誰かに救ってもらうのではなくて、 本当は自らが自らを救える教えがちゃんとしてあるのです。 自分自身が自分自身で救う道。本当に人を救う力があります。 互いに手をとり合って進んでゆける、ご縁となりますように。。
2020年11月
第18回 オンライン禅会のご案内 (2020. 12. 9)
第18回 オンライン禅会 「Zoom」を通し、井上哲玄老師と参加者の禅会です。御老師とじっくりと対話して頂けますよう、限定10名の少人数の場となっております…
手放しで、このままで大丈夫と自覚が出来たのが悟り。修行の出発点に初めて立ったのです。それまでは、本当には、どうあったらよいのかがはっきりしていないということで…
徹するということは、どういうことかといいますと、自分も、ものも何もかも本当になくなってしまう様子があります。そこまで、本当に落ちてしまうと初めて納得がゆく。 …
どんなことでもその真只中では、それを知る人がいない。人の見解が死に切っているものです。 ▼103頁 ● 互いに手をとり合って進んでゆける、ご縁となり…
道は、眺めたり、理解するものではない。自ら歩むもの。日常生活を「坐禅の心境で...」など余分なこと。 ▼103頁 ● 互いに手をとり合って進んでゆけ…
仏道は、今の事実を大事にさせる。脚下照顧とは、今の己の在り方、今の事実に眼をつけてゆくことである。 ▼96頁 ● 互いに手をとり合って進んでゆける、…
釈迦が脱落された時に始めて仏法は生まれたんです。 ▼96頁 ● 互いに手をとり合って進んでゆける、ご縁となりますように。。
六感の作用そのままに、一切の探りをみな捨てて、ただ生(なま)で、その時、その時に、ブッ、ブッ、ポッ、ポッと、その時、その時、ただそのことでやってごらんなさい。…
どちらを大事にするか、事実か、記憶か。体験したことを大事に取っておきたがる。今の事実よりも皆大事にして生きている。 ▼93頁 ● 互いに手をとり合っ…
三世心不可得。当(あて)にならんものを、当にならないものが当にならないと本当に知って手放してしまえば、それで確実に頼りなる。実体らしいものは何もない。 ▼9…
人間の知覚とか、認識とかが間に差しはさまるものですから、そのために真実というものを分断するのです。 ▼93頁 ● 互いに手をとり合って進んでゆける、ご…
今の事実を、自分で知って生活しておる人は一人もありません。仏道とか、禅とか、修行とか、いう幻影が全くない今の各自。 ▼90頁 ● 互いに手をとり合っ…
迷うたいうたって、悟ったいうたって、このもの(自己)の働きなんです。別に変わりはないんです。それほどいつも、迷いようも、悟るようもない程、みな、きちんとしてい…
眼に対するもの、耳に対するもの、これが大道としての活動体です。菩提というても、煩悩というても、そのものの態度いかんによって、しばらく煩悩といい、菩提といわれる…
現成の見聞覚知は、これ法なり。 ▼86頁 ● 互いに手をとり合って進んでゆける、ご縁となりますように。。
修行ということは、すべて、どんな条件でも、人間の持ち合わせの世界というものを全部手放すということです。それが行を究めることです。 ▼83頁 ● 互い…
第17回 オンライン禅会のご案内 (2020. 11.25)
第17回 オンライン禅会 「Zoom」を通し、井上哲玄老師と参加者の禅会です。御老師とじっくりと対話して頂けますよう、限定10名の少人数の場となっております…
2020年11月
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