われるほど、私まだ常連でもなさそうだけど、患者も覚えられるくらいそんなに少ないのかな?と、まだそこまで深く考えませんでした。 ベッド
第一回目の採卵に向けて通院中の時のとんでもなかった話です。 高度不妊治療に移行して、毎回先生が変わるってことは、以前書きましたが、やっぱりこの先生いいなとか、この先生苦手だなとか、出会う先生の数だけ感想がありました。 不妊治療じゃない治療の時も、どんな先生に出会えるか当たるか、すっごく重要だなってのは、病気をして痛感しましたが、一回一回の診察が慎重で重要な不妊治療。できたら、理想的な先生に出会いたいなと思っていました。 ある日の診察です。 その日、担当してくれたのは、めちゃくちゃタイプとでも言いますか、私の理想にぴったりの容姿、雰囲気のベテラン風のキリッとしたラッコ先生で
片側の卵巣が腸の裏に行ってしまっているため、片側の卵はとれないかもしれないと言われて、採卵の日までに腸を動かすべく、頑張ってみました。 でも、腸を動かすって一体どうすればいいの??? がんの手術後に、実は一度、腸閉塞になりかけたことがあって、しかも退院後も腸の病気になり、入院した事がありました。 なので、腸の問題続きで嫌になっちゃうけど、一応その頃も、これいいよと言われる事を試したりしていたので、今回も使えるかと思い、毎日やってみました。 腸のS字マッサージに、水をたくさん飲む事や腹筋、とにかく採卵の為にやれる事はやってみました。 でも・・・ 結果、だめで
二回目の人口授精が陰性に終わった後、ついに高度不妊治療(体外受精/顕微授精)の道に足を踏み入れました。 人口授精の時ですら、聞いていた通り、不妊治療は通院が多いなぁと感じていましたが、高度不妊治療の方は、更に慎重でやることも増え、通院回数も増えました。 人口授精から高度に変わったからか、先生のメンツも顔を変え(偶然だっただけかも?)更にレベルの高い治療に足を踏み入れたんだなと思いました。 とは言え、この辺りでもなお、私は不妊治療について自分できちんと勉強せず、言われるがままに病院に通っていました。 薬も出された物をただ飲み、今いる地点が採卵までのどの地点なのかもよくわ
なんだかんだあって、何度も見送りになった二回目の人口授精ですが、ようやく日にちが決まりました。 二回目は、流れもわかっているので、だいぶ慣れたものです。 色々心配や不安だった一回目に比べて、あっという間に時間が過ぎて行きました。 そして、あっという間に判定日がやって来ました。 結果は・・・ 二回目ともなると、さすがに少し落ち込みました。 人口授精の後、目立った体調変化はなかったけど、一回目の判定日前みたいに、生理が始まる兆しもなかったので、実は期待してしまったりもしていたのです。 わかりきってたけど、私に奇跡は起こりませんでした。 お金が一番ではないけれど
人口授精を始めると、色んな理由で、今月の人口授精はストップというような時もあると思います。 私の場合は、片側の卵管が閉塞しているので、2回続けて見送りとなったことがありました。 その理由は、「今月は閉塞している方で起きているので、今月は見送りましょう」との理由でした。 そんな時は、病院の先生から、「一応タイミングはとってみてください。」と言われるのですが、人口授精できない状態なのに、それでもなんでタイミングはとるように進められるかというと、どうも卵子の逆側キャッチという事が起こる時があるそうです。 その逆側キャッチについて書きます。 で・・・ 一方、卵管閉塞し
大学病院はグループ診療なので、毎回先生が変わっていました。 まぁ、婦人科に通っていたので、そんなのはわかりきっていたけれど、不妊の科に通って思ったのは、ちょっと上から目線の先生が多いな・・・ってことでした。 まぁ、私もまだ始めたばかりで知識無さ過ぎて、呆れられ気味だったのかもしれないけれども・・・ 人口授精に向けて治療が始まった当初、私の担当医なのかなってくらいずっと当たっていた先生がいました。 キツネ先生とにかく冷た・・・クールで、苦手なタイプの先生でした。 ある日の診察です。 なにかあれば聞いてくださいっていってくれたから、気になってたことを質問してみたのですが、
初めての人口授精の判定日は、陰性との結果でした。 もちろん、奇跡が起こるといいなとも思ってはいたけれど、今までの私がそんな風に運が良かった事なんて一度たりともなかったから、まぁ蓋然的な結末に思えました。 まぁ、この頃はまだ、不妊治療に対しての気持ちに余裕があったなぁと思います。 めげずに、すぐに2回目の人口授精に向けて動き出す事にしました。 でも、ここからちょっと難関が続くのです。 まず、その後の回は、卵巣が腫れているとのことで、見送り。ピルを飲んで生理を起こさせることに。ちなみに、卵巣の腫れってのは一時的なものだけど、よくあることだそうです。 でも、その後の回で
相変わらず、筋肉注射を打ちに通っていました。 お尻が私にとっては、激痛だったので、打つのを腕に戻してもらったけれど、それでもやっぱり痛いものは痛い。 毎回、心を無にして挑みますが、それでもわざわざわかっている激痛を感じに行くのは拷問でした。 でもある日の注射です。 いつも注射を打ってくれる看護士さん達とは違って、大ベテラン風のナースさんに当たりました。 ナースさんは、私の隣に座ると、いつものナースさん達よりもかなり強めに私の腕の肉を掴みました。 「ぎゅっと掴むけど、意地悪してるわけじゃないからね!こうやって掴んだ方が注射が痛くないのよ!」 そうは言ってくれても、
人口授精自体には、ほとんど痛みを感じなかったものの、私にとっては、結構嫌な痛みを味わわなくてはならないおまけがついてきました。 それは、筋肉注射です! hcgという黄体ホルモンを補うための薬を注射で打たなくてはいけないのです。 この黄体ホルモン補充に関しては、飲み薬を出されるクリニックもあるのですが、ボー大学病院では、注射での補充でした。 しかも筋肉注射!! 私は、ガンの手術をした頃、鉄分補充などの注射をよく打たなくてはいけないことがあったのですが、この注射がかなり痛い!! ナースさんいわく、薬剤が染みるらしく、確かに針を刺した時よりも、薬剤を注入されている時がかなり
いよいよ人口授精の日が迫り、私は検索魔になっていました。 ってのも、卵管造影検査が予想以上の激痛だったので、怖気づいていたのです。 不妊治療は、体も心も痛みを伴うって世間的に言われているけれど、人口授精も痛いんじゃないの?っていう心配です。 初めてだし、身近に不妊治療をした人もいなかったので、ネットの情報だけが頼りです。 でも卵管造影検査の時と同じで、痛かったって書いている人もいれば、無痛だったって人もいて、どの意見が自分に当てはまるのか、やっぱり挑んでみない限りはわからないなという結果に終わりました。 そして、エラーシステムと言う予想外すぎる大ハプニングに遭遇したもの
思えば、幸先悪いスタートでした。 これが初めての人口授精。現在では、高度不妊治療に進んだけど、どれだけ慎重に間違いがないように進めていかなくてはいけない治療かっていうのは、この人口授精の時ももちろん変わりません。 ボー大学病院では、当日の朝、旦那に採精をカップにとってもらい、それを直接外来の先生に提出するという流れです。 このカップの取り扱いについては、要注意で説明を受けていました。 冷たくしてしまってもダメ、かと言ってカイロなどであっためてもダメ。精子が死ぬからです。 特にその日は、真冬だったので、取り扱いには本当に気を使わなければなりませんでした。 タオルやハンカチで
早速、不妊治療がスタートしました。 まずは、エコーや血液検査など。それに加えて、まず第一の難関状態だったのが卵管造影検査です。 この検査は、痛かったという書き込みを見たことがあるので警戒しました。 痛いと言っても、どの程度の痛みなのか。生理痛みたいな痛みとは言うけれど、私には生理痛がほとんどない。 人生の中で3回くらい、腹痛という名の生理痛があったけど、それも食あたりの時の感じと似ていたし、一時間くらいで自然によくなったため、果たして本当に生理痛だったのかも疑問ってくらい、生理痛エピソードがないのです。ただ、PMSはいつもとんでもなく重いけど。 ネットで調べると、それでも「
がん手術後の合併症もようやく落ち着き、いよいよ子供が欲しい気持ちが大きくなって来ました。 そもそも、手術を受ける前に担当医の先生から、この手術をすると普通の人より妊娠が難しくなる。よって、不妊治療が必要になることが多い、と説明は受けていたので、まぁ、不妊治療コースは進まなきゃなとは思っていました。 それでも、不妊治療はお金がかかるというし、ネットで同じ手術をした人のブログなんかを読んでみると、奇跡的に自然妊娠できました!なんて書いてある人もいたので、じゃあ私も意外と・・・ なんて、淡い期待もまんまと裏切られ、全く妊娠できる気配がありませんでした。 なので、ある時の婦人科
やっと結婚だって言うのに、とんだことになってしまったけど、どうにか子宮を残す手術を受ける事ができ、新婚生活が始まりました。 とはいえ、手術の合併症で、かなり体調を崩し、知りもしなかった新たな病気になったりまた入院したりと、まだまだ子供のことなんて考えられない日々でした。担当医からも、子宮の手術をしたので、まだ子供は作らないようにと言われていたし。 だけど、そんな私に、シロー丸一族の恐ろしい、嫁なら子供産め攻撃が始まるのです。 体調と戦う中、どうにか結婚式をし、ゲストに感謝のプチギフトを渡していた時のことです。 その中の1人のシロー丸の叔母さんが、おもむろに私に近付いてくると言
もはや、興味のなかった”結婚”が、私の中では悩みのようになっていました。 ある時、友人に誘われて行った二丁目のバーで、なんでか忘れてしまったんだけど、友人が席を外した時に、私の結婚の話になりました。 そこで、なんとなく話してみたシロー丸の両親の事と悩みの種になってしまっていた結婚について、思いも寄らず背中を押してくれる言葉が返って来たのです。 「あんたさー、いいー?愛し合う事に親や形式なんて関係ないのよ!」 「そんな事言ったら、私達おかまなんて、結婚なんて一生出来ないんだから。でも、相手を信じて愛しているから一緒に居る。ただただ、一生一緒に居る。本当は、人間なんてそれでい
彼が結婚の話を始めて、彼の両親に「33歳の女じゃ子供を産めないから結婚は認めない」と猛反対されて早2年が過ぎていました。 ようやく会う事になり、彼と一緒に彼の地元へ向かいました。 のちの旦那:シロー丸のこの時のふがいなさったら、忘れられません。 シロー丸の父は、会うなり言い放ちました。 そしてギフは、シロー丸がどれだけ凄い会社に入っているか、ひたすらシロー丸自慢を始めました。(10年も一緒に居て全部わかってるけどね) 私に対して質問は一切してきませんでした。 ところどころ、セクハラパワハラだよなと思う暴言も平気で言いました。 「あんた、その歳じゃもう先がないんだ
旦那と結婚するまで、すでに10年付き合っていました。 だから照れ臭かったのかわからないけど、プロポーズはありませんでした。 「そろそろさぁ、籍を入れるのどうするか考えた方がいいと思うんだよねー。」 そんな言葉がある日ふいに、彼氏(旦那)の口から飛び出し、私も「そうだねー。」なんて返したのが、ある意味「子供産む、産まない、産めない?」を巡る生活の幕開けだったかもしれません。 当時私は33歳。それでもなお、結婚にも子供にも、まだまだ興味があまりありませんでした。 とは言え、なんとなくでも結婚の話を出されると、安定した生活も欲しくなる。10年も付き合ったし、ようやくか・・・と
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