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僕の平成オナペット史 https://blog.goo.ne.jp/heiona

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

へいおな
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2020/04/21

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  • 記憶に残らぬ小倉優子

    小倉優子を初めて知ったのは、男性週刊誌のグラビアだった。それから二〇〇一年三月に発売された初めての写真集「恋しくて優しくて」を手にした僕は、ひたすらそれを用いて自慰に勤しんだ。この年の自慰素材は小倉が後続を大きく引き離しているはずで、とにかく夢中になって何度も何度も射精した。今でこそ主婦タレントの代表格として広く知られているが、僕の知っている小倉はまだメジャーになる前のグラビアアイドルとして、絶えず股間を熱くさせてもらった。スタイルの貧弱さを補って余りあるロリータフェイスに、僕はすっかり魅了され、ポスト「お菓子系」のオナペットとみなすのに時間はかからなかった。この年から僕の自慰手段は手淫からオナホールに変わり、枕の隆起と隆起の間にそれを挟んで腰を振り続けた。「恋しくて優しくて」が発売された当時、僕は書店を何軒か...記憶に残らぬ小倉優子

  • 公衆トイレと個室ビデオ

    僕が書店で自慰用の素材を買って、自室に戻るまで我慢できずに公衆トイレで射精に至った初めてのオナペットは、当時十六歳の山田まりやだ。一九九六年夏、池袋の東武百貨店内にある旭屋書店で、山田のファースト写真集を買った僕はそのまま男性用トイレの個室に駆け込み、ランダムにページをめくりながらペニスをしごいた。池袋から僕の自室までは電車で三十分もかからないのに、それを制御できないほど当時の僕は山田の肢体に夢中になっていた。単身生活が長いので、公衆トイレでの自慰は数えるほどだ。一回目の転職の際、貯金のなかった僕は実家からの通勤を余儀なくされた。出戻りの身ゆえに、両親と同じ屋根の下でポルノグラフィを所持することがみっともないと感じ、自宅内での自慰行為を極力控えた。それでも、当時二十五歳の僕は性欲旺盛だったので、外出ついでに公衆...公衆トイレと個室ビデオ

  • フォーエバー「お菓子系」③

    「お菓子系」モデルの活動期間は数カ月程度で、彼女たちのほとんどはメジャーデビューを果たせずに引退していく。僕の知るかぎり、地上波の番組に出るまでに成り上がったのは児島玲子と浅田真子(現・熊切あさ美)ら片手で数える程度で、彼女たちが掲載された「クリーム」を買った覚えはあるが、素材として使った記憶はない。記憶に刻まれているのは、一、二回きりの掲載で知らずに消えていった素人たちだ。児童ポルノ法施行直前までが「お菓子系」の最盛期で、月刊誌に複数回掲載されたモデルは単体での写真集とイメージビデオも発売された。「クリーム写真集」などの総集編では、巻頭以外では七ページ前後と満足感が得られなかったので、オナペットにかなうモデルの写真集発売の通知は、僕をひどく興奮させた。その代表的なのが、一九九九年の小野田優美だ。小野田の体操服...フォーエバー「お菓子系」③

  • 「お菓子系」備忘録②

    ブラック企業に入社した僕は、激務の合間を縫ってはロードサイドのセルビデオ店に足を運び、「お菓子系」の雑誌を買って性欲を放出した。素人臭の抜けない十八歳以下の少女が、スクール水着と下着を模したビキニをまとって画一的なポーズをしてくれるだけで、僕の股間は熱くなった。その頃は彼女たちと同年代の優香がデビューしていたが、僕は今まで一度も素材に用いたことがない。社会人一年目が過ぎようとした頃、九八年四月号の「クリーム」で横澤りかのグラビアが掲載された。横澤はぽっちゃりした体躯で、素材としては申し分なかったが、その号は巻末の倉上涼子の陰部が見えそうで見えない学生服姿と立派な太ももにすっかり性的想像力がかき立てられ、横澤は後回し的存在だった。横澤が衝撃的だったのは、同年六月号の「クリーム」巻頭だ。体操着越しに伝わる胸の立体感...「お菓子系」備忘録②

  • 「お菓子系」備忘録①

    一九九六年三月。就職活動を間近に控えながらも、性欲の抑えられない僕は馴染みの書店で「クリーム」の四月号を買った。そこに掲載されていた中山由香というモデルは、僕の「お菓子系」遍歴を振り返るうえで絶対に忘れてはいけないほどのキーパーソンで、彼女を思い出すたびに惜敗続きだった就職活動の苦い記憶が甦る。中山はどこにでもいそうな当時十五歳のモデルだが、どこにでもいそうな女性がスクール水着姿や下着を模した白ビキニ姿を披露してくれることに、僕は極度に興奮した。七ページのグラビアと綴じ込みのポスター。たったそれだけの内容にもかかわらず、僕は精液の飛沫が付着してページがめくりにくくなるほど、彼女を素材に用いて自慰に耽った。「クリーム」で中山のグラビアが掲載されたのは九六年四月号だけで、ほかの雑誌の掛け持ちもなかった。おそらく「お...「お菓子系」備忘録①

  • 「お菓子系」全盛期の回顧

    僕の自慰素材が主に十五歳から十八歳までなのを決定づけたのは、九〇年代後半に隆盛を極めた「お菓子系」との出会いだ。素人の少女による体操服(ブルマー)と学生服、スクール水着、下着を模した白ビキニのグラビアという非常にシンプルでクラシカルな構成に、マイナー志向の僕はすぐにはまってしまった。初めて買ったのはナンバーのない「クリーム写真集」だ。九〇年代前半から「すッぴん」を愛読している僕にとって、「お菓子系」の虜になるのは当然の流れで、以降AVを素材としての自慰はめっきり減ることになる。裸体よりも水着姿の女性に性的興奮を覚える同好の士は、当時僕の周りにいなかった。しょっちゅう下宿先に出入りしていた同級生に「クリーム写真集」での自慰を勧めると、彼は露骨に拒否反応を示すほどだったので、僕は誰にも自らの性的志向を打ち明けなくな...「お菓子系」全盛期の回顧

  • 古き良きAV女優

    僕の自慰素材のほとんどは十五歳から十八歳までの女性だが、五、六年周期でAVを用いたくなる。とはいえ、一、二回使わせてもらっただけで飽きてしまい、再びお世話になることはない。唯一、忘れた頃に見返してしまうのは「体育倉庫」という盗撮物で、六分足らずの尺にもかかわらず高校生カップルの性交の様子が生々しく、僕が初めて見てから四年以上経ってもネット上で拡散され続けているほど、女子校生好きにはたまらないコンテンツだ。僕がAVを素材に用いていたのは、大学生活と社会人になってからのほんの一時期だ。九〇年代前半は飯島愛や憂木瞳、桜樹ルイなどが代表的だったが、僕はAVでもマイナー志向を貫き、彼女たちの作品を一度も借りたことがなかった。一週間レンタルが可能な旧作で新人第一作を好み、同じ女優の作品を複数借りた経験は少ないから、今となっ...古き良きAV女優

  • 最後のアイドル歌手

    一九九三年三月。僕は大学進学のため、独り暮らしの準備を始めた。引っ越し用の荷物を整理する際、数日前に買った一冊の写真集を段ボールの底に忍ばせた。自慰素材として生まれて初めて買った写真集は、新島弥生の「楽園をさがして」だ。新島は前年から僕のオナペットだった。書店で売られていたアイドル雑誌「BOMB!」で初めて新島の存在を知った僕は、ワンピースで胸の立体感がわかる彼女の表紙を見た途端、買わずにいられなくなった。裏表紙は新作シングルの広告だったはずで、CDの販促の一環として所属事務所が出版社に売り込んだのだろう。僕は歌手としての新島にまったく興味がなく、性欲処理の対象としか見ていなかった。思えば、僕にとって新島はアイドル歌手として最後のオナペットだ。九〇年代初めまで、アイドルといえば歌手だった。新島以外にも寺尾友美や...最後のアイドル歌手

  • 英知出版の「すッぴん」

    独り暮らしを始める前までは性欲に対して抑制的だった。家族の留守を見計らって自慰しなければならない煩わしさに加え、受験勉強や運動に時間と精力が分散化されていたからだ。それでも、同年代の女性に対して性的興味を持ち、性欲を満たしてくれる素材を探していた。写真集など買う金銭的余裕はなく、家族に見つかるのを極端に恐れていたので、素材はすぐに処分できる雑誌にかぎられた。その中で、英知出版の月刊誌「すッぴん」は僕の高校時代の性欲を支えてくれた一冊だ。「すッぴん」はメジャーアイドルを目指すモデルたちのグラビアで構成され、表紙にはモデルの名前だけでなく年齢が必ず記載されていた。十八歳未満がほとんどで、当然ヌードはない。この雑誌でのデビューを機に、タレントや女優にのし上がったモデルもいるほど誌面のクオリティは高かったが、このような...英知出版の「すッぴん」

  • 江崎まりの思い出

    一九九〇年一月。塾の冬期講習の帰りに立ち寄った書店で、僕は「DELUXEマガジンORE」という雑誌を立ち読みし、巻頭の江崎まりに一カ月半前の高橋由美子並みの衝撃を受けた。八九年度のミスマガジングランプリ受賞者で、メジャーデビューへの布石として同じ講談社の媒体でグラビアに挑んだのだが、一学年上のお姉さんとは思えぬ成熟した肢体に、僕はすっかり虜になってしまった。周囲を気にしながら、僕は何度も江崎のページを見返して性的興奮を高めた。当時、その雑誌を買えるだけの現金を持ち合わせていたかどうか覚えていないが、自宅内に所持していることへの抵抗感が強かったので、結局買えずじまいだった。それでも江崎をオナペットにしたい欲求は衰えず、高校受験が終わって無事志望校に合格しても、江崎のグラビアが掲載されている雑誌をチェックする日々が...江崎まりの思い出

  • 「大海賊」と高橋由美子

    一九八九年十一月二十日。僕はオナペットを探しに都心へ向かった。その日は月曜日だったが、前日の父兄参観日の代休日で、何の気兼ねもなく上り電車に揺られていた。目指したのは神保町だが、どうやって乗り換えたのかは覚えていない。三越前から半蔵門線を利用したのか、お茶の水から歩いて行ったのか、いずれにせよ神保町でオナペットを探すのは生まれて初めてのことだった。翌年に高校受験を控えた僕は、生来の意気地のなさが災いして家庭でも学校で抑圧された立場にあった。意気地はなくても性欲だけは人並みにあったが、女子には相手にされず、また当時の居住環境から自慰に対して制限がかけられていた。家族の不在時にしか自慰が許されず、普段と違う一日が訪れたのは絶好の機会だった。わざわざ神保町まで出向いたのだから、希少性の高い媒体を探す目的があったのかも...「大海賊」と高橋由美子

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