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  • 人間の感性

    前のブログを書いていて、ふと思い出したことがありました。それは、プラネタリウムのレンズを作るのは、ミクロン単位の正確さが要求されるのですが、それができるのは人間の手仕事だというお話です。一つことを長年続けてきた職人さんの感覚・感性が、機械ではできない正確さを実現しているというのです。恐るべきことだと思います。そんな精緻な手仕事を日本人は強みとして持っていました。それを捨て去って、何を為そうというのだろうかとついつい考えてしまいます。私も及ばずながら、職人の手仕事のように、手間暇をかけた精緻な教育を生み出していきたいと思います。それを求める人がいなくなれば、そこで私の仕事も終わるのだろうと思います。そこまでは全力を尽くします。人間の感性

  • 気が利くということ

    今、心配なことは、「気が利かない」人が増えているように思うことです。「気が利く」とは、細かな変化や違いに、まず気づくことが大切です。汚れやほこりなどに気づき、すぐにきれいにしようと思うような人間の感性です。これまでは、そうしたことに気づくことができる人が多かったから、そのあとに来るであろう機械の不具合や自然災害や人心の荒廃などを未然に防げたことが多々あるのではないかと思います。何かの「兆候」に気づくことのできる感性は、人間や動物にしかないものなのかもしれません。そして、この感性は、四季折々の自然の中で育つことや、細かい目を持つ人から厳しく叱責をされながら身につくようなものかもしれません。言葉では説明できない「感覚」を伝えようと叱責されるので、叱られることに理不尽さを感じることもあるでしょう。私自身、そう思...気が利くということ

  • レポート

    土曜日に小郡寺子屋「志学舎」の講座を行い、最終便で東京に入り、今日はバッカーズ寺子屋の講座を終えて、最終便で福岡に戻ります。火曜日に企業研修を行ったら、水曜の夜から東京と、ドタバタやっています。ホームカミングデイへ向けて東京も福岡も卒塾生交流誌『絆』の原稿が届いています。卒塾して数年が経った卒塾生のレポートも、現役生のレポート、読んでいるとたくさんの気づきと学びがあります。小学生からも中学生からも高校生からも、たくさん学ばせていただくことがあります。子どもたちの「今」も知ることができます。これからも慣れの落とし穴に陥ることなく、慢心することなく、丁寧に教育実践を重ねていきたいと思います。レポート

  • 入塾説明会

    バッカーズ寺子屋(東京)、バッカーズ九州寺子屋(福岡)の入塾説明会が始まりました。10歳から15歳の小中学生の皆さん、そして、保護者の皆様、是非、お運びください。次回の入塾説明会は、次の通りです。バッカーズ寺子屋(東京)は、3月22日㈯に第二回入塾説明会を開催します。バッカーズ九州寺子屋(福岡)は、3月23日㈰に第三回入塾説明会を開催します。詳細は、それぞれの寺子屋のホームページをご覧いただきお申し込みください。おそらく、いや、確実に、入塾説明会に来ていただけなければ、この寺子屋の活動内容は正確には伝わらないだろうと思います。既成概念にはない教育の在り方だからです。しかし、確実に入塾されたお子様方は素晴らしく成長していきます。まずは、親子で入塾説明会にご参加ください。会場でお目にかかれますことを楽しみにし...入塾説明会

  • 本の有難さ

    先賢の書物に触れると心が洗われる思いがします。それは、澄んだ心持から出ている言葉に触れられるからだろうと思います。人の世の浅ましさ醜さを知りつつも、他者を非難せず、自らを深く省みて、高みに登ろうとする高貴な精神がその言葉に宿っているからだろうと思います。本の有難さ

  • 20年

    今年、バッカーズ寺子屋は開塾20年を迎えます。ただ、ひたすらに教育に打ち込んできました。多くの人に支えていただいた日々でした。今、私の心の中にあるのは達成感や満足感などではなく、ただただ「感謝」の思いであり、多くの人たちの教育への「思い」と共に過ごせた嬉しさでしょうか。保護者の方々のアンケートを拝見すると、たくさんのお子様たちの成長の様子と、感謝の言葉を書き綴ってくださっています。それを読ませていただいて、やはり私が感じるのは、有難いなぁといういう拝みたくなるような「感謝」の思いでしかありません。私一人では、到底できなかったことです。皆様、本当にありがとうございました。ただ、私の志は「日本の教育をより良いものにする」ということです。全然それは達成できていません。いかに自分の力が足りないかを突き付けられます...20年

  • 教育の理想

    私の教育の理想は、子どもたちが立派な大人になることであって、先々で、子どもたちが私に何を学んだかさえ忘れてしまっていてもよいと思います。しかし、学んだことがその人の中に沈潜し、その人の人格形成の土台となっていたら望外の喜びです。こうしたおかげでこうなったと因果関係がわかるような教育は、人間教育においては、しょせん浅いものでしかないのだと私は思います。私にできることは、私の教育に全力を尽くすということだけです。それに対する評価は他人のものですから、私にはどうすることもできません。私の知るところではないのです。ただ、何十年かが過ぎて、「あぁ。そういうことだったのか。」と気づいてくれる人が少なからずいてくれたら、私の努力も無駄ではなかったのだろうと思えるに違いありません。その日のために全力を尽くしたいと思います...教育の理想

  • 相手を考える

    子どもたちに、レポートなどを「書く」際、意識して欲しいのは「誰に対して」書いているのかを明らかにして書くということです。これが明確でないことが多いと思います。そこが定まっていなければ、言葉の選び方も、表現の仕方も当然変わってきます。相手を意識するということは、相手を大切にすることでもあります。スピーチでは、ここはかなり改善されるのですが、書くことについては、少し気を緩めるとたちどころによくわからないことになってしまいます。誰に話そうとしているのか、誰に自分の意志を伝えようとしているのかを、曖昧にする日常があるのだと思います。また、書くことについても、誰に対して書いているのかを明確にせぬまま書く習慣が身に着いてしまっているのではないかと思います。しっかりした人間を育てていくということは、そうした細部をいい加...相手を考える

  • 不義にして富かつ貴きは、我に於いて浮雲の如し

    全ては戦いだと感じます。政治にせよ、経済にせよ、医療にせよ、教育にせよ、権力やお金の力が大きく影響する戦いです。その戦いからは決して逃れることはできないのだと思います。であるならば、人として正しく戦っていきたいと思います。目先の利益だけを追うのではなく、みんなの笑顔、みんなの幸せのため、社会の良き発展のための人材育成を大切にしたいと思います。私は、「志の教育」と「学び方の変革」の二つを大切にした教育を広げていきたいと思っています。枝葉ではなく、根っこと幹を育てる教育に力を注ぎたいと思っています。しかし、なかなかそれは難しいことです。やはり目先の利益に人は飛びつくからです。しかし、6・3・3の12年と受験にしか使えない教育ではなく、形骸化した魂のこもらない教育でもなく、生涯にわたってその人の支えとなるような...不義にして富かつ貴きは、我に於いて浮雲の如し

  • コミュニケーション

    コミュニケーション能力の高さとは、「相手の使った言葉の背景、つまり、相手の状況や、そこで持つであろう意図を想像して、相手の気持ちに寄り添えるかどうか」だと思います。言葉には、様々な解釈の可能性があり、相手がどのような立ち位置にあるのか、何を求めているのかを考えようとすることが大切だと思います。確かに、最近は、そこまで考えたコミュニケーションができる人にお目にかかることが少なくなったように感じます。それは、生活全般があわただしくなっていること、相手の立場に立って物事を考えなくなったこと、言葉に対する感覚が雑になってきたこと、実際の人間関係や実体験という経験値が低くなったこと、などが原因のように私は思います。例えば、「確認をする」といったときに、上司なりしかるべき人に確認するのはもちろんのこと、待たせている人...コミュニケーション

  • 最近、AI技術で出撃前の特攻隊員の写真をカラーにし、表情や幾許かの動きもつけるという動画を見ました。だれがどのような意図で作ったかも知らぬままにしていますが、言えることが一つだけありました。愛と使命感に満ちた人間の表情は、実に凛々しく美しいものだということです。このような顔の人をすっかり見かけなくなってしまいました。私もきっと良い顔をしていない、卑しく貧しい顔つきの日本人の一人なのでしょう。しかし、何とかそれに抗っていきたいと思います。顔は人間の内面から作られていくものですから、学問を深めていかなければなりません。もっともっと教養も身につけていきたい。何よりも自分の使命である、日本の教育再興というテーマに向かって、一心不乱に日々を過ごしていきたいと思います。顔

  • 教育の本質

    今日、バッカーズ寺子屋卒塾生たちの「開塾20年インタビュー動画」を見ていて思ったことがありました。それは、10歳から15歳の子どもたちに、本物の教育を提供し続けなければならないということです。立派な社会人となった卒塾生たちが、口をそろえて言ってくれていたことは、バッカーズ寺子屋の教育は、今の自分の土台となるものを育んでくれたということでした。子どもたちは、その鋭敏な感覚で、大切なものを吸収してくれていたのです。とても嬉しく思いました。そして、20年という歳月があって、それは初めてわかることなのだなと思いました。子どもは、ダイヤモンドもガラス玉も同じように「綺麗」と言うかもしれません。区別がついていないように感じられるかもしれません。しかし、心の奥底では正しく感じ取っているのだと思います。だから、大人は、「...教育の本質

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