前回の記事に色々の皆さんから piroji1616.hatenablog.com コメントをいただき、あれこれ考えました。 その内容はさておいて、 一人一人コメントにお返事したかったのですが、 左手の指が自由に動かない今、これを書くのも一苦労なんです。 なので、本日仕事中にいただいたコメントに、 この場を借りて深く御礼申し上げる次第でございます。 本当にありがとうございました。
今ごろ6年も前の脳梗塞で入院したことを記事にしてどうするんじゃって感じですが 実はひと月ほど前の日曜日、朝(ウソ。昼前)に目を覚ました時感じたのです。 左手が変でした。 握ることはできます。 オートバイでいえば、クラッチは握れるといえばわかるでしょうか。 イメージとしては、握ったクラッチレバーを思うようにリリースできない ということです。 微妙な半クラッチ操作(開放するほう)ができないのです。 つまり、開くことができないのです。 ウインカーを操作する左親指も意のままに動きません。 元来能天気な私ですから 「まあ十日もすれば治るんだろう」と思っていたのです。 が、七日八日、いえ、ひと月経った日、…
さて、十日間の入院生活のスタートです。 毎朝、食事前に検温と血圧測定。そして投薬と点滴。 投薬と点滴は、血栓を溶かし、血管を広げ、血圧を下げるためのものでした。 五日後にはリハビリが始まるのですが、それまでは ひたすら食べて寝て、の生活が続きました。 御多分に漏れず、テレビを見たり、窓の外を眺めたり、という 日々でした。 ああ、あの頃に「なつぞら」放映していれば、 入院の徒然もずいぶん慰められたろうになあ、 というのは、勝手な感想。 私の症状を見ながら、医師を中心に、 きちんとチーム医療のプログラムがたてられていたようです。 五日の入院と静養の結果、血圧も低下し、 まず、理学療法(昔は物療とも…
さて、急遽入院が決まり、家内や子供たちはかなり動揺していましたが、 自分は割と平静でした。 というのは、 私の父は、入院当時の私より何年か若くして、会社で勤務中に脳梗塞を発症。 救急車で川崎市内(当時父は、川崎の浅田にある運送会社に勤務していた)の 病院に搬送され、入院、右半身がほぼマヒ状態になってしまい、 その後二回目の脳梗塞で(最初の発症からは二十年以上経っていましたが、) 他界しているのです。 そんな経験から、「自分の梗塞は軽い。しかも早期に発見できた」という 変な自信から、まるで深刻に考えていませんでした。 というか、たばこ好き、酒好き、平均睡眠時間5時間。血圧超高め(勤務先の春季の検…
2015年8月18日(火)、いつもの床屋さんで、顔をあたってもらっているとき、 右目の下にカミソリが当たった瞬間、「ピリッ」という感触がありました。 直感的に「なんか変。」と思いました。 帰宅して晩御飯を食べつつ、テレビを見ているとき、 「右手が変。」…いえ、「変」としか言えないのです。 丁度その晩見ていたテレビの内容「脳梗塞の前兆」に なんか、二つとも合致するのです。 林先生の番組だったかな。 翌朝、出勤時、ウチを出て5分ほど後、 対向車が二台に見えたのです。 でも、すれ違うと、一台でした。 職場で、ネットを漁りまくりました(こら!仕事せいよ)。 「脳梗塞の前兆」。 対向車が二台に見えたのが…
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