あけましておめでとうございます。ymtetcです。 前回の記事にあたたかいコメントをいただきました皆様、ありがとうございました。 今年は少しずつでも、ブログを更新していきます。 さて、今日のテーマは、『ヤマト3199』第二章の後味です。正直、ハッピーエンドとは言い難いもので、後味悪く感じた人も、いらっしゃったかもしれません。 ただ、ハッピーエンドではないにせよ、私はどこか”後味がいい”と感じました。 今日は、その理由を考えていきます。
こんにちは。ymtetcです。 前回の記事では、『ヤマト』音楽について考えました。今回はメカニックデザインについて考えます。
こんにちは。ymtetcです。 「ヤマト音楽」については、私の中で少し矛盾した思いがあります。 先日「交響組曲」の話をしましたが、やはり音楽こそ、私と『ヤマト』を再び結び付けてくれた存在であり、『ヤマト』が”絶対に変えてはいけないもの”の一つだと思います。 しかしその一方で、『ヤマト』に「ヤマト音楽」以外の音楽を掛け合わせたとき、そこにギャップと魅力を感じてしまう私もいるのです。先日、Twitterで紹介されていた『2205』のMAD動画でも感じましたし、古くは00年代YouTubeの「戦士よ、起ちあがれ!」や「GONG」にも感じていたことです。これらの動画を思うとき、私はどこか、「新しいヤマ…
こんにちは。ymtetcです。 前回の記事で「『ヤマト』のこれからは前途多難」と書きました。今日は一つの結論として、ヤマト世代を中心とするヤマトファンが、今何ができるのか、何をすべきなのかについて、考えていきます。 〇『ヤマト』を完結させること 〇「未完」の多い『ヤマト』 〇再評価の土壌を整える
「親子で楽しめる作品」のメリット:『宇宙戦艦ヤマト』の行く道
こんにちは。ymtetcです。 今日は前回から引き続き、「親子で楽しめる『ヤマト』」について考えていきたいと思います。 〇転機となった『復活篇』 〇親子で「懐かしい」と思える作品 〇理想は『仮面ライダー』?
こんにちは。ymtetcです。 前回「お仕事もの」としての『宇宙戦艦ヤマト』について言及したところ、社会人になってから旧作を観ると、そうした側面が好きになる、とのコメントをいただきました。 なるほど、と思うと同時に、あるいは、それは子どもにとっても同じかもしれない、と思いました。今日は、そのことについて考えます。 私が子どもの頃好きだったシーンに、古代たちがヤマト艦内を案内されるシーンと、タイタンで採掘作業を行うシーンがありました。そして、「ヤマトごっこ」をする時の私は、決まって第一艦橋の通信士役をやろうとしていました。 そこにあるのは、子どもの抱く「ヤマトでのお仕事」への憧れです。 ここで思…
こんにちは。ymtetcです。 前回の記事で、幼少の私にとって『999』と『ヤマト』の違いは、「鉄道か、戦艦か」程度の違いしかなかった、というお話をしました。主題歌も同じ人ですし、絵柄もよく似ていますから、無理もありません。 しかし、今現在の私から見ても、この両作品には共通する魅力があるとも思います。 今日は、これについて考えていきます。
こんにちは。ymtetcです。 ここ最近、『ヤマト』を次世代に引き継ぐ方法について考えてきました。そのなかで先日、コメント欄において「ymtetcが『宇宙戦艦ヤマト』を観るようになった理由」も参考になるのではないか、と指摘をいただきました。 〇子供向けアニメの一つだった『宇宙戦艦ヤマト』 〇『宇宙戦艦ヤマト』の特殊性 〇『999』との相乗効果 〇友人との遊び 〇いろいろなヒントになりそう 今日は、それについて書いていきたいと思います。
こんにちは。ymtetcです。 コメントで「西崎義展」さんを核とする現代ヤマトの構図そのものに問題がある、との指摘がありました。 私自身、例の裁判に対する知識はWikipedia、5ch、個人サイトくらいの知識しかありませんが、それ故か、西崎さんを原作者とすることにあまり違和感はありません。 ただ、思い返すのは、『ヤマト』は「松本零士アニメ」との分類のもとで生き残ってきた側面があることです。 つまり、『999』と同じジャンルに組み込まれることで、『ヤマト』は一定程度の知名度を保っていた側面がありました。 今日は、そのことについて考えます。
こんにちは。ymtetcです。 『宇宙戦艦ヤマト』を次世代に引き継ぐのは、かなり不可能に近いことが分かってきました。例えば『シン・ゴジラ』は広範にわたるヒットを記録しましたが、それが『ゴジラ』シリーズの次世代への継承に繋がっているかといえば、そうではありません。むしろシリーズの異端児として位置づけられている感さえあります。 そのなかで、『ヤマト』を次世代に引き継ぐことを可能にするには、やや強引な方法が必要ではないかと考えます。今日は、それについて書いていきます。
一昨日、昨日とブログを休んでいたためです。 すみません。 また明日からがんばります。
こんにちは。ymtetcです。 ここ最近は『宇宙戦艦ヤマト』を現代社会に生かす方法を考えています。 今日も、それについて考えましょう。
こんにちは。ymtetcです。 ここ数日「『宇宙戦艦ヤマト』は社会の中で生きていない」という話をしていますが、この十数年では、『ヤマト』が社会のなかで生きていた時期もありました。それが09年の『復活篇』、10年の実写版、13年の『2199』テレビ放送です。 今日は、これについて考えます。
こんにちは。ymtetcです。 私自身の感覚でしかありませんが、『ガンダム』シリーズは市民権を得ているのに『ヤマト』シリーズは得ていないように感じています。言い換えれば、『ガンダム』は社会のなかで生きているが、『ヤマト』は社会のなかで生きていないように思えるのです。 今日は、この問題について考えます。 これも私自身の体験ですが、私の生きてきた社会のなかでは、「『ガンダム』が好き」は普通でした。それに対して、「『ヤマト』が好き」は極めて珍しかったと言えます。 例えば、『ガンダム』好きは理由を説明しなくてもよいのですが、『ヤマト』好きはその理由を説明しなければならないのです。 さて、この違いはどこ…
こんにちは。ymtetcです。 『宇宙戦艦ヤマト』はしばしば「不朽の名作」と言われます。しかし、その表現にはどうにも違和感をおぼえてきました。今日は、この私の違和感について考えていきます。
こんにちは。ymtetcです。 「ヤマトが誰かを救う」姿を描くのは『ヤマト』の前提になるのではないでしょうか。思えば『スターブレイザーズΛ』も「ヤマト」が皆を救うラストでした。 「誰かを救う」ことでヤマトは主役になると言えます。 一方福井さんは、それだけでは「ショー」になってしまうと語ります。 第一作目を起源とするテーマ性は失われ、『さらば~』までの切実な空気感も消え去って、「新たな侵略者に立ち向かうヒーローとしてのヤマトを大スケールで描く」”ショー”のみがそこにある。これをそのままリメイクすることは、すなわち敗北の歴史をなぞる結果になりません。 (『2205 全記録集』140頁) 「テーマ性…
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あけましておめでとうございます。ymtetcです。 前回の記事にあたたかいコメントをいただきました皆様、ありがとうございました。 今年は少しずつでも、ブログを更新していきます。 さて、今日のテーマは、『ヤマト3199』第二章の後味です。正直、ハッピーエンドとは言い難いもので、後味悪く感じた人も、いらっしゃったかもしれません。 ただ、ハッピーエンドではないにせよ、私はどこか”後味がいい”と感じました。 今日は、その理由を考えていきます。
お久しぶりです。ymtetcです。 長らく行方不明となっており、申し訳ありません。 2024年のymtetcに起きた変化を列挙すれば、それだけでエッセイブログが書けてしまいそうですが、それは皆さま、興味がないと思いますので……。 ともあれ、『3199』第一章は劇場公開期間の終わりごろに滑り込むのがやっと、第二章にいたっては、劇場での鑑賞はかなわず、公開期間終了後の今になって、デジタルセルで鑑賞。それだけの変化が起きた、とだけ、書いておきます。「『宇宙戦艦ヤマト』はライフワーク」と考えていた大学生の頃が、何もかも皆懐かしい。 さて、本日はymtetcが、『ヤマト3199』第二章までを観てどう感じ…
こんにちは。ymtetcです。 この数日、『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの主題歌に向き合ってきましたが、ふと、たくさんの主題歌に共通して出現するモチーフがあることに気づきました。 今日は、『ヤマト』主題歌に共通して出現するモチーフから、『ヤマト』シリーズが志向してきた「平和」について探っていきます。 〇みんなで微笑むときが 復活のとき 〇「豊かな自然」「人々の微笑み」と「優しい歌」 〇『ヤマト』ソングが語る「平和」
こんにちは。ymtetcです。 前回、THE ALFEE「この愛を捧げて」の歌詞を旧『ヤマト』作品に引き寄せて分析しましたが、今回はポスト・西﨑義展時代のヤマトソングの代表格、畑亜貴さんの作詞による「星が永遠を照らしてる」「美しい地球を知る者よ」を取り上げていきます。 この二曲は、それぞれ『宇宙戦艦ヤマト2199』第一章・第二章のエンディング主題歌として歌われました。畑亜貴さんは『宇宙戦艦ヤマト』ファンおよび「ささきいさお」ファンであることを公言されており、その作品への理解度は、後の『2199』『2202』『2205』主題歌を見ても群を抜いていると思います。 今日は「星が永遠を照らしてる」「美…
こんにちは。ymtetcです。 『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』主題歌であったTHE ALFEE「この愛を捧げて」は、作詞の高見沢俊彦さんが『さらば宇宙戦艦ヤマト』ファンであったこともあり、『さらば宇宙戦艦ヤマト』、および主題歌「ヤマトより愛を込めて」へのオマージュに満ちています。 もちろん、高見沢さんが意識的にオマージュしているのは『さらば宇宙戦艦ヤマト』と「ヤマトより愛をこめて」のみでしょう。しかし、それに加えて、「この愛を捧げて」は、『さらば』の魂を継承したがゆえに(また、西﨑義展さんのチェックを通過したがゆえに)、すべての旧『ヤマト』の精神を継承した歌詞になったと私は考えます。 今日は私なり…
こんにちは。ymtetcです。 『宇宙戦艦ヤマト』は、面白いほどに「完結」できません。 その背景には、強固な既存ファンという商業的な理由もありますが、思想的な面でも「完結」できない理由があると考えます。 今日は、旧『ヤマト』のイメージソングである「ヤマト10年の賦」の歌詞に注目して、『宇宙戦艦ヤマト』が「完結」できない理由を探ります。 〇「ヤマト10年の賦」が語る『ヤマト』の最終目的地 〇実現不可能に近い「ヤマト10年の賦」 〇福井晴敏の語る「『ヤマト』の完結」 〇『さらば』という「永遠の航海」エンド 〇現実味を帯びる「永遠の航海」エンド
こんにちは。ymtetcです。 近頃「X(旧Twitter)」を見ていると、『ヤマト2202』のメカデザインに関して、一種の論争のようなものが繰り広げられている様子を時々目にします。 完結から5年が経ち、『2202』の反省に立つ続編『2205』の公開さえも久しい現在、なぜ何度も何度も『2202』メカデザイン論争は再燃してしまうのか。 今日は、その背景の一端を考えたいと思います。 ①旧作の世界観に沿わない『ヤマト2202』メカ ②一部のファンが傷ついた『ヤマト2202』体験 ③世間に溢れる「世界観に沿ったメカデザイン」 ④”粘着”と感じる『2202』ファンの心理 ⑤エコーチェンバー現象
こんにちは。ymtetcです。 『ヤマト2199』には、ネットスラングで「お風呂回」「水着回」と言われるようなシーンがあります。私個人の経験から、『ヤマト2199』は、あのシーンがあることによって「家族の前で観られない(観づらい)」作品になったと考えます。 しかし当時は、これを擁護する意見もありました。
こんにちは。ymtetcです。 『ヤマト3199』を控えている2024年。上映館数はリメイクシリーズの「非劇場版」作品としては最多であり、ファン層拡大への期待も膨らむ…… と言いたいところですが、私はそうは思えないのが現状です。
こんにちは。ymtetcです。 『スターブレイザーズΛ』が先鞭をつけた『宇宙戦艦ヤマトNEXT』シリーズ。その後の音沙汰はありませんが、突然、何かがあるかもしれないのが『ヤマト』界隈です。 今日は、この『NEXT』シリーズの未来について考えたいと思います。 『スターブレイザーズΛ』は、先駆者としての意義は絶大ではありますが、これからのヤマトを考える上では、反省するべき点もある作品だと私は考えています。 というのも、振り返った時に、「これが『ヤマト』である必要はあるのか」との問いが、どうしても拭えない形になってしまったからです。『Λ』の縁あって読んだ『鉄腕アダム』がとても面白かっただけに、終盤は…
こんにちは。ymtetcです。 前回の記事では、『2202』ラストの「国民投票」は、『さらば』のラストで描かれた「古代進の死」が、その後の世界(現実世界を生きる観客)にどのような影響を与えたか?を問いかける「粋」なアイデアであった一方、『さらば』のラストの解釈を”福井晴敏”色に規定してしまう点で「無粋」なアイデアでもあったと述べました。 今日は、そんな『2202』が持っていた『さらば』へのリスペクトと、作品全体に流れていた『さらば』否定のお話です。
こんにちは。ymtetcです。 過日、『さらば宇宙戦艦ヤマト』を再見して気づいたのは、『2202』最終話の解釈です。 『さらば』ラストシーンに答えるという「粋」 『さらば』ラストシーンには、こんなテレサのセリフがあります。 あなたのおかげで人々は目覚め、より美しい地球と、宇宙のために働くことでしょう。 古代進の行動が、生き残った人々に「勇気と愛」を与え、人々は目覚める。テレサはそう語りかけ、古代を導きます。 ここで疑問として浮かぶのは、では実際に、古代と雪の死によって救われた地球人類は「目覚め」たのか?ということ。 さらにいえば、『さらば』という映画に感動した子どもたちは、あれから40年経って…
こんにちは。ymtetcです。 10年以上にわたって続いてきたリメイク・ヤマトには、多種多様な思い出があります。初めて『ヤマト』を地上波放送で観た『2199』テレビ版、受験期に繰り返し観た『方舟』、大学生活と共にあった『2202』、社会人として初のヤマトだった『時代』と『2205』。 しかし特別なのは、2012年4月に観た『宇宙戦艦ヤマト2199』第一話です。 あれは高校の入学式の日、ファミリー劇場でした。 『宇宙戦艦ヤマト』なのに「今っぽい」 「私のための『ヤマト』」
こんにちは。ymtetcです。 前回、『ヤマト2202』が「原作から改変している」との印象を与えたのは、『さらば』をテレビシリーズに拡張する段階で必要となる「エピソードの付け足し」において、『さらば』でも『2』でもないストーリーを追加したからだ、と述べました。 リメイクシリーズの『2199』『2202』では、いずれも原作にはない新しいストーリーが追加されています。ただ、両作の「付け足し」方法論には違いがあります。 歴史的権威のない『2202』と権威のある『2199』 『2202』と同じ状態に陥った『2199』第七章 『2199』批判の一因 新作エピソードにはリスクが伴う
こんにちは。ymtetcです。 『さらば』を原作とする『ヤマト2202』。 ですが、この作品を観て真っ先に「この作品は『さらば』をそのままリメイクしたものだね」と評する人は少ないのではないでしょうか。さらに言えば、多くの人が「この作品は『さらば』を大きく改変している」との印象を抱くのではないでしょうか。 この点は福井さんも気にしているようで、2020年には「『2202』のときは、序盤はともかく後半へ進むにつれ、どこに『さらば』や『ヤマト2』(の要素)があるんだ? っていう展開になっていきました」と述べています。福井さん自身、2016年時点では「基本は『さらば宇宙戦艦ヤマト』を原作として……(略…
こんにちは。ymtetcです。 前回の記事では、『さらば』クライマックスにおける古代進の言葉は、第一作『ヤマト』の第13話、そして第24話から連なるものだと述べました。『さらば』クライマックスの古代の胸にあるのは、「命の大事さ」を理解しようとしない「理不尽な暴力」に対する怒りと、「喪失」の悲しみです。 この怒りと悲しみを克服する手段として、古代は死を選び、自らの理想を全うしたのが、『さらば』のラストだったと言えそうです。 さて、『さらば』のリメイクとして構想された『ヤマト2202』も、概ね同じ手法で読み解くことができます。『ヤマト2202』の古代は、なぜ自ら死を選び、高次元空間から帰ってこよう…
こんにちは。ymtetcです。 前回の記事では、『宇宙戦艦ヤマト』第24話「死闘!神よ、ガミラスのために泣け!!」における古代進の語りは、「人間は互いに『命の大事さ』を知っているのだから、『愛し合うこと』をしなければならない」という趣旨であったと述べました。 この「命の大事さを知ること」=「愛を知ること」といった構図は、『宇宙戦艦ヤマト』から『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』に受け継がれ、『さらば』を原作とする『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』にも繋がっていきます。 その点においては、『さらば宇宙戦艦ヤマト』、そして『ヤマト2202』は、初代『宇宙戦艦ヤマト』のテーマ性を、(一部分に…
こんにちは。ymtetcです。 前回の記事では、『宇宙戦艦ヤマト』第13話「急げヤマト!! 地球は病んでいる!!」における、古代進の行動について考えました。 「理不尽な暴力」によって両親を奪われた古代進は、同じ「人間」でありながら、そのような行為に及んでいたガミラス人(の捕虜)に対して憤りをぶつけ、殺害しようとします。しかし、ガミラス人捕虜が一転して自決を図ると、古代は彼の「命の大事さを知らない」行動に憤り、「貴様も人間なら、命の大事さを知れ」と叱りつけます。 この一連のシーンは、後の第24話「死闘!神よ、ガミラスのために泣け!!」に繋がります。 「命の大事さ」を知っていても
こんにちは。ymtetcです。 『ヤマト』劇場版を観て、最初に観たくなったのが、『ヤマト』テレビシリーズ第13話「急げヤマト!! 地球は病んでいる!!」でした。漫画『はだしのゲン』をほうふつとさせる、戦時中の日本をモデルとした「古代進の幼少期」の描写が印象的な回ですね。 第13話は、かつて、10代や大学生だった頃の私には、少し理解の難しいシーンがありました。それが、一度は殺そうとしたガミラス人捕虜の自決を、古代進が阻止して、𠮟りつけた場面です。 「貴様も人間なら、命の大事さを知れーっ!」。 殺そうとした相手の自決を、古代進は、なぜ阻止したのか? 回想シーンで描かれたもの 「ガミラス人も同じ人間…
こんにちは。ymtetcです。 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』以降の「福井ヤマト」は、二つの移行期を持つと考えます。 『2199 星巡る方舟』 ⇒『2202 愛の戦士たち』 『2202 愛の戦士たち』⇒『ヤマトという時代』 「1」は出渕ヤマトから福井ヤマトへの時期、「2」は福井ヤマトから羽原さん・小林さんの『復活篇』スタッフが抜け、より福井さんの役割が大きくなった時期です。 参考資料 表で整理してみる わかること
こんにちは。ymtetcです。 この数日、『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの主題歌に向き合ってきましたが、ふと、たくさんの主題歌に共通して出現するモチーフがあることに気づきました。 今日は、『ヤマト』主題歌に共通して出現するモチーフから、『ヤマト』シリーズが志向してきた「平和」について探っていきます。 〇みんなで微笑むときが 復活のとき 〇「豊かな自然」「人々の微笑み」と「優しい歌」 〇『ヤマト』ソングが語る「平和」
こんにちは。ymtetcです。 前回、THE ALFEE「この愛を捧げて」の歌詞を旧『ヤマト』作品に引き寄せて分析しましたが、今回はポスト・西﨑義展時代のヤマトソングの代表格、畑亜貴さんの作詞による「星が永遠を照らしてる」「美しい地球を知る者よ」を取り上げていきます。 この二曲は、それぞれ『宇宙戦艦ヤマト2199』第一章・第二章のエンディング主題歌として歌われました。畑亜貴さんは『宇宙戦艦ヤマト』ファンおよび「ささきいさお」ファンであることを公言されており、その作品への理解度は、後の『2199』『2202』『2205』主題歌を見ても群を抜いていると思います。 今日は「星が永遠を照らしてる」「美…
こんにちは。ymtetcです。 『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』主題歌であったTHE ALFEE「この愛を捧げて」は、作詞の高見沢俊彦さんが『さらば宇宙戦艦ヤマト』ファンであったこともあり、『さらば宇宙戦艦ヤマト』、および主題歌「ヤマトより愛を込めて」へのオマージュに満ちています。 もちろん、高見沢さんが意識的にオマージュしているのは『さらば宇宙戦艦ヤマト』と「ヤマトより愛をこめて」のみでしょう。しかし、それに加えて、「この愛を捧げて」は、『さらば』の魂を継承したがゆえに(また、西﨑義展さんのチェックを通過したがゆえに)、すべての旧『ヤマト』の精神を継承した歌詞になったと私は考えます。 今日は私なり…
こんにちは。ymtetcです。 『宇宙戦艦ヤマト』は、面白いほどに「完結」できません。 その背景には、強固な既存ファンという商業的な理由もありますが、思想的な面でも「完結」できない理由があると考えます。 今日は、旧『ヤマト』のイメージソングである「ヤマト10年の賦」の歌詞に注目して、『宇宙戦艦ヤマト』が「完結」できない理由を探ります。 〇「ヤマト10年の賦」が語る『ヤマト』の最終目的地 〇実現不可能に近い「ヤマト10年の賦」 〇福井晴敏の語る「『ヤマト』の完結」 〇『さらば』という「永遠の航海」エンド 〇現実味を帯びる「永遠の航海」エンド
こんにちは。ymtetcです。 近頃「X(旧Twitter)」を見ていると、『ヤマト2202』のメカデザインに関して、一種の論争のようなものが繰り広げられている様子を時々目にします。 完結から5年が経ち、『2202』の反省に立つ続編『2205』の公開さえも久しい現在、なぜ何度も何度も『2202』メカデザイン論争は再燃してしまうのか。 今日は、その背景の一端を考えたいと思います。 ①旧作の世界観に沿わない『ヤマト2202』メカ ②一部のファンが傷ついた『ヤマト2202』体験 ③世間に溢れる「世界観に沿ったメカデザイン」 ④”粘着”と感じる『2202』ファンの心理 ⑤エコーチェンバー現象
こんにちは。ymtetcです。 『ヤマト2199』には、ネットスラングで「お風呂回」「水着回」と言われるようなシーンがあります。私個人の経験から、『ヤマト2199』は、あのシーンがあることによって「家族の前で観られない(観づらい)」作品になったと考えます。 しかし当時は、これを擁護する意見もありました。
こんにちは。ymtetcです。 『ヤマト3199』を控えている2024年。上映館数はリメイクシリーズの「非劇場版」作品としては最多であり、ファン層拡大への期待も膨らむ…… と言いたいところですが、私はそうは思えないのが現状です。
こんにちは。ymtetcです。 『スターブレイザーズΛ』が先鞭をつけた『宇宙戦艦ヤマトNEXT』シリーズ。その後の音沙汰はありませんが、突然、何かがあるかもしれないのが『ヤマト』界隈です。 今日は、この『NEXT』シリーズの未来について考えたいと思います。 『スターブレイザーズΛ』は、先駆者としての意義は絶大ではありますが、これからのヤマトを考える上では、反省するべき点もある作品だと私は考えています。 というのも、振り返った時に、「これが『ヤマト』である必要はあるのか」との問いが、どうしても拭えない形になってしまったからです。『Λ』の縁あって読んだ『鉄腕アダム』がとても面白かっただけに、終盤は…
こんにちは。ymtetcです。 前回の記事では、『2202』ラストの「国民投票」は、『さらば』のラストで描かれた「古代進の死」が、その後の世界(現実世界を生きる観客)にどのような影響を与えたか?を問いかける「粋」なアイデアであった一方、『さらば』のラストの解釈を”福井晴敏”色に規定してしまう点で「無粋」なアイデアでもあったと述べました。 今日は、そんな『2202』が持っていた『さらば』へのリスペクトと、作品全体に流れていた『さらば』否定のお話です。
こんにちは。ymtetcです。 過日、『さらば宇宙戦艦ヤマト』を再見して気づいたのは、『2202』最終話の解釈です。 『さらば』ラストシーンに答えるという「粋」 『さらば』ラストシーンには、こんなテレサのセリフがあります。 あなたのおかげで人々は目覚め、より美しい地球と、宇宙のために働くことでしょう。 古代進の行動が、生き残った人々に「勇気と愛」を与え、人々は目覚める。テレサはそう語りかけ、古代を導きます。 ここで疑問として浮かぶのは、では実際に、古代と雪の死によって救われた地球人類は「目覚め」たのか?ということ。 さらにいえば、『さらば』という映画に感動した子どもたちは、あれから40年経って…
こんにちは。ymtetcです。 10年以上にわたって続いてきたリメイク・ヤマトには、多種多様な思い出があります。初めて『ヤマト』を地上波放送で観た『2199』テレビ版、受験期に繰り返し観た『方舟』、大学生活と共にあった『2202』、社会人として初のヤマトだった『時代』と『2205』。 しかし特別なのは、2012年4月に観た『宇宙戦艦ヤマト2199』第一話です。 あれは高校の入学式の日、ファミリー劇場でした。 『宇宙戦艦ヤマト』なのに「今っぽい」 「私のための『ヤマト』」
こんにちは。ymtetcです。 前回、『ヤマト2202』が「原作から改変している」との印象を与えたのは、『さらば』をテレビシリーズに拡張する段階で必要となる「エピソードの付け足し」において、『さらば』でも『2』でもないストーリーを追加したからだ、と述べました。 リメイクシリーズの『2199』『2202』では、いずれも原作にはない新しいストーリーが追加されています。ただ、両作の「付け足し」方法論には違いがあります。 歴史的権威のない『2202』と権威のある『2199』 『2202』と同じ状態に陥った『2199』第七章 『2199』批判の一因 新作エピソードにはリスクが伴う
こんにちは。ymtetcです。 『さらば』を原作とする『ヤマト2202』。 ですが、この作品を観て真っ先に「この作品は『さらば』をそのままリメイクしたものだね」と評する人は少ないのではないでしょうか。さらに言えば、多くの人が「この作品は『さらば』を大きく改変している」との印象を抱くのではないでしょうか。 この点は福井さんも気にしているようで、2020年には「『2202』のときは、序盤はともかく後半へ進むにつれ、どこに『さらば』や『ヤマト2』(の要素)があるんだ? っていう展開になっていきました」と述べています。福井さん自身、2016年時点では「基本は『さらば宇宙戦艦ヤマト』を原作として……(略…
こんにちは。ymtetcです。 前回の記事では、『さらば』クライマックスにおける古代進の言葉は、第一作『ヤマト』の第13話、そして第24話から連なるものだと述べました。『さらば』クライマックスの古代の胸にあるのは、「命の大事さ」を理解しようとしない「理不尽な暴力」に対する怒りと、「喪失」の悲しみです。 この怒りと悲しみを克服する手段として、古代は死を選び、自らの理想を全うしたのが、『さらば』のラストだったと言えそうです。 さて、『さらば』のリメイクとして構想された『ヤマト2202』も、概ね同じ手法で読み解くことができます。『ヤマト2202』の古代は、なぜ自ら死を選び、高次元空間から帰ってこよう…
こんにちは。ymtetcです。 前回の記事では、『宇宙戦艦ヤマト』第24話「死闘!神よ、ガミラスのために泣け!!」における古代進の語りは、「人間は互いに『命の大事さ』を知っているのだから、『愛し合うこと』をしなければならない」という趣旨であったと述べました。 この「命の大事さを知ること」=「愛を知ること」といった構図は、『宇宙戦艦ヤマト』から『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』に受け継がれ、『さらば』を原作とする『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』にも繋がっていきます。 その点においては、『さらば宇宙戦艦ヤマト』、そして『ヤマト2202』は、初代『宇宙戦艦ヤマト』のテーマ性を、(一部分に…
こんにちは。ymtetcです。 前回の記事では、『宇宙戦艦ヤマト』第13話「急げヤマト!! 地球は病んでいる!!」における、古代進の行動について考えました。 「理不尽な暴力」によって両親を奪われた古代進は、同じ「人間」でありながら、そのような行為に及んでいたガミラス人(の捕虜)に対して憤りをぶつけ、殺害しようとします。しかし、ガミラス人捕虜が一転して自決を図ると、古代は彼の「命の大事さを知らない」行動に憤り、「貴様も人間なら、命の大事さを知れ」と叱りつけます。 この一連のシーンは、後の第24話「死闘!神よ、ガミラスのために泣け!!」に繋がります。 「命の大事さ」を知っていても
こんにちは。ymtetcです。 『ヤマト』劇場版を観て、最初に観たくなったのが、『ヤマト』テレビシリーズ第13話「急げヤマト!! 地球は病んでいる!!」でした。漫画『はだしのゲン』をほうふつとさせる、戦時中の日本をモデルとした「古代進の幼少期」の描写が印象的な回ですね。 第13話は、かつて、10代や大学生だった頃の私には、少し理解の難しいシーンがありました。それが、一度は殺そうとしたガミラス人捕虜の自決を、古代進が阻止して、𠮟りつけた場面です。 「貴様も人間なら、命の大事さを知れーっ!」。 殺そうとした相手の自決を、古代進は、なぜ阻止したのか? 回想シーンで描かれたもの 「ガミラス人も同じ人間…
こんにちは。ymtetcです。 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』以降の「福井ヤマト」は、二つの移行期を持つと考えます。 『2199 星巡る方舟』 ⇒『2202 愛の戦士たち』 『2202 愛の戦士たち』⇒『ヤマトという時代』 「1」は出渕ヤマトから福井ヤマトへの時期、「2」は福井ヤマトから羽原さん・小林さんの『復活篇』スタッフが抜け、より福井さんの役割が大きくなった時期です。 参考資料 表で整理してみる わかること
こんにちは。ymtetcです。 starblazers-yamato.net 『ヤマトよ永遠に REBEL3199』のポスターには、総監督・福井晴敏さんの、こんな言葉が掲載されています。 ヤマトは抵抗の物語です。一方的に境界を侵し、服従を強いる他者への抵抗。人を、社会を無惨に蝕む、理不尽な天災への抵抗。それらと向き合い、戦ううちに、いつしか自由も人間性も犠牲にし、なにを守ろうとしていたのかもわからなくなってしまう。やさしさと表裏一体の、人の愚かさに対する抵抗――。最初の船出から半世紀を経て、その抵抗の物語は、我々の明日を左右する現実になりつつあります。そんな時代に語られる、五十年目の宇宙戦艦ヤ…
こんにちは。ymtetcです。 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』4Kリマスターの上映が始まりました。そして上映「前」の予告編として、『ヤマトよ永遠に REBEL3199』の特報が流れています。シアター内で新旧『ヤマト』が共演しているわけですね。 今日は、このメリットを起点に、『3199』が『ヤマトよ永遠に』を掲げている意味を考えてみたいと思います。 旧作ファンにリメイクを告知する好機 『3199』が『ヤマトよ永遠に』である意味