藤井風『もうええわ』
所要時間:4.5 分 藤井風『もうええわ』。久しぶりに心にぐっと来る曲だった。サウンドも、歌詞も、MVも、すべてが最高。 しゃべるように自然 英語が一切入らない曲は意外と少ない。最近の曲の多くはサビで英語やカタカナが使われることが多い。それに、歌詞が方言で書かれることはとても少ない。筆者(ウミガメ)自身も地方出身なので、日常的には意識せずに方言交じりで話している。『もうええわ』は、歌詞がしゃべるのを聞いているようにすっと自然に流れてくる。それは、普段自分が使う言葉で書かれていることが大きいのではないかと思う。心の内をそのままアウトプットしている感じがして、ぐっとくる。そしてメロディーがキャッチ―でクールで流れていく。岡山弁とこのサウンドがとけあっているのが感動的だ。 歌詞が秀逸 筆者(ウミガメ)がカトリック/クリスチャン的な感覚で歌詞を勝手にした解釈と感想を綴りたい。(藤井風がどういう意味でどういう気持ちで書いたのかをリサーチしたわけではないのであしからず。) 欲を捨て自由になる さぁ羽のばして ここから 捉われてばっか だったから 行き詰った悦び手放す時は今 心軽くして これから 自由に歩いて みたいなら すれ違った人だって過去だって怖くない 人間は生まれた時から自分自身の欲=「悦び」にとらわれている。それは、食欲や性欲などの肉体的な欲望だったり、自己顕示欲やエゴなどの感情的な欲望だったりする。しかし、結局のところの本当の完璧な幸福なんてものはこの世にないし、そこに生きているうちにたどり着くことなどできない。それは行き止まり、「行き詰った」もの。お金を持っていても持っていなくても、家族がいてもいなくても、誰もがその欲や悦びとよばれる檻にとらわれている。 自由になること、それは欲を手放すこと。この世に真の幸福がないことを受け入れること。それを受け入れれば、今の苦しみや満足できない状態も許せる。心が軽くなる。 欲を手放すということは、ストイック(禁欲的)になるということ。それは一見、自由を手放すことのように見える。しかし、実際にはこれだけが本当の意味で自由になる唯一の方法。これは仏教の悟りなどにも通じているのではないかと思う。 欲を捨て、自由になるとき。それはカトリック的な言い方をすれば、「神様に従って生きる」ということ。そのとき、他人の目など怖くはない。なぜなら、正しいことをすることは真の幸福につなが
2020/08/18 18:36