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20代カトリック求道者の信仰と哲学の日記

カトリックの教えや暮らしについて、求道中の若者が学んだことや考えたことを綴っています。ワンクリックで英語版でもお読みいただけます。

ウミガメ
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2020/04/20

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  • カトリック入門講座に行ってみた

    カトリック入門講座は、カトリックについて学びたい人すべてカトリック入門講座は、カトリックについて学びたい人すべて(カトリックの人も、今から洗礼を受けたい人も、洗礼を受ける気はないが学んでみたいだけという人も)のための講座だ。自分は2019年に一年間、アメリカのカトリック教会で入門講座に通った。今も洗礼を受ける気は当分ないが、とても良い経験だった。のための講座だ。自分は2019年に一年間、アメリカのカトリック教会で入門講座に通った。今も洗礼を受ける気は当分ないが、とても良い経験だった。

  • 永井隆(2) -長崎原爆と愛と祈りの生涯

    永井隆はカトリックの医学博士。原爆投下直後の長崎で懸命に人々を救い、その後も愛と慈悲、勇気との信仰に導かれた生活を送った。彼の被ばく以後の献身的な救護と平和啓もう活動、そして貧しくも前向きで心豊かな生涯についての紹介。

  • 藤井風『もうええわ』

    所要時間:4.5 分 藤井風『もうええわ』。久しぶりに心にぐっと来る曲だった。サウンドも、歌詞も、MVも、すべてが最高。     しゃべるように自然 英語が一切入らない曲は意外と少ない。最近の曲の多くはサビで英語やカタカナが使われることが多い。それに、歌詞が方言で書かれることはとても少ない。筆者(ウミガメ)自身も地方出身なので、日常的には意識せずに方言交じりで話している。『もうええわ』は、歌詞がしゃべるのを聞いているようにすっと自然に流れてくる。それは、普段自分が使う言葉で書かれていることが大きいのではないかと思う。心の内をそのままアウトプットしている感じがして、ぐっとくる。そしてメロディーがキャッチ―でクールで流れていく。岡山弁とこのサウンドがとけあっているのが感動的だ。   歌詞が秀逸 筆者(ウミガメ)がカトリック/クリスチャン的な感覚で歌詞を勝手にした解釈と感想を綴りたい。(藤井風がどういう意味でどういう気持ちで書いたのかをリサーチしたわけではないのであしからず。) 欲を捨て自由になる さぁ羽のばして ここから 捉われてばっか だったから 行き詰った悦び手放す時は今 心軽くして これから 自由に歩いて みたいなら すれ違った人だって過去だって怖くない 人間は生まれた時から自分自身の欲=「悦び」にとらわれている。それは、食欲や性欲などの肉体的な欲望だったり、自己顕示欲やエゴなどの感情的な欲望だったりする。しかし、結局のところの本当の完璧な幸福なんてものはこの世にないし、そこに生きているうちにたどり着くことなどできない。それは行き止まり、「行き詰った」もの。お金を持っていても持っていなくても、家族がいてもいなくても、誰もがその欲や悦びとよばれる檻にとらわれている。 自由になること、それは欲を手放すこと。この世に真の幸福がないことを受け入れること。それを受け入れれば、今の苦しみや満足できない状態も許せる。心が軽くなる。 欲を手放すということは、ストイック(禁欲的)になるということ。それは一見、自由を手放すことのように見える。しかし、実際にはこれだけが本当の意味で自由になる唯一の方法。これは仏教の悟りなどにも通じているのではないかと思う。 欲を捨て、自由になるとき。それはカトリック的な言い方をすれば、「神様に従って生きる」ということ。そのとき、他人の目など怖くはない。なぜなら、正しいことをすることは真の幸福につなが

  • 永井隆(1) -カトリックになるまで

    永井隆は長崎の原爆投下後に現地で医療に従事した医学博士。自らの命の危険をもかえりみず、多くの人々を助けた。晩年は平和や信仰についての随筆を多く執筆した。永井はカトリックで、彼の生涯は祈りそのものだった。自分が「カトリックについて知りたい、もしかしたら真実かもしれない」と思う大きな理由の一つが永井隆だ。   永井隆がカトリックになるまで 普通の神道の家に生まれた永井隆がカトリックになるまでの道のりは決して短くはなかった。多くの人がイメージする、キリスト教への回心とは全く違う道筋だ。科学者である永井がカトリックになる過程には、頭と心の両方があった。 科学を志し、唯物論に 永井は生まれながらのカトリックではなく、家は神道だった。永井は科学を志し、現代の若者のように、科学が世界を記述する言葉だと信じて学問にまい進していた。大正デモクラシーも相まって、唯物論(物質主義)に系統していった。 精神世界の存在を感じる しかし、彼の祖母の死は彼を変えた。祖母は素晴らしい人だった。永井に愛、優しさ、慈悲を教えてくれた。そんな祖母がある日突然死んで、無になってしまったとは到底受け入れられなかった。そのもやもや感は唯物論ではとても解決できなかった。永井は、人は死んでも無になるわけではないのではないかと考え始めた。こうして、世界には物質だけでなく、精神世界があると考えるようになった。 カトリックに触れる -理屈から その後、永井はパスカルの『パンセ』を読み始める。パスカルは永井が最も尊敬する科学者の一人で、パスカルのような偉大な科学者が信仰を持っていたことは永井には衝撃的だった。パスカルは『パンセ』で、カトリックの自信の哲学や信仰を、理論的に説明している。永井は、信仰が理屈に反しないことを学び、感銘を受けた。永井はこの本から、カトリックを頭では理解しだしたが、回心するには至らなかった。 カトリックに触れる -信仰生活に触れる 永井は長崎で医学生をやっていたが、より勉強に集中するために、家を浦上(医科大学により近かった)に移した。浦上は隠れキリシタンの子孫たちが暮らす町で、そこで永井は森山家に書生として住まうことになる。森山家は「帳方」と呼ばれる、キリスト教弾圧の時代(神父がいなかった時代)に教会コミュニティーを管理するリーダーをする家系だった。森山一家の暮らしは祈りそのものだった。 浦上の村人たちの一日は祈りに始まり、祈りに終わった。村人

  • カトリックの彼氏/彼女と付き合うって(1)-恋愛の意味

    カトリックの彼氏/彼女と付き合うって?宗教の違いは問題じゃない。どんな宗教であっても、結局個人の人間レベルで、お互いをありのまま受け入れられるか。

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