東京の片隅に生息する野良ネコ音吉(おときち)がお気に入りの音楽を紹介するブログです。音吉は入れ食いネコなので、ジャンルはクラシックからJ-POPまでハチャメチャです (^^;;;
音楽ならほとんどのジャンルを聴きカジるジイさんです。聴かない音楽っていったら… む~思い浮かばないですねぇ! そんなジイさんが気に入った音楽はバッハからずとまよまで何でもピックアップしていきますぞなもし。
バブルガム・ポップ(Bubblegum pop)というポップスのジャンルをご存知でしょうか? 時は1960年代。10代の子たちをターゲットにしたポップスで、明るく分かりやすいメロディと歌詞が特徴です。 「ポップスって若者が聴くものなのに何でわざわざバブルガムなんていうの?」 という疑問をもった方もいらっしゃるでしょう。たしかに今時の感覚ではそうなんですが、当時はまだレコードを買う財力のある大人向けのポップスが主流でした。ビートルズが世界中の若者に対して強烈にアピールしたのもそのためでしたが、同じようにバブルガムもその後のポップスの潮流を劇的に変える立役者であったといえるでしょう。 そんなバブル…
少年時代の音吉が聴いていたのは、もちろんクラシックだけではありません。生まれつき好奇心が強かったので、入れ食いの本領は覚えていない頃から発揮していたようです。もっとも天邪鬼が災いして、日本のフォークソングや歌謡曲は食わず嫌いでほとんど聴いていませんでしたが。 クラシックは父がお師匠でしたが、洋楽のポップスについては従兄弟たちが情報源で、持っていたレコードをガンガン聴かせてくれました。まだ小学校にあがる前からビートルズやモンキーズ、ウィルソン・ピケットやジャクソン5、ジョーン・バエズやジャニス・ジョプリンなどなど、挙げたらキリがないほどたくさんの洋楽が聴き放題の環境がありました。 今回取り上げる…
プレトリウスの記事で書いた父のレコード全集の中で、ひときわ音吉少年を魅了した作曲家がいました。ギヨーム・ド・マショー(Guillaume de Machaut, 1300[?] - 1377)です。 ギヨーム・ド・マショーは14世紀の西欧を代表する作曲家にして詩人です。シャンパーニュの貴族マショー家に生まれ、聖職者としての経歴を経た後にランス・ノートルダム大聖堂の要職に就き、フランス各地のパトロンに仕えて生涯を過ごしました。 当時の西欧は、先の世紀に十字軍が事実上の失敗に終わって教皇のアヴィニョン捕囚にみられるような教会分裂が発生し、百年戦争も勃発するなど、教会や封建領主、騎士階級を軸とした中…
音吉少年は、高校生になって民族音楽にのめり込むことになるんですが、そのきっかけになった音楽との出会いが小学4年生の頃にありました。 音吉の父が揃えていたドイツ・グラモフォンのレコード全集(中世からバロックまでだったと記憶しています)があったんですが、音吉はその中に愛らしく楽しい音楽をみつけたんです。分かりやすいメロディだったので、聴くだけでは飽き足らず、レコードに合わせてリコーダーを吹いて楽しんでいました。それまで音吉が知っていた、まるで自分たちが世界の頂点に立っているかのように振舞う西欧の音楽とは違う何かを感じながら。 音楽の名は『テルプシコーレ(舞曲集、Terpsichore)』。ドイツの…
音吉少年は、どうしてかドイツ語圏の作曲家とは相性が悪かったようで、とくにベートーベンにはほとんど関心がありませんでした。というか好きじゃなかった。何なんだろうなぁ、心が共振しないんです。あ、『ロマンス第2番ヘ長調作品50』は好きでしたが。 もちろん例外もあって、シューマンとブラームスは大好きでした。シューマンは大好き一番手だったショパンに引っ張られて聴いていたような気がするんですが、ブラームスはしがらみなし(クララ・シューマンに片思いしていたのを知ったのは中学生になってからでした)で好きでした。 そのきっかけになったのが『ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15』で、ピアノはヴィルヘルム・バックハウス…
音吉少年は、他の少年たちと同じく好奇心が抑えられないタチで、「ダメ」と言われれば、ついその禁を犯すことになってしまうのでした。 レコードにしてもそうで、演奏家や作曲者とは無関係に盤自体に特徴があると、それが何か特別な宝物であるかのように思えてくるのです。 「これは大切なレコードだから自分で勝手に聴いちゃダメだよ」 と厳命されていたのに、父の不在中にこっそり書斎からレコードを持ち出しては自室のポータブルプレイヤーで聴いていたものが何枚かありました。 そのうちの一枚がアルベルト・シュヴァイツァーの演奏するバッハのオルガン小曲集でした。このレコードは盤面が赤く、若干ですが少し透けていて、初めて見た途…
前回に続き、音吉の父の愛蔵盤で、よく聴かせてもらったレコードの中から、マルカントワーヌ・シャルパンティエ(Marc-Antoine Charpentier, 1643 - 1704)の『聖週間のルソン・ド・テネーブル』を取り上げたいと思います。 シャルパンティエの曲で一般に知られているのはEBU(欧州放送連合)のテーマに採用された『テ・デウム(Te Deum)』だと思います。青年時代にローマに留学していたせいなんでしょうか、ティンパニーとトランペットが耳に残る華やかな曲で、まるで同時代のリュリみたいすよね。リュリと仲違いした後のモリエールと一緒に仕事をしたりもしていますから、実際にリュリとは何…
ピエール・モントゥー(Pierre Monteux, 1875 - 1964)は、前世紀を代表するフランス人の指揮者です。若い頃にディアギレフのロシア・バレエ団に所属してタクトを振ったことから、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』やストラヴィンスキーの『春の祭典』『ペトルーシュカ』といった名曲の初演を数々こなした「歴史的」な指揮者でした。 ディアギレフの下を去り渡米した後も、メトロポリタン歌劇場の指揮者を経てアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、ボストン交響楽団、パリ交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、ロンドン交響楽団などの常任・主席指揮者を歴任し、後進の指導にも熱心にあたるなど、モントゥーは生…
音吉の父は何でもかんでも息子にレコードを分け与えてくれたわけではありません。当たり前ですよね、中には盤自体が貴重なものもあれば本当に惚れ込んだ演奏家のものがあるんですから。それに音吉はまだ子供でしたからレコードの扱いは乱暴で、下手をすれば大事なレコードに損傷を与えかねませんでしたし。事実、音吉のせいで針飛びを起こすレコードが後を絶たず。本来なら相当なお叱りを覚悟しなきゃならないんですが、なぜか父にそのことで叱られた記憶がありません。 音吉がねだってもくれなかったレコードの一枚に、フランスのオルガニスト、ジャンヌ・ドゥメッシュー(Jeanne Marie-Madeleine Demessieux…
音吉は生まれもっての天邪鬼。 「バッハといったら『トッカータとフーガニ短調』と『G線上のアリア』でしょう!』 なんて言われると、 「ケっ」 とか言って耳を塞いじゃうようなところがありました。たぶん方々で耳に飛び込んできて飽きちゃったんでしょうね。 そんな音吉の目に止まったシングル盤がありました。ヘルマ・エルスナー(Helma Elsner, 1927 - 2000)の演奏する『半音階的幻想曲とフーガニ短調 BWV903』です。演奏時間が10分を超える大作で、とてもシングル盤では収録できない作品なんですが、曲が「幻想曲」と「フーガ」の二部構成になっているのをいいことに一曲をA面とB面に分割すると…
ワンダ・ランドフスカのドーナツ盤の次に音吉の餌食になった父のレコードは2枚。いずれも25センチ盤(10インチ盤)で、最初はサイズが物珍しくて手を出したのだと思います。小学1年生の時でした。ランドフスカのレコードとの間には1年半ほどのブランクがありますが、実はその間はソノシートに夢中になっていたんです。そのシートについては別の機会に詳しく書きますね。 話を戻しますが、父から簒奪した2枚のレコードのうちの1枚は1952年に結成されたイ・ムジチ合奏団の演奏するヴィヴァルディの『四季』でした。記憶が曖昧なんですがステレオ盤だった記憶があるので、おそらくはフェリックス・アーヨを加えた1959年盤であった…
はじめまして! 野良ネコ音吉(おときち)です。 僕は音楽が大好きです。父が大の音楽好きで、貧乏な家庭なのにレコードだけは山のようにあったせいでしょうか。幼稚園児の時分には音楽の虜になっていました。 初めて大人の手を借りずに針を落とした(懐かしい表現でしょう?)のはワンダ・ランドフスカのレコード。A面に「トルコ行進曲」、B面に「調子のよい鍛冶屋」の入った45回転のドーナツ盤でした。 フツーにレコードといって思い浮かぶのは直径30センチのLP(Long Play)盤で、中心にターンテーブルにレコードを固定するための穴が開いているものだと思いますが、ドーナツ盤はその穴が大きく、見た目にドーナツのよう…
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