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劣等生の不妊治療日記 https://note.com/funin_nikki

不妊治療のあれこれをイラストブログで綴ります。辛い事や怒りを覚えたこと、ブラックな感情になったことも包み隠さず書いています。現在治療歴3年、転院3院目、体外受精中です。色んなハプニングや病院によって変わる治療方法なども書いて行きます。

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2020/10/04

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  • 自分の理想のクリニックに出会えた!?

    少し、ご無沙汰しておりました。 再び不妊治療記録、再開します。 モーニンクリニックの説明会が始まりました。 説明会会場は、クリニックの上の階にあり、会場に入ってびっくり。 大会議室の広さで、説明会に来た夫婦も、軽く30組は居たと思います。もちろん、一人参加の人も数人。 資料もかなり厚みがあるものを渡され、説明会だけど、不妊治療に対しての勉強会も兼ねている感じでした。 そして始まり、スクリーンに映し出される映像と共に、院長の録音テープが流れました。 院長の話し方、内容は、かなり癖が強そうな人柄がにじみ出ている感じでしたが、その辺はもう下調べはしてきていたので許

  • あの子を産む!そして次のクリニックへ

    ゴリラ先生の言葉に励まされ、愛犬桜の看病を、不妊治療と併行しながらも、最期まで出来る限り楽しくやり遂げようと決めました。”楽しく”そしたらきっと、愛犬にもその楽しさが伝わるはずだから。 それでも神様は、なーんにも叶えちゃくれなかったけど。 桜が亡くなる一週間くらい前に夢を見ました。それは、独身時代に、ずっと私を支えてくれていた先代の愛犬の子の夢でした。15歳で天国へ行ってしまったあの子の夢を今でも時々見ることがあるのです。でもなぜか、桜とその子が一緒に夢に出てきたことはありませんでした。 だけどその日は、その子と桜をバスに乗っていたのです。ニ匹は仲良く遊んでいたのに、私が一

  • みんなおんなじところで

    前回の続きです。 4回目の移植周期は愛犬、桜の看病が重なり、かなり忙しい状況となってしまっていました。 桜は、日中は入院する時もあったのですが、症状が落ち着くと毎日注射だけを打ちにどうぶつ病院へ行き、あとは家で看病をすることになりました。 病気のため、ごはんの種類も変わり、食べさせなきゃいけないごはんの量もノルマがあったため、二時間おきくらいにごはんを食べさせて、私は自分の通院(しかもオタククリニックは、異常なくらい通院回数が多かったので2~3日おきくらいに通院しなければいけなかった)と、動物病院への送り迎えが一日に1~2回、そして週何日かは仕事が入ることもあり、もう家との

  • ツンデレな獣医師さん

    あんまり治療していることを、周囲の人には話していなかったので、優しい言葉の方が少なかったってことは、以前にも書きましたが、その時に書いたミャンマー人のパグ・ウーさんに続いて、思いも寄らず、私を励ましてくれる言葉をかけてくれた人がいました。その人の話を書きます。 愛犬の桜が闘病中のことです。 毎日どうぶつ病院に通院をして、点滴を打ってもらうのが桜の日課でした。 いつもは違う先生が担当してくれていたのですが、その日は休みなのかいませんでした。よって、今まで一度も担当になってもらったことのないゴリラ先生が担当してくれました。 ゴリラ先生は、見た目は本当にゴリラのようにぶっきらぼ

  • 心のダムが崩壊した

    不妊治療をしていて、もちろん結果が出ないことが一番辛いんだけど、それ以外でもたくさん辛い事があるけれど、何が一番私を追い詰めたかって、それは旦那の家族からの言葉。義理の父母、兄嫁から、代わる代わる言われた一生恨むだろうなって言葉が私は一番辛かったです。それは、今も進行形なんだけど。 またひとつ、私の不妊治療に陰性判定の数が増えて、そのたびに頭の中をぐるぐる回るのは、その言葉たちなのです。 そしてついに心の糸が切れた私は、シロー丸(旦那)の前で泣き叫びました。 もう、陰性判定も、意地悪な言葉の数々も、私に死ねと言っている、それくらいの切れ味に感じるのです。 努力してなん

  • 今までで一番辛い判定日

    転院決定に抜けがらになるシロー丸(旦那)と、ショック過ぎて言葉にならない私は、どうすることもできず、院長の前で無言になってしまいました。 そんな空気を振り払うように院長が切り出しました。 もちろん、その言葉は、私を励ますためなんだってわかりました。 不妊治療を初めて、一番最初の判定。あの最低の酷さが、シロー丸の中にも私の中にもあって。 だからこそ、オタククリニックには色々と不信感は抱いてしまったけど、院長のちゃんと向き合って話をしてくれるスタイルはありがたかった。穏やかに話を聞いてくれて、ちゃんと答えてくれるところに救われた。 だからこそ、良い結末になれたら、本当に良か

  • 検査もしないのに薬だけ

    4回目の陰性判定を受け、ショックを受けながらも、転院なんだなと思う私。 それでも、まだこのオタククリニックの院長の元でなんとか治療を続けたいシロー丸(旦那)は、院長に切り出しました。 何か画期的な今までと違う方法や、ここのクリニックでは薬とか飲まない自然法でここまで来たから、次は何か薬を飲みながらとか、違う方法があればもしかしたらセレナも納得して、まだこのクリニックに留まるかもしれないと思ったようです。(だから、私は無麻酔採卵が辛いって言ってんのに、やっぱり男はわかってない、と今は思う) でも、先生の口から出てきた言葉は、ちょっとびっくりするような内容でした。

  • 4回目の判定日

    5ヵ月間のドクターストップによる不妊治療のストップ。そしてやっと再開を経て、期待大で臨んだ4回目の移植の判定日がやってきました。 この日も、シロー丸(旦那)が、一緒に来院して、判定結果を聞くことになりました。 もう今日、陽性が出なかったら、転院すると言う事は決めていたので、このオタククリニックに来るのももしかしたら最後になるかもしれません。 でも、シロー丸の中では、やっぱり院長信者の心は捨てられなかったらしく、なんとかここで陽性反応が出れば、一件落着なのにと思っていたようです。 診察室に呼ばれました。いつもこの判定を告げられるまでの時間は、苦痛でしかありません。本物の裁判

  • 不妊治療再開、あっという間に元通り

    想像妊娠疑惑からの、実はとんでもない薬の副作用のせいだったことが判明し、すっかりドクターストップがかかっていましたが、5カ月後、甲状腺の病院の先生から治療再開のOKが出て、再び不妊治療へ戻ることになりました。 久しぶりに行ったオタククリニックでは、まぁまぁ患者さんがいたのにも関わらず、待ち時間ゼロ状態くらいの速さで呼ばれ、久々に院長の方の診察室へ呼ばれました。(手術糸がとれてしまい、謎の水事件の発生以来、ずっとラビ先生に回されていたので) この大変な状況は、最初に電話で説明したけど、院長は一切電話口にも出てこなかったなーと思いながらも、再度説明。 オタククリニックに強引

  • しぶといワンクリノンゲル

    オタククリニックで、移植前から判定日まで毎日使うように渡された膣薬、ワンクリノンゲルですが、この薬が厄介だったと言うか、びっくりしたことがありました。 それは、オタククリニックでの一回目の判定日から数日後のことでした。 普通に街歩きしている時に、なんだか違和感を感じたのです。 タンポンがうまく入らなかった時のような異物感がちょっとありました。(昔、使用してた事があったけど、今はもう全然使っていません。) その時は、時たま訪れる、子宮が収縮する時の痛みのようなものかなと思って、すぐ消えるだろうと思っていたのです。 でも異物感は消えず、ひとまずトイレへ。 すると、小さな粘

  • 不妊治療はどれだけ女性の痛みが

    今度の甲状腺の病院は、アイアイ病院とは違って慎重に診てくれました。 おかげで体調もちょっとずつ元通りになってきて、体もまた楽になりました。 でも、強過ぎた薬で荒れてしまった数値は、また安定させるのも時間がかかるらしく、結局チラージンもまたいずれ飲まなくてはいけなくなると思うとの話でした。 甲状腺の数値上も、まだまだ不妊治療再開にOKは出せない数値らしく、相変わらず、治療はストップしたままでした。 とは言え、このドクターストップで自分自身に堂々と不妊治療を中断できる期間は、凄く心が穏やかでした。 本当は、焦らなきゃいけないんだろうけど、散々、年齢的にも焦りましょう

  • 自分に必要な不妊治療が見えてきた

    想像もしてなかった色んなことが、自分に起き、だけどやっと自分にとっての不妊治療は、どんな事が必要なのかがこの辺りでようやく見えてきました。 まずは、採卵をどんな風にするか。 麻酔の採卵と無麻酔の採卵、両方経験して、つくづく私には無麻酔は無理だとわかりました。 ボー大病院の時の採卵、あれも全身麻酔と言うのかな。意識はばっちりあったけど、痛みは一切なかった。麻酔の種類まではわからないけど、あんな感じで、ひとまずしっかり麻酔をかけて痛みをなくして採卵してくれるクリニックが私には必要。 部分?局所?麻酔、幹部に注射で麻酔するやり方もあるみたいだけど、あれも私にはきっと耐えがた

  • 転院をめぐる話し合い 結末

    一連の事件から、すっかりクリニックを信用できなくなり、転院に傾いていた私と、院長の信者状態の旦那。この不妊治療の転院をめぐる夫婦の話し合いは、数日続きました。 本当に、不妊治療劣等生の自分を思い知らされました。不妊治療のクリニックの見極めは、本当に凄く重要なんだと。 私は今まで、ボー大病院では、言われるがままに治療をし、転院の病院選びでは、家から近いって事と、シロー丸が薦めるからって理由で簡単にオタククリニックに決め、本当に自分の意思を持っていなかったことを反省しました。もういいかげん、不妊治療がどんな感じで進んでいくかもわかってきたし、自分に合うクリニックを見つけたい。

  • 転院をめぐる旦那との言い合い

    自分の体がとんでもない状態になっていることを知り、今通っているオタククリニックがとんでもないクリニックなんだと気付き、まず思ったのは、転院しなきゃってことでした。 転院するには、また説明会に行って、たぶんボー大病院に紹介状をもらいに行き、また1から状態で面倒だけど、オタククリニックにいても良い結果は望める気がしません。 私は、ボー大病院では言われるがままに治療をし、勉強不足のままでした。そしてオタククリニックに転院することにした理由だって、家から近いって事と旦那が勧めるからって理由で決めてしまい、本当にちゃんと自分の意思を持っていなかったことを反省しました。 不妊治療の病院の見

  • 次々と移植の恐怖を知らされる

    翌日、ラッキー先生に紹介してもらった新しい甲状腺の病院、アース病院に行きました。 やっぱり、甲状腺の病院は凄く混んでいるけど、アイアイ病院に比べたらまだだいぶマシでした。 そしてアース先生が説明してくれたのは、だいたいラッキー先生が見解していたことと一緒でした。 私には、強過ぎる薬が処方されてたらしきこと、それから、甲状腺の薬は強いから、普通は飲み始めて半年くらいはこまめな経過観察のため、数週間置きくらいの通院が必要な事。何かあったら、すぐに相談した方がいいと言う事。 本来ならば、ちゃんと合った薬を処方して、それを飲めていれば体のためなのに、合わない薬は毒のようなものだ

  • もうあの甲状腺の病院には行きたくない

    びっくりする結果と、私にとってはありがたい優しいラッキー先生の言葉にじーんとしながら、ラッキー先生が続けて言いました。 そりゃそうなのか。ラッキー医院で甲状腺まで診てもらえたらありがたいけど、ここは内科だし・・・ でも、私はもう二度とアイアイ病院には行きたくもなかったのです。 だって、こんな結果を聞いたらもう幻滅。 しかも前回行った時はあんなだったし、馬鹿にされた上、あの先生が出した薬でこんなことになっているんだし。もう信用できません。何か新しい薬を出されたところで、絶対にあの病院の処方は飲みたくない。これ以上、体壊したくない。あの病院にお金を払って通うなんて嫌過ぎる

  • 想像妊娠の正体 つづき

    続けて、ラッキー先生から言われたのは、またしてもちょっとびっくりする言葉でした。 ここで不妊治療を続けても、この今の私の状態ではまず妊娠が難しいし、仮にうまくいっても流産する可能性が高いって事を話してくれました。 「今のあなたを見ても具合悪そうってわかるし、そんな状態じゃクリニックだってストップって言うはずよ。」と。 でも、ラッキー先生、残念ながら・・・ そうなんです。体調不良でも移植は大丈夫ですと言われたばかりです。 年齢の事もあるから、どんどん進めた方がいいと言われたばかりです。むしろ、治療ストップなんて、とんでもないくらいの感じでした。私もそうだよなと思い

  • 想像妊娠の正体

    二日後、再びラッキー医院に結果を聞きに行きました。 診察室に入るなり、ラッキー先生から言われたのは、またしても自分じゃ全く気付きようもなかった結果でした。 私はずっと、アイアイ病院で甲状腺低下症(橋本病)と言われて、出された薬を飲んでいたのですが、今回ラッキー医院での血液検査の結果によると、甲状腺の値を表すTSHの数値が、亢進症の方、バセドウ病の数値を叩きだしていたのです。 飲み薬が強すぎたり、合わな過ぎたりしてもこの数値になるそうなのですが、この時は薬を飲み始めて3ヵ月程度だったし、ラッキー先生いわく、甲状腺の薬の飲み始めは怖いから、半年くらいはせめて一ヶ月ごとくらいには

  • 不妊治療にドクターストップが

    やっと辿り着いたラッキー医院というおあしすで、やっぱりグロッキー状態のまま、診察に入りました。 私のただならぬ状態を見て、受付の方がすぐに先生に回してくれたようです。 でも、まだ”想像妊娠”だと思い込んでいた私。ここが特に痛いとか、違和感があるとか、決まった場所があるわけではなく、色んな事がおかしいっていう感じだったので、ラッキー先生も特定するのややこしいだろうなと思いつつも、今の現状をそのまま話しました。 普段からよく夫婦ともどもお世話になっていて、以前も入院クラスの病気でお世話になったこともあるラッキー先生は、凄く丁寧に話を聞いてくれる先生。この時も、私の症状をしっかり

  • 年齢とか尻を叩かれると・・・

    それから生理もしっかりやってきて、もうかんっぜんに妊娠していないことはわかりきったのに、それでも私の体は回復しませんでした。 とは言え、その頃の私には不妊治療を休むという考えはなく、そんなでも真面目に指定日に通院していました。 仕方なくタクシーを使っていたので、お金も更にかかっていったけど。 そんなに混んでいなくて、待ち時間が少ないオタククリニックでも、相変わらずの痛い採血は辛く、しかもちょっとの待ち時間すらしんどく、とにかく横になりたい体に鞭を打って通いました。 ラビ先生には、毎回まだ体調が悪い事を自己申請してたけど、移植に向けて準備は進んでいきます。 体調不

  • 陰性は陰性

    その時は、本気で想像妊娠ってのを信じていたんです。でも、相変わらず体調はちょっとさえも回復せず。 症状と言えば・・・ 常に手が震える、クーラーをいつもよりも設定温度下げても暑くて汗が出る。しかも動いてないのに。のども渇くから、ひたすらいつもの倍以上飲み物を飲む、飲むと気持ち悪くなってトイレへ・・・ そして食べられるものがほとんどない。チョコレートとかアイス、酸っぱいさくら大根とか、それくらいしか食べたくなくて、しかもいつもぺろりと食べるのに、やっぱり一口二口食べたら、もう食べたくなくなってしまうのです。 その上、起きているのしんどい状態なのに、ちょっと起き上がった時も寝て

  • 終わりなき体調不良

    ラビ先生から続けて言われたのは、来月すぐにまた、凍結してある残りの一個を移植しましょうとの事でした。 とは言え、この体調不良で移植に進んでも大丈夫なんだろうか。 ”体調不良でも移植はできるんで。” そんなもんなのかなと思いました。まぁ、不妊治療なんだから、次にやるべきことを勧められるのは当然なんだけど。妊娠するには、ベストな体ってのも必要なんじゃないかと。 とは言え、今のこの体調不良は、たぶん想像妊娠ってやつなんだし、今回はっきり妊娠してないってわかったんだから、体も理解して徐々に落ち着くんだろう。 そんな風に思っていた私を裏切り、体調は一向に回復せず、相変わら

  • 判定でみじめな気分。

    かなりの体調不良なのに、それでも妊娠判定は陰性。パニック状態になった私は、素直に思ったことを言ってみました。 「陽性だと思ってたのですが、この後陽性に変わることもあるんですかね?」 ラビ先生「うーん、ないとは言い切れないけど、それでもHCGの数値を見るとそれもなさそうと言いますか・・・」 そうは言っても、なかなか思い込んでいた事が真逆だったことに気持ちが追い付いて行かず。 体調の悪さを、とにかく言ってみました。言ったところで判定が覆ったりしないなんてわかりきっているのに。 でも、ちょっと困り気味のラビ先生の顔を見て、ハッと思いました。 そんな顔をしている先生に

  • 結局、陰性判定

    そこからもう判定日までは、更に体調悪化。 とてもじゃないけど、ほとんど起きていられなくて、絶え間ないくらいの吐き気まで加わり、ちっとも食べられないのに、絶え間なく襲う吐き気。 寝ていても、夜中何回も気持ち悪さで目が覚め、トイレに向かう程でした。 家の事はもう何ひとつできず、一日のうち、ほとんど寝たきり状態で、ごはんの時にちょっと起きて一口二口くらいやっと食べる。シャワーはとんでもなくしんどくて、髪を乾かすのも椅子に座らないと無理。 会社帰りのシロー丸に何とか食べられそうな物を用意してもらうっていう状態で、部屋は散らかって行くし、酷い状態でした。 ただ、ほとんど確信してい

  • お金目的のための不妊治療クリニック

    久しぶりのワイ子との会話で、初めて不妊治療を打ち明けた私は、自分のことも話しました。 まぁ、単純に通院する病院が増えたのもかなり憂鬱なんですけど、それがアイアイ病院で、あの病院での通院がどれだけめんどくさいか話しました。 ワイ子「じゃあアイアイ病院じゃない甲状腺医院に行けば良かったのにー。」 セ「いやもう、オタククリニックから、提携しているからアイアイ病院に行けと強制状態だったんだよねー。もう紹介状まで用意されてたから。」 そこまで言うと、ワイ子が何かに気付いた様子でこう言いました。 その後、彼女から話されたのは、とんでもないような話でした。 ずっとオタククリニッ

  • 友人への不妊治療のカミングアウト

    移植してから2~3日後くらいに、久しぶりに会う幼なじみ、ワイ子との約束がありました。 かなりの体調不良ではあったけど、1年以上ぶりの約束だし、数時間だしと思って無理して出かけました。 そもそも、ワイ子が一年少し前に結婚して離れるまでは、家も近くに住んでいてよく会っていたのですが、そこを去る寸前にも会おうと約束していたけど、かなりワイ子は約束を忘れっぽく(ただ単にほったらかされてるのかもしれないけど)、結局会えずだったので、旦那さんの話も聞きたかったのです。 まぁ、不妊治療していると色々あって、友人と会う回数も減って行っちゃうので、誘われるとなんか嬉しいんですよね。 でも、

  • 三回目の移植へ!そして・・・

    糸と水の騒動も治まり、いよいよオタククリニックでの初めての移植に向けての準備が始まりました。 とは言え、自然療法なので、薬を飲むわけでもなく、もちろん注射もない。相変わらず、毎回ある採血は痛かったけど、内膜の厚さを調べるためだけに通院していました。 ちなみにオタククリニックは小さなクリニックなので、医者は院長ともう一人の先生が曜日交代でいると言う感じ。私は、トラケの手術歴もあり、ちょっと特殊だからか、いつも診察は院長の担当でした。 が! 例の水騒動で、嫌になられたのか、院長からは担当を外されたらしく、ラビ先生と言う2番手っぽい女の先生が担当になっていました。 移植に向け

  • 採卵で、糸と大量の水事件 結末

    結局、不妊治療クリニックで何か治療ができるはずもなく、再度ボー大病院に電話しました。 この頃には、ボー大病院にかなり腹が立っていました。 でもそれでも、結果的には、今すぐに診てくれないと言うのです。 しかも最初の頃は、また堂々巡り。「痛みとかはないんですよねぇ?なら大丈夫だと思いますけど」とか、「まだその症状が出たばかりなら、すぐに止まるんじゃ」とか。 確かに痛みはないけど、目に見えておかしな症状なのに。 もう、きりがないので、他の病院に行こうかとも思ったんですけど、結果、いつも言われるのは、手術をした病院に言った方がいいってセリフなんですよ。大きな手術をしたんだから、

  • 採卵で糸と大量の水事件3 たらいまわし

    オタククリニックの開院時間すぐに電話をし、事情を話すと、「それは手術をした病院で診てもらった方がいいかも」との返事でした。 まぁ、確かにそうかもしれないですよね。と思いました。で、すぐにボー大病院の方へ電話。 でも、電話口に出たナースさんは、かなり謎の症状に青ざめている私のことなんて知ったこっちゃないという感じで、非情にも言い放ちました。 「3年も前の手術なんだし、今更、それで何か起こるとは思えないので、関係ないのでは?うちで採卵したわけでもないんだから、そっちのクリニックで診てもらって」と。 でも、不妊治療のクリニックで何か処置ができるとは思えないし、手術のデータが

  • 採卵で、糸と大量の水事件の始まり 2

    この糸騒動のおかげ?で、今回は前回のようなPTSD状態にはならずに、安静時間もベッドの上で考えるのは、糸のことばかりでした。 その後、培養士さんから聞いた、採卵結果は前回と全く同じ。 二個とれて一個は空で育てることもできず。 はぁー。結局痛い思いをして、しかもなんか不安要素まで加わって、たったの一個か・・・貯卵も計2個。 とは言え、二か月連続の痛い採卵頑張った。これでもう、ちょっとの間は採卵しなくていいんだ。と言うか、二度としなくていいに越したことはないんだけど。 そして、無事にこれも胚盤胞になり無事凍結。 でも、そんな風に、ちょっとだけ安心する私に、この4日後

  • 採卵で、糸と大量の水事件の始まり

    オタククリニックで2回目、通算3回目の採卵日です。 院長の案の通りに、採卵30分前にトイレで座薬を入れ挑みました。 もう当日が来てしまった。なるようになれ・・・ 今回も見えている卵は2個らしい。 また前回と同じように、乗ると言うよりは寄りかかって足を拡げなければいけないっていう辛い体勢の手術台に乗り体勢を整えると、始まりました。 「では、刺しますね。」 相変わらずスパルタのナースさんに、相変わらずの痛み。まさに針で刺されて貫通するってこういう痛みだよねっていうような、そのまんまの激痛。 力を抜く!!って怒鳴られても、力の抜き方もわからないのです。そもそもこの台が

  • 甲状腺絡みでとんでも体調悪化事件の始まり

    オタククリニックから行くように言われた甲状腺のアイアイ病院。ここから、私の不妊治療史上では、結構な大騒動が始まるのです。 再び、アイアイ病院の通院の日でした。 薬を一ヶ月飲んで、数値を測り直すと言われていました。前回、けだるそうーな女医先生に指摘された通り、今度は受付時に紹介状の宛名に書かれていた先生を指名しました。 いつものように散々待たされて、やっと名前が呼ばれ診察室へと入りました。 一見、穏やかそうにも見える初老の感じの先生でした。 どうやら私は橋本病気味と診断されて、チラージンという薬を処方されて飲むように言われていて、従っていたのですが、その薬にも強さと言うか

  • 旦那のクリニックへの洗脳

    さすがに、無麻酔採卵のトラウマで苦しんでいるのを、一番そばで見ていたので(というか、散々毎日愚痴を聞かされていたので)、見かねたシロー丸が、何か麻酔的な無麻酔採卵の痛みを減らす方法が、オタククリニックではやっていないかと聞いてくれました。 私ほど、痛がっていた患者は他にいないのか、先生の記憶にも残っているようで、同情してくれました。 それから、先生が教えてくれた話によると、手術の影響なのか、どうも子宮の壁が硬いそうなのです。だから、痛みも強いんじゃないかと。 そして、提案してくれたのは、採卵前にも使うボルタレン座薬。痛くなってからではなく、前もって使う事で、痛みを抑

  • 採血が多過ぎる

    次の来院は、採卵から一週間後の採卵後診察というやつでした。 特にまだ周期に入っているわけでもなく、凍結についての再確認と、採卵後の内診(傷とかないかの確認みたいなもの?)だったので、今日は周期のフルコースではないはずだったのですが、なぜか採血で呼ばれました。 なんで今日も採血あるんだろうと思いました。そもそもボー大病院の時は、こんなに毎回採血はなくて、だから内診と診察のみの日や注射のみの日なんかは、何千円台に費用も抑えられていたので、この莫大なお金がかかる不妊治療の通院では、今日は安かったと思うだけで、ちょっとばかり気持ちが楽になったからです。 一応、気になったのでナースさ

  • 無麻酔採卵の悪夢と胚盤胞

    実は、あの無麻酔採卵の日から当分、本当にPTSD状態で、夜寝ようと布団に入り、目をつぶると、あの光景が思い出されて、怖くなって良く眠れないという状態になりました。 本気で、入眠時のうとうとしてきた状態で、あの時の音や声まで聴こえてきて、ハッと目が覚める。自分で感じたそれ以上に、心にまでダメージを受けていたようです。 こういう時、友達に話せれば、あの恐怖をネタのように愚痴って、ちょっとはすっきりできるのに、友達には治療のこと、誰ひとり話していませんでした。 不妊治療をしている人の分だけ、考え方はあると思うけど、私の場合、親友はもうとっくに2児の立派な母で、不妊治療もしてい

  • あれだけ痛い思いしてたった一個

    待合室でシロー丸(旦那)と合流してすぐに、培養士さんから呼ばれて、採卵の結果説明がありました。 結局、採れたのは2個だったけど、培養に進めるのは1個だけとの報告でした。もう1個は、基準を満たしていないそうで。 あんなに、あんなに何度も刺され、激痛に耐えたのに、たったの一個!!またしてもぶつけようのない怒りが込み上げてきました。と同時に、結局2ヶ月連続採卵が、ここで言わずもがな決定してしまったのです。 そして、この1個も、これで凍結できるわけではなく、胚盤胞に進むと言う難関をクリアしないと凍結出来ないのです。まだ、ゼロの可能性もあります。 培養士さんから、ふりかけ授精に

  • ぶつけようのない怒り

    地獄の無麻酔採卵でしたが、ひとつだけ。 針は確かに細いのかもと思いました。ボー大病院での採卵後は、結構な出血に驚いたにもかかわらず、それが全然なかったからです。だからって無麻酔=痛いし、ちっとも楽じゃないけど。 着替えて、待ち合いフロアに移動しました。 シロー丸(旦那)の姿を見て、ほっとしたのもつかの間、この差に、なんか怒りに似た感情が込み上げてきました。 私のテンション駄々下がりの暗い様子を察したシロー丸は、大丈夫だった?と声をかけてきました。 どうやらシロー丸は、ボー大病院の採卵の時と変わらないだろうと思っていたようです。無麻酔って事はもちろん知っていたけれど。

  • 無麻酔採卵はトラウマに・・・

    時間にして、20分くらいだったと思うけど、激痛の拷問時間は、1時間以上に感じられました。 もう真冬なのに、汗びっしょり、そしてぐったり。それからつった足が痛む。 もう、ただただテンション駄々下がりっていう感覚。 ベッドに戻って、一時間くらい横になっているようにとの指示があったので、ベッドに入りこみました。 痛かった。怖かった。ただただ拷問だった・・・ 昨夜もナイーブになっていて、ほとんど眠れなかったんで、少し眠ろうと思いました。 でも・・・ 甦ってくるのです。ホラー映画のワンシーンみたいに。さっきの恐怖体験が瞼の裏に甦るのです。痛みの感覚もくっきり覚えていま

  • 無麻酔採卵、激痛で地獄!!

    採卵が始まりました。針で刺された次の瞬間、初めて味わうくらいの激痛に襲われました。 叫ぶのはかろうじて我慢したけど(声は出たけど)、それでも痛みで思わず叫んだって人の気持ちがよくわかる。 私、痛みには強い方みたいなんです。友達にも、よくそれ平気だねとか言われたことあるし。それでも、痛い痛いと連発してしまうくらいの激痛!! しかも結構、ベテランナースさんが怖い。頑張れって言われたって、どうしたら痛みを感じないで済むんですか?我慢を頑張れってことですか? もう、この瞬間から、このオタククリニックに転院したことを心から後悔しました。やっぱり、自分が感じた引っ掛かりは、しっか

  • 恐怖!!この椅子で採卵するらしい

    ついに、私の名前が呼ばれて、手術室へと入る時が来ました。 中には・・・ 結構な薄暗い中、数人のナースさんと、いつもは笑顔を絶やさないのに、なぜかニコリともしてくれない院長が並んでいました。 ナースさんに促されるまま、手術台と思われるベッド、いや椅子に横たわるのですが、これまた肘置きもないし、角度ももたれるくらいで、本当に内診台とあまり変わらないくらいの簡易さなのです。 内診台も、普段あまり頭が下がらないなと思ってたけど、おんなじくらいの寄りかかる程度の角度。 もう開いた足で踏ん張る感じ。なかなか辛い体勢。 この足を固定する台に乗せるのだって、ちょっとした体

  • 無麻酔採卵の日がやってきた

    採卵日が決まり、近づいて来るにあたって、もうかなりナイーブ。 一回目の採卵の時も、かなり不安になったけど、今回はそれ以上。なんてったって、無麻酔採卵と言う言葉の恐怖ったら・・・ とは言え、本当に逃げ出すわけにもいかず、すべてはそう、子供を産むため。うちの母をおばあちゃんにしてあげたい、孫を抱かせてあげたい。シロー丸(旦那)をパパにしてあげたい。 自分がというより、その2点のためってのがかなり大きかったです。 やって来ました。採卵日当日。 オタククリニックの採卵時間はかなり早くて、朝8時までに受付です。 採卵前最後の内診。卵の数は変わっていなくて、2個。ボー大病院でも、

  • 採卵のためのスプレキュアとボルタレン

    院長があまりにも、診察のたびに、2回採卵2回採卵と、やたらと推してくるので、聞いてみました。 あまり、前の病院の事をあれこれ出すのは、どうかとも思うけど、でも特殊な手術をしていることは事実なのです。そこはかなり、私にとっての不安材料でもあり、ちゃんと付き合っていかなくてはいけない部分なので。 それに、院長自身も、ボー大病院にいたことをやたらと織り交ぜてくるし、トラケの手術についてもわかっていると言っていたし。 結局いつもの、「みなさんそうしてますから」で返されてしまいました。 みなさんと言っても、トラケの手術をした人自体、たぶんまだまだ少ないと思うし、この病院に同じ手

  • ”とりあえず”薬を飲めと

    アイアイ病院で、昼前、ようやく順番が来て呼ばれました。 この時はまだ、数年前に受けた総合病院での甲状腺の結果のように、次の診察で大丈夫と言われて、終わるんだと思っていました。 そして、○日後、二回目の通院。またしても早起きして行き、待って待ってやっと呼ばれました。 見た目ちょっと派手目な若い女医さんは、かなりかったるそうでノールック医者。 しかも、とりあえずで薬を飲めと言うのです。 不妊治療だから? 甲状腺の薬は、一度飲み始めると、なかなかやめられずに、しかも悪化したり調整が難しく一生飲むこともあると知っていました。 なので、とりあえずで飲みたくないんですけど!

  • 甲状腺の病院へ

    近所の行きつけの内科で風疹の注射を打ってもらい、(無料で受けられた)次に行かなくてはいけないのは、紹介状まで用意されてしまった甲状腺の病院です。 現在、不妊治療の他にも、いくつか通院している病院があるので、もう医療費がかさんでかさんで。これ以上、通院する病院を増やしたくないってのも大大大本音です。でも、不妊治療のためなら仕方ない。もう、不妊治療って怖いですね。その一環であるだけで、なんでもやらされてしまう気がする。 指定されたアイアイ病院は、以前も書いたけど、数年前にちょっと調べたものの、かなり混んでいるという情報でした。 改めて調べ直してみると、かなりこれまた厄介なシステム。

  • 甲状腺と二ヶ月連続採卵の提案

    クリニックを転院したから、血液検査で新しく調べなおした項目や追加の項目の結果が出ました。 思いも寄らなかったのは、甲状腺の病院の紹介状を渡されたことです。 しかも、数値内なのに行けと言っている・・・ その上、病院までもう指定されている。 紹介された、甲状腺の病院で超有名なアイアイ病院は、実は知っていて、昔、健康診断で甲状腺が腫れていると疑いを指摘された時に有名な病院を調べたことがあったのです。 結局、近くの大学病院で詳しく検査してもらって、なんともないってことになったけど。 なので、そこに行かされる羽目になるとは思いもしませんでした。 しかも、ボー大学病院で

  • 成功報酬型??

    大学病院から不妊治療専門クリニックに転院して、もう一つ変わったのは、個人情報がしっかり守られているなって点でした。 診察などの順番も、モニタに映し出される番号で呼ばれるので、名前が呼ばれる事はほとんどありませんでした。 ボー大学病院ではいつもフルネーム。たまに芸能人と同姓同名の人なんかもいたりして、そうすると結構みんなキョロキョロしてました。 オタククリニックでは、あと何人で自分が呼ばれるかなども画面で確認できたので、いったいどれくらい患者がいるのかいつ呼ばれるのか、全くわからなかった大学病院と比べるとこの点も楽でした。 あと、待ち時間もかなり短くなったし。(このクリニッ

  • 転院してちょっと微妙だったこと

    さっそく、オタククリニックでの採卵に向けての通院が始まりました。 転院して、色々変わって、もちろん良くなった点もあるけど、逆に、微妙~と思う事もいくつかありました。 まずは、刺激注射がなくなったのは単純に楽でした。ボー大学病院では痛い筋肉注射、しかも2本も打たなくてはいけなかったため、その痛みから解放されたのは、良かったのですが・・・ オタククリニックでは、注射はないものの、毎回採血がありました。 しかも、ここの採血、なぜか物凄い痛いのです。 今まで、何度も色んな病院で採血をしてきたけれど、チクっ程度には痛い時はあったものの、「いだだだ」とまで思った事はなく、でもこ

  • 転院して楽になったこと

    ボー大学病院から、小さなクリニックに転院して、いくつか変わった点はあったものの、一番楽になったことがありました。 それは、予約方法です!! オタククリニックでは、スマホのアプリで診察の予約が簡単にできるのです。 空いている日にちと時間をピッと触れば予約完了。これ、本当に楽でした。 と言うのは、ボー大学病院での予約がほんっとうーにめんどくさくて。 周期の通院が始まってしまえば、次の予約は先生が入れてくれるので、それに従って通院すればいいのですが、めんどくさいのは、生理二日目受診やイレギュラーで予約を入れたい時。 まずは、サイト予約なんていう便利な仕組みを作ってくれていな

  • 次の移植は違うやり方で

    個別面談の最後に、このクリニックに転院するに当たって、ボー大病院とは違うやり方があるのか聞いてみました。 今となれば、まだまだ序の口状態ではあったけど、この時2回移植が陰性に終わっていたので、違うやり方があるなら、試してみたかったのです。 まぁ、まだまだ不妊治療について勉強不足のくせに生意気です。でも、一回分でも早く妊娠したい気持ちに変わりはないので。 すると先生は、私の治療歴を見なおした後、こう言いました。 この時、私まだ「はいばんほう?」っていうレベル。本当に本当に劣等生です。 初めて聞いた初期胚、胚盤胞と言う言葉。いや、たぶんいくつか読んだブログの中では登場し

  • オタククリニックに決めた理由

    集団説明会が終わり、希望者は個別面談できることに。 あらかじめ、簡単に作ってきていたボー大学病院での治療歴と内容の紙を渡しました。 院長は凄く物腰の柔らかい感じの人で、もうずーっと笑顔。ナースさんもサービス業かのような、感じの良さで丁寧。 ボー大病院では、まるで流れ作業のようだったんで、かなりここでもポイントアップです。 早速、一番気になっていることを聞きました。 トラケの手術をしたけど、ここで不妊治療をすることを受け入れてくれるのかってことです。 でも・・・ もう、あんなこととか、あんなこととか、あれとかあれとか・・・ そんなことばっかりだったんで、

  • 2つ目の病院の説明会

    2回目の移植が陰性に終わり、ボー大病院の予約が次は4ヵ月後になるということで、転院することにしました。 私よりも不妊治療に積極的だったシロー丸(旦那)が、いくつかの候補の中から、「ここ通いやすくていいんじゃない?」と見つけてきたのがオタククリニックでした。 この時まだ、病院に対してのこだわりも何もなかった私は、まぁ近いし、シロー丸が勧めるならと思い、まずは説明会に行くことにしました。 結果、この病院は、通院中、そしてこの病院をやめた後々まで、とんでもないことが発覚するのですが、まだこの時は知らず。希望を持って転院しようとしていました。 ビル自体はちょっと古めではありました

  • 不妊治療中の泣けるほど嬉しかった言葉

    かなり、重ーい出来事ばかりでダークな感情を綴ってしまいましたが、それでも不妊治療中にかけられて、凄く凄く嬉しかった言葉がありました。 それで、はっと気付いたことがありました。 ある日、知り合ったミャンマー人のおじちゃん、パグウーさんとお互いの健康について話をしていました。 パグウーさんのいとこが重い病気で去年亡くなってしまったそうで、なんとなく話の流れで自分の話もしたのです。 「どこのガン?婦人科系?」「うん、そうなの。」で、察してくれたパグウーさんは、続けて、聞いてきました。 まぁ、子宮を手術した → 結婚しているの?の疑問は、どこの国でも一緒なのかもなぁ。 で

  • 不妊治療中の正月は辛い~ヘビー級

    愚痴のつもりで書いたけど、かなりどよーんとなってしまっていますね。すみません。 では、不妊治療中の地獄の正月編、ヘビー級のできごとを書きたいと思います。 ギボの妹夫婦の息子が結婚するということで、挨拶に来ていました。 すると、私とシロー丸(旦那)の、すぐ目の前に座っていたギボが妹夫婦に向かって言いました。 「うちにはもう、子供ができることはないから、必要ないから全部持って行っちゃって」 これももう、確信犯ですよね。ギボの妹夫婦は、ギボの家の近くに住んでいるんだし、電話でもLINEでもして言えばいいのに、わざわざ私がいる時を狙って言ったとしか思えませんでした。しか

  • 不妊治療中の正月は辛い~ミドル級

    まだまだ、不妊治療中の義実家の地獄の正月話は続きます。 夕飯を終え、居間でみんなでだんらん中に言われたギフの暴言です。 シロー丸(旦那)には、兄がいて、私には義理の兄に当たるのですが、義兄には、子供が二人います。 その子供が、一人遊びしているのを眺めていたギフが話しかけました。 シロー丸はわかっていたのか、わからなかったのか、それともわからないフリをしていたのか、私にはわからないけれど。 ギフのその言葉は、すぐに私の事を言っているんだなぁと思いました。 そもそも結婚には猛反対されていたし、こうして何もなかったように振舞おうとしても、一生私は嫌われ者なんだな

  • 不妊治療中の正月は辛い~ライト級

    2回目の移植も陰性判定をくらい、もちろん落ち込みも悲しさも晴れやしないけど、2週間後には年末年始がやってきました。 子供のいない私達にとっては、まさに地獄の正月です。 シロー丸(旦那)の実家が、都内からはだいぶ離れた所にあるため、宿泊を兼ねて帰省しなければいけないのですが、毎年あるイベントがまさに地獄です。 子供地獄なのです。まわりはまさに、生まれたばかり~小中高までの子供達がわんさか。大勢いるシロー丸の親戚の子供達です。 必ずある親戚の集まりに参加しなくてはならないのですが、もう毎年苦痛でしかない時間なのです。 一年に一度、顔を合わせる人達ばかりですが、きっと子供がで

  • 高度不妊治療2回目の判定日

    なんだか、次々と思いもよらない辛い出来事とか起こり、本当に何にも救いのなかった不妊治療ですが、やっと天使のような先生の優しい言葉で、ちょっとだけ気持ちが救われた2回目の移植を終えました。 でも、風向きに反して、私の体は何も変化を感じませんでした。 一回目の時に感じたような、ちくちくとした痛みもなければ、波風いっさい立っていない感じで、心にもなーんにも感じない。 ついでに、プライベートでかなりしんどい事とかもあって、こりゃもうだめだな、すでにそんな答えすら予感させました。 気がつけば、不妊治療を始めようと個別説明を受けた日から、一年が経っていました。 そして、2回目の移植

  • 移植後、天使のようだった先生

    大学病院は、不妊治療の患者も多いのか、普段はわからないけれど、一回目の陰性判定後、次の移植の予約がとれたのは、2カ月後でした。 でも、今度は内膜がうまく育たずに、一度見送りになりました。 エストラーナテープを増やして、やっと2回目の移植に漕ぎつけるまで、なんだかんだ3カ月くらい経っていました。 2回目の移植はもう、流れがわかっているので、ほんっとうに緊張もありません。ただ、心の中では、これが着床しなかったら、ここでの不妊治療ももうしないのかということを漠然と考えていました。 移植はまだ2回目だけど、それでもなんだか、色んな事がありました。 説明会のこと、色んな先生のこと

  • 見せつけられたエコー写真

    カンガルー親子に続いて、こんな日は、残酷な出来事が続くもので、またしても、私にとっては忘れられない傷口をえぐられる出来事が起こりました。 しばらくして呼び出し機が鳴り、中待ち合い室へ移動し、名前を呼ばれるのを待っていた時です。 私の目の前の扉から、楽しそうな親子が出てきました。 本当にくねくねとダンスを踊っていて、もう二人だけの世界という感じで。 そしてすぐにその親子は、私の目の前のソファーに座ると、「私の赤ちゃん!」と言いながら、エコー写真をその場にいる人達全員に見せつけるかのように、高く掲げました。 あまりに突然のできごとに、驚きもあったけど、瞬時に察して、

  • 陰性判定日翌日のしんどかった出来事

    ちょっとここから、しんどい記事続きます。 地獄のような暴言の陰性判定を受けボロボロになり、午前中もめいっぱい泣き腫らして、それでも通院日だったので、病院へ向かいました。 婦人科のガンの手術後の経過観察の予約でした。 婦人科、そして不妊治療の科、産科とひとくくりの場所にあるので、待合所はどの科に通う人でも一緒なのです。 そんな待合所の椅子で座って呼び出し機が鳴るのを待っていると、真隣りにサッと誰かが座りました。 何気なく見てみると、赤ちゃんを抱いた母親でした。 その瞬間から、赤ちゃんと目が合い、赤ちゃんは興味深そうに私をじっと見てきました。 でも、私はつい昨日、酷

  • 移植陰性後の話し合い

    あまりにも酷すぎる暴言の嵐の陰性判定の後、シロー丸(旦那)がいる時は、明るく振舞って過ごしました。 正直、私じゃない人からすれば、まだまだ高度不妊治療に移って一回目の判定日だし、落ち込むなんて何甘ったれてんの?って感じだと思ったからです。 辛い不妊治療だけど、やっぱりその全部を経験者じゃないとわかってもらえないから、あまり弱い自分は見せたくなかったのです。 でも、それでも辛いです。 こんなに辛いと思いませんでした。シロー丸が寝た後、会社へ行った後、一人になった途端、泣けて泣けて仕方がありませんでした。 自分は、なんて不甲斐ないんだ、こんな大変なお金と時間をかけて治療

  • 恨・忘れられない初めての判定日 後編

    初めての不妊治療、胚移植の判定日。びっくりするくらい、満面の笑顔で軽く陰性判定を告げられて、ショックを受けた後、今でも忘れられない更に酷い暴言が待っていました。 前回:恨・忘れられない初めての判定日 つづき↓ 陰性なら一応、何か原因があるのか聞いておきたいところです。 結局、陰性判定を繰り返した現在でも、ここまで酷い医者は他にはいなかったけれど、他の先生達はたいていは、卵の力が弱かったのでしょうとか、1人だけ、手術をしたから血行に問題があるのかも、と教えてくれた先生もいました。 責めてるわけじゃないんです。何かしら、理由があるなら次に繋げたいし、改善できるかもしれ

  • 恨・忘れられない初めての判定日

    そして、初めての胚移植の判定日があっという間にやって来ました。 シロー丸と共に、病院へ。 もう緊張MAXです。 いつも通り、少し待って名前が呼ばれ、診察室へと入りました。 診察室の中には、またしても初めましての先生。もう見るからに、キラキラ女子で、不妊の先生になるには、本当に若くて、しかもファッション誌の表紙かってくらいの満面のキメキメの笑顔。 まぁ、それでもれっきとした先生です。目の前に白衣着ているんだし。だけど、妊娠判定結果でこんな満面の笑顔をされたら、笑顔になるくらい良い結果だったんじゃないかと、期待もしてしまいます。 まるで、人気のケーキ、ついさっ

  • 移植後、ルティナス膣錠

    移植前の最後の診察で、移植日からルティナス膣錠という薬を判定日まで毎日入れなくてはいけないことを説明されました。 しかも一日三回。時間を決めて、等間隔くらいで忘れずにとの事です。 この時、先生が説明してくれたのは、ルティナス膣錠は、薬局によって値段設定がかなり自由で、とんでもない料金をとっている所もあるんですよとの話でした。 なので、ボー大学病院では、院外ではなく院内処方にしてます、との事でした。そう言いながらも、後から検索してみたら、ボー大学病院のルティナス膣錠の価格設定、結構高かったですけどね。あれ以上もあるってことなのか。 不妊治療は、自由診療扱いだけど、自由診療っ

  • 不妊治療、初めての胚移植

    初めての胚移植の日がやってきました。 採卵に向けての日々は、とにかく慌ただしくて、一番厄介だったのは、時間厳守の注射(しかも激痛)だったけど、移植に向けては、飲み薬があったくらいで、通院回数も採卵に比べると少なく、ちょっと落ち着きました。 と同時に、不妊治療で通院することにすっかり慣れてしまってもいたのですが。 移植は、一人で臨みました。 もう緊張もあまりなく。あまりどころかまったくなかったので、本当に慣れたもんだなと自分でも思いました。いいことではないけれど。 ボー大学病院では、移植も採卵日当日の時と同じで、日帰りと言えども入院扱いになるので、またしても面倒な手続きの

  • 採卵結果と”いつでもいい”らしい移植日

    採卵日から数日後、再びの診察で結果を知ることができました。 結果は2個。そして2個とも凍結できました。 腸の裏に行ってしまっているという、一番いいらしい一個は採れませんでした。まぁ、採卵中の感じでわかってました。明らかにダメな位置にあったんでしょう。まぁ、そのダメな位置の2個ともとれない可能性があると言われていたので、一個とれただけでも良かったんだと思う事にしました。 すでに、ボー大学病院では、新鮮胚移植はやらずに、凍結してから移植する方が着床率が高いのでそうしている、という事を聞かされていたので、ひとまず採卵と凍結結果のみです。 授精方法も、採卵日前に決定していて、体外

  • 採卵が終わった安心感

    一切、意識もなくならないまま、痛みも一切ないまま、これはもう夢の中にいるんじゃないかと、何が何なのかよくわからないまま、初めての採卵は終わったようでした。 「完了」と、ロボコ先生が部屋を出て行き、続いて他の人達がみんな出て行く姿を見て、ようやくこれがちゃんと採卵していたんだな、そして終わったんだなと確信しました。(相変わらず、私には一言も声かけてくれなかったけど) そして、問題だった、腸の裏に行ってしまっている卵はと言うと・・・ ロボコ先生の指示で、ナースさんが軽く私のお腹を2回くらい押したのがわかったけど、結局、採れたのか採れなかったのか、報告もなかったので、わかりま

  • 採卵の麻酔が効いてない?!

    慌ただしい準備を終え、いよいよ採卵が始まります。 先生達やナースさんとの間で、凄い厳密な確認作業が採卵の幕開けでした。 まずは、いつもの内診と違うのは、消毒でぐりぐりされるのが、すでにちょっと痛いのです。 特にロボコ先生においては、止血事件のトラウマがあります。時々いるけど、この人、容赦ない内診の先生ですね。 すぐに真横で、麻酔を流しますとの声が聴こえました。 でも・・・ 眠くならないのです!意識もはっきりあるのです。 これは、ネット検索であった麻酔が効かなかったってやつなんじゃ・・・と不安になりました。 今まで子宮の手術を全身麻酔で二回したけど、どち

  • 採卵前の準備が慌ただしい

    ナースさんに言われた通り、手術室に入り台の上で横になっていると、前後の扉から、ぞろぞろと10人くらいの人達が入って来ました。 大学病院って、こんな一介の患者でも、色んな科とかの人達が色んな役割を担当して手術するんですよね。採卵と言えども手術なんで。 大病院だから仕方ないけど、この大勢の人達の中で、顔の仕切りもなく、大開脚するのは、かなり恥ずかしいです。 でも、そんな事を言う間もなく、すぐに足を固定されました。 もう、ここに居る人達にとっては、日常のようなもので、気にしている方が恥ずかしいんだと思って、開き直るしかないですよね。 それよりも、実は私には第一の関門が

  • 採卵当日がやってきた!

    初めての採卵日が迫ってくると、再び私は検索魔になりました。 わくわくよりも、不安の方が大きくて、なのにそんな時に限って、悪い記事ばかりが目に留まるのです。 一番不安だった事は、やっぱり痛みはどうなのかって事です。 子宮に針を刺すっていうのは、どんな感じなのか。すでに子宮頸がんの手術を経験しているんだし、あの時の痛みに比べたら絶対大したことないはず。そう思っても、痛い思いはしたくないです。 ボー大学病院では静脈麻酔で採卵なので、痛みはしっかりコントロールするから大丈夫ですよと、先生に言ってもらったのですが、それでも初めての事はやっぱり不安だらけで、あらゆることの予備知識が欲

  • 採卵前夜の注射を打ちに

    結局、卵の数は増える事はありませんでした。 たまたま私が読んだ不妊治療のブロガーさん達が、多く採れる人達だったのかわからないけど、みんな10個は採れたとか書いていたので、自分の実力が3個なのかとちょっとショックを受けました。 病院からは、量より質とは言われたけど。 それに、そのうち2個しか採れない可能性、そこからまたちゃんと分割して凍結できるかというハードルに向かって行く事を考えると、またいっそう気持ちが沈みました。 とは言え、採卵日二日前です。 夜23時に、時間厳守で最後の注射を打ちに救急へ来るようにと言われていました。36時間後に排卵をさせるための注射だそうです。

  • 転院を考え始める

    なんだかハプニングと言っていいのか、ボー病院での色んな事が積み重なり、まだ一回目の採卵も移植も終わってないけれど、もし全部ダメだったら?の時の事を考え始めました。 この時点でもなお、劣等不妊治療生の私は、自分で色々勉強する事を避けていました。 めんどくさいとかではなく、のめりこむ事が怖かったのです。 不妊治療の沼にはまらないように、どこか冷静にしていないとと、自分の性格上、どっぷり行くと、破滅的に心が追い込まれてしまう。そっちの方が不安でした。 とは言え、不妊治療の先輩たちのブログなどはよく読んでいたので、色んな病院があって、病院によって色々違うらしいということは知ってい

  • 患者に無茶をさせる医者

    また、採卵前のある日の診察です。金曜日でした。 大学病院だから仕方ないんだけど、時々3~4時間待たされるのはよくありました。 その日もまた、そんな風に待たされ続けて、だいぶ待合室も人がいなくなり、私は居眠りをしながら待ち、やっと呼び出し機のベルが鳴って、診察に呼ばれました。 そして、内診の後、ようやく採卵日が決まりました。 そこまでは良かったものの、ロボコ先生の説明では、今日から更に忙しくなるようです。 注射を毎日しなければいけなくなり、飲み薬も増えるそう。 しかも厄介なのは、土日休みの大学病院に代わり、土日は違う病院へ注射をしに行かなくてはいけないようです。

  • とんでもなく痛かった内診

    ある日の診察、とんでもなかったです。 私は、子宮頸がんのトラケレクトミーという手術をしていて、中を縫っているのですが、その影響か、そもそもガンだったからなのか、内診でかなり出血しやすかったのです。 その頃、手術に使われた糸だと思うのですが、一部分の糸が溶けきらずにいつまでも残っていたようで、健康診断の内診なんかでも糸が飛び出ているとよく指摘されました。 主治医に聞いてみても、なんの部分の糸だろう?とりあえず、他の病院なんかで言われても、切ったりしないようにしておいてと言われていたので、まぁどうすることもできず、どうすることもないと思って、普通にしていたら痛みも何もないので、気に

  • 採卵前注射のハプニング

    採卵日が近づいてきてからは、更に忙しかったです。 プラスされた飲み薬に、毎日の注射が2本に増えました。それに加えて、肌に貼るエストラーナテープも2日ごとに貼り替え。 家が近いからか、自己注射ではなく、通院しての注射でした。 そんなある日の注射時のハプニングです。 いつものように、診察が終わり、注射を打って帰るのですが、ナースさんから、いつものですねと言われたのが気になりました。 毎回、ナースさんも違う人だったし、いつものって言われるほど、私まだ常連でもなさそうだけど、患者も覚えられるくらいそんなに少ないのかな?と、まだそこまで深く考えませんでした。 ベッド

  • 採卵前のとんでもなかった話

    第一回目の採卵に向けて通院中の時のとんでもなかった話です。 高度不妊治療に移行して、毎回先生が変わるってことは、以前書きましたが、やっぱりこの先生いいなとか、この先生苦手だなとか、出会う先生の数だけ感想がありました。 不妊治療じゃない治療の時も、どんな先生に出会えるか当たるか、すっごく重要だなってのは、病気をして痛感しましたが、一回一回の診察が慎重で重要な不妊治療。できたら、理想的な先生に出会いたいなと思っていました。 ある日の診察です。 その日、担当してくれたのは、めちゃくちゃタイプとでも言いますか、私の理想にぴったりの容姿、雰囲気のベテラン風のキリッとしたラッコ先生で

  • 採卵のために腸を動かす

    片側の卵巣が腸の裏に行ってしまっているため、片側の卵はとれないかもしれないと言われて、採卵の日までに腸を動かすべく、頑張ってみました。 でも、腸を動かすって一体どうすればいいの??? がんの手術後に、実は一度、腸閉塞になりかけたことがあって、しかも退院後も腸の病気になり、入院した事がありました。 なので、腸の問題続きで嫌になっちゃうけど、一応その頃も、これいいよと言われる事を試したりしていたので、今回も使えるかと思い、毎日やってみました。 腸のS字マッサージに、水をたくさん飲む事や腹筋、とにかく採卵の為にやれる事はやってみました。 でも・・・ 結果、だめで

  • いきなり問題な高度不妊治療

    二回目の人口授精が陰性に終わった後、ついに高度不妊治療(体外受精/顕微授精)の道に足を踏み入れました。 人口授精の時ですら、聞いていた通り、不妊治療は通院が多いなぁと感じていましたが、高度不妊治療の方は、更に慎重でやることも増え、通院回数も増えました。 人口授精から高度に変わったからか、先生のメンツも顔を変え(偶然だっただけかも?)更にレベルの高い治療に足を踏み入れたんだなと思いました。 とは言え、この辺りでもなお、私は不妊治療について自分できちんと勉強せず、言われるがままに病院に通っていました。 薬も出された物をただ飲み、今いる地点が採卵までのどの地点なのかもよくわ

  • 二回目の人口授精は・・・

    なんだかんだあって、何度も見送りになった二回目の人口授精ですが、ようやく日にちが決まりました。 二回目は、流れもわかっているので、だいぶ慣れたものです。 色々心配や不安だった一回目に比べて、あっという間に時間が過ぎて行きました。 そして、あっという間に判定日がやって来ました。 結果は・・・ 二回目ともなると、さすがに少し落ち込みました。 人口授精の後、目立った体調変化はなかったけど、一回目の判定日前みたいに、生理が始まる兆しもなかったので、実は期待してしまったりもしていたのです。 わかりきってたけど、私に奇跡は起こりませんでした。 お金が一番ではないけれど

  • 不妊治療 卵子の逆側キャッチとは

    人口授精を始めると、色んな理由で、今月の人口授精はストップというような時もあると思います。 私の場合は、片側の卵管が閉塞しているので、2回続けて見送りとなったことがありました。 その理由は、「今月は閉塞している方で起きているので、今月は見送りましょう」との理由でした。 そんな時は、病院の先生から、「一応タイミングはとってみてください。」と言われるのですが、人口授精できない状態なのに、それでもなんでタイミングはとるように進められるかというと、どうも卵子の逆側キャッチという事が起こる時があるそうです。 その逆側キャッチについて書きます。 で・・・ 一方、卵管閉塞し

  • 不妊治療をなめてんのか

    大学病院はグループ診療なので、毎回先生が変わっていました。 まぁ、婦人科に通っていたので、そんなのはわかりきっていたけれど、不妊の科に通って思ったのは、ちょっと上から目線の先生が多いな・・・ってことでした。 まぁ、私もまだ始めたばかりで知識無さ過ぎて、呆れられ気味だったのかもしれないけれども・・・ 人口授精に向けて治療が始まった当初、私の担当医なのかなってくらいずっと当たっていた先生がいました。 キツネ先生とにかく冷た・・・クールで、苦手なタイプの先生でした。 ある日の診察です。 なにかあれば聞いてくださいっていってくれたから、気になってたことを質問してみたのですが、

  • 一回目の陰性判定。すぐに次へ

    初めての人口授精の判定日は、陰性との結果でした。 もちろん、奇跡が起こるといいなとも思ってはいたけれど、今までの私がそんな風に運が良かった事なんて一度たりともなかったから、まぁ蓋然的な結末に思えました。 まぁ、この頃はまだ、不妊治療に対しての気持ちに余裕があったなぁと思います。 めげずに、すぐに2回目の人口授精に向けて動き出す事にしました。 でも、ここからちょっと難関が続くのです。 まず、その後の回は、卵巣が腫れているとのことで、見送り。ピルを飲んで生理を起こさせることに。ちなみに、卵巣の腫れってのは一時的なものだけど、よくあることだそうです。 でも、その後の回で

  • ゴッドハンドのナースさん

    相変わらず、筋肉注射を打ちに通っていました。 お尻が私にとっては、激痛だったので、打つのを腕に戻してもらったけれど、それでもやっぱり痛いものは痛い。 毎回、心を無にして挑みますが、それでもわざわざわかっている激痛を感じに行くのは拷問でした。 でもある日の注射です。 いつも注射を打ってくれる看護士さん達とは違って、大ベテラン風のナースさんに当たりました。 ナースさんは、私の隣に座ると、いつものナースさん達よりもかなり強めに私の腕の肉を掴みました。 「ぎゅっと掴むけど、意地悪してるわけじゃないからね!こうやって掴んだ方が注射が痛くないのよ!」 そうは言ってくれても、

  • 痛みで立てなかった筋肉注射

    人口授精自体には、ほとんど痛みを感じなかったものの、私にとっては、結構嫌な痛みを味わわなくてはならないおまけがついてきました。 それは、筋肉注射です! hcgという黄体ホルモンを補うための薬を注射で打たなくてはいけないのです。 この黄体ホルモン補充に関しては、飲み薬を出されるクリニックもあるのですが、ボー大学病院では、注射での補充でした。 しかも筋肉注射!! 私は、ガンの手術をした頃、鉄分補充などの注射をよく打たなくてはいけないことがあったのですが、この注射がかなり痛い!! ナースさんいわく、薬剤が染みるらしく、確かに針を刺した時よりも、薬剤を注入されている時がかなり

  • 人口授精って痛いの?痛くないの?

    いよいよ人口授精の日が迫り、私は検索魔になっていました。 ってのも、卵管造影検査が予想以上の激痛だったので、怖気づいていたのです。 不妊治療は、体も心も痛みを伴うって世間的に言われているけれど、人口授精も痛いんじゃないの?っていう心配です。 初めてだし、身近に不妊治療をした人もいなかったので、ネットの情報だけが頼りです。 でも卵管造影検査の時と同じで、痛かったって書いている人もいれば、無痛だったって人もいて、どの意見が自分に当てはまるのか、やっぱり挑んでみない限りはわからないなという結果に終わりました。 そして、エラーシステムと言う予想外すぎる大ハプニングに遭遇したもの

  • 初めての人口授精当日のハプニング

    思えば、幸先悪いスタートでした。 これが初めての人口授精。現在では、高度不妊治療に進んだけど、どれだけ慎重に間違いがないように進めていかなくてはいけない治療かっていうのは、この人口授精の時ももちろん変わりません。 ボー大学病院では、当日の朝、旦那に採精をカップにとってもらい、それを直接外来の先生に提出するという流れです。 このカップの取り扱いについては、要注意で説明を受けていました。 冷たくしてしまってもダメ、かと言ってカイロなどであっためてもダメ。精子が死ぬからです。 特にその日は、真冬だったので、取り扱いには本当に気を使わなければなりませんでした。 タオルやハンカチで

  • 嗚呼、激痛の卵管造影検査

    早速、不妊治療がスタートしました。 まずは、エコーや血液検査など。それに加えて、まず第一の難関状態だったのが卵管造影検査です。 この検査は、痛かったという書き込みを見たことがあるので警戒しました。 痛いと言っても、どの程度の痛みなのか。生理痛みたいな痛みとは言うけれど、私には生理痛がほとんどない。 人生の中で3回くらい、腹痛という名の生理痛があったけど、それも食あたりの時の感じと似ていたし、一時間くらいで自然によくなったため、果たして本当に生理痛だったのかも疑問ってくらい、生理痛エピソードがないのです。ただ、PMSはいつもとんでもなく重いけど。 ネットで調べると、それでも「

  • 初めての不妊外来

    がん手術後の合併症もようやく落ち着き、いよいよ子供が欲しい気持ちが大きくなって来ました。 そもそも、手術を受ける前に担当医の先生から、この手術をすると普通の人より妊娠が難しくなる。よって、不妊治療が必要になることが多い、と説明は受けていたので、まぁ、不妊治療コースは進まなきゃなとは思っていました。 それでも、不妊治療はお金がかかるというし、ネットで同じ手術をした人のブログなんかを読んでみると、奇跡的に自然妊娠できました!なんて書いてある人もいたので、じゃあ私も意外と・・・ なんて、淡い期待もまんまと裏切られ、全く妊娠できる気配がありませんでした。 なので、ある時の婦人科

  • 子供産め攻撃

    やっと結婚だって言うのに、とんだことになってしまったけど、どうにか子宮を残す手術を受ける事ができ、新婚生活が始まりました。 とはいえ、手術の合併症で、かなり体調を崩し、知りもしなかった新たな病気になったりまた入院したりと、まだまだ子供のことなんて考えられない日々でした。担当医からも、子宮の手術をしたので、まだ子供は作らないようにと言われていたし。 だけど、そんな私に、シロー丸一族の恐ろしい、嫁なら子供産め攻撃が始まるのです。 体調と戦う中、どうにか結婚式をし、ゲストに感謝のプチギフトを渡していた時のことです。 その中の1人のシロー丸の叔母さんが、おもむろに私に近付いてくると言

  • ガンと言う病気発覚

    もはや、興味のなかった”結婚”が、私の中では悩みのようになっていました。 ある時、友人に誘われて行った二丁目のバーで、なんでか忘れてしまったんだけど、友人が席を外した時に、私の結婚の話になりました。 そこで、なんとなく話してみたシロー丸の両親の事と悩みの種になってしまっていた結婚について、思いも寄らず背中を押してくれる言葉が返って来たのです。 「あんたさー、いいー?愛し合う事に親や形式なんて関係ないのよ!」 「そんな事言ったら、私達おかまなんて、結婚なんて一生出来ないんだから。でも、相手を信じて愛しているから一緒に居る。ただただ、一生一緒に居る。本当は、人間なんてそれでい

  • 不妊治療を始めるまで つづき

    彼が結婚の話を始めて、彼の両親に「33歳の女じゃ子供を産めないから結婚は認めない」と猛反対されて早2年が過ぎていました。 ようやく会う事になり、彼と一緒に彼の地元へ向かいました。 のちの旦那:シロー丸のこの時のふがいなさったら、忘れられません。 シロー丸の父は、会うなり言い放ちました。 そしてギフは、シロー丸がどれだけ凄い会社に入っているか、ひたすらシロー丸自慢を始めました。(10年も一緒に居て全部わかってるけどね) 私に対して質問は一切してきませんでした。 ところどころ、セクハラパワハラだよなと思う暴言も平気で言いました。 「あんた、その歳じゃもう先がないんだ

  • 不妊治療を始めるまで

    旦那と結婚するまで、すでに10年付き合っていました。 だから照れ臭かったのかわからないけど、プロポーズはありませんでした。 「そろそろさぁ、籍を入れるのどうするか考えた方がいいと思うんだよねー。」 そんな言葉がある日ふいに、彼氏(旦那)の口から飛び出し、私も「そうだねー。」なんて返したのが、ある意味「子供産む、産まない、産めない?」を巡る生活の幕開けだったかもしれません。 当時私は33歳。それでもなお、結婚にも子供にも、まだまだ興味があまりありませんでした。 とは言え、なんとなくでも結婚の話を出されると、安定した生活も欲しくなる。10年も付き合ったし、ようやくか・・・と

  • 劣等生の不妊治療日記始めます。

    はじめまして。現在、不妊治療歴、約3年のアラフォーです。治療を開始する前、不妊治療についてはほとんど勉強せず、治療したらできるでしょくらいの軽い気持ちで始めました。 私は以前、子宮頸がんが見つかり、トラケレクトミーという手術をした事もあり、子供は普通の人よりもできにくいと言われていました。 なので、できたらラッキー、できなくてもそこまで落ち込まないぞという自信がありました。でも、そんな私が現在治療歴も長引いてきて、かなり不妊治療のどん底を思い知っています。 心は荒みきって、神様に嫌われているんじゃないかとすら思う日々・・・なんて恐ろしい治療なんでしょう! 不妊治療

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