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三河の指定されない文化財 https://mikawa.site/

三河地方の知られざれる歴史を紹介していきます。 歴史、姫街道、木造建築

有名、無名の人間の行動の総体として歴史が作られていく。歴史はお寺の過去帳のように死んだ人の名前を羅列したものではない。我々が「未来をいかに生きるか」ということを学ぶすぐれた道具なのである。

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2020/05/07

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  • 豊川のボランティアガイドで活用できる国分尼寺の簡単ガイド:英訳を含む観光情報記事

    未分類 三河の歴史を見つめなおす 2024年5月5日 英語 天平の里 国府跡 歴史 史跡 文化財 豊かな自然 文化 歴史的建造物 地域資源 豊かな田園風景 地域の伝統 地域振興 伝統工芸 地域特産品 文化イベント 文化祭 地域の食文化 町おこし

  • 続・持統上皇の三河国行幸の足跡 古代の地理から

    前回、「持統上皇の三河国行幸の足跡」と題して万葉集の中から行幸に付き従った歌人たちが三河の国で詠った歌を取り出して歌われた場所をさぐった。「続日本紀」にある大宝2年の持統上皇の三河国行幸の記述には帰路に立ち寄った尾張、美 […]

  • 持統上皇の三河国行幸の足跡

    はじめに 私は豊川市にある国分尼寺跡史跡公園にある「三河天平の里資料館」でボランティアガイドをしています。先日岡崎市の「万葉の会」のグループの皆さんが国分尼寺の史跡見学に来られました。これまでは万葉集について特に興味を持 […]

  • イスラエル旅行(正確には仕事)で買ったお土産の思い出

    数年前にイスラエルに訪れた際に購入したお土産とを紹介します。一般的なお土産として見られるお皿を一枚と青色が特徴的なお椀。現地の工芸士が手縫いで作成したクロスなど、おすすめのお土産を紹介します。また、私がぼったくられた経験を参考に買い物を楽しんでほしいです。

  • 二宮金次郎像の書籍が出版されます:三河の金次郎像全調査

    二宮金次郎、尊徳の立派な人生の話ではありません 矢作川の源流から渥美半島の先端まで、二宮金次郎像を求めて三河地方を尋ね歩くこと10年。三河の金次郎像についてほぼすべてのデータがそろいました。 文献、資料も渉猟して金次郎像 […]

    地域タグ:愛知県

  • 切り絵展のお知らせ・愛知県豊川市国府町

    愛知県豊川市国府町のカフェ・ギャラリー栄知村にて 切り絵展が開催されます。自然の風景を中心に、様々なテーマの切り絵が展示されます。 (入場無料ですが、カフェエリアでドリンク一杯の注文をお願いします)ご興味がある方は、期間 […]

  • 中国の古代の切り絵についての文献

    (1)前1世紀ころ書かれた司馬遷の「史記」に、周代初期の成王(前10世紀ころか)が弟に梧桐の葉を玉圭(諸侯の地位の印)の形に切って贈り、唐国(山西省西部)の領地を与えると言った。という記事がある。紙はこの千年ほど後の後漢 […]

  • 日本の切り絵・切り紙の歴史

    はじめに 日本で切り絵が注目されたのはこの半世紀ほどのことですが、まだ芸術のジャンルとしては十分確立されていません。昨年私がT市の市民芸術展に切り絵の作品の出展を申し込んだところ、絵画の部門には洋画、日本画、デザインの3 […]

  • 東海道五十三次:豊川市

    愛知県豊川市には、東海道五十三次のうち35番目の御油、36番目の赤坂、二つの宿場が存在しています。 二つの宿場に関して知りたい場合には、それぞれの資料館・資料室を訪れるのが良いでしょう。 35番目:御油 御油の松並木資料館 https://www.city.toyokawa.lg

  • その他の国々の切り絵

    今回は、メキシコ、アジアを中心に各国の切り絵を紹介する。 メキシコ お祭りの際、様々な色の薄い紙で作った切り絵を紐でつるして飾るものがある。大きさといい、飾り方といい、日本の神楽を舞う時の舞台に注連縄のようにめぐらす切り絵とそっくりである。(宮崎県の高千穂神楽、愛知県奥三河地方の花祭り、岩手県平泉毛越寺の延年などにみら

  • ヨーロッパの切り絵

    世界中で切り絵は楽しまれている。今回はヨーロッパの様々な切り絵(「ビチナンカ」・ポーランド、アンデルセン、デンマーク、ゲーテの切り絵)を紹介する。 「ビチナンカ」・ポーランドの切り絵

  • 切り絵の世界・入門編

    切り絵は新しい美術ジャンルであるが、独特の個性があり人気も高い。基本形ははさみかカッターナイフで紙を切り抜いたもので、白と黒のシンプルな色とデザインのものから多彩な色彩を使い複雑なデザインを見せる作品まで多様な表現がある。中国には1500年前に切り絵が作られていたという記録があり、唐の詩人、杜甫は、「暖湯はわが足をすす

  • 古地図を読む③:山の地図「飯田・陸地測量部」明治44年改版

    登山家が使う特別な地図がある。山の斜面に緑の濃淡で色付けがしてあり、尾根や谷の様子が一目でわかるようになっている。リアルな山筋は航空写真を見ているようで、しかも立体感がある。これとは少し違うが明治時代の地図では山の斜面を刷毛目の筋の濃淡で描いて立体的に表現する技法が使われていた。科学的に言えば現在の等高線の表示方が正確

  • 古地図を読む②:京図名所鑑(安永7年)

    幕末の京都地図である。このような地図は今でも色々作られている。ただこの地図には今ではありえないことが載っている。町はずれの場所に被差別民の居住地表示がある。江戸時代には士農工商の身分のほかに、それ以下の身分としてエタ(穢多)、ヒニン(非人)があった。これらの文字は漢字変換ですぐに出ない。ナルホド。さて明治時代になって四

  • 古地図を読む①

    地図は科学知識に基づいて作成されるが、同時に作成された時代の社会状況も映し出す。古地図は作成当初の地理的必要性を失った今でも様々な情報を教えてくれる。 大日本道中工程細見記大全 (文化六年)

  • 見附(磐田市・見付)/姫街道の歴史:1998年の姫街道ガイドブック

    奈良時代に遠江国の国府が置かれた古い歴史をもつ町。東海道は見附宿の西はずれで折れ、現在の磐田駅前まで大きく南へ曲がり蛇行していた。これは中泉にあった代官所が旅人を監視しやすいようにそうしたのだともいわれる。旅人には禁止されていたが、見附宿の西からまっすぐに西へ向かって池田の渡しで東海道に合流する道があった。これを姫街

  • 市野ルート (三方原追分一安間)/姫街道の歴史:1998年の姫街道ガイドブック

    追分・一里塚 江戸より66里目、安間より2里目。 現在は南側の塚のみ。 古墳 (三方原学園内) 千塚古墳 (円墳) とひょうたん塚古墳 (前方後円墳) がある。 道標 (浜松市有玉西町) 三方原台地の東端の宇藤坂の上に建てられている。「右きが かなさし 左

  • 三方原(気賀の東一浜松北部)/姫街道の歴史:1998年の姫街道ガイドブック

    気賀~浜松の間はバスの本数が多く便利である。 渡船場 落合川(都田川)は渡船で渡った。川の西側は気賀村で近藤家領地、東側は刑部村で浜松領。現在は落合橋がかかっている。川の東には本坂道と秋葉山道の分岐点があり、ここにあったと思われる「左あきは山道」と自然石に彫られた道標が都田川の200m上流東岸にある。また落合橋の西た

  • 西気賀・気賀/姫街道の歴史:1998年の姫街道ガイドブック

    西気賀 西気賀駅 天竜浜名湖鉄道のユニーク駅の 1つ。駅舎跡がフランス料理店になっている。 地蔵・塞の神 小引佐から岩根に下りる道有にある。 小引佐 姫街道の中で最も景色のよい所として有名。興浜名湖、寒山寺、東名浜名湖橋がよく見える。 久姫街道歌碑 街道の北、山側にある。 道祖神と馬頭観音

  • 引佐峠/姫街道の歴史:1998年の姫街道ガイドブック

    黒坂の森 「六部の森] ともいわれる。明和4 年この辺りで行き側れことなって死んだ円心という巡礼の墓がある。道沿いに水準点がある。 大谷・一里塚 引佐峠の西麓にある。江戸より70里目。現在は塚はなく、記念碑が建てられている。 石投げ岩 旅人が峠を上り降りする際、石を投げ岩に乗ると無事峠えができるといわれた。 象鳴き峠

  • 三ケ日町内/姫街道の歴史:1998年の姫街道ガイドブック

    本坂峠の静岡県側は山の斜面がみかん畑で埋まっている。有名な三ケ日ミカンは享保のころ山田弥太夫(三ヶ日みかんの祖)が西国巡礼の旅に出て紀州の小みかんを持ち帰ったのが始まりという。その後、天保年間に加藤権兵衛が三河国から温州みかんの苗木を求めて三ヶ日町平山に植え、現在の隆盛となった。 町内には三ヶ日原人の見つかった只木遺

  • 静岡県 本坂 /姫街道の歴史:1998年の姫街道ガイドブック

    本坂はハイキングコースとして残っており、人ひとり歩けるような峠道となっている。春先になると椿が咲き、別世界のようである。椿の花を踏みしめながら歩くのは格別である。 本坂峠の茶屋跡 幕末から明治にかけて峠の南側に茶屋があったようだが、今は跡形もない。 椿の原生林 峠の東約 500mの所。 鏡岩

  • 豊橋市内/姫街道の歴史:1998年の姫街道ガイドブック

    豊橋市内 豊川(とよがわ)を越えると豊橋市である。豊橋駅から「和田の辻」までのバスの便はいいが、それ以遠は本数が少ない。嵩山(すせ)行きは昼間では 1~ 2時間に 1本しか無いので注意が必要。和田辻から東は交通量が少なく 田園地帯なので歩くのに適している。 牟呂用水

  • 豊川市街 /姫街道の歴史:1998年の姫街道ガイドブック

    姫街道は豊川市では町の中心部を横断している主要道で、交通量が多く市街地では昔の面影があまり残っていない。国府一豊川間は名鉄豊川線が近くを走っているので便利である。 諏訪神社 かつて神祉の西隣に江戸から七十六里の「諏訪の一里塚」 があったが今は跡形もない。現在本宮山遥拝所の標柱がある。 豊川海軍工廠跡

  • くらしの博物館:新城市公認の小さな博物館

    新城まちなか博物館というものをご存じだろうか?新城市が、伝統と歴史を継承することを目的とした展示場を指定するという取り組みであり、2020年5月9日現在、16館が指定されている。その中の一つ、くらしの博物館の館主にお話を聞く機会があったので紹介する。 くらしの博物館へのアクセス

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