誰かに救ってもらうのではなくて、 本当は自らが自らを救える教えがちゃんとしてあるのです。 自分自身が自分自身で救う道。本当に人を救う力があります。 互いに手をとり合って進んでゆける、ご縁となりますように。。
「奈(な)すことも おもうこともなき この我を 山の案山子(かかし)もさぞ笑ふらん」 老師遷化前、「遺偈」とともに渡されたものです。 ☆ここより、老師…
我慢ではなく、腹の立たない人になる。我慢は心身を労す。我慢ではなく、腹の立たない人になるのは、坐禅をその第一となす。▼25頁☆ここより、老師に直接参じてくださ…
もう一つの今がなかったら、終わりです。成仏です。成仏しない限り、不足が出て来る。▼23頁☆ここより、老師に直接参じてくだされば、幸いです。 互いに手をとり…
「オーイ」この一声、この一声をいろいろに人が感ずるということ自体が嘘なのです。「オーイ」この一声が、全人類が救われている証拠です。 ☆ここより、老師に直接参じ…
聞こえたこと、見えたものを探るのではない。今の事実は、対象というものを、みな切断している。 ☆ここより、老師に直接参じてくだされば、幸いです。 互いに手…
人の言葉を正しく、そのまま聞く。探らない。裏を読まない。追わない。言葉通りに聞ける人になればよい。五感の働きに学ぶべし。☆ここより、老師に直接参じてくだされば…
本当のことを知りたい。もっと、本当の在り方があるのでは、と。まだ、今のほかに何か本当のことがあるような気がする。貧りが止まない。その炎が消えたら成仏です。 …
ビデオ会議ツール「Zoom」を使って、井上哲玄老師と参加者10名で行う2時間の禅会が下記の通り開催されます。 第2回 オンライン禅会 ●日 時 : 202…
善し悪しの思いがあると、ものごとを正しく見ることが出来ない。事実には、人の見解は一切ついていない。
人間の見解がある限り信じられんのです。疑ったって、あるんです。疑ったってあるほど確かなんだから、それだから、思い切って、考え方を手放しさえすれば、必ず徹するん…
考え方の生活と、考え方で真実を見ている生活と、考え方ではない事実の生活とが、同じ”今”の中にある。
仏教というのは教えじゃなくて、自分の在り方をそのまゝ知る道です。
参禅とは師に参ずるということではない。自己に参ずるということ。「唯暫(しばら)く吾我を忘れて潜(ひそか)に修す、乃(すなわ)ち菩提心の親しきなり」▼21頁
本当の自分を知ろうと思いましたら、今の動きがある。その動きのまんま、手つかずでいいんです。なぜかというたら、全身あげてその通りに、そういう活動をしているからで…
同居している迷いと悟り。どちらを取るか。それは、あなた自身。▼21頁
欲望を絶ちたいということ自体が人間の大きな欲望です。▼14頁
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